69. The garden of cultivate
インヘルたちはクラウディアの部屋を後にして、シャプワの案内のもと、館内を進んでいた。単なる移動時間ではあるが、考え得る最も窮屈な服装で行われる、最も窮屈な徒歩だ。
館のあまりの広大さも相まって精神的な疲労も見え始めたインヘルとラストラリーは、道中でシャプワと会話することにより、何とかその疲弊を誤魔化し、小言を呟いてしまわないよう自制していた。
会話の内容は概ね、姉妹たちのことであった。
「魔獣総研の会長、だったか」
「ええ。総研はご存知?」
「狩人やってりゃ噂話程度にな。連盟研究部と双璧を成す、魔獣の研究機関だろ」
シャプワは流し目でインヘルの姿を見据えると、「不足はあるが、その認識で構わない」とでも言いたげに肩を竦める。
しかしラストラリーが頭の上に疑問符を浮かべていたのを察すると、彼女は両雄の違いを端的に説明し始めた。
「例えるなら、総研の目的は『虫の起源の研究』。対する連盟研究部の目的は『殺虫剤の開発』ってところ? 同じ畑とはいえ分野が違うのよ」
「ハッ、言い得て妙だぜ。総研にゃ小難しい論文と井戸端会議のイメージしか無ェしよ」
「成果が見えやすいのは参考にしないとね。特に『魔獣の心臓の保存技術』は画期的だったわ。総研から間諜も送ったっけ」
「陰気な戦争だな」
「情報戦も立派な戦争よ。ま、仲良くすればハッピーなのは間違いないけれど、皆自分が生贄にならないよう必死なのだから。誰かが不幸を被っているうちは、きっと誰かが幸せになっているものよ」
含みを持たせたその言い方にインヘルは少しだけ違和感を覚えたが、少し考えると彼女の放った言葉は、丸ごとモントーバン姉妹たちに当てはまる事だということが察せられた。さながら、彼女たちの価値観が込められているようだ。インヘルは口を噤む。
きっと彼女にとっての「生贄」とはレイジィのことで、自分たちはそうならないよう必死にもがきながら、同時に不利益を受けている者には感謝を捧げなければならないと考えているのだろう。
それは感謝の体を成してあれど、間違いなく、家族を放逐した罪悪感の十字架だった。
「……私は、お前が分からねェよ。お前は家族を大切に思っているのか? それとも、それすら仮面で、冷徹な人間なのか?」
「どちらも正解。アタシは家族思いだし、同時に冷徹で残忍で、人の心が無いの。モントーバンが持つ女尊の封建主義と契約主義と、ドロドロした能力主義を一番に受け継いだのだから」
インヘルは思い出した。何気なく聞き流してしまったが、クラウディアの話によれば、モントーバンは次女を除く全ての姉妹たちに不妊の兆候があるのだ。
「子を残せるのは次女のみ」……今の当主が先代聖女ということからも分かる通り、この家族の中で最も貴族らしさを強要されているのは、次代当主が約束されているシャプワだった。
そして貴族らしいという事は、人間らしくないということでもある。
「アタシ、テラ姉さんやクラウディアとは違って、『テレサ』がモントーバンに帰って来ることについては断固反対なのよね。だから感謝してるわ……あの子が生贄でいることを選んでくれて。それに、テレサが戻らない理由を作ってくれた貴女たちにもね」
「……何だと?」
「彼女が戻って来れば、モントーバンに亀裂が生まれる。本当ならあの子は生まれるべきでは無かった。我が家の全てを奪いかけたのだから」
レイジィを貶めるような言い草に、流石のインヘルも頭に血が上りかけたが、最後に呟いたシャプワの囁きが悲鳴とも思えた途端、冷静さを取り戻す。
「アイツがお前らに何をしたってんだ」
恐ろしい空気に耐えかねたラストラリーが、思わずインヘルのドレスの裾をぎゅっと掴む。それを見たシャプワは、一瞬だけ外した分厚く冷え切った仮面を、もう一度顔面に癒着させた。
「……なーんてね! アタシ、『レイジィ』の事は好きよ! 昔は人懐っこくてね〜」
「答えろ。レイジィはお前らに何をした?」
シャプワはほんの一瞬、憎悪に似たものを携えた視線を虚空に向ける。
「……『テレサ』は母上を壊した」
インヘルは淀みなく動かしていた脚を止めた。聞き間違いだろうかと、耳を疑った。何故ならレイジィがどれほど母親のことを想っていたのか、ようやく判り始めてきた頃だったからだ。
「母上は度重なる出産と三つ子の報せに傷心して心身を患った……って、そんなもの表向きに出来る部分を切り取っただけのフェイク。あの人はそんなに弱くないわ。明確に壊したのはテレサよ。もっとも、本人にその自覚は無いでしょうけど」
「それって――」
「これ以上は言えない。言わないのではなく言えないの。知ってどうするつもり? ありのままの真実をレイジィに伝える? 無理ね。アタシは別に、テレサが戻ってきて欲しくないだけで、レイジィが憎い訳でも、傷付けたい訳でもないの」
「……」
「レイジィの友人である貴女には、誠実に、最大限譲歩して話してあげたけれど……ここが境界よ。これ以上こちらに足を踏み入れないこと」
シャプワは少し離れた位置からインヘルの方を向き直ると、線引きをするようにカツンと一度だけ足を踏み鳴らし、地面に向かって指を差した。彼女はすぐに正面へと翻って歩みを進めたが、インヘルは暫く一歩を踏み出せず放心していた。
「貴族」という、自分の埒外の、別世界の者によって定められた拒絶の境界線は、距離にしておよそ2メートル。余りにも遠い六尺三寸であった。
◆ ◆ ◆
分かんねェ……マジで分かんねェ。
コイツらは何なんだ。レイジィのことを笑顔で歓迎してたかと思えば、今度は同じ笑顔で拒んだり、勘当されたのを黙認して平然と招き入れたかと思えば、「家では基本無視」とかいうルールだけは守ったり……どういう精神構造してんだ? 何がしてぇ? 本心が読めねぇ。
ここの家の奴は本能的に盲信しちゃいけねぇ気がする。面の皮が厚すぎるんだ。思えばコイツらが真実として吐いた言葉があったか? あったのかもしれないが、確証が無い。私らとは徹底的に人種が違う……レイジィの奴が此処じゃ異端だってのもよく分かる。
「ウルリカ〜?」
シャプワは五女ウルリカの部屋らしき場所の扉を叩きながら、変わらず仮面のような笑顔を浮かべていた。話を聞くに、直接顔を合わせるのは久しいらしい。
特に五女は出張が多く、おまけに仕事場自体も館に隣接した場所にあるため、本邸に足を踏み入れるのは稀なようだ。
そうだろうな。あんなデカい仕事場が隣にあれば、寝泊まりもそっちで済ませるだろう。わざわざ帰宅して、果てしない廊下を歩いて部屋で過ごすのも面倒に違いない。実際、ラストラリーは移動だけでかなりへばってる。
すると、シャプワのノックを受けてすぐに、その部屋の中からバタバタも駆ける音が聞こえてきた。慌ただしい様子だ。
予想に違わず、内側から荒っぽく扉が開かれる。
「漸くですか! もう……床の木目を数えそうでしたよ、お姉様!」
「うおっ」
私が思わず声を上げてしまったのは他でもない。
ちんちくりんな背丈に、そばかす顔、藍色の髪。人違いを恐れることなく、この女こそがレイジィの三つ子の姉……五女ウルリカだと言い切れる。
しかしどうだろう。纏う雰囲気はレイジィとは別種のものだ。
レイジィの人好きしない部分を長所として活かしてしまうようなメイクに、整えられた髪型。
アイボリーブラックのドレスシャツの上から藤色のベストを羽織る姿には洒脱な風格すら覚える。游魂院で見た、正装をしたレイジィを更に洗練させた感じだ。何より、目の下のクマが酷いが、輝きが死んでいない。
……妙な感覚だな。顔はまるで同じなのに、アイツとは別人だってことがこうもハッキリと分かる。
「おや、例の御二方も。ご機嫌よう。お話は聞いています。大変な目に遭われたとか……ああ! 申し遅れました! 私はウルリカ・リーマリー・モントーバン。身に余る立場ですが、魔獣総研で会長を務めさせてもらっています」
やっと私たちが放心状態から覚めると、ラストラリーがはしゃぐように鼻を鳴らす。
「わぁ……ママ、レイジィさんが礼儀正しいよ……!」
「何かアレルギー起こしそうだ……堅いのはナシにしようぜ。私はインヘル・カーネイション。こっちのチビがラストラリーだ。よろしくな」
「よ、よろしくお願いします」
「お会いできて光栄です」
初めての常識人の登場に、私はつい自然な態度を向けてしまった。普通であれば無礼千万なのだが……心の広いことに、ウルリカは軽く微笑むだけで私たちを咎めたりしなかった。
私が言うのも何だが、姉やレイジィよりも断然社交性が高そうだ。まともな自己紹介が来たというだけでそれは些か過大評価なのかもしれないが、それでもラストラリーがここに来て初めて怯えていない。
もしかしたら苦労人なのかもしれないな。まあ、怪物姉妹たちに囲まれていれば嫌でも気苦労が生まれそうだが。
「や、ウルリカ。偶には本館の方まで足運んでよ」
「私もそうしたいのですが、なにぶん仕事が忙しくて」
「それは大変ね。今日はこの機に、久しぶりに皆で会食だってさ。ゆっくりして行きなさいな」
「……うふふ」
ウルリカは僅かに閉口した。私たちを迎えてくれた笑顔は崩さなかったが、場の雰囲気が一気に気まずいものになったのが分かる。
そして、ギギギという軋む音がしたのかと錯覚するほどぎこちない動作で、彼女は、おそらく無自覚であろうシャプワに顔を向けた。
「お姉様たちが私の仕事を増やすからですよ〜、うふふ」
「……は、はははは」
シャプワは間を空けて笑った。ようやく何かを察したのだろう。説教の匂いと言うべきか、口煩い博士に悪戯の算段を立てている場面を見られた時にも似た気配だ。
「唐突に魔獣総研の前身組織に出資したかと思えば、知らぬ間に権力闘争の場所を踏み荒らして……あまつさえ総研の頭部と私とすげ替えて、やれ魔獣殲滅構想だの、伝染病の確認だの、魔獣の研究解剖を進めろだの、限界ギリギリのノルマ策定だの」
「ま……まあ結果的に万事重畳で済んだから良いじゃない」
「心臓の管理技術を盗めたのは不幸中の幸いでしたけど、あれはあれで維持費がかかりますし、そういう経理面も私に丸投げ。お陰で首が回りません。挙句、部下の育成プログラムを勝手に打ち立てて…実際に現場で運用するのは誰なんでしょうかねぇ!」
「あれはウルリカの力を確信して、えーと、その上で多少の頑張りと、それを乗り越えた時の成長を見越して――」
「お、ね、え、さ、ま!」
シャプワの目線よりも遥かに低い場所から手を伸ばし、彼女の胸元に人差し指を突き立てるその剣幕は、聖女を萎縮させる勢いを持っていた。
「お姉様は頭がとても良いです! 思い付きが間違った方向に行くことはありませんし、その結論への至り方はとても巧みです!」
「……えっ? 何? 急に褒めるじゃない?」
「いいえ! だからこその現実的なプランニングです! 行動スキームの提示です! 過程に納得しなければ人は動きませんからね! お姉様のやってる事はたいてい、私たち家族以外が持つ能力の範疇を無視して振り回してるだけですから!」
「うぐっ」
「お姉様たちは人の上に立つ仕事に向いていませんよね。その調子だと、周囲の人間がどんどんノイローゼになっていきますよ? 課題を与えて練習を繰り返せば、誰でもモントーバン家のように物事をこなせるようになるとは思わないで下さい! お姉様の皮算用の後始末は苦労するんですから!」
成程、こいつはシャプワよりも余程大人びてるな。背丈が逆なんじゃないか?
部下が多いのか、それとも艱難辛苦が多いのか。今の叱責の言葉だけで2人の立場や、在り方に対する考えの違いというものが分かった。きっとウルリカは「挑戦者」、シャプワは「敬意の象徴」としての姿勢が根差しているのだろう。
上司にするならば、ひとつ異なる次元から試練を課してくる聖女よりも、同じ目線に立ち、教え導いてくれるウルリカの下に付きたいものだ。
「ぐすん……ウルリカがだんだん叔母上様に似てきた……」
「婚約してから価値観が変わっただけですよ」
溜息と一緒に肩の力を抜くと、ウルリカは私たちを蚊帳の外にしてしまったと考えたのか「内輪で話してしまってすみません」と小さく謝罪をする。何かに引っ掛かりながらも、私は曖昧に手を振りながら返事をしておいた。
……ん? 婚約? 婚約してるって言ったか?
「……………………………婚約!?」
引っ掛かりの正体はそれだった。
余りに俗っぽい言葉のせいで逆に現実味がなく、すぐに気が付かなかった。
「え? ああ、はい。去年の暮れに婚約しまして。今年中に挙式の予定なんですよ。なので長期的な仕事は早めに片付けておかないと」
私は愕然とした。レイジィと同じ年齢の、同じ容姿をした奴が――よもや結婚を控えているなんて。
貴族社会は家同士の婚姻で成立しているという知識だけはあったが……それとは一番縁遠い家柄だと思い込んでしまっていた。
「何よ、結婚が珍しいの? アタシもしてるわよ。あと、クラウディアも」
「ウッソだろ!?」
絶句した。当然だ。
シャプワとクラウディアが結婚してる……? 個人主義の怪物が?
「成程、物珍しそうな声を上げたかと思えばそういう……シャプワ姉様だけは相手を決めるときに色々とありましたが、モントーバン家は基本的に恋愛結婚が許されていますから」
「まあ確かに、言っちゃ悪いけど狩人は結婚にあまり縁が無さそうね」
「お前らみたいなのでも恋愛すんのか……」
「人をモンスターか何かだと思ってない?」
残念ながら思っていた。未だに混乱で頭がくらくらする。
本人たちは大したことではないとでも言いたげだったが、私にとってはカルチャーショックも甚だしい。
早くないか? レイジィと同い年ってことは19歳……いや、早くねぇな。子供みたいな見た目だから抜け落ちていたけど適齢期だわ。あの変態無職と私たちがろくでなしってだけだった。
「お、居た居た」
そんなろくでなしの声が背後から聞こえる。幻聴かと思ったが、振り返ってみると、そこには急ぎ足でこちらに向かって来ているレイジィが居た。
「ごめんごめん、ちょっと長引いちゃった……何の話してたの?」
「(何でもねーよ、引きこもり変態無職嫁き遅れ女)」
「あれれぇ? ボクの目に狂いが無ければ、謂れのない風評被害を受けた気がしたなぁ」
「……む、無駄話も何ですし、そろそろ私の仕事場に行きましょうか」
ウルリカはレイジィの姿を無視しながらも、口元に手を当てて笑いを堪えているかのような様子で会話を切り上げた。




