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泣かない魔女の絢爛な葬送  作者: 模範的市民
三章:憧れを掴める距離
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68. Little Nightmare

 お姉様たちの部屋から歩いて()()

 「近い距離」だ。少なくともこの館の中でなら。


 12歳の時から会っていないから、6年とちょっとぶりの再会だ。最初に交わすべき言葉は何だろう。脳を光の速さで回転させたとしても、答えなど導き出せるはずもない。

 向こうはボクが来ることを知らされているに違いない。そして、ボクが顔を見せに訪れることまで分かっているだろう。そう考えると、無意識に吐き出す息が震え始めた。


 怖い。そんな事はないと信用しているはずなのに、ボクのことを忘れてしまっていたらどうしよう。時間が残酷なものだと知っているせいで、臆病さには拍車がかかる。


 すっきりとした木目のマホガニーの扉。

 先代聖女にして、モントーバン家の女当主であるお母様がこの先に居る。

 あの人のことは遥か昔から知っている。ボクが生まれていなかった時代のことすらも人伝に聞くほど、ボクはお母様が好きだ。

 聖女の中でも群を抜いて大胆で、破天荒で……シャプワ姉様が可愛く見えるほど肝が据わっていた人だったらしい。同時に周りの人物の肝をよく冷やさせるタチだったとも。


 ボクは子供が巫山戯るみたいに、リズムに乗った拳を扉に打ち付けた。

 母を試すかのように。


「――相変わらず、悪戯っぽい子」


 どうやらボクは忘れられていなかったようだ。胸を撫で下ろしながら、静かに扉を開ける。


「……や、やあ。久しぶり」

「なあに、その陳腐な挨拶は」


 声が外までよく響くはずだ。今やお母様の部屋はベッド以外は何もない伽藍堂。白く痩せ細りした手を覗かせ、姉たちに叱られた後のボクを慰めてくれていたのと同じ素振りで小さく手招きをすると、ボクの身体は勝手に動いていた。


「……あらあら。甘えたがりは直ってないのかしら?」

「それで良い……それでも良いよお母様。本当に、久しぶり」


 ボクはお母様――病床に臥す先代聖女、メルティ・モントーバンの手をきゅっと握り、自分の額の前に持ってきた。非力なボクですら注意しなければ失ってしまいそうな、細雪みたいな儚さだった。


 お母様はボクの精一杯の体温を感じながら、ひとつひとつ丁寧に指を解くと、頭の上にヴェールを乗せるかのような薄命の仕草でボクの頭を撫でた。ボクはそれだけで、思わず幽幻に囚われてしまいそうになる。


「よく来たわね。遠かったでしょう」

「移動は苦じゃないよ。ボクの魔法、知ってるよね?」

「距離の話ではないわ。もっと別の話」


 お母様は、もう二度とボクに向かって「おかえりなさい」とは言ってくれない。客を迎えるのと同じような口調でボクを迎える。その言葉だけはきっと、永遠に聞くことはないだろう。

 身が引き裂かれるような思いをしながら、ボクを家から追い出したのはお母様なのだから。この人なりのけじめだ。尊重しなくてはならない。


「出不精な貴女の背中を押したもの、教えてくれるかしら」

「……仲間かな」

「そう。愛したものは大切になさい」

「ははっ、ヤダなぁ。インヘルたちとはそういう関係じゃないって」

「くすくす……甘い恋愛脳で言ってる訳じゃないわ。私も家族を愛しているもの」

「それは痛いほど……知ってるよ」


 モントーバンの戒律、六女の追放。

 「6」とは宗教的にも不完全を象徴する悪魔の数字だ。故にモントーバンの六女は「悪魔の子」と呼ばれる。


 クラウディア姉様から昔に聞いた話によると、六女によってモントーバンに厄災がもたらされた例が重なった為だという。聖別の血(ハイリゲン)として貴族に擁される遥か以前の根無草時代に、それで何度も血筋が途絶えそうになったらしい。それどころか今の「モントーバン」と「旧モントーバン」には既に同じ血が流れていないかもしれないのだ。

 何処かで血筋が途絶えながらも、その名だけが概念的に揺蕩い、辛うじて現代まで残っている可能性もあった。


 そして、血筋が絶えかねない厄災の影には、いつも「六女」が居たというのだから恐ろしい。故に六番目の子は、生まれたその瞬間に縊り殺され、居なかったことにしなければならない。

 そこに怨みは無い。たまたまボクの順番がそうだっただけの話だ。


 だけどお母様はそれを拒んだ。

 ボクを生かし、12歳の頃、家名を剥奪して追い出すだけに留まった。


 全ては愛ゆえに。

 生まれるべきでなかった命をボクに与えてくれたお母様は、ボクにとっては神様よりもよほど偉大で、眩ゆい。その輝きが淀みをいっそう濃くしようとも、お母様はボクを生かすことを選択してくれた。


 どんな愛にしろ、簡単なことではないだろう。

 だからボクは家と名前を失ったとしても、お母様の慈愛だけは忘却することが出来ないのだ。


「……分かった。認めるよ。ボクは友愛を抱いてる」

「五大神様のお導きね。ふふっ……安心した。貴女は見放されていないわ」


 お母様は知っていたかのように頷く。ボクは思わず口を噤んだ。

 余りに痛ましい姿だったからだ。


 幾度も繰り返し考えてしまう。お母様はこれで良かったのだろうか。


 ボクを産んだ時から疲弊し始めてこの有様だ。身体の問題であればシャプワ姉様がどうにでも出来るのだろうが、心を摩耗させた人に万能薬は存在しない。


 ボクが家を出る直前には、既に立っているのがやっとだったという。

 そしてそのまま、糸が切れたマリオネットのように、病床に臥すことが多くなったという話を、密かに文通していたウルリカから聞いていた。


 「三つ子を産んでしまった」という制御不能の事象と、愛情とのしがらみにひどく痛め付けられるなど、なんと運命的で絶望的なのだろう。

 ……お母様が「どちらが楽か」で物事を選ぶはずがないのに、いざボクがお母様と同じ立場であったらと考えると、おそらくは自分が苦しまない方を選んでしまうだろう。


 そう思ってしまったボクは、間違いなくおぞましい人間だ。

 同時にこうも思った。「人が愛の代償を払おうとすれば、ツケはこれ程までに大きいのだ」……と。


 お母様と同じように、ボクは何かを果たすことを強いられている気がして、唇を横一文字にきゅっと結んだ。ボクの背中を押したのは好奇心と、仲間への個人的な欲求、つまり愛……とはいっても親愛なのだが、きっとその代償はこれから払うことになるのだろう。

 尤も、とうにその覚悟は決まっている。何年も前、怪物だったボクを人間に戻してくれた仲間の為ならば、悪魔の汚名にも、これから払うツケにも向き合っていける。お母様はボクを生かし、そうしてくれたのだ。


 ボクの使命は――或いは「役割」は、きっとそれなのだと確信していた。繋がれた襷を、今度は誰かに繋がなくてはならない。


 短い会話の中に、そんな事を見出したボクは、そういえば忘れていた事をひとつ思い出す。


「あ、お父様は元気?」

「シャプワを筆頭に暴飲暴食を咎められて、健康そのものよ」

「あはっ! なら肥満は直ったのかなあ?」

「そういえばあの人ったら、隠れてチョコレートを買っていたのをベッキーに見つかって、手酷く怒られていたわ。私からも叱ったのだけど」

「ふぅん……相変わらず、レベッカは怒ると烈火の如く捲し立てるの? あれ、全部正論だから余計にタチが悪いんだよね……ま、ムキになりながら相手を思ってくれてる姿は可愛いんだけど」

「ええ」


 お母様は濁すような小声で同意した。ボクがレベッカの話をすると、この人はいつも早めに切り上げようとする。もちろん、その理由には心当たりがある。


「……レベッカの様子はどう?」


 これを聞かれたくないから、お母様は煮え切らない口調になる。

 だけどボクは空気が読めないので、敢えて聞いてしまう。レベッカはこの世で唯一の「妹」であり、可愛くて仕方がないからだ。


 そして、当の妹はというと――


「……変わりないわよ。テレサが本邸に来る事にも、最後まで反対していたし」

「たはは……嫌われてるなあ」


 それはもう、こっぴどくボクのことを嫌っている。

 顔を合わせれば罵詈雑言の嵐か、或いは無視を決め込まれるかだ。原因は……色々ある。うん。「色々」だ。


 コンコンコン


 場違いな三度のノックが、空っぽの部屋の中に響いた。

 扉の向こうに立っていたであろう人物は、入室許可を出すお母様の細い声に反応して扉を開ける。

 一瞬戸惑った。ボクが居るというのに、簡単に許可を出してしまって良いものか、と。


 しかしそれは杞憂だった。


「やあメルト。今晩の饗応(きょうおう)なんだが、料理は何人分必要に……」


 縦にも横にも平均より大きいシルエットはカスケード・モントーバン――すなわちボクのお父様のものだった。

 その横には、我が家のハウスキーパー候補の証でもあるカフス付きのメイド服に身を包んだマチルダ・カナレも付いている。彼女は子供の頃からモントーバンで管理職教育を受けながら育った、ボクたち姉妹にとって姉御のような人物だ。


「テレ――」

「旦那様」


 あわやお父様がボクの名前を高らかに叫ぼうとした寸前、マチルダがよく通る声で食い気味に制止する。

 お父様は自分よりも遥かに若い、管理職のメイドとしてはまだ新米の彼女に()()()()ことに気付くと、ばつが悪そうに「すまない」と冷静さを取り戻し、華やかな織り柄の刻まれた襟を正した。


「扉の立て付けが悪いかと存じます」


 マチルダが進言する。


「確かめてみよう」


 お父様がそう応えると、彼は太い指で触れているものを確かめるかのように、それはそれは丁寧に、開け放たれていた扉に手を掛けながら会話をする。


「いや、これくらいであれば問題無いだろう」

「失礼致しました。……奥様に飲み物をご用意致しましょうか?」

「他のメイドが先刻に運んでいたのを見たぞ」


 今の会話を翻訳するとすれば


『扉が開いたままトレイシィ様と会話をするのは御法度です』

『分かった、すぐに閉めよう』

『私は退席した方が宜しいですか?』

『いいや、居てくれて構わない』


 だろうか。流石、貴族の空気を吸いながら過ごしている2人は、アドリブの建前を会話の中に組み込むのが上手い。


「くすくす……危なっかしい人ですね」

「ああメルト……笑い事じゃ済まないことだよ。本当に危なかった。君と比べて私は色々と抜けてしまっているな。……早く良くなってくれよ。当主代理の肩書きは、私には少々重すぎる」

「あら。当主代理は何年目ですの、あなた?」

「8年目だがなあ……未だに重圧は衰えない」


「人って、案外簡単には変われないんだね」


 お父様は相変わらず頼りない、という言葉だけは飲み込んだ。本人はきっと自覚しているだろうし、言わずとも伝わるだろうし、それが欠点だと思っているだろうけど、お母様が選んだ人だという本質的な部分は変わらないからだ。


 それに、ボクはそんなお父様のことが好きだ。

 完全無欠のお姉様たちやお母様と接しているだけでは知ることのできない「人間味」を教えてくれる人として、尊敬している。


 お父様は揶揄われたことを理解しながら誤魔化すように咳払いをすると、ボクを歓迎していることを示すように笑いかけてくれた。

 こうして近くで見ると少し白髪が増えているが、温和な声と下がり眉、そして香水は昔と同じだった。


「またこうしてテレサと顔を合わせられるなんてな」

「面倒な縛りはあるけれどね」

「余り快適な帰省でないことは承知しているが、可能な限りゆっくりして行くと良いよ」


 ボクが黙って頷くと、お父様はそのまま後ろに立つマチルダの方に目をやる。挨拶をしろという事だろう。

 何を言われずとも最初からそのつもりであったボクは、ずいぶん背の伸びた彼女に手を振った。マチルダは好奇心旺盛な少女のような大きな瞳を細めて笑うと、モントーバン家のメイド服特有のふわりとしたバルーンスカートの裾を持ち上げて挨拶を返してくれた。


「やあマチルダ。ボクたちの姉貴分だったのが今やハウスキーパー候補かぁ……『ミス・マチルダ』って呼んだ方がいい?」

「意地悪しないで下さいよ、トレイシィ様」


 褐色の頬を膨らませながらも満足気にそう言い放つ彼女の面影にはどこか子供っぽい部分を感じたが、それはきっとお姉様たちが年齢にそぐわない成長率をしているからなのだろう。有体に言えば、ボクの方が麻痺しているのだ。


「ところで、お父様はどうしてここに?」

「ん、ああ。それなんだが」

「饗応の準備の件でしたわよね、あなた」

「その通りだよメルト。君に10人分と言われたのは覚えているのだが、それは『実質的に10人分用意しろ』という事かな?」

「あら……言葉足らずでしたわね」


 嘘だ。お母様が「言葉足らず」なんて単純な伝達ミスを冒すはずがない。多分、お父様が自分に会いに来ることが出来る名目を与えるために不明瞭な指示を出したのだろう。

 「最近は仕事が忙しいせいで自分になかなか会いに来てくれないから寂しい」みたいな理由があって、それを見せないように振る舞ったに違いない。お母様はこういう()()()()の仕方しか知らないような人だから。


 お父様は彼女のそんな心理にも気付かず、上手いこと転がされてばかりだ。ボクは訝しむようにお母様を見つめると、彼女は余裕綽々といった面持ちで小さく肩を竦めた。


「(はいはい、言うなって事ね)」

「テレサの分を入れて11人分よ」

「……本当に君も参加出来るのかい?」

「足が不自由になった訳ではないもの。それに……子供たちが全員揃うなんて、この先無いでしょうし」

「分かったよ。君が大丈夫だと言うのなら」

「ありがとう、あなた」


「あー……ボクはお邪魔みたいだから、そろそろ行くね。ウルリカが待ってるかも」


 何となく水入らずの空気が流れ始めたところで、部屋を後にしようと立ち上がる。しかしそれは、顔を見合わせたお父様とマチルダ、そしてお母様にやって阻まれた。


「……ん? どうしたのさ?」

「肝心なところで間が抜けてる子ね。私たちは貴女のお話も聞きたいのよ」

「ちゃんと食べてるか? 風邪とかは引いていないか?」

「いい人は見つかったのかしら? ああ、私たちは口出しをしないから安心なさい」

「いや待て、それは話が変わってくる。平民相手ならばやはり内密に手紙を書いて送ってくれ。そうしたらお忍びで……」

「旦那様。もしかしなくとも、たっぷりとイビる気でしょう? 御言葉ですが、嫌われる小姑のような振る舞いは如何なものかと」


 ああ、忘れていた……貴族はこういう下世話な身内ロマンスが意外と好きなんだ。こうなったら長くなる。未だにボクのことを「可愛い乙女」と認識している父の誤解は、一体いつになったら冷めてくれるのだろうか。

 しかしこういうのも……成程、悪くない。


 ボクたちは孤独の中でのみ、家族の形を取り戻すことができる。

お久しぶりです。

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