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泣かない魔女の絢爛な葬送  作者: 模範的市民
二章:純白の存在証明とマキアヴェリズム
51/76

51.Sisters that True Emotions

◇  ◇  ◇


「……」


 私は彷徨うように旅を続けていました。

 感情の赴くままに人を殺すことも飽きてしまい、「海を見に行こうか」というほんの気まぐれで立ち寄ったのが、ウエストエンドと呼ばれるこの場所だったのです。


 鼻をつく饐えた臭い。何かに期待することも忘れてしまったような目をした人々。立ち歩くのも困難なほど塵に覆われた大地。

 人間の評判では、隣街のアーテローヤルは白く美しい街並みと海の景色が絶賛されてましたが、たった一つ見えない境界線を跨ぐだけで、世界とはここまで表情を変えてしまうのかと、呆れてしまうほどの景色が広がっていました。


「(……人間は愚劣ですね。私たち魔獣なんかよりずっと複雑な不条理に侵されている)」


 小さな群れを無数に作り、強者として振る舞うことを忌避しながら、そのくせ自分と違うものを理解しようとしない。

 「ある程度の弱者」という立場を貫こうとしているくせに、自分よりも弱い誰かを攻撃する理由を血眼になって探し、彼らに石を投げることで自分たちが幸福であると信じていたいだけの、矛盾だらけの下等生物です。


 こんな場所、さっさと抜けてアーテローヤルとやらに行ってしまおうと、私は足早に歩みを進めました。


 するとその途中、傷を負い、倒れている者が居ました。

 女性です。片目と両脚に深い切創があり、助かりたければ今すぐにでも止血が必要な状態でしたが、周囲の人間たちは私を警戒するだけで、彼女のことを誰も気に留めていない様子でした。


「……哀れですね」


 思いがけず口をついて出た言葉でした。

 声を掛けてしまったのは、おそらく、彼女に対してこの場所に似つかわしくないものを感じ取ったからでしょう。


 彼女は後悔しているようでした。

 此処の人間の多くは後悔などせず、いざその時になれば死ぬことすら簡単に受け入れてしまうほどに脆いと思っていたですが、その女性は例外だったのです。


 私はその姿の背後に、何者とも取れない面影を感じました。


 偶にこういう幻覚を見ることがあります。


 普段はこの規則性の見えない走馬灯のような夢のことを無視していたのですが、何もかもが退屈に感じていたのでしょう。長い時間を生きた者にしか分からない、病的な退屈です。

 そのせいで、今日の私は少しばかり正常さを欠いていました。その幻覚に、少し向き合ってみようと思ってしまったのです。


 腐りかけの食べ物を両手に抱えながら、塵の山にもたれかかるように倒れていたその女性は、私に唐突に話しかけられたことに驚いたかのように、うっすらと隻眼になってしまった瞳を見開きました。


「貴女はもうすぐ死ぬのですね」

「……ええ。何度も見てきましたから……分かります」


 その驚愕も束の間。彼女は「助けてくれ」などという懇願はせず、ただ呟くように、ありのままの現状を語りました。

 助けを求めることが無駄だと理解しているようでした。


「その傷は……手に持っている、そろそろ虫の湧きそうな食べ物を守る為ですか?」

「……本街の方で盗んできたのですが、運悪く見つかってしまいまして」

「半銅貨一枚ほどの価値もないそんなものの為に死ぬなんて、下らない」

「ええ、確かに……ですが、これは子供たちに必要なものなのです。腐りかけの食べ物ではなく、子供たちの為に、私は死んでしまうのです」


 その言葉を聞いた途端、私の幻覚はますますハッキリとした形を持ち始めました。

 生傷だらけの彼女の顔が、記憶の根幹にある誰かのそれと重なります。


「ああ……ザイン、ヘット……こんなお母さんを、許して下さい……ごめんなさい……生かしてしまって、ごめんなさい……」

「……そうですか。貴女は、母親なのですね」


 「母親」

 そう呟いた時、私は幻影を見ていた時の共通項に気付いてしまいました。私がそれを目にした時、多くの場合――例外もありますが――そこには「母親」という肩書きを持つ者が居ました。


 その共通項を見出すまでは単なる点の集合のようだった幻影が、気が付けば私のイメージの中に等高線のように連綿と繋がり始め、外殻を帯びました。


 私はとうとう、幻影の正体を把握したのです。

 同時に、幻影の中の「誰か」はようやく私の存在に気付いたかのように、私と「アイコンタクト」を成しました。


 それは退屈凌ぎのつもりで手を出した出来事が、未知で未曾有の経験へと変貌した瞬間でした。何十年も無かった胸の高鳴りが、蘇ったような気分でした。


 ――理解しなくては。


 私が幻覚に見る者の正体は、おそらく「母親」です。

 しかし、そのような事はあり得ない。


 私は魔獣です。

 この姿のまま突如として発生したはずの、永劫の輪廻に囚われた生物であるはずです。少なくとも私は、胸の奥で沸き立つ人類への敵意と同様に、その事実に確信を持っています。


 魔獣に継承はありません。

 親などというモノは存在せず、ただ個体として生き続け、気まぐれな殺意に任せて人間たちを殺すだけです。


 だとしたら……この「母親」だと思い込んでいる者は、いったい誰なのでしょうか。或いは本当にただの夢で、永らく生きるごとに風化していく記憶と、病的な退屈が、これを見せているだけなのでしょうか。


 しかしその夢が「私に何かを取り戻させた」という感覚は、現在味わっているように確かなものです。


 お願いです。誰でも良い。

 私でも理解ができるよう、教えてください。


 私たち魔獣は何の為に生まれて来たのですか?

 あるはずのない母親の記憶の意味は何ですか?

 私に救いはあるのですか?


 ……助けて。




 ――気付けば、私は事切れたその人を前に、呆然と立ち尽くしていました。

 彼女の死に目はよく覚えていません。ただ、その死体はひどく後悔しているような表情で転がっていました。


 私の手には、いつの間にか彼女が抱えていた腐りかけの食糧がありました。私に食事は不要です。なのできっと、これは私が欲しがったものではありません。


 ただ、唯一……この人間(ははおや)のことは、憎らしくありませんでした。そして、母親としての生き方が、私に影を落としたのが分かりました。


「(居ないはずの私の御母様。貴女の生き様も、こうなのですか? 母親とは、最後まで我が子のことを想い、悔やみ、死ぬのですか? ……分からない。理解できません。私もこのように生きてみることが出来たなら、幻影の貴女の気持ちを、少しでも理解することができるのでしょうか?)」


 ザインとヘット。彼女が最期に呟いたその名前を頼りに、私はその家を探し当て、まだ言葉もあやふやな幼い2人に、食糧を届けました。


 他の者と同じように、瞳に輝きのない彼らが、味など感じていないような様子でそれを夢中で頬張っている様子を見て――ずくんと、心臓の更に奥の方が痛んだ気がしました。


 私はこの瞬間、自分の魂が、母という幻影に縛り付けられてしまったのです。


◇  ◇  ◇


 私の力は最高位の防御性能を持っています。しかし一度そのヴェールを剥いでしまえば、「人間型」らしく脆弱です。

 刃物でも、銃でも、鈍器でも傷付いてしまう、壊れやすい身体。

 それが魔法を直接食らってしまえば、どうなるかは火を見るよりも明らかでした。


「っ……」


 炎の矢が私の胸元に深々と突き刺さっていました。もはや細菌の魔力を維持することも出来ませんでした。


 灼かれているせいか出血は少ないですが、この位置は肺が近い。

 インヘル様の再生能力が羨ましいです。私の特異体質は「身体機能の拡張」という便利なのものなのですが、回復の魔術は使えないため、こういう傷は手の施しようがありません。


 幸いなのは、ヘットに命中しなかったことでしょうか。


 人間なんて取るに足らない存在だと思っていたのに、そんな私が、まさか1人の小娘なんかを庇って、致命傷を負うなんて。


「えっ……? 血……い、いやッ……! お母さん……!」


「ああ畜生、仕留め損なった。魔獣の子供……化け物の子供……」


 マズい……ですね。膝から下が無くなってしまったかのように、身体が言うことを聞いてくれません。ヘットを……守れないじゃないですか。


「待てッ!」

「邪魔……狩人……お前は……すぐにこの手を離すべき……! リーダーを……テミスを……ラウラを……皆を殺した奴の子供! 怪物に決まってる!」

「早まんな! 片方は普通の人間だ!」

「それは殺さなきゃ分からない! だから今殺す!!」

「ッ……ああクソ……恨むんじゃねぇぞッ!」


 視界の奥で捉えたのは、インヘル様が騎士団の方の首元を叩きつけて昏倒させている様子でした。


 倒れる私に縋り付くのはヘットでした。この子は私の異形の手を握りながら、泣きベソをかいていました。

 女の子がそんな顔、するものじゃありませんよ。貴女には、笑顔が一番似合うのですから。そう言おうとして口を開きましたが、灼かれた肺から出てきたのは、掠れたような咳だけでした。


 体に空いた風穴から、私にとって大事なものが次々と溢れ出して行くのが分かります。それは血液であり、体温であり、魔力であり、命でした。

 私はもうすぐ死ぬのです。あの時、ザインとヘットの本当の母親も味わっていたであろう「自分の死期を悟る感覚」とは、これだったのですね。成程、理解できました。


「インヘルお姉、ちゃん……お願い……お母さんを助けて……あのね……血が出てるの……お母さんが死んじゃうよお……!」


 私がヘットに視線を向けているうちに、どうやらインヘル様が近付いて来ていたようです。ヘットは泣きじゃくりながら、彼女のローブの裾を力任せに引っ張っていました。


 インヘル様は私の傷口を確認すると、歯を食いしばりました。

 彼女は息を切らしていましたが、その息切れは疲労だけではなく、何か他の感情を孕んでいるようにも見えました。


「ヘット……お前からしてみれば、突然何が起きたのか分からねェと思うけどよ……コイツはビナーの……お前の、お袋の姿を真似した魔獣で――」

「違う! お母さんだもん! 私を守ってくれたもん! インヘルお姉ちゃん……何で嘘つくの……!?」


 やれやれ……子供騙しにすらならない嘘ですね。

 インヘル様はやはり本当に不器用な方です。嘘をつくのがこんなに下手だなんて、さぞ生きづらいでしょう。どれ、少し手伝ってあげましょうか。


「その人の……言う通りですよ……」


 私は、努めて誰かに恨まれる悪役のように、残虐に微笑む演技をしました。すると、私の手を掴んでいたヘットの肩が跳ねました。


「貴女のお母さんは……私が、食べてしまいました。ああ……私に無力にも食べられる時の、彼女の顔は……とても滑稽で……ふふ……あははっ……!」

「ひ……ッ……!」


 そこまで言って、ようやくヘットの手は私から離れました。演技とは、こうするのですよインヘル様。せっかく私が教えて差し上げているのですから……そんな風に辛気臭い顔をしないで下さいよ。


「……分かっただろヘット。頼むから……今は逃げてくれ」

「違う……嘘だもん……それじゃあ、お母さんは……」

「……すまない」


 それで良いのです。

 私がまだ生きていると期待させるよりも、もう戻らないという現実だけは、伝えなくてはいけません。その代わり、私という「怪物」はヘットに恨まれる事になりますが。


「っ……う……ひっく……わああああん! 返してッよぉっ……お母さんを返して!!」


 私は最後の力を振り絞って、6本の脚で身体を支えるように立ち上がりました。そしてゆっくりと、腕をヘットの方に伸ばします。

 私の意図を察してくれたのか、インヘル様が割り込むようにして私の前へと立ちはだかりました。


「……離れろヘット」

「ひぐッ……大っ嫌い……魔獣なんか、皆死んじゃえばいいのに!!」


 あの子から聞いたことも無いような甲高い絶叫を一身に受けながら、全速力で駆け出す小さな背中が見えなくなるまで眺めると、いよいよ立つことも座ることも出来なくなり、私はすぐに仰向けに倒れ込みました。

 呼吸をするのにも激痛が伴う私の命は、もはや風前の灯火でした。


「本当に、これで良かったのか?」

「……ええ」


 私を見下ろしながらそう尋ねたインヘル様は、虚ろな表情のまま私の傍らに腰を下ろします。彼女の目線は、決して私を意識して捉えようとはしていませんでした。それは中空を眺めるようでした。

 私は、返答を絞り出すのがやっとでした。


「結局、お前は何がしたかったんだ」

「……人間への、殺意が……何処から、来るのかを……知りたかった……だけです」

「だったら……何で母親の真似事なんてしていたんだ」

「……分かりません。居たのかも分からない母親の夢を、ずっと見ていたせいなのかもしれません……それならば、インヘル様……貴女も、きっと……その夢に囚われています。貴女がラストラリーと出会ったのは……偶然、などという単純な、もの……では、ありません」


 おそらくは因縁。或いは宿命なのでしょう。

 それはあまりにも不確定で、「理解」から最も遠い要素だと思っていましたが……今となってはその言葉以上に当てはまるモノもありません。


「……そういえばお前、ラストラリーと同じ姿をした奴と出会って、そいつを恐れたと言ったな。そいつは一体誰だ?」


 私は冷静さの仮面を被っているかのような、インヘル様の顔を覗きました。本当は聞きたいことが無数にあるのでしょうが、それを押し殺し、重要な部分だけを選んで尋ねている様子でした。

 ……殺し合った仲ですが、インヘル様のことは嫌いではありません。何せ初めて出会った「似た者同士」なのですから。私たちが人間であれば、きっと良い友人になれたでしょう。


 しかし私は魔獣で、貴女とラストラリーは得体の知れない生物で、それ以外は人間で、結局この違いだけが、唯一にして決定的な、私たちが殺し合った理由だったのでしょう。


 そんな「似た者」に対する最後の敬意として、私は忌々しい名前を口に出すことを決意しました。


「この国には……人と同じ姿をした魔獣が、私の他に10体居ます。『逢魔』……数千年間、英傑たちによって封じ込められていた、最古の魔獣です」

「……それで?」

「彼女の名は……『ジュピター・エル・エンドリナ』」

「それが……記憶を失う前のラストラリーだと?」

「少なくとも……見た目や、魔獣を滅する力は瓜二つです。それ以外に共通点は……全くありませんが」


 そこまで言い切ったところで、私は喉に込み上げる鉄の味を吐き出しました。インヘル様も、私のその様子からもう殆ど時間がないことを理解したのか、何かに憤るような表情を浮かべていました。


「……ビナー」

「ケホッ……何、でしょう……か……?」

「お前には赤い血が流れてるんだな」

「……」

「涙も……流せるんだな」

「……え?」


 既に皮膚には殆どの感覚が無かったせいで気付きませんでしたが、どうやら私は、涙を流しているようでした。視界が霞んでいるのは、致命傷のせいだけではなかったようです。


「お前が羨ましいよ。例え人間じゃなくてもな」

「……馬鹿げたことを……言いますね。私の理性は……本能に屈したのです……屋敷の従者、領主様、魔女、騎士の方々……大勢を殺しました……人間への殺意を……克服することは……叶わなかった」

「だけどお前は泣いてるじゃねェか。後悔してるんだろ?」


 だとしたら魔獣とは、何と救われない生き物でしょう。

 強制された殺意を植え付けられておきながら、その行いを後悔することが出来てしまうなど、人間よりも遥かに不条理で、矛盾しています。


 それに気付いたとき、私は言葉に直せないほどの後悔と、救いのない運命に対する絶望に、頭の中を支配されました。


 私にとって子育てとはただの遊戯。食事も着替えも寝かし付けるのも、全部が遊戯の中で起きるイベント。子供とは好きな名前を付けられて、親の理想に仕立て上げられるだけの、可哀想な実験動物。

 私がやったことは、所詮私の幻覚の中にあった、母親の真似事。それで愛情など、微塵も感じる訳がない。


 ――そう思っていました。


 しかし、今ならば理解できます。

 私はあの子たちを愛してしまった。


 あの子たちの為ならば、どんなに尽くしても足りないほどでした。それが出来なくなることが……負けて死ぬことよりも悔しい。

 2人の本当の母親が、今際の際にあれほど後悔していたのは、きっとそういう理由があったのでしょう。


「それなら……私は、どうすれば良かったのですか……どうしてこんなに……悔しくなくてはいけないのですか……! 誰が私たちに、不条理と矛盾を強いたのですか……!? 私は誰にも赦されない……誰も私を助けてなどくれない……! どうしてッ……」


 身を委ねるにも、抗うにも、私たち魔獣に備わった本能は残酷です。


 本当は誰も殺したくなんてなかった。奪いたくなんてなかった。子供たちをずっと愛していたかった。2人を愛する気持ちに後ろめたさを感じたくなんてなかった。嘘をついて、ヘットに恨まれるようなことなんてしたくなかった。


 それでも私の本音は、本能によって風化させられて……誰も私の叫びを認めてなどくれません。


 私は気付きました。

 同時にインヘル様も、私の叫びを感じ取ったかのように、最後に私の方に視線を向け、呟くように語りかけました。


「お前本当は……人間と、分かり合いたかったのか」


 私は肯定しませんでした。

 ただ、とめどなく溢れる自分の涙を隠すように、自分の後悔を隠すように、片腕を顔に当てながら、嗚咽を噛み殺しました。


「――私はお前を赦すよ。世界中の誰もがお前を赦さなくても、少なくとも、私だけはお前を弔ってやる。『葬儀屋』だからな」


 ……そんなの、ズルいじゃないですか。

 憧れてしまうじゃないですか。


 私は貴女のことを、同じ魔獣だから似ているのだと思っていました。しかし貴女は……魔獣にしてはあまりにも人間臭い。

 不思議な方です。貴女は一体、何者なのでしょうか。


「お前は働き過ぎだ。……もう休んでも良いと思うぜ」


 私は、死ぬことは怖いものだと考えていました。

 しかしインヘル様に看取られるのなら……きっと救われる部分もあるのでしょう。


「……ザイン……ヘット……ごめん、なさい……また貴方たちを……孤独にして……し、まう……」


 ………………

 …………

 ……

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