71. L.I.N.D.W.E.R
暫く足を進めると、彼女たちはひとつの扉の前に辿り着いた。そこはウルリカの研究室。中から何やら物音が聞こえてくる。
モントーバンに滞在しているうちは他人と顔を合わせる訳にもいかないレイジィは、扉の横の壁に寄りかかって一時分離を提案し、シャプワとウルリカがそれを受け入れる。
彼女を抜いた4人で研究室の扉を開けると、初対面の人物が何人か慌ただしく働いている様子が見えた。彼らは今回の「検査」に協力してくれる面子であり、貴族お抱えの魔獣研究の一線級、すなわち選りすぐりのエリートたちである。
彼らはインヘルやラストラリーの入室の気配を察知すると、目の色を一斉に変える。直前、同行していたシャプワの表情が引き締まったのを、レイジィは見逃さなかった。
「揃っていますね」
その一言で作業が中断され、研究メンバーが傾聴の姿勢を示した。ウルリカ・リーマリー・モントーバンが持つカリスマ性を察するに余りある様子だ。
レイジィを外に取り残し、扉が閉じる。ウルリカが数歩前進する。
彼女はそのまま、インヘルやラストラリー、そしてシャプワの方を向き直ると、くれぐれも穏やかな表情で口を開いた。
「ご紹介させて頂きます。こちらから、パトリオン家からテンタ博士。彼は『魔獣多様論』を唱え、魔獣の生体標本染色技術に大きく貢献した方です」
「よろしくお願いしますね」
片眼鏡の奥に、悪意の無さそうな瞳を輝かせる若い青年が、実験動物扱いであるはずのインヘルたちに丁寧にお辞儀をする。
「サーマイト家から、アザレ女史とデュークバルト研究助手。2人には暫く泊まり込みで準備して貰っていましたね。あと何日か滞在する予定でしたっけ?」
「……」
「はい。お世話になります」
「彼女たちは観測実験から、魔獣の生気論的な発生を否定した論文を発表して脚光を浴びました。最初の論文でサーマイト家に抱えられた、勢いのある研究者ですよ」
テンタ博士とは対照的な無口さを露呈させたのは、青黒い長髪を一つに纏めた女性。名はアザレ・ブロアー。無口とはいえ礼を失するような人物ではなくただ口下手なようで、仏頂面のまま何の抵抗もなくぺこりと頭を下げる。
その研究助手デュークバルト・ワラッドは男性の割に少し長い金髪を後頭部で縛っており、幼さの残る顔立ちはウルリカの若さにも引けを取らない。無口なアザレに不足した部分を補う彼の社交的な様子は、少なくとも気難しい人間では無いことを確信させる。
「あちらの方はマクランブルク家のグリュード博士。叔母上の代からお世話になっている、魔獣研究の大御所です。本来私のような若輩が指示を出すなど、あり得ないのですが……」
「何を仰いますかウルリカ女史。僕の研究成果なんて、時代遅れなものです」
「ご冗談を。博士の起動因論は、私が現在研究している魔獣分類学の根幹です」
壮年のグリュード博士は穏やかに笑うと、「参ったな」というように白衣の襟を正しながら謙遜する。
出てくる単語の半分以上がちんぷんかんぷんなインヘルは、ここでようやく小難しい専門用語への理解を諦めた。
「そして、あちらの一団がユートヴァルジ家からサミュエル博士、マリアベル女史、バドワイア博士、ワーナー研究助手、グレイ研究助手の『魔獣行動学』研究チームです。流石、ユートヴァルジ家は魔獣研究に精力的ですね。ご子息のお力も貸して頂けるとは」
「暇な四男坊でして。私たちで宜しければ、惜しみなく力をお貸ししますよ」
「サミュエル博士」と紹介された男が、堂々とした立ち居振る舞いでウルリカに返答した。彼は貴族家お抱えの研究者という訳ではなく、本物の令息らしい。
ユートヴァルジ家は貴族家としては最大の規模で魔獣研究に力を入れており、一族が抱える研究者数はおよそ45名。その大半が魔獣学の発展に協力的で魔獣総研にも所属している。
しかしながら貴族家の、それも本物の令息が率いる研究チームが総研と合同で研究をするという事態は異例の出来事だ。インヘルやラストラリーの調査が、大きな国力を動員する重要事項であることの証明でもあった。
「外部からの研究員は以上9名になります。この場にいる碩学たる面々はこれまで独自に研究を進めてきました。言うなれば競い合い、切磋琢磨する間柄……しかし此度は総力を挙げて取り組むべき事案です。これより、ラストラリー及びインヘル・カーネイションの全方位的な探究を始動します。研究主任は私、ウルリカ・リーマリー・モントーバンが務めさせて頂きます」
廊下でレイジィと談笑しながら、朗らかな顔を見せていたウルリカの表情は、直後に自信に溢れた逞しいものへと変貌した。そんな彼女に向かって、研究員たちから惜しみない拍手が飛ぶ。
そしてウルリカはシャプワの方へと目線を向け、何かを決意したかのように頷いた。
「(へぇ……ウルリカったら、結婚が決まってから随分頼もしくなったのね。しかし全く、損な役回りだわ)」
「はぁ……」
部屋の外で会話を聞いていたレイジィも、そのタイミングで小さく息を吐き出す。
シャプワとレイジィの意図は、実際のところ初めから合致していた。
そうでなければレイジィはラストラリーの「力」のことを姉に話すことはしなかったし、シャプワが教理審問の判決をゴリ押しで覆すこともなかっただろう。
彼女たちには……否、事情を知るモントーバン姉妹の一部には、「インヘルたちの調査」の他にも、意図的に隠蔽された目的があった。
「(ボクたちの役回りは実質、インヘルたちの秘密を探ることじゃない)」
「(この2人をどうしても消したい奴を、表舞台に引き摺り出すこと……)」
「(ボクの仲間を殺そうとしている莫迦を――)」
「(安寧を奪う痴れ者を――)」
「「(叩き潰す……!)」」
教理審問の内容を加味すると、国政の奥深くに入り込んでいる闇は間違いなく存在する。ソイツは何かの理由があって、インヘルとラストラリーを抹殺しようとしているのだろう。御丁寧に公権力を思いのままに操って。
――ビナー・ハイドラン。
テラからシャプワへ、シャプワからクラウディアとレイジィへ、そしてウルリカへと裏で伝達された「逢魔」の存在は、全ての歯車を狂わせた。投じられた混沌は未曾有の波形を生む。
人間と見分けがつかない魔獣が存在するのだ。
仮にそれが、既に国の中枢を土足で踏み荒らしているのだとしたら、この機を逃す筈がない。
逢魔にとって最大の敵となるであろう狩人連盟と騎士団から、インヘルとラストラリーが一時的に切り離されたこの調査期間、確実にその敵は、大きく動きを見せるだろう。
故にシャプワとレイジィに課された義務は、外部を信用しないこと。
ウルリカに向けて称賛の拍手を送るこの研究者たちの中に……敵の息がかかった奴が紛れている可能性は大いにあると言える。
疑わなければならない。
例えそれが仲間すら撒き餌とする裏切り行為だとしても、彼女たちはお互いに、失いたくないものがあった。
「それでは検査室へ移動しましょう」
「(さてと……敵かもしれない奴の声はある程度覚えたし、ボクは一旦戻っていようかな。夕飯までクラウディアお姉様の部屋に避難させてもらおう)」
扉を開けると、既にレイジィは魔法で本邸へと転移していた。ウルリカは惜しむ時間すら無かったことに対して、一瞬寂しげに目を細め、それこそ気乗りしない――「裏切り者を探す仕事」に着手した。
◆ ◆ ◆
「よっ……と」
「What!?」
レイジィが着地した先は、クラウディアの個室の、椅子の上だった。
唐突に空中から現れた不法侵入者には流石のクラウディアも面食らったのか、ビクッと肩を跳ね上げる。彼女は部屋の隅の、頑丈に施錠された扉に鍵をあてがっている最中だった。
「ふぅ〜、着地成功。やあお姉様。ちょっと暇だったから、此処で時間潰させてもらうよ」
「HA…HAHAHA……それは構わないけど、ノックはマナーでしょ!? ワタシのプライベートが無いじゃナイ!」
「ん? 何かしてたの? そういえば気になってたんだけど、何そのクローゼットの鍵? 昔は無かったよね」
「〜♫」
「誤魔化すんじゃあない」
クラウディアは鍵をポケットに仕舞うと、わざとらしく口笛を吹いた。
よく見ると彼女の持っている鍵の持ち手部分と扉の錠には、鑿で彫ったかのような小さな魔法陣が刻まれており、物理的な要因での破壊の難しさを物語っている。
ここまで精緻な魔道具となると、おそらく仕事で発見した遺物だろう。こいつ、公的な物品であるはずのものを私物化してやがる。
「ナンデモナイヨ」
「……あ、分かった。破廉恥なヤツだろう! むぅ……このアメリカ破廉恥め! おい見せたまえお姉様! ほら、レッツ破廉恥!」
「アメリカ破廉恥って悪口なのかしら? ……というか、中はワタシのコレクションよ。まだ見せたくナイから我慢しなさい」
「お姉様のコレクション? 床に宝石打ち捨てる人が大事に保管しているコレクションなんて、気になるじゃないか……へっへっへ、生唾が出るぜ……」
「ウゲ……よりにもよって、この妹に……」
加えて、レイジィは「まだ」という枕詞についても引っ掛かった。いつかは見せる予定があるということだ。訝しげにクラウディアを睨むと、彼女は根負けしたかのように「コレクション」のことを説明し始めた。
「あ〜……ココに入ってるのは、接触型の強力な魔法が掛けられている遺物なのよ。そのクセ見た目は……まあ、何て言うか、人を虜にして狂わせてしまうくらいに美しいからタチが悪い。とにかく、見るだけでもちょっと危険なの」
「……封印中ってことかい?」
「Exactly! 米国で似たような遺物からディスペルのヒントが得られたしね。この魔法が解除できたら、いよいよ王都にドーンと博物館建てて、思いっ切り展示するつもり!」
レイジィが記憶を探るように口元に手を当てると、そういえば子供の頃、クラウディアはいつか博物館を作り、遺跡から発掘したものを全て飾りたいと言っていたことを思い出した。
彼女の夢の実現は目前のようで、レイジィは合点がいったように「ああ」と溢して納得する。「夢」とはいえ、モントーバンにとってそれは、いつか訪れる現実でしかないのだが。
「土地と建設費と建設許可と、展示物のレイアウト表はもう準備してあるのよ! 今まで寄贈ばっかりだったケド、遂にワタシも自分で博物館を持てる! ……という事でネタバレは我慢してネ♡」
「そうだったのか。おめでとう、お姉様」
ふらりとベッドに腰掛けて視線を向けてくる彼女にレイジィが称賛の言葉を贈ると、シャプワは「Thank you☆」と口にしながら微笑んだ。
「美しい遺物ね……それって、宝石か何か?」
しかし、一度気になってしまった手前、やはり好奇心に勝てない性分を持っているレイジィは、少しでもその物品の情報を掴むためにさり気なく質問を続ける。
クラウディアは考える素振りを見せながら、またしても諦めたような表情で口を開いた。レイジィの気質に対する諦めだろう。
「何体もの人形たちよ。造られた年代は不明。ケド、少なくとも何千年も前から手付かずの遺跡で見つかったカラ……落日期以前に製作されたモノの可能性があるわ」
「おお……スゴい話だね。そんな昔の人形が判別可能な形で残ってるなんて」
「判別可能というか――完全に姿を保ってるのよ。人形衣装の裏地に製作者の名前みたいなのが刺繍されているのも解ってる」
「興味深いな。何て名前の魔法使い? 凄腕の魔法使いなら、もしかしたら何処かの文献で読んだことがあるかも」
クラウディアは「それもそうね」といった感じで頷くと、人形製作者と思しき人物の名前を告げる。
「刺繍だから書体のせいで誤りがあるかもしれないケド、その綴りと最も近い単語は……『リンドヴルム』」
「名前が地を這う竜……? 仰々しいなあ」
「後半のスペルが『wurm』じゃなくて『wer』に見えたから、L・I・N・D・W・E・R……発音的には『リンドヴェル』ね。ワタシたちの発掘チームでは『リンドヴェル人形』って呼んでいるわ」
「ん〜、心当たり無いや。人の名前っぽくはなったね」
「本の虫であるテレサでも分からないかぁ……あ、いま見つかってるリンドヴェル人形は47体で……って、何でこんな頭脳労働しないといけないのよ! やめやめ! ゆっくりしましょう!」
確かに、言われてみれば暇つぶしのためにクラウディアの元を訪れたのだ。休憩中にわざわざ頭を使うようなことをする必要はない。レイジィは「それもそうか」と肩の力を抜き、人形師リンドヴェルの名前を頭の隅に追いやった。




