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泣かない魔女の絢爛な葬送  作者: 模範的市民
一章:久遠の樹
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7. Mourner Waltz

 案内通り部屋の中へ入ると、そこに彼女は居た。

 今際の際ということで病床に伏せながらも尚、威厳と気品を失わない、皺の刻まれた女性。ウタのエメラルドグリーンの髪は彼女からの縁らしく、同様の長髪だが、彼女のように力のある大きな目ではなく、細い目に、さながら朽葉のような色の瞳を宿している。


 しかしながら村の長として、床の上でもしゃんと姿勢を正し、全てを見透かすようにインヘルを眺めるその姿からは、やはりと言うべきか強い魔力の波長を感じた。


「村長のマイだ。アンタが喪服の狩人かい。これはまた随分な美人さんだねぇ。名は何て?」

「インヘル・カーネイション。よろしくな、死にかけの婆さん。まっ、もうよろしくする時間も無ェのかもしれねぇが」

「はは、既に色々と話は聞いてるらしい。済まないね。何も悪くないのに、責められるような立場を強いてしまって」

「いつもの事だ。……それより、良いのかよ? 私と会わなきゃ、永らえたかもしれねぇんだぜ?」

「ふふっ、同情かい? 豪気そうなのに、似合わないよ」

「馬鹿言うな。どーでもいいよ。知らねぇ家の、知らねぇババアが病気で死ぬだけだ」

「ならそのまま気にしないこった」


 彼女はそう言って軽く笑う。それは嘲笑でも、皮肉でも、諦念でもなく、ただ喜劇を見てくすりと微笑むかのように自然で、死に目とは思えないほどの「ありふれた」と言うべきか、そんなものに溢れていた。

 インヘルはその態度に口をつぐみ、これ以上の詮索や腹の探りは不十分だと判断する。あのインヘルに形だけとはいえ空気を読ませるなど、末恐ろしい年の功である。


「誰も彼も騒がしいのさ。勝手に死なせてもらえるほどの立場ではないけどね。死に目の準備は、死に目の義務ってやつだ。ウタには会っただろう?」

「ああ、お前の娘にしては若い奴だったな」

「立派な子だよ。私が病気になった頃は半ベソで私に縋っていたのに、凛として、今や村長代理の責務を果たしている。魔法の才能もある。やってやれた事は少ないが……なあ狩人様や。老いぼれの最後の頼みさね。ウタの守ってゆくこの村を、魔獣の凶手から救ってくれ」

「ハッ! その点だけは信頼してくれて構わねぇぜ」

「男前なこった。息子にも見習って欲しいよ」

「……息子? お前、息子も居んの――」


「お袋ッ!」


 マイが細い目を更に細め、息子の話を出した瞬間、まるで予定調和のように部屋の扉が強引に開かれる。マイはその未来が見えていたかの如く、表情を一片たりとも動かさなかったが、インヘルは彼女の顔から「悩みの種」の気配を感じ取った。

 隣で大人しくしていたラストラリーも、体を跳ね上げて驚く始末だ。インヘルはまたしても面倒な雰囲気を予感する。


 客人が居ることを知りながらも、無理やりその空間へと割り込んできたのは、ウタよりも少しばかり歳のいってそうな、強面の男だった。顎には薄く無精髭をたくわえ、雄々しい眼差しからは憤りと、若干の恐れのような感情が見て取れる。


「……客の前だよデナイ。みっともない声を上げるんじゃない」

「お袋! どうして予言の死神を受け入れた!? 俺は反対していた! 狩人を村に招くことさえも!」

「それは何度も言っているだろう……この村に魔獣を退ける力を持った奴は居るのかい? 若い衆が束になったって、あのケダモノには手も脚も出ない。狩人様に頼るしか無いのさ」

「だったら! せめてその死神を追い返して、別の狩人を呼べば良かった!」

「お前という奴は……恥を知りなさい。私たちを守るために命を賭す狩人様を死神呼ばわりし、あまつさえ自分都合で追い返す? 死に恥を晒す方が余程マシさね!」

「……ッ」

「押しかけておいて無礼だよ。出て行きなさい。お前の話は後だ」


 憎らしそうな視線をインヘルやラストラリーに向けながら、デナイと呼ばれた彼は歯を食いしばったまま、挨拶や謝罪の一つも無しに部屋を出て行った。

 インヘルにとっては恨まれるなど日常茶飯事だが、ラストラリーは未だにそういった経験が浅く、不安そうにマイとインヘルの顔に交互に目をやって落ち着かない様子だ。


 一方で当事者のマイは、今までで1番のため息を吐き出したかと思うと、バツが悪そうに頭を抱えながら、ラストラリーを驚かせてしまったことを謝罪する。


「お前に死んで欲しくないってよ」

「ったく、肝っ玉が座ってない息子だよ。いざって時に端女のように喚いてもう。私に不死身になれってのかい? 『母親』をするのも大変さね」

「……ああ確かに。母親ってのは面倒そうだ」

「狩人様も大変かい?」

「私は……何つーか、まだ分かんねぇんだ。この餓鬼と、どう向き合っていけば良いのかすらもな」


 インヘルがちらとラストラリーの方を見ると、マイ村長は少し驚いたかのように目を丸くした。大方、ラストラリーの懐きようから、インヘルが立派に「親」としての責務を果たせていると考えていたのだろう。


 ただ、実のところ、2人の関係性はひどく曖昧だ。

 自分の母親の顔すら思い出せないインヘルは、何を目指せば良いのか全く見当がついていない。そもそも自分の娘ではないであろう子供に親同然の愛を捧げろなど、何処かの聖人君子にでも頼めと思っているタチだ。


 しかし、インヘルは今のやり取りの中で、感じ取るものがあったことは確かだった。「母親というのは常に子供が付き纏い、自らを顧みることすらも簡単には許してくれない、縛り付けられた者」のことだと。

 そしてより一層、そんな「母親」なる者たちが味わっているであろう不条理に、納得できるだけの理由を見失いそうであった。何が楽しくて親なんてやっているんだと。何が嬉しくて不自由を嚥下しているんだと。

 声に出さない訝しさが、余計に母親をやる事の意味を見失わせる。そんなものを目指すべきではないという考えを、より強固にする。


「……そうかい。私ゃてっきり、上手いことやってると思っちまったけどねぇ?」

「馬鹿言うなよ。私にはコイツが何考えてるのかも分からない」

「だけど狩人様や。ひとつだけ言えることがあるよ。……母親になる資格が無い奴に、子供は懐かないってことさね」


 そう言うと、マイはラストラリーの頭に、痩せて枯れ木のようになった手をそっと乗せる。少女はその振る舞いに、目をぱちくりさせた。


「狩人様のことは好きかい?」

「うん。大好きだよ」

「ほう、どうして?」

「ママはね、本当はすっごく優しいの。今は全部忘れちゃってるけど……ずっと、ずうっと、救われない人を、助けようとしてるんだ」

「何だそりゃ? 私はそんな人間じゃねぇよ」

「子供は自分の親のことを誰よりも見てるのさ。時には親よりも、親のことをよく知ってる。どんな事情があったのかは知らないけども……自分を探るのは、ゆっくりで良いんじゃないかい? その理由を見つけようとしてる間は、狩人様は立派に母親さ」

「……そんなモンか?」

「そんなモンさね」


 彼女は細った手を、少女の頭から離した。すると少女は上機嫌そうな微笑みを母親の方へと向ける。

 インヘルは自分の心の奥に、掻き毟りたいとは言えないほどではあるが、僅かにむず痒い感情を見つけた。その正体には一切見当がつかなかったが、怒りが弾けようとしないことを考えると、どうやら不愉快なものではないらしい。

 ただ、この感情に名前を付けるには、まだ何かが足りないことが、何とはなしに理解できた。


「っと、引き留めてしまって悪かったね。そっちの仕事は任せたよ。私は疲れた……少し横にならせておくれ」


 マイの顔は最初と比べて、だいぶくたびれている様子だった。インヘルも思わず仕事の本分を忘れて長話をしてしまったことに気付くと、すぐに会話を打ち切って、彼女の部屋を後にする。


 ◆


「件の魔獣は森の奥地の、とある1本の樹木です」

「木? 植物型ってのは珍しいな。つーことは自走能力が無ェのか」

「はい。その場を動きません。村への直接的な被害は今のところ確認されておりません」

「(魔獣被災地にしては建物が壊れてねぇのが妙だったが、そういう事か)」

「ですが魔獣の射程が広いです。どうやら霧のようなものも操るらしく、その詳細は未だ分からないことが多いです……植生は損耗し、射程に入った人間に限っては容赦の無い被害が出ております。動物も姿を消しました。率直に申し上げますと、直近で1番の問題は食糧難ですね」

「仕留められなかったら、ここの生活はどれくらい続けられる?」

「備蓄や農作物も含め……もって残り2年かと。兄様が村内で揉め事を起こさなければもう少し対応を早められたのですが」

「(……しっかし、コイツも良くデキた女だ。魔獣の情報も極力集めておきながら、死神(わたし)のような奴を村に入れる決断もした。これまで会った連中と比べてみても、あの兄貴の反応がフツーの筈だ……肝がデカいのか、或いはそういう生き方をしてんのか)」


 インヘルはウタについて、何やら興味深い感覚を抱いていた。最も近いもので表現するならば「親近感」だ。ウタは人間臭さが少ない。インヘルと違うところは、異常と呼ぶほどではないが、敢えて大仰に自分を殺して生きていることだろうか。


「お前、しんどくねェか?」

「……え?」


 不意に口にしてしまった、彼女への率直な疑問。これはお互いどこか似ている者だからこそ感じられたような些事である。


 思えばインヘルの周囲には自分を全面に出している奴らしか居なかった。

 確固たる意志があって自分に付いてくる謎の子供。私利私欲の為に規律を重んじているという矛盾したような動機を持ったチームリーダー。自分の興味があることにしか一生懸命にやろうとしない無職。あとマジで自分勝手で傍若無人なフレデリカという魔女。


 全員が自分らしい。

 しかしウタには、どこか人形のような印象と同時に、自分を常に押さえ込んでいるような印象も受けた。何かの狭間で揺れ動いているのか、迷っているのかは定かではないが、まるで自分の身を置くべき場所が分かっていないようだった。


 それが自分と、どうも被る。

 インヘルはフレデリカとの邂逅から……否、もっと以前。ラストラリーとの出会いから、自分の中に、正体不明の迷いがあるような感覚を抱いていた。その迷いは信じられない程もどかしく、すぐに解決出来るという訳でもないのに、いつも嫌な焦りを伴う。


 インヘルの振る舞いは「横暴」という言葉で表現するに限るが、実のところその内在的な場所では、迷いが続いているのだ。

 ましてやウタは普段の振る舞いすら懇切丁寧で、しかしそんな風に全てを抱えるには余りに若い。故にインヘルはそれを「しんどそう」と評した。


「どうして……そのように?」

「何となく、お前の魂が縛られてる気がしてな。……母親がもうすぐ死ぬんだぜ? 泣かねェのか? 少なくとも、私の知ってる奴は、親の死に目にゃ泣いてたよ」

「……」

「ま、いいや。私は仕事をするだけだからな。人様の事情に深く足を突っ込む趣味は無ェ」

「……決めているのです」


 すると彼女は、ぽつぽつと、自分の心の内を呟き始めた。

 それはほんの僅かな穴から溢れ出した、残り滓とでも呼ぶべきものではあったが、その一瞬だけ、彼女の強さを感じる瞳は、年相応の幼さ、弱さというものを帯びていた。


「泣きませぬ、泣きませぬと。あるべき形を受け入れ、今に()()()()()()まで。かか様から継承するこの村を守るまでは、決して」

「……」

「涙とは血液。心が流す血の巡り。なればこそ、私はこの瞬間だけでも冷血になり通さなくてはなりません。それだけが、お母さ……かか様が安心して逝くための手向けとなるのです。誰であろうと……それが例え狩人様でも、せめてその血の弱みだけは、見せたくはないのです」

「……そういうことか」


 インヘルの相槌には、二つの意味が込められていた。

 一つは、ここまでしてウタが涙を流さない理由への納得。そしてもう一つは、自分への納得。


 考えてみると、インヘルは涙を流したことがない。

 涙は血液なのだ。血の流れない彼女が、涙を流せる道理がない。


「……申し訳ございません。少し、取り乱しました」

「気にすんな。いま見たことはポッケに仕舞っとくさ」

「お優しいのですね、狩人様は」

「誰かにも言われたなソレ。でもな、私は親切な人間じゃねぇよ」

「親切と言わずして何と言うのでしょう。狩人様は、まるで自らのように、私の隠していた心の機微を言い当てました。狩人様は生きづらさに寄り添える方なのです。詮索するつもりは御座いませんが……狩人様も、何かを抱えて生きているのですね」

「……どうだろうな」


 ウタはその固まった表情筋を、一瞬だけ、ふっと緩ませた。

 一見相容れなさそうな2人の会話を、ラストラリーは理解できていないようだったが、少なくともウタがインヘルを褒めたという事だけは伝わった少女は、ちょっと誇らしそうだった。


「……狩人様。一つ、我儘を許して頂けますか?」

「何だよ? あ、大人しく狩れってのは無理だからな」

「いえ、その逆です。かか様は祭が好きだったと聞きます。自らの葬儀も、湿ったものではなく、まるで火祭のような火葬を望んでおりました」

「そりゃあ……あの婆さんらしいな」

「ですので、狩人様からもひとつ」


 柔らかな表情も束の間、ウタは再び瞳に強さを宿し、確固たる意思を持って「我儘」を示す。


「――何卒、()()()

「ははッ、良いね。得意分野だ」


 彼女の思わぬ提案に、インヘルは久しぶりに、心からの笑みを浮かべた。

「面白い」と思ってくれたら、ブックマークや作品評価など頂けると、筆者のテンションと血圧がブチ上がります。

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