61. Time for Unity
「……これも何かのトリックかしら?」
「ボクの策はもう出涸らしさ。だから本当に、ここから先は単なるギャンブルだよ」
レイジィにはもうこれ以上の策は無かった。
土壇場でシャプワの「やり口」に勘付いたのは良かったが、もう既に手遅れだった。打開策は都合よく降りてこない。レイジィの勝ちの目は、八分の一を引き当てることのみであった。
それもただの八分の一ではない。既にレイジィが出すべき出目は決定付けられている。
本当であれば神にでも祈る場面だが、依然として彼女は、実在を確かめてもいないモノに縋るつもりなど毛頭ないようだ。
信じたのは、自分の中にある勝利への欲求のみ。
他の全ては劣っていたとしても、その「渇望」だけは姉に勝っていると信じ、結果を引き寄せようとしていた。
それを知ったシャプワは少しの間キョトンとしていたが、やがてすぐに素っ頓狂な大声で笑ってみせた。
「んはははは! 外で思ったよりイカれちゃってたのね! 信仰心も無いのに、運を乗り越えようとするなんて!」
「最初からそうすべきだったよ。ボクがお姉様に先んずるものは、ボクの心の、譲れない部分だけだったんだしね」
「フー……そうすると、次のアナタの選択は『表』よねェ」
とはいえ依然窮地という状況に変わりはない。
何故ならシャプワは既に「表」になら出目を操作することが出来るからだ。次のターン、優先決定権のあるレイジィは確実に表を選ばなくてはならなかった。
「そうだね。ボクは表を選ぶよ」
「OK、アタシは裏」
既に道のりは決められた。
後はそこに乗れるかどうかである。
シャプワは床に転がっていた硬貨を拾い上げると、またしても表裏の命運を決定づけるかのように、指の間でコインを転がし始める。
それでもレイジィは、今度は一片たりとも気圧されることはなかった。息詰まるほどの緊張でさえ、今の彼女の脚を竦ませることは出来ない。
本気で向き合った2人は、まるで失った時間を取り戻そうとするかのように、微笑を浮かべていた。その中にはある種の傲岸さが存在しており、到底「普通の姉妹関係」とは思えないほどの真剣さを含んではいたが、それでも彼女たちはこのコミュニケーションを愉しんでいるようだった。
「んふふっ……良いわね……久しぶりに血が騒ぐわ。やっぱり家族に楽しい団欒の時間は必須ね。ハッパをかけて正解だった」
「普通の団欒じゃあ、血が騒ぐなんてこと起こらないよ。だけど……ちょっと楽しいって意見には賛成かな」
彼女たちはお互い、敗北を首元に突きつけられているような状態だ。いかにシャプワが有利とはいえ、勝負の「潮目」はさっきの瞬間に一転したかのように思える。
聖女の親指にコインが掛けられた。
「サ、お姉様……ボクと一緒にヒリつこうぜ?」
「最高の妹ね! 後でキッスしてあげる!」
「薬品クサいからやめて」
とことんまで「淀み」を排斥した上で、最後に確率のみが残った時、そのギャンブルは最も「熱」を持つ。そしてそれは、互いに勝利に貪欲だからこそ成立する。
硬貨は4度目の飛翔を迎える。
負けたくない。負けるわけにはいかない。
硬貨がシャプワの手の甲に収まった。
彼女たちは瞬きをすることすら忘れ、穴が開くほどに、導かれたその結果を凝視する。
それは国王の顔が彫られた面が上になっていた。
「表……!」
「いやぁ……ヤバいねェ、本気のプレッシャーってのは。押し潰されそうだよ。嫌いなんだ……ボクは極力、ストレスを感じたくないからさ」
両名の頬に一筋の冷や汗が伝う。
劣った者が振るう両刃が、遂にその喉笛に迫った。
「――だが切り拓くのはボクだ。運ってのは才能と違って与えられるモノじゃない。死に物狂いな奴の最終兵器さ。お姉様も、偶には苦い顔で辛酸飲み下しなよ」
虚勢には違いない。本当に偶然、確率がレイジィを選んだだけのこと。しかしその言葉は、まるで彼女自身が確率を選んだかのような力強さを持っていた。
誰かの為に本気になったレイジィを見て、シャプワは彼女のその言に、更なる信憑性を感じてしまう。振り解こうとしても拭えないそれは「一手抜かれた」という感覚に酷似していた。
使い古された泥臭い精神論であるはずなのに、目の前でその「覚悟」と「貪欲」を振るわれた時、シャプワは明確に揺れた。
レイジィはシャプワに手を差し伸べる。コインを要求したのだ。聖女は呼吸を抑え、睨むような目つきを携えた顔を向けながら、レイジィに硬貨を差し出す。
もはや余裕など無かった。普段はころころと姿を変えるはずの表情筋は硬直し、水に濡れた刃物のような鋭さだけが残っている。顔を覗かせたシャプワの本質的な部分であった。
そんな彼女に追い討ちをかけるように、レイジィは告げる。
「ボクは次に裏を選ぶよ」
「……!」
「仕返しさ。で、どうするの? ボクの宣言を上書きするも良し。そうしたらボクは選択を変えるだけ」
気迫があった。凄みがあった。
そして、そんな風に彼女を本気にさせてしまったのは、シャプワ自身であった。
それでも眩ゆいばかりの天才は、決して後悔をしない。
イカサマを見破った時に反則負けにしておくべきだったとか、コインを床に落としたら無効という条件を付けるべきだったとか、そういった事はシャプワの頭には無いのだ。
ただ、自らの得意分野で真っ向から挑んでくる相手を受け入れ、打ち負かすしかない。それが天才としての責任であり、彼女を天才たらしめる精神であり、同時に彼女を縛りつける枷でもある。
「――アタシは正道を往く」
そして彼女は、最後に自分の信念を選んだ。
「表よ」
「……試してみよう。ボクとお姉様、どちらの『信じる力』が強いかを」
最後のコインが投じられた。
◆ ◆ ◆
「……」
次にインヘルが目を覚ました時、彼女は何処かの牢のベッドで両手足を拘束されていた。そういえば眠る前、何をしていたか。
フレデリカと再会し、レイジィから教理審問の話を聞かされ、その日はまるで自分が自分ではないかのようなぼんやりした気分で時間を過ごして……
「(何だここ……いや、そういえば、夜にレイジィの姉貴が病室に来て……それから……)」
眠気で明瞭さを失った頭で記憶を探る。
聖女ともう1人、病院には不向きな黒衣を着た人物が部屋に入ってきて、何かの説明を受けた後、黒衣の女の魔法で眠らされたところまでは思い出せた。
見張りの兵士と目が合う。あれは騎士団の制服だ。兵は目を覚ましたインヘルに対し、怯えるような視線を向けていた。
「(ああ……審問に掛けられるんだったな。審問所の位置は秘匿だからって、丁寧に眠らされて運ばれたのか)」
とすれば此処は王都にある審問所に付属する牢に違いない。
インヘルはだんだんハッキリとしてきた意識で、ラストラリーも移送されるという説明を受けていたことを思い出す。
「おいアンタ。子供も一緒に運ばれて来なかったか?」
「……別の牢だ」
「私と同じ場所でも構わねェはずだろ。連れて来てくれ」
「あんな化け物、関わりたくもない。お前も立場を弁えろ」
「んだと……?」
見張り番の物言いに、思わず喧嘩腰になりかけたインヘルだったが、此処で何か騒ぎを起こすのは得策ではないと考え、すぐに冷静さを取り戻そうと深呼吸をする。
拘束を引き千切るのも控えておいた方が良さそうだ。インヘルはそのまま、動かしづらい体でもぞもぞと起き上がり、ベッドの上に腰掛けるような姿勢になった。
「(アイツが化け物……? ラストラリーの事はどんな風に伝わってんだ?)」
「……! 騎士団長! お疲れ様です!」
すると廊下の奥からカツカツと響く足音が聞こえて来た。その足音に対して、兵士は敬礼の姿勢を取り、礼儀と敬意を表して出迎える。
やがて鉄格子の隙間から覗かせたその姿は、まるで「厳格」に四肢を生やしたかのような、一本筋の通った歩き姿を見せる女だった。
彼女は頭の左右で白と黒のツートンカラーを呈する不思議な色合いの長髪を後ろで一つ結びにし、前髪はものさしで整えたかのように横一文字に揃えられていた。
その雰囲気からは、何処となく聖女にも似た神聖さを感じられるが、シャプワとは異なり、冗談の一切も通じなさそうな立ち居振る舞いだ。
騎士団長と呼ばれた彼女は、「鷹の目」という言葉が相応しい眼光で牢の中のインヘルを値踏みするかのように眺める。きつく結ばれた口から果たしていったいどのような悪態か、はたまた厳粛な言葉が紡がれるのか予想もつかない。
暫く、無言の睨み合いが続く。新騎士団長――テラ・モントーバンの瞳には、黒雲母のような漆黒の輝きが宿っていた。
「顔が怖い」
彼女の最初の一言はそれだった。
「アイツが世話になってることを贔屓目に見ても、2〜3回は恐喝の前科がありそうな豚野郎の顔つきだ」
「………………………何だとテメェ!?」
インヘルはその余りにも突然に吹っ掛けられた挑発に、今度は怒りを鎮めることなど考えもしなかった。彼女に対する措置にしては甘すぎる拘束を怪力で破壊すると、ズカズカと格子戸に向けて歩みを進める。
「お、おいっ! 動くな!」
見張り兵はそんなインヘルを目の当たりにし、思わず腰に差していた剣に手を伸ばしたが、テラはそんな彼の怯えを飲み込むような態度でそれを諌めると、真正面からインヘルと向き合った。
「紹介が遅れた……テラ・モントーバンだ。騎士団長として、私も教理審問会に参加させてもらう。ヨロシク」
「よく分かんねぇタイミングでご丁寧にどうも! そういや騎士団長はレイジィの姉貴だったなァ? まさかアイツの姉が、ここまで思慮の無ェ奴だとは思わなかったぜ!」
「まあそう熱くなるな。私は嘘が吐けなくてな。腹を立てたなら仲直りしよう。握手握手」
格子の隙間からテラの右手が差し出される。
インヘルは短絡的な、それでいて至極当然の怒りに任せて、その手を払おうと腕を振りかぶった。
ガシャン――という歪な音が轟く。
次の瞬間、インヘルは腕にかかった遠心力で回転しながら牢の奥へと吹き飛ばされ、壁面に叩き付けられていた。
「……は?」
「駄目だろうその態度は。仲直りの作法も知らないのか?」
何が起こったのか分からないままテラの方を見ると、2人の間を隔てていたはずの鉄格子は完全にその機能を失っていた。
太い鉄杭であったそれは捻じ曲がり、格子が根本から引き抜かれている。それは普通ではない力が加わったかのような、あり得ない変形だった。
テラは全体的に大きく歪んだ鉄格子の隙間からごく自然に入室すると、半分ほど石壁に埋もれていたインヘルに再び手を差し伸べる。
「ほら、仕切り直しの握手」
「テんメェ……!」
慟哭を吐き出そうとしても、全身を打ちつけられた衝撃で息をするのも難しい。いよいよ本格的に火がついたインヘルは、テラの手を今度はゆっくりと握りしめ、力任せに振り回してやろうとする。
そんなインヘルが抱いたイメージは――星の中心まで届きそうな「根」だった。重心が遥か下方に存在している。
「(動……かねェ……何だコイツ……!!)」
「二度言わせるな。仲直りの作法は、そうじゃない……なっ」
「うッ……おあああああ!?」
まるで小枝を拾って投げるかのような動きで、逆にインヘルの全身が空中へ投げ出された。刹那、再び全身を打ちつけられるような衝撃が、連続でインヘルを襲う。
部屋の面積を度外視して投げ飛ばされたインヘルは、何重もの壁面を破壊しながら牢から牢を横切っていったのだ。
「ひゃあッ!?」
最後の壁を破ったところで、聞き覚えのある幼い悲鳴が耳に入った。
「痛ッ……てェッ……………ん?」
「あ、あれ? ママ……え? 何で、壁の向こうから?」
「……よう、ラストラリー。元気だったか」
「元気、だけど……喧嘩してるの? だ、駄目だよ喧嘩は。痛いんだから」
「違ぇって。虐められてんだよ。畜生、あンの脳筋ヤロー……腕力で負けたのは初めてだ……ムカつくぜ」
頭を押さえながら身体を起こすと、どうやらインヘルは壁を突き破って、遥か奥にあったラストラリーの収容されている牢まで投げ飛ばされたらしい。
インヘルは無茶苦茶するテラに悪態を吐きながら何箇所か折れた部分を再生させていると、またしても廊下の奥からやって来るテラの足音を耳にしていた。
「まあ、同室くらいは許してやろう。君たちが共に過ごせる最後の機会になるかも分からないしな。それより仲直りの握手がまだ――」
「うっせェ! テメェと握手なんざするか! 結局何しに来たんだ!」
「……挨拶だが?」
「あー分かった。テメェ性格悪いな?」
「やましい事が無い奴から見れば、良い方だと思うんだがな」
正当に廊下を歩んで牢の正面に立ったテラは、またしても隔たり越しに彼女を眺めながら、最後までひどく冷静な態度を崩さなかった。




