52.Always to Same without Me
「結局、お前が最期に憂いたのは……あの2人のことか」
私は、私自身に憤っていた。
ビナーは確かに「怪物」だった。強さにしろ、倫理観にしろ、既存の常識が何一つ通じないようなバケモンだ。
それなのに……命が散るその直前に、思いを馳せたのが家族のことだった。それは確かに、人間にとっても常識的で健全で、愛に溢れた死に様だが、私がそれを出来るかと問われたら、答えに迷ってしまうだろう。
ビナーは人間ですらない。それでも家族のために己を顧みて、悔やみ、そして死んだ。これが怪物にとっての常識でもあるとしたら……私は一体何なんだ。
人間にすらなりきれないのに、怪物としても失格なのか?
憤りの正体はそれだった。
「……私は、お前とは違った。だから羨ましいと思ったんだ。尊敬……してたんだぜ」
霧が掛かったように頭がぼうっとする。
今日だけで、知りたかったことも知りたくなかったことも知り過ぎた。
ラストラリーと同じ力を持った存在のこと。
私やラストラリーが、人間ではないかもしれないこと。
魔獣たちが人間を殺したくないと考えている可能性があること。
そして私が……魔獣にも尊敬を向けられるのだということ。
多分、ビナーが人間に似た姿をしていたからってだけじゃない。これまで狩ってきた魔獣が、あいつと同じように、理性と本能の狭間で戦った末に敗北してしまった者たちだとしたら……私はその事実に対して、余りに無知だった。
今日、私が初めて自分から「葬儀屋」を名乗ったのは、人間と同じように、魔獣にも、弔いが必要なのではないかと思ったからだ。ラストラリーがサマルの村で言っていたことを思い出す。
『ママはね、本当はすっごく優しいの。今は全部忘れちゃってるけど……ずっと、ずうっと、救われない人を、助けようとしてるんだ』
「優しい」なんて大層な評価を認めるわけじゃないが、ラストラリーの言った「救われない人」っていうのは、クラメルみたいな奴に加えて、ビナーみたいな魔獣も含まれているんじゃないかと、そう感じている。
人間は、死ぬ時くらいは救われてなきゃならない。
……多分魔獣も同じだ。魔獣たちは、人間よりもずっと救われていない。
人類の敵として生まれ、訳もわからず嫌悪感と殺意を植え付けられているアイツらを、赦してやれる奴がいるとしたら……それが私やラストラリーなんじゃないか?
まあこの考えは、私やラストラリーが魔獣かもしれないという疑いから生まれた、保身の一種なのかもしれないけどな。
臥したビナーの身体が、徐々に爛れるようにして溶け落ちていく。
やはり他の魔獣と同じだった。このまま心臓だけが残り、そしてそれを核にして別の形で復活するんだろう。
……メイド服も消えた。これも身体の一部だったのか。そういえば、ウエストエンドに頻繁に出入りしてたってのに、コイツの服はいつも清潔だった。全員が寝静まった時間に洗ってるのかと思ってたが。
そんなことを考えた直後、私の体に耐え難い倦怠感が襲い掛かった。
緊張が解れたのか、はたまた無茶をしすぎたのか、ひどい頭痛もする。
「何、だ……?」
命が削り取られたかのような反動に、立ち上ろうとしていた私は思わず頭を押さえながら膝をつく。
これまではどれほど再生能力を稼働させても顕著なダメージは現れなかったが、強引にその力を引き出すと、いくらかの跳ねっ返りがあるのかもしれない。
頭痛は収まるどころかさらに激しさを増していき、眼球の奥に太い針を刺されているような気分だった。
ビナーの魔力はとうに消え、身体は完全に治癒しているというのに、脚に力が入らない。
「畜、生……アイツらの……生存確認、を……」
そう口にしたのも束の間。私はより一層激しい頭痛に襲われると、程なくして意識を保っていられなくなった。
生気が空中に抜け出していくような思いをしながら、私は地面に倒れ込んだ。
◆ ◆ ◆
「アーテローヤル事変」
アーテローヤル領主テスタノーム伯爵邸で勤務する27の従者、8の貴族、そして領主本人が一夜のうちに惨殺された未曾有の魔獣災害。
そのニュースは最初に、アーテローヤルではなく、魔獣災害の被害者の1人であるビナーの養女ヘットによってウエストエンドの一部に広まったという。
犬猿の仲であった狩人連盟と騎士団ですら事後処理業務を提携して行い、宥和ムードの到来かと考えられたが、現騎士団長が騎士団の生存者だけに留まらず、狩人連盟の生存者の身柄を強引に確保する方針を取ったことにより、噂も吹き飛んだ。
むしろ事件発生前よりも双方は険悪な雰囲気に包まれたと言える。
特に厄介なのが「責任の所在」の問題だった。
犠牲となった貴族8名、その中でも当主や当主代理という重要な位置についていたのが6名だという被害内容がしばらく尾を引いた。
騎士団による「最終的な解決者」を抱える連盟が責任を取るべきだという主張に対し、連盟側は「貴族の警備を受けたのは騎士団」というスタンスで真っ向から対立した。
しかしビナー・ハイドランに関わる事実は、過剰とも思えるような情報統制により閉ざされることとなった。双方とも外部には公開できない秘密を共有する立場となったのだ。
結局、騎士団は「事件に関わった者の身柄」、そして狩人連盟は「事件を引き起こした魔獣の心臓」を成果として我先にと持ち帰り、双方痛み分けの様相を呈したところで、噴出する貴族や民衆の不安が収まる気配のない中、一先ずアーテローヤル事変は幕を下ろした。
なお、連盟関係者3名は聖地アニマに置かれた、医と治癒の最高機関「游魂院」へと運び込まれ、未だ余談を許さない状況が続いているようだ。
◆ ◆ ◆
その日、ザインとヘットが向かったのは、22番浜と呼ばれる海を一望できる廃棄場。そんな彼らの後ろ姿を見守るように同伴するのはメトゥンとその妻3人、そしてヘットと同い年の、娘のカタリナであった。
彼らは廃材で作られた小さな墓標の前で長らく沈黙する。
カタリナだけはその沈黙の意味を理解するまでに至らなかったようで、全員が悲嘆に暮れているような表情をしていたのを不思議そうに見回していた。
ビナーが死んだ日から、ザインとヘットは抜け殻のようになってしまっていた。
そんな彼らに、ある時メトゥンが渡したのは、贅沢をしても大家族が数年は暮らせるような額の、銅貨から金貨までが入った箱だった。
何でもビナーはメトゥンにその箱の管理を任せていたらしい。ハウスキーパーとして受け取っていた給金の殆どを、彼女は貯蓄に回していたのだ。危うい立場である自分がいつ居なくなっても良いように。
そんな大金を見て、子供たちは、ぐしゃぐしゃと泣き崩れた。「ありがたい」と思ったのではない。寂しさが掻き立てられたのだ。
思えばビナーは物を殆ど持っていなかった。貯金をするにしても、超人的な仕事ぶりを見せていた彼女の給料であれば、子供2人をすぐにウエストエンドから連れ出すこともできただろう。
それをせず、貯蓄を自分に任せて、最後まで2人に黙っていたという事は、いつか自分がこうして消えることを何となく知っていたのではないか。
メトゥンは今更になってそんな仮説を立てたが、それはもはや、今となっては無駄な思考だった。
「……私、やっぱりあれは……魔獣じゃなくて、お母さんだったんじゃないかなって」
そして彼らの沈黙を破ったのは、事件の日、実際にインヘルたちの姿を見たヘットだった。少女はビナーのことを「お母さんの姿を取った」と考えていたのだが、それならばあの魔獣が自分を庇ったように見えたことに説明がつかない。
獣であるはずのその背中に、安心してしまった自分がいた。
「ねえお兄ちゃん……お母さんの物、何にも無いよ。お母さんのこと大好きなのに、お母さんのこと全然知らないよ……お母さんは、人間じゃなかったの?」
「人間じゃなくても、何でも良いだろ。かーちゃんはかーちゃんだ」
「よくないよ……だって私、何に怒ればいいのか分からないんだもん。インヘルお姉ちゃんは死んじゃいそうになっても頑張ってくれて――」
「かーちゃんが魔獣だったら、かーちゃんを殺したのはアイツってことだろ」
「……うん」
「アイツが本街に来なきゃ、かーちゃんは居なくならなかったかもしれない。もっと強い魔法使いだったら、かーちゃんを守ってくれたかもしれない」
ザインは力強く握った拳を震わせながらそう言った。
これが「言ってはいけないこと」だと理解しておきながら、止められなかった。ヘットはそれを、どこかおぼろげな表情で俯いたまま、黙って聞いていた。
「そんな話を子供にさせてはいけない」――メトゥンは直感し、2人に近付くと、いつもの騒々しさがすっかり鳴りを潜めたような嗄れ声で語りかける。
「あの狩人の嬢ちゃんな、拾った記事によると、まだ目が覚めないらしい。いつ死んじまうか分からないんだってよ」
「……それが何だよ」
ザインはなおも恨めしさの残った声で答えた。しかしメトゥンは彼を憤怒と怨嗟の沼から救い出すために話を続ける。
「会いに行ってみねぇか?」
「……!」
「そうでもしなきゃ、お前ら思い詰めて死んじまいそうでな」
「……外は危ねぇんだろ。俺たちだけじゃ……無理だ」
「今のままならな。だが、俺も付いて行く。それなら大丈夫だ」
「ジジイが……?」
予想だにしていなかった提案に、メトゥンの方を振り返ったザインとヘットの表情は、明らかに狼狽えていた。
外は危険――ウエストエンドの常識だ。痛いほどよく分かっているし、此処の住民たちからもそう教わってきた。
「家族以外に言ってなかったんだがな……俺は外者だった。元はウエストエンドの外に住んでたんだよ。まあ、全部嫌になって、此処まで逃げてきて以来それっきりだったが……俺もサボってた訳じゃねぇ。いつ俺が居なくなっても良いように、シナンボザたちに色々と教えてきた」
ザインたちは目を丸くし、その事実に言葉を失った。
確かにメトゥンはよく俗っぽい考え方をするし、妙に教養がある。ウエストエンドで長生き出来たのも、彼が生き残る術をよく知っていたからだ。しかしそのルーツが、まさか外にあるだなんて思ってもいなかった。
「外は30年近く出てねぇが……変わってねぇことの方が多い。お前らがその気なら、俺ァ喜んで先導するぜ」
ザインとヘットはシナンボザたちの方に顔を向ける。
3人はメトゥンがその提案をしようとしていたことを既に知っていたようだ。寂しそうな微笑みを浮かべながらも、彼女たちは少年らを見送る準備が整っていた。
「ハッキリさせてぇことがあれば、面と向かって聞いてやるのが一番だ。到着する頃にゃ、今は眠ってるあの狩人の嬢ちゃんからも直接何か聞けるかもしれねぇ」
ザインたちは惑っていた。当然だ。それほど大きな決断を、一瞬で出せるはずもない。メトゥンとしても暫く時間を与えようと思っていたのだが――
「……私、行きたい」
即決の判断をしたのはヘットだった。
「お母さんは、人間じゃなかったのか……聞きたい」
「……ザイン。お前はどうだ?」
「……」
対するザインは、憎らしいと思っているインヘルに会うべきかどうか、激しく葛藤していた。しかし、常に何かに怯えているかのような気弱な妹が決起する瞬間を目の当たりにして、すぐに覚悟を決めたようだ。
「……行く。言いたいこと、言ってやる」
兄妹の成長を感じたメトゥンは、まるで自らも何かを決意したかのように、不敵に笑った。
メトゥンも理由があって俗世を倦んだ身だ。この提案も、断られてしまえば少し楽だったのかもしれない。彼自身、鍵を掛けて閉じこもっていた自分を奮い立たせるだけの理由が必要だったのだろう。
そしてザインたちの決意は、それを満たすには充分すぎるほど大きかった。
「決まりだな! そうと決まれば準備だ! よーし2人とも、今日は缶詰開けてやる!」
気がつけば、メトゥンはいつもの胴間声を上げながら、2人の肩を抱えるようにして帰路に着いた。
彼は最後に、ゴミ山の上にぽつりと孤独に立つ、亡骸も埋まっていない墓標を振り返った。
「(……ビナーちゃん。預ってたモン、悪いがちょいと拝借するぜ。そこで見送っといてくれや。なァに……アンタが立派に育てたガキは、ちゃんと大きくなってるよ)」
第二章、アーテローヤル編はこれにて終了です。
予定としては第六章までのお話になっておりますが、それは今後の文章量で決定していきます。
三章の構成を考えるためにしばらく唸っておりますので、これを機に、前作第一部の方もよろしくお願いします。




