59.Gifted
様々な紋様が描かれた夥しい数のスクロールが壁一面に貼られているこの空間は、礼讃室の「報ずるの部屋」と呼ばれる場所である。
此処では過去の過ちで精神的な苦痛を負った者に対するセラピーを行うため、完全に「個人」が守られた状態で神父などと内密の話をすることができる。
壁のスクロールによって結界的な効果を複数も重ね掛けされ、いわばこの空間は神でさえ邪魔出来ない、俗物の為の聖域だ。王族ですら、この場所で告白された内容について言及することは出来ない。
そんな「報ずるの部屋」で対面していたのは、レイジィ・フランベルジュとその姉、シャプワ・モントーバン。
前者が年長の聖女その人を此処へ呼び出したのだ。おそらくは積もるに積もる話であろうことを察していたシャプワは、高度な駆け引きでもするかのように、極めて大胆に足を組み、妹の出方を探っていた。
それは他人行儀だった。
家族にあるまじきよそよそしさというか、シャプワ本人というよりは「聖女の器」と会話しているかのような、全てを見透かしているかのような、そんな相手との会話にレイジィは、いつもはへらへらと上げている口角をきつく結んでいた。
息の詰まる沈黙の後、レイジィは腕をだらりと垂らし、両の手の平を合わせながら、対面で座るシャプワに切り出す。
「もう見当はついてるって顔だね、お姉様」
「そりゃあね。この部屋に呼び出すなんて、マトモな話じゃないんでしょ? 可能性があるすれば……『取引』とか?」
「その通り」
レイジィの読心能力は、「姉妹」には通じない。それはレイジィが努めて家族にその力を使わないようにしているからとかではなく、彼女の姉妹たちは読心への対処法を知っているからだ。
仮面を常に付けることを強いられる立場であるからゆえ、天才の姉妹たちにその方法は通じない。こうなったシャプワは、シャプワの形をした別人のように振る舞う。
凡人を見下すかのように、無意識に軽薄さと本音を備え、欺き、その実心の底ではうんざりするほどの鉄面皮。それこそがレイジィら身内のみが知る、聖女の本当の姿だった。
才能は残酷だ。
才能があるからこそ、他者を見下すことが許されるし、他者にそれを悟らせない。そして自分の心に堅牢な錠前をかけることもできる。
「神聖さ」とは、常に畏敬されなければならない。「天賦」とは、俗っぽさから遠ざけられるべきである。モントーバン家をモントーバン家たらしめているのはいつもそれだ。誰かを見下すことが、まるで摂理の如く自然となってしまうほどの、圧倒的な能力主義が、彼女たちには根差している。
「レイジィ。アナタは妹とはいえ一般人。そのせいで、忘れちゃったのかしらね? アタシに『取引』という言葉を使う、その意味を」
「先んずるものを示せ――家ではそう散々教えられたんだ。ボクが忘れるワケないだろう?」
「ええ。アタシは、アタシより全てが劣る奴とは話をしない。知恵でも、悪巧みの上手さでも、何でもいい。『先んずるもの』が無ければ、モントーバンを取引の土俵に乗せることすら許さない」
「であれば、ボクは運否天賦で優ってみせるよ」
そう言うと、レイジィはポケットの内側から、一枚の金貨を取り出した。
「コイントスで決めよう。ボクが勝ったら、取引に応じてよ。『モントーバン』の名を、少しばかり貸してもらいたくてね」
「んはははっ! ここに来ての運任せは嫌いじゃあないわよ! わざわざこの部屋を選んだのも、誠実さの裏返しなのかしら」
「誠実さ……と言えばそうかもね。この場所ほど厳重な結界であれば、ボクは召喚魔法を扱えない。イカサマし放題な環境を捨てた訳だ」
レイジィは壁面や天井にびっしりと張り巡らされた、複雑なスクロールを見回した。
この部屋そのものは一種の断絶された空間だ。騎士団や正統派の魔法使いが得意とする結界術……その古来と最先端ををふんだんに盛り込んだ「報ずるの部屋」では、あらゆる力が霧散する。此処は懺悔するか、告白することしか許されていない部屋である。
故に、召喚魔法は使えない。詳しく言えば、使おうとすれば必ずシャプワにバレる。
「ルールはどうするのかしら?」
「ノリが良いお姉様で助かるよ」
しかしそれは、レイジィの道連れ保険であった。
レイジィは暗に「イカサマをしない」と公言した。それに対し、シャプワが奸計を巡らせて不正を働いた場合、それはもはや才能の敗北である。
一族の誇りを抱いている聖女は、必ず、正当な手段で勝利しなくてはならない。レイジィは自分に枷をかける代わりに、シャプワに対しても同様の縛りを強制したのだ。
「3本先取。金貨を投げるのは交互にしよう。投げる直前に裏表を宣言し、そのターン、金貨を投げない方に裏表の優先決定権がある。これでどうだい?」
「公平ね。乗った」
確かにシャプワはレイジィのことを溺愛していると言っても良い。だがそれはあくまでも、モントーバンという名が絡まない状況下での個人的な心情。
シャプワは根っからの貴族なのだ。貴族とは、例え自分が無惨に死ぬことがあろうと、土地と誇りだけは守り抜くように強制される。
これは「戦い」だ。実の姉妹であることなど関係ない、それぞれの尊厳を懸けたやりとり。
「国王の顔が彫られているこっちを表にしよう。どっちから投げようか、お姉様?」
「アタシはどっちが先攻でも良いわ。確率は収束するんですもの。変わらないわよ」
「それじゃあ、コインを持ってるボクが先に投げさせてもらおうかな。選びなよ。まず優先決定権はお姉様にあるんだし」
「んん〜……表か、裏か……そうねェ……国王様の徳は常に誰よりも優れている。それに肖って、まずは表が上に来ると信じてみようかしら」
「ならボクは裏だ」
レイジィは金貨を右手に持つと、親指で弾いた。
一投目。それは回転しながら、彼女の頭を僅かに上回る高度まで到達すると落下を始め、彼女が構えていた左手の甲の上へと着地した。そして図柄が見えないよう、右手でカバーする。
不自然な動きは無い。それは彼女の一挙手一投足を、あたかも興味関心が無いかのように振る舞いながらも詳細に観察していたシャプワの目にも明らかだった。
「止めなさい」
しかしシャプワはレイジィにそう命じた。
それはお願いと言うより、強制力の類を持った、姉としての言葉だった。その言葉が持つ力に圧されたのか、レイジィはぴたりと静止し、思わず呼吸すら止めてしまいそうな静寂が訪れる。
「物言いかい、お姉様?」
「……アタシはねェ〜」
シャプワは自分の手で口元を隠すようにしながら、椅子の上で足を組み直すようにして言葉を発する。
「アナタを信頼してるのよレイジィ。姉妹ですもの。そうに決まってるじゃない?」
「……何を今更」
「だからこそ」
そして彼女は、組み直した脚の、膝の上に腕を乗せるようにして、前のめりになりながら動かずにいるレイジィに向かって指を差す。
「アナタが何もしない訳ャ無いのよ。アタシは知ってる。レイジィ・フランベルジュは我儘なの。……アナタはアタシに、執拗なほどに手の内を見せなかった」
「……」
「比喩じゃないわ。コインを投じたその右の掌を、アナタはアタシに見せてない。イカサマはしないと断言し、自然な動作を繰り返しているように見せておきながらね」
覇気。それは上に立つ者が纏うべきオーラ。
指摘されようと平静さを保っていたレイジィは、物音ひとつ立てない凪のような呼吸音に、ここで初めて乱れを生じさせた。
「普通じゃあ、透明さっていうのは目立たないのよ。だけどねェ……アナタほどの徹底的な利己主義っていう濁りの中では――その透明さは、ひどく匂い立つ」
理解していた。
貴族社会は能力主義ではない。血統主義だ。
その中で、どうしてモントーバンだけ、才能至上主義がまかり通っているのか。
その「能力」とやらが常に圧倒的であることが確約されているからだ。
レイジィはそんなことなど理解していた。理解していたからこそ、巧妙に企てる。
未熟な巧妙さでは駄目だ。
そんなものは煌めくような才能の前では、容易く看過される。自分の力を最大限まで用い、更にそこへ巧みさを上乗せして、ようやくシャプワの才能の一部を凌駕することが出来る。
「誇って良いわ。アナタがアタシの妹じゃなければ、今頃アタシは何の疑いもなく通していた」
しかしレイジィはそんな天才の妹という立場にあった。
更にもう一歩踏み越えていかなければ、先んずることができない「姉」が相手だという不運。
「アナタが考えそうなトリックは……糸、かしらね? 肉眼では捉えづらい糸状のものを指の間に張って、コインをカバーする時、糸の上にコインが乗るようにする。そして手触りだけで表裏を判断し、右手を退かすタイミングで、出目を操作するってトコ?」
金貨をカバーしている右手を持ち上げるようにして退かせば、相手に見せる直前、金貨の裏表は反転する。
右手をスライドさせるようにして退かせば金貨の下から糸が抜け出し、出目は変化せず、そのまま示される。
レイジィはこのトリックを、最初の一回だけ使うつもりでいた。二度目以降はバレる可能性があるからだ。一回分でも通じれば有利になれると踏んだ仕掛けだったが、しかしシャプワはそれを、ものの一度も通すことはなかった。
「はは……参ったなァ……」
レイジィは苦笑いを浮かべるしかなかった。
糸を引き抜くように手を動かすと、金貨は表を示していた。
彼女は右の掌をシャプワに向ける。凝視しないと分からないほどの細い糸が、親指と小指に張られていた。
「我が妹ながらタフな精神力ねぇ……あれほど高らかにイカサマはしないと公言したクセに、面前で既に不正しまくりだったなんて。わざわざ暗いこの部屋を選んだのも、光の反射で糸が見えるのを防ぐため? 或いは正々堂々と勝負していることを印象付けるため?」
「どっちも……って言ったら?」
「そりゃあもう、ペテン師どころじゃないわ。悪魔じみてるもの」
レイジィは大きなため息を吐き出した。「だったらお姉様は悪魔祓いかい?」とでも皮肉混じりに言いたげな、落胆を含めた吐息だった。
敗北を自覚した彼女は反則負けを飲み込み、インヘルに放ってしまった妄言の撤回とそれに対する弁解を考え始め、指から糸を取り外すと、金貨をポケットに仕舞おうとする。
「サ、次はアタシの番ね」
「……は?」
しかしシャプワから飛び出したのは、続行の意思を含んだような言葉だった。レイジィの頭にまず浮かんだのは疑問。
そして、よく回る頭でシャプワの真意に気が付いたとき、それは畏れへと変貌し、彼女の全身は粟立つ。
冷や汗を伝わせるレイジィを見ながら、シャプワは、到底彼女が浮かべるとは予想もできないほどの鋭い眼光を、さまざまな色が散りばめられたような瞳に宿す。
「反則負担は1点の支払いだけで良いって言ってんの」
囁くような声色の中には、凄まじい胆力が込められていた。
「許可しない。アタシは許可しない。日和ってんじゃねェわよ」
指をピンと張り詰めさせ、口元を手首で隠すようにしながら放ったシャプワの言葉は、じりじりと正常な空気を削り取っていく。
レイジィは「許可しない」という言葉が持つ圧力を全身で感じながら、闇雲に思考を流動させる。そうしなければ凍りついてしまうからだ。
「(こ、この気迫……ボクを捩じ伏せるまで終わらせない気じゃん……!)」
「寄越しなさいな。その金貨、今度はアタシが投げる番よ」
シャプワ本人は立ち上がってもいないというのに、そのプレッシャーはレイジィに、まるで眼前まで迫られて恫喝されているような心境を抱かせる。
「(こうなるからお姉様たちに『頼み事をする』のは嫌なんだよッ……! ボクはそれなりに落ちぶれてでも、好きなこと以外で全力を出さず、頑張らず、生きられればそれで良いのに……この人たちはいっつもコレだ! 何でも全力で取り組むし、その上でさらに高みを望む! 出来るからって何でもやろうとする! オマケに超が付くほど負けず嫌い! そんな熱血、どっか余所でやってくれよもォ〜〜……!)」
頭のネジが外れている。
レイジィは家族たちをそう評したが、それはこういった側面に由来していた。
見えない影に背を押されたかのように、レイジィは今すぐにでも負けを認めてしまおうと懐に仕舞う予定だった金貨を、差し出されたシャプワの掌の中に放った。
レイジィがくれぐれも彼女自身と肌が触れ合わないよう注意したのは、相手が一つ間違えれば炸裂してしまいそうな爆弾に見えたからだ。
コインを渡された聖女は満足そうに微笑み、雰囲気が緩和される。
レイジィは遊戯の中断に駄々を捏ねていた子供が、続行の許可を得たときの光景を連想しそうになったが、23歳にそれをやられてもそれほど可愛げがあるものではないと、すぐに目を覚ます。
ましてや相手はシャプワだ。可愛げなんて求めるべきではない。
すると、彼女は受け取った金貨を握りながら、何も迷いが無いかのような態度で、驚くべきことを口にした。
「アタシは次も表を選ぶわ」
握り込んだ金貨を弄ぶ手つきは、まるで硬貨に運命でも吹き込んでいるかのようだった。
「優先決定権はレイジィにあるけれど、好きに決めなさい。アタシの宣言を上書きするのも良し。そうしたら、アタシは選択を変えるだけ」
それはコインの裏表の未来を、既に手に取っているかのような信じられなさと、それを現実にしてしまうかもしれないと思わせるほどの強権さを併せ持っていた。
反則がバレて既に策を失ったレイジィは、緩んだ空気感とシャプワの言葉が持つ力のギャップに惑い、明確に掻き乱され始める。
それでも与えられた勝利の機会に対する貪欲さは、手放すことができない。彼女もまた、自分が負けず嫌いであることに気付けていないタイプの負けず嫌いであった。
「(あくまでもボクが持ってるのは優先決定権だけ……確かにそれは、先に裏表を宣言できる権利じゃない……! 畜生、ボクが揺さぶられてどうする!)」
全てを見透かしているかのように、シャプワは目を細めて微笑んでいる。聖女を崇拝する人物には見せられないであろう表情だ。その笑顔は冷徹でもあり、妖艶でもあり、突き放すようでもあった。
しかし、レイジィの「やりたいこと」への最大の敵にして、最大の味方にもなり得る彼女から勝利を奪い取るには、勝ちに対する飢えを止めてはいけない。
「(焦るな……ボクのイカサマが手法まで看破されるほど単純にならざるを得なかったのは、このゲーム自体が単純だったから。だけどお姉様に策を弄する時間は与えなかった。そしてボクがコイントスを選んだのは、何が起ころうと、最後には『運』で決まるゲームだからだ)」
レイジィは珍しく犬歯を見せるほどの険しい表情を浮かべながら、人差し指で自分の眉の上を押さえるようにして、あらゆる選択肢を検討する。
向こうはこの部屋に入るまで、ゲームの内容を知り得ることは考えられないという前提条件。
乱れも仕込みも無さそうな服装。
魔法の使えない環境。
優先決定権が与えられており、相手が何かを仕掛けるならば、出目を完全にコントロールしなければ成立しないという精神的優位性。
そもそもシャプワは小細工をしないという確信。
全てを考慮しても……やはり「運」だ。二分の一を3回ばかり乗り越える。それだけでこの天才を相手に先んずることが出来るのであれば、そう難しいことでは無いはずだった。
「……『裏』だ」
「素敵よ、その渇望と心意気。機会を与えただけの価値はある。だけど悲しいかな、アタシには勝てないでしょうね」
レイジィがようやく「正当な」勝負に怯まず、同じ場所へ片足を突っ込んでくれたところで、シャプワは金貨に指をかけた。否、怯んでいないというのは間違いだ。胆で圧され、シャプワの選択を変えることを怖がってしまった。
「――合衆国では」
すると彼女は、自分と同じ場所に立つことを許したレイジィに視線を向けながら、唐突に語り出した。
「麒麟児のことを『Gifted』と翻訳するの」
「……それが何だっていうんだい?」
「直訳すると『与えられる』……良い? 与えられるの。つまり天才とは受身の言葉。だからこそ才能は羨まれるし、嫉妬されるし、見知らぬ誰かから『傲慢だ』と思い込まれる」
それはレイジィとシャプワの間にある認識の差異。
誰もが何気なく使っている「才能」という言葉だが、それを読み解いていくと、そこにはひとつの真実が見え隠れする。
「それは『運』も同じよね? 運は、不意にぽんと与えられる一滴の雫。だけどそんな一滴程度で舞い上がって、丸々と与えられた者に勝ろうとすることこそ、アタシからしてみれば傲慢に過ぎない」
この勝負は「運」の勝負だ。それ以上でも、それ以下でも無い。レイジィはそう勘違いしていた。
「アタシには最初っから『才能』と『実力』があったわ。つまり与えられなかった連中とは、比較にならないほどの『運』がある。アタシは一時のおこぼれを願うために、いちいち神に祈りはしない。残念ね。『運任せ』は、与えられなかった者の理論。アタシは誰よりも運があったからこそ才能がある。二分の一程度、アタシが懇願しないでも来るのよ」
シャプワは金貨を指で弾いた。それは回転しながら宙を舞う。
それでもレイジィはシャプワの持論に妙な力を感じ、弾かれた硬貨に目線を向けることが出来なかった。代わりにシャプワの目の中を、じっと凝視していた。
時間が引き延ばされたような感覚がした。
「『運も実力のうち』? いいえ。正しくは……『実力が運のうち』」
そんな「与えられた者」の左手の甲に、硬貨が着地した。
「天才は祈らない。祈る必要もない」
レイジィは終始、シャプワの言葉に圧倒されながら、ここでようやく、恐る恐る彼女の右手で隠された金貨に視線を向けた。
「尤も――」
ゆっくりと、コインを覆っていた右手が剥がされる。
「聖女、神様へのお祈りは毎日やってるけど」
硬貨は表を向いていた。
お読みいただきありがとうございます。まともではない社会人になってしまいました。ご覧のように更新は遅れますが、休暇でも待つ感覚で楽しみにして頂ければ幸いです。




