64.the First
熱を持っていた空気が、聖女の一言によって冷え切った。ここまで一斉に全てが静まり返るということも珍しいだろう。
その静謐の中には、少なからず「理解できない」という意味を持ったものも存在したが、それにしても聖女の説明は端的だった。
「……シャプワ猊下。それは、どういった意味での発言かね?」
最も早く我を取り戻したのは中立を貫いていたグラン長官であった。彼はシャプワの意図を探るか、或いは素朴な疑問について尋ねるかのように説明を求める。
当のシャプワは冷静だった。もっとも、前もってこの情報を掴めていない状況で同じ事態に遭遇したら、彼女であろうと言葉を失ってしまっていただろう。
「そのままの意味です。確かな情報筋によれば、魔獣の遺体を完全に消滅させる力をラストラリーは持っています。国力を総動員しても、魔法の極地をしても、長らく成すことの叶わなかった悲願」
異なる種類のどよめきが起こった。
この事実を隠蔽していた狩人連盟への憤りと不信感を募らせる者も居た。同時にラストラリーの「重要度」が最底辺から唐突に頂点へと跳ね上がった。最弱の歩兵が敵陣の最奥に辿り着いた瞬間、最強の駒である女王になるかのように、彼らは慄いていた。
この審問に参加した者は愚者ではない。曲がりなりにも教会と騎士団の上層に立っている。頭の回転は早かった。それでもやはり、シャプワの言葉を飲み込むには時間が不足していた。
「さて、ここからは枢機卿ではなく、モントーバン家としての提案なのですが」
彼女は許可も得ずに証言台の前へと歩みを進める。
誰も彼女の発言を邪魔することはなかった。
「インヘル・カーネイションとラストラリーへの処罰は一時的に保留とし、両名に関する研究時間を設けるのは如何でしょう? 国内でも屈指の特能を持つ機関が、全力を尽くすことをお約束しますよ」
不敵に微笑む聖女の意図をようやく理解した面々が、後れを取ったことを悟り始める。シャプワの要求を翻訳するならば……「モントーバン家が独自調査をしたい」というものだ。
シャプワはこの情報を出すタイミングを最初から伺っていた。もしくはインヘルたちの状態によっては、この情報を開示しないまま裏で手を回してしまおうとも考えていたようだが、それは彼女の立場からしてあまり取りたくない手段であった。
時間が誰にでも平等である限り、若さとは味方でもあり、同時に大きな敵だ。能力ではなく積み上げた年月で他者を評価する者は意外と多い。
そのせいで、シャプワには教会内にも「敵」が存在する。裏で手を回すとなれば新たな「弱み」を作ることにも繋がるため、出来る限り潔白に、インヘルたちの有用性を示しつつ要求を第三者に飲ませることが好ましかった。
問題なのはタイミングだ。テラの発言。インヘルやラストラリーの見せたような、場を揺さぶる説得力。この二つが揃って初めて切るべきカードであった。
「何故その情報を教会に開示しなかったのだ!?」
「これは背信だぞ!!」
「それらの主張は理解できます」
シャプワは批判の声を上げる教会の人々に振り返りながら、彼らをざっと一瞥する。
インヘルはそんな聖女の無表情を見ながら、レイジィの言った「怖い」という言葉の意味が判った気がした。言うなれば、見下しているのだ。
おそらくは超自我の深層……すなわち無意識に現れるほんの残り香のような部分で、彼女は他者を認めていない。遺伝子に刻まれているかの如き見下しの機微と、他者にそれを悟らせないほど分厚い仮面に対して、インヘルは畏怖にも似たモノを感じた。
そして何より恐ろしいのが、シャプワのその態度を、当たり前のように思えてしまうところである。
次元が違う。生まれた世界が違う。国中の秀才をかき集めて、ようやく足下に及ぶことが許されるような人間なのだと、本能が嗅ぎ分けてしまう。そこまで到達してしまえば、慇懃無礼という言葉は何の役にも立たなかった。
「しかしこれは同時に弁証でもある。皆様が辿り着かなかった情報を、アタシだけが掴んでいる。さて、調査役の適任は明確ではないでしょうか?」
シャプワはおどけたような態度でそう言うと、批判の理由を探していた者は全てが言葉を濁す。まさに「総取り」の光景だった。
しかし彼女がこうしてドラマティックに全ての権限を掻っ攫う役を演じているのには、他にも理由があった。
「……とはいえ、アタシの権限だけで動かせる者はそう多くありません。つきましては調査に助力いただける参加者を、条件ごとに随時公募することと致します。この提案に御納得頂けませんでしょうか?」
餌である。「このままだとモントーバンが全てを持っていくぞ」という圧力を掛けつつも、協力者には蜜を与えるという特典を付けたのだ。
実利的な人物であれば、ここで強く否定することに意味を感じられないだろう。むしろ自らの処へ飛び込んでくる益を可能な限り大きくしたいと考えるはずだ。
その欲望、或いは教会の上層に居る人物の「在り方」は、格好の的である。こうしてシャプワに賛同した方が得をするという構造を築くことにより、攻め手の勢いを弱めてみせた。
結果は実に効果的だった。魔獣を始末する力の正体……これを知ることが出来た者とそうでない者には、到底越えられない「差」のようなものが生まれる。何よりもそれを恐れる彼らは、知ってか知らずかまさにシャプワの掌の上であった。
反対の声を上げれば、調査参加の道は閉ざされるからだ。
モントーバンは成功する。そういう確信があったが故に、ここで対立の声を上げることはそのまま不利益を意味することと同義であった。乗り遅れたら負ける。やはり彼らの頭の回転は早い。
「私は猊下の提案に、概ね賛成致します」
司祭らしき身分の彼が早々にそれを言葉に直すと、まるで甘美に群がる昆虫のように、後続が賛成の声を上げ始めた。その渦中で1人が呟く。
「しかし両名が人類にとって害悪であり、暴走した場合……抑止力はどのように?」
「私なら殺せる」
そんな教会側の疑問に答える声が騎士団の方から飛び出したとき、シャプワは満足げに目を細めた。
発言の主はテラであった。
彼女は騎士団長然とした振る舞いで証言台から更に前へと踏み出すと、インヘルを囲む檻の目前まで迫る。その言葉に疑問を呈したのはグラン長官だ。
「……游魂院の報告によると、インヘル・カーネイションには無頼の再生能力があるというが」
「得なことです。何度も殺すことができる」
「騎士団も主張を変えるということかね」
「この審問における貴族的な権限は、現在私に委譲されています。内容を委細説明すれば、貴族の皆様は寛大な御心で許容して頂けるでしょう」
きっぱりと意見の訂正を言い放つテラの表情と発言の内容は、しかしその乖離を如実に表していた。深く冷たい双眸だ。まるで憎らしい仇を見るかのようである。
彼女は唐突に、インヘルを取り囲む魔法の牢を素手で鷲掴みにした。そのまま鈍色の格子を、ドアノブでも回すかのように捻ると、金属が機械的に圧縮されるのにも似た音を奏でた。そして、さながら瓶詰めの蓋を軽く開けるかの如く牢の一部をむしり取る。
破片は彼女の手の中で魔法的な力を失い霧散した。
「……何の意味もない拘束だ」
そして彼女はもう一度インヘルの牢に右手を掛けると、先程捻じ切った部分から腕を振り下ろし、真っ二つにそれを引き裂いた。魔法の類は使っていないように見えた。
しかしそれはあり得ない。魔法に対抗できるのは魔法だけ。魔力で出来た火を完全に消せるのは、魔力の篭った水だけである。明らかにただの怪力では説明がつかない現象だった。
「従順な姿でも見せる気だったのか? そんなタチには見えないが」
騎士団長の無茶苦茶な行動を見て、教会側のほとんどは絶句していた。
「な……騎士団長……何を……!」
「コイツは牢を破壊しようと思えば叶ったでしょう。抗魔の手枷で魔法を封じたとしても素の馬力がある。では何故、コイツが現状維持を望んだのか……それは私が居るからです」
インヘルは正面に立ってそう言ったテラを、無言のまま睨み付けた。実際、図星だったからである。牢からは抜け出せても、彼女から無事に逃げ切れるようには思えなかった。
「人類筆頭」とも言われるテラの強さを、インヘルは野生的に感じ取っていたのだ。
「インヘル・カーネイションを拘束したまま留めておく道具は存在しません。であれば抑止力となるのは、純粋な戦力のみ。……その調査、同じモントーバンとして私が監査しましょう」
「ええ勿論。姉さんなら歓迎よ」
シャプワはテラの参加を即座に享受した。
事前の打ち合わせなどあるはずもない。元より多忙な2人が密会する機会など存在していなかった。
モントーバンの「才能」に分野があるのは、それが各々の能力を最大限に活かせる場所であると同時に、特定の場所に大き過ぎる権力が集中しないという、貴族や教会にとっての救済でもあった。
「シャプワ……もしコイツが余計な動きをしてみろ。この豚野郎の心臓に杭を打って、兵舎の玄関に飾ってやる」
「やん、怖ーい。聖女的にそういう話はNGよぉ」
「良いでしょう」
モントーバンたちの会話を聞いていたグラン長官は、いつの間にか置いていた羽ペンをもう一度手に取り、書類に何かを書きなぐる。
すると彼の筆跡がまるで紙を焼いたかのような色に変色し、金色に輝く光の粒が傍聴席に居た何名かに向かって飛んで行く。光は教会側のシャプワやロイド、騎士団側のテラを始めとした、身分の高いであろう10名ほどの手の甲にふらふらと飛んでいくと、彼らの手には刺青のような模様が刻み込まれた。
「審問会の規則に則り、裁量権のある10名による多数決を行います。議題は……『シャプワ枢機卿の提案に賛成か否か』」
ロイドの言葉に反応し、不定形だった紋様は二色の蹄鉄と天秤が絡み合うような形へと変化する。どうやらそれは無記名投票のようなものらしい。彼らはまるで普段からやっているかのことのように、黙々とその模様を指でなぞった。
全ての者が腕を下ろすと、今度は彼らの手から光の粒が離れ、グラン長官の手元へと戻って行く。
「……賛成7、反対3。三分の二以上の賛成票を獲得したため、シャプワ枢機卿の議案は可決されます」
乾いた拍手が起こる。
シャプワは仕事を終えたかのような息を小さく吐き出し、少し乱れた頭髪を直しながら席へと足を進めた。
「(ふぅ……ひとまず勝利! いや、元はといえばアタシがゲームに負けたからこうなったのかぁ……レイジィったら外であんなに成長しちゃって! お姉ちゃん嬉しい!)」
一方で、テラはすっかり冷めた目つきのまま、自分の耳の後ろを指で撫でながら着席した。結局、騎士団長の真意は分からなかったが、とにかくインヘルたちは首の皮一枚で繋がったのだ。
ラストラリーはその事実に気付くと腰を抜かし、思わずその場に膝をつく。
インヘルもまた、張り詰めさせていた肩の力を抜いて首をもたげていた。自分たちのものではない思惑が働いていることをうっすらと感じながら、その中で明確に分かったのは、テラがシャプワを贔屓にすることはないであろうということ。
「(監視対象っつーか、実験動物みてェな立場になっちまった……クソっ。あのゴリラ女、簡単にゃ私らを見逃してくれなさそうだぜ)」
延命が出来たのはいいが、この審問でインヘルには更なる疑問が浮かんだ。それはラストラリーが不老体質だったとして、ならばパラノイヤが「何者かによって記憶を改竄されている」という可能性である。
一刻も早く王都から抜け出し、チームハウスへ帰還して事実を確かめたいインヘルからすると、ここで貴族や教会から徹底的にマークされるのは相当な痛手でもあった。
「(しばらく帰れそうもねェな。私らは色々と調べられるとして……ハートショットの奴はどうするんだ? アイツはもう参考人だろ。普通にチームに帰す……ってのは考えられねーし)」
当のハートショット本人は、インヘルたちが何とか助かったのを自分の事のように喜び、乾いた拍手に混じって笑顔と馬鹿丸出しの大拍手を打ち鳴らしていた。
そんな彼女の姿を見て、インヘルは少しだけ安心すると同時に、厄介な心配事は後回しにすることを決めたのだった。




