56.Arrived
まるで錐で穿ったような傷口の内部に広がるのは、植物が根を張ったような形状に侵食された傷跡。場合によっては聖女でなくとも治療が出来る程度のその傷は、然して回復魔法の効果が薄いというラストラリーの体質によって治癒が阻まれていた。
「(どんだけアタシの魔力持ってくのよ……!)」
確かに体質的に、回復魔法が効きづらい人物は存在する。それは木属性魔法に相反する火属性魔法への適性が極めて高い者だったり、そもそも虚弱で「回復」の体力すら残っていないような人物だ。
しかし、ラストラリーのそれは実際に回復魔法を施してみると、「効きづらい」などという生易しい言葉では到底言い表せないものがあった。
同程度の傷であれば治癒を完了しているであろう魔力量の数百倍を注ぎ込んで、ようやく半分ほどの治癒が終わった頃、聖女シャプワはその額に玉のような汗と疲労感を滲ませ始めた。
水魔法で温生食を創り出し、傷口を洗浄し続ける扶翼室の2人も、ここに来てようやくシャプワの異常に気付く。
聖女の治癒は本来であれば一瞬であるはずだった。
2人もそんな最高峰の回復魔法を間近で見られることと、空いた時間での休憩を期待していたのだが、肌で感じる莫大な魔力の奔流とは裏腹に、ラストラリーの傷の治りは異様に遅かった。
「汗」
もはや指示も単調になってきたシャプワの額の汗を片方が拭う。
この時点でシャプワは確信していた。
やはり、ラストラリーは単に回復魔法が効きづらいのではない。まるで数百人の重篤患者を相手に治癒を施しているかのような……そしてそれを短時間で同時に行なっているかのような、莫大な魔力の消費量。
「(生物的な命の『密度』が、根本から違う……!)」
小さな身体に大量の命を内包しているかのような不釣り合いなこの現象を、シャプワはそう表現した。
並の使い手ならば精魂尽き果てて卒倒している量の魔力を運用しながら、ラストラリーの肌に触れる手に、よりいっそうの力が入る。
必要なのは単純な魔力量だけではない。回復魔法を扱う者にとって重要なのは魔力を精密に操作することだ。生命という化学反応の集合体を対象に魔法を行使しているのだから当然といえば当然だろう。
ラストラリーの治癒は、魔力の総量と同時に、集中力の勝負でもあった。
◆ ◆ ◆
「そこでお止まり下さい」
聖地アニマは部外秘とされる場所が多い。
五大神に関連する神具が封じられている場所や、聖者の遺物が納められている神殿奥地など、宗教的に価値のあるものである場所は特に警備が厳重だ。
それは游魂院も同様である。
あの場所における「宗教的に価値のあるもの」というのは、聖女シャプワのことである。無論、医療技術の最先端が詰まっているという利的な側面もあるが、特別な治療が必要な者や関係者以外は立ち入り禁止だ。
彼女は普段から游魂院に留まっている訳ではない。特司枢機卿として数々の教会や修道院を統括し、時には各地を巡礼して神に祈りを捧げたり、精力的に貴賎問わず訪問治癒を施したりと、盛んに国中を飛び回っている。
そんな宗教上の重要人物であるシャプワが游魂院に帰っている時、警備は特に厳重となるのだ。
三重の関所、高い外壁、魔法的な防御結界……王都の中でも辺境に位置し、地政学的にも立ち入るのが非常に困難である。
そんな「陸の孤島」に続く第一の関所の前で、堂々と立つ影があった。
藍色の髪に、血色の悪い肌に、そばかす顔と三白眼に丸眼鏡。
しかし今日の彼女はいつものルーズな服装ではなく、おろしたてのパリッとした淡藤色シャツの上から、主張の薄い、しかし見る者が見れば価値のある宝石が巧みにあしらわれた乳白色で薄手のコートを羽織り、伸びきった髪は櫛でおさげにキッチリと整えられていた。
その背後にはクーペ式の有蓋馬車が停められており、佇まいは賓客を思わせる風情がある。
「訪問のご予定ですか?」
「ああ、急な連絡だったから最前線には連絡が来ていないみたいだね」
「お名前と、通行許可書をお願いします」
「レイジィ・フランベルジュ。許可書は……おーいツァナク。大姉様から貰ってたよね?」
御者を請け負っていたハットを身につけた壮年の男性が、車輪を固定しながら馬車から降りると、その懐から仰々しい紋章と筆体で彩られた羊皮紙を取り出して、衛兵に渡す。
それを受け取った兵は兜越しでも分かるように表情を変え、恭しい態度に変貌した。
「モ、モントーバン家の使者でしたか! たいへん失礼致しました」
「いーよいーよ。大変なお仕事だね。お疲れ様」
末端の兵からしてみれば有難い慰労。そしてレイジィの性格を知っている者からしてみれば半分煽りのような言葉をかけられた衛兵は、許可書が贋物でないかを確認する作業に向かうために、道脇に設けられた詰所のような場所へと入っていく。
レイジィの目的はインヘルたちとの面会。姉の1人であるテラの判断や実家への口利きもあり、游魂院への特別な訪問客という権利を勝ち取ることができたのだ。
「(貸し、か。お姉様たちに借りを作るのは油断ならないからなぁ……あの人たち全員、どこか頭のネジ飛んでるし〜)」
かつてレイジィはハートショットにスクロールを要求された時、「頼み事を一つ聞く」という条件をつけた。これは彼女の姉妹たちの影響で刷り込まれた、レイジィの癖のようなものでもあった。
モントーバン家の七姉妹は決して身内贔屓をしない。姉妹間での頼み事は貸しとなり、その全てに「責任」を伴う。
依頼者の能力が自分よりも遥かに劣っていて、貸しにすらならない条件を飲むしかない場合、彼女たち姉妹はそもそも頼みを受けないという淡白さも持ち合わせていた。
ところで、モントーバン家は俗に言う「天才の家系」である。
それも生半可な麒麟児の集まりではない。国家レベルの「財」となり得る頭脳、知識、技術、或いは肉体を持ち、ただその血筋から輩出される天才たちによる偉業により、公爵家まで上り詰めたと言えば、その異質さが感じられるだろうか。
すなわちモントーバンの「頼み事の規律」は、実利的な反面、相談料として常にそれに見合う価値のあるものを提供するという絶大な信頼の上に成立している。その代わりに多くを求めず、その頼み事に見合った額を提示するのである。
「(目下、次の障害となるのは……游魂院の――)」
「お待たせ致しました」
口を尖らせながら、これから起こるであろう面倒事について想像を巡らせていると、許可書の確認が終わったようでレイジィは衛兵の1人に案内される運びとなった。
彼女は考え事を一度中断し、馬車と御者に解散を告げると、駐在している衛兵の中でもおそらく位の高い兵士に先導されるがまま、游魂院へと繋がる道程を、若干急ぐような歩幅で進み始めた。
最初は山道のような景色が広がっていたが、関所を跨ぐにつれて、几帳面なまでに舗装された石畳と荘厳な篝火の明かりが彼女たちを出迎える。
やがて木々の隙間から頂点を覗かせたのは、バロック様式の如き不規則な曲線美を有する、高さだけでレイジィの何十倍もありそうな、年代の想像もつかないような建築物だった。
周囲を掘と外壁で囲まれた鉄壁の地形が神敵を阻むように存在している。
レイジィはその景色を目の当たりにすると、外観を覚えてもいないのに懐かしさを刺激された。
「(お〜……確かボクは此処の分娩台で取り上げられたんだっけ。意外と感性の部分は、頭よりもよく記憶してるのかもなぁ)」
「大聖門から先は我々も立ち入り禁止です。御案内の務めを果たせぬ力不足をお許し下さい」
「大丈夫だよ。後は自分で何とか出来るから」
革製の鞄を肩に掛けながら、とうとう正面入口である大聖門前まで辿り着いたレイジィは、案内をしてくれた兵士に軽く礼を言うと、門番である聖護室所属者と顔を合わせ、清めの魔法を受けた。
そこで金と紅の貴金属で出来た、最高位の訪客の印であるバッジを受け取ると、襟にそれを取り付ける。
実用性のない飾り門の脇にある小さい扉を跨げば、いよいよレイジィは医と治癒の最高機関「游魂院」に入場することに成功した。強権的な文書の力というのは偉大なもので、何の問題もなくここまで到達出来たのは幸運だった。
後はこの広い建物の中から、インヘルたちを探し当てれば良いだけのこと。大聖門さえ潜って仕舞えば、彼女たちに会うのはそう難しいことではない。
「(……だけど聖女様も居るんだよな〜、嫌だな〜、会いたくないな〜)」




