70. No One Can See the Skeletal Specimen
本館に隣接するように並び立つ、モントーバン家私有地内で2番目に巨大な機密主義の匣。それが五女ウルリカの仕事場である。
外観から、さぞ広い部屋が有るということくらいは判っていたが、その実態は殆どが棚と、そこにすら収まりきらなかった論文や薬品と、研究に用いるスペースや講義室に支配されており、その余剰分として僅かばかりの私的な部屋が散発的に設けられているだけだ。
ウルリカは此処に寝泊まりしているらしいが、彼女が寝床だと指摘したのは部屋の隅にクッションと毛布が置かれているだけの「座りながら寝る場所」だった。
「確か、検査室の鍵はこっちの棚に……ん。お待たせしました。それでは行きましょうか」
7時間おきに1時間の睡眠。それを3サイクル回す事により一日の時間感覚と体調を管理しているらしいが、やはりインヘルたちにとっては、どう考えても常識的ではない動物的なリズムに思えた。
「そういえば……テレサはレベッカが眠っている場面って見たことある?」
「あの子、脳を半分ずつ寝かせてるんだってさ。羨ましいよね〜。ボクもその体質が欲しかったな」
ようやく会話が許されたレイジィは、腕を後ろに組み、マイペースな子供のように左右にふらふらと体を揺らしながら歩く。対するウルリカも、レイジィ相手には飾った態度を一切取らず、言葉を崩して口を開く。
「三つ子なのにね」
「仕方ないさ。こういう場所でないとロクに会話することも許されてないんだから、ボクたちは切り離されるしかないんだ」
「それも完全には不可能じゃない? 足下に縫い付けられた影を強引に引き剥がそうとするようなものよ」
2人は道中、こんな会話で笑い合っていた。
その肩肘張らない様子は、他の状況と比較しても類を見ないほどに穏やかだった。レイジィは、これまでの姉たちとの接触では、どこか油断していないような雰囲気があったが、双子の姉ウルリカの隣を歩いている今は、何の変哲もない姉妹に見える。
インヘル、ラストラリー、シャプワは2人の後ろ姿を見ながら、無意識的に、その関係性に過度に介入することを避けていた。あの2人で一緒に居るときにしか休まらない心の部分もあるのだろう。
先導するウルリカの一団をぼんやり眺めながら、彼女たちは彼女たちで、まるで取り残されたかのように口を開く。
「実は貴女たちのこと、レイジィは何度かウルリカに話してたらしいわよ。ナイショの文通……あの子の魔法は便利ね」
「レイジィさんが……私たちの話?」
「どんな陰口だ?」
「面白い人たちに出会えた……って、一時期は貴女たちチームの話題で持ちきりだったみたい。だから、今回の訪問を聞いて一番ワクワクしてたのは、ウルリカでしょうね。自分の力を発揮できる分野で、妹に協力できるのが嬉しかったのよ。レイジィは昔からあまり人に頼らないの。そう育てたのは私たちなんだけど」
「……そうか」
素直に好意的な文面に、一度は皮肉を言ったインヘルも気恥ずかしそうにシャプワから目を離す。
「そういえば、貴女からはレイジィの評価を聞いてなかったわね。あの子、上手くやれてる?」
「あー……」
その言いづらそうな様子から既に色々と察し始めたシャプワは、意地の悪い笑みを浮かべて、言葉にしろと迫る。そんな態度にインヘルはすぐさま根負けした。
「私とパラノイヤ……チームリーダーが喧嘩してな。それで口も聞かなくなってた時期があったんだよ」
「あ、私も覚えてるよ。パラノイヤさんが伝達を間違っちゃって、ママがその仕返しって言って、勝手に仕事を蹴っちゃった時でしょ?」
「皆まで言うな馬鹿……あー、恥ずかしい」
シャプワは興味深そうにその話に耳を傾けていた。インヘルは切り替えて言葉を続ける。
『確かに、最初に間違えたのは私です……しかし貴女、何も痛まないのですか? 取り返せるミスならば、私はまだ貴女の力になれたのです。それを貴女……自分で責任を打ち捨てるとは何事ですかッ! 見下げた使命感ですね……!』
「……今思えば結構くる言葉だぜ。当時はアイツからあんな責め立てられるとは想像もしてなかった。何をしても最後まで裏方で支えてくれてたから、私は甘えてたんだろうな」
インヘルの評判は当時から最悪だった。「葬儀屋」は本来、蔑称として使われる二つ名である。揉め事の中にやって来ては、最良とは思えない手段で強引に魔獣の死体を作って金を稼ぐ……そんな時に起きたのがこの一件だった。
「魔獣退治の仕事だけはキッチリ済ませる」という唯一の救いようを、インヘルは自分で突き放してしまったのだ。もっとも、当時のインヘルはまだ、ぼんやりと魔獣を殺すことだけ考えながら、場当たり的に生きていた。故に自分のしでかした事の大きさを理解するに至らなかった。向こうの事情も過去も知らず、煩わしく喚くパラノイヤを嫌うことしか出来なかった。
問題だったのは、パラノイヤが他人のミスを咎めることに対して抵抗感があり、そのあと自己嫌悪に陥りがちになってしまうという点だ。
「そもそも私が些細なミスをしなければ」
「批判だけに終始してしまった」
「誰かが粘り強くインヘルに規律を説いてやっていれば、もしかしたら起こらなかった出来事なのではないか」
彼女がそう思い至ると、ますますインヘルとの距離は遠ざかっていく。まさに悪循環である。どちらも歩み寄ることを恐れていた。
しかしある時を境に、パラノイヤはいい意味で無遠慮になってきた。
『……何だよ。しばらく私に仕事は回さねェんだろ』
『ええ。ですからコレを』
『あ?』
『始末書です。次からは自分で書いて下さいね。書き方が分からなかったら、聞きに来れば教えますから』
後になってインヘルが知ったのは、そんなパラノイヤの相談役を買っていたのがレイジィだったということ。
『――2人とも依存先が足りてないんだって。窮屈な生き様してるなぁ。他人が稼いだお金を横から掠めてメシ食ってるボクを見習いたまえ』
『貴女という人は……』
『そうそう、その調子。吐き出したい事があったら、そうやって抱え込まずボクに説教して当たり散らすと良い。そしてボクの見事な口八丁に敗北を喫してから、冴えた頭でシンプルに考えなよ』
『……』
『リーダーはボクたちの何に依存してくれてるんだろうね。一度は体重を預けた椅子さ。もう少し深めに座ったらどうだい? 姿勢は良いけど心に悪いよ』
真摯的とは言えない口調ながらも、彼女から与えられた「許可」は、かねてより失敗への恐怖と規律への執着を抱くパラノイヤの心の錠前を、あっさりと開いていった。
やがてインヘルが「頼られている」という事実に満足感にも似たものを抱き始めた頃、パラノイヤの過去を知り、彼女がどれだけの苦悩を抱えながら責任を放棄した自分に喝を入れたのかも知り、自らの浅慮を悔いた。
2人が一歩を踏み出せたのは、間にレイジィが入り、緩衝材になってくれたからだろう。
喧嘩の構造は思ったよりも単純で、それを複雑に思わせるのは、勇気が足りずに各々が少しずつ歩み寄る足を止めてしまうせいだということも学んだ。
「レイジィは……生真面目なパラノイヤの屋台骨だ。張り詰めた弦みてぇだったリーダーを、楽観的にしてくれた。我儘で無茶ばっかりして、おまけに何の金も生まないような奴だが……頼りになる。手放しで『信頼出来る』と思わせてくれる奴は、そうそう居ねーよ」
「あれまぁ、愛されちゃって……」
「貴族にゃ要らねェんだろ? なら、アイツは今後ともウチで預からせてもらうぜ」
「あはっ、良いわよ。貴女たちなら大事にしてくれそうだから」
シャプワがそう笑うと、レイジィは一瞬インヘルたちの方を振り返り、すぐに顔を正面に戻すと、危機感を覚えたかのような表情で口元を押さえた。
「(……危なッ……!! 手紙に結構愚痴とかも書いてたけど、バレてない!)」
「ん? どうしたの、テレサ?」
「い、いや? 何でもないよウルリカ。むしろ有難う」
「はあ……どういたしまして?」
◆ ◆ ◆
「貴女たちの班は食器類のセッティングを。直接の給仕はお嬢様たちの専属が数名で務めますので、その間決して客人に姿を見せてはなりません。キッチンとスカレリーは平常業務をお願いします。本日湯浴みを行うのはクラウディア様とハオフェン様、レベッカ様ですので、ランドリー・ベータと事前に声をかけておいたレディース組は饗応中に服とお着替えの用意を。食事の片付けはチェンバーから一部引き抜きます。庭師には今晩までにパーラー・イプシロンからお帰りを願う旨を伝えておいて……」
「ミス・マチルダ。ハオフェン様とレベッカ様がお戻りになられます」
「了解。ウェイティングス! ミス・クリマティとミス・カペルに声を掛けて、お嬢様たちをお迎えして! 出来るだけ盛大に、昼間の来客をカモフラージュする為にね!」
「ひゃあ……管理職候補は大変ね」
「湯浴みまでは時間がありそうだけれど……どうする? 客人と顔を合わせちゃいけないなら、部屋に戻ってトランプでもする?」
「それより、今日は休憩中にスティルルームの人がお菓子を振る舞ってくれるらしいわよ。お嬢様たちに作ったものの余りがあるみたい」
「ふーん……あ、お嬢様と言えばね」
そのメイドはマチルダの激務に舌を巻きつつも、どうやら甘いものが得意ではなかったようで、自らの仕えるモントーバンの「御令嬢」についての噂話を広げようと口を開いた。
「この前も私たち、湯浴みの手伝いをしたじゃない?」
「ええ。庭園で摘んだ花びらを持ってきて欲しいとか何とかの……」
「そうそう。それで体をお拭きしたのだけれど……お嬢様に、その……アザというか、刺青? みたいなのがあったのよ」
「まさか。見間違いよ」
「そうなのかしらねぇ〜……見づらいところにあったから、逆にどうしても気になっちゃって。ダマスク柄って言うのかしら? 植物みたいな模様だった気がするの」
「そこの2人。無駄話は程々にね」
「あっ、はーい」
「す、すみませーん!」
マチルダが優しく声を掛けると、レディースメイドの彼女たちは申し訳なさそうに手早く身支度を終わらせ、最初の提案でもあったお菓子を求めて部屋を後にした。
一連の話を聞いていたマチルダは、もやっとした疑問を抱く。
「(ダマスク柄の刺青? そんなもの、誰かが彫っていたでしょうか? 身体を傷付ける飾りになど、クラウディア様以外あまり興味無さそうなのですが……)」
この時既にモントーバン家の落日が眼前にまで迫っていたことは、麒麟児たちを持ってしても、明るみに出ることは無かった。
――そして月が食われる刻、レイジィ・フランベルジュ最期の夜が訪れる。




