43.Encroach Like a Dead Sea
「はぐ……もぐ……もぐ……」
「(ほー、成程。確かに儀式的ですね。とすると、これは単体で成立する儀式型の魔法? それにしては魔力の気配を感じないですが……まさか普通に消化してる!? 体の構造とかどうなってるんですかね〜)」
領主邸の裏庭で、ハートショットはまじまじとラストラリーの心臓処理を見つめていた。青紫色の肉塊を口に運ぶ少女はその状況に少しやりづらさを感じながらも、いつものように食事量よりも遥かに量が多いであろう心臓を平らげる。
しかしその後、ラストラリーは怪訝そうな顔しながら、魔獣の血液がべったりと付着した口元を尖らせた。その異変はインヘルも気付いたようで、少女同様に訝しんだ表情を浮かべる。
「……ラストラリー。お前、今日は涙が出ないのか?」
「う、うん……何だろう。今日の味、ちょっと違う……いつもみたいに、どうしても泣きたいような、悲しい感じじゃない……これは……」
少女が自分の胸元に両手を置くと、その奥深くにある「何か」を感じ取ろうとしているかのように、目を閉じた。
全身にじわじわと広がったのは、いつも感じる悲しさではなく、もっと別の……別の……
カチ
それは一瞬だった。しかし確実に、聞いてはいけない類の音だった。
カチカチカチ
刹那、その感情に気が付いてしまった少女は目を見開き、過呼吸にも似た症状を見せた。溢れ出る冷や汗が止められない。意にそぐわず、体が震える。それはまさに「悪意」の眼前に曝された、か弱き少女の姿のようだった。
ラストラリーの奥歯が鳴っている。さっき聞いた音はこれだ。
未感覚のものだと思っていたそれは、誰にでも備わっているはずの「恐怖に駆られる」という情動そのもの。蛇に睨まれていた蛙が、ようやく蛇の存在に気付いた時のそれと同じだった。
「うおっ! ら、ラストラリーちゃん!? やっぱお腹壊しました!?」
「お、オイ……! どうした? 大丈夫か!」
「ッ……く……ぅっ……」
「インヘル先輩、いつもこんな感じなんですか!?」
「馬鹿言うな……私だってこんなのは初めて見る……!」
震えを飲み込むように唇を強く噛んだラストラリーは、身体を縮こませ、悲鳴を上げたい衝動だけを何とか堪えていた。
戦慄。その言葉が相応しい。
「この……子……怖、がって……た……」
「『この子』……あの蜘蛛の魔獣か?」
「……『ぜったいに、さからっては……いけない』『ころされる』……!」
「ひ、人呼んできます!」
まるであの魔獣が肉片となる以前の言葉をそのまま代弁しているかのようだった。インヘルは、恐怖を表す言葉をブツブツと呟きながら蹲る少女の横顔を覗き込み、そっと肩に手を乗せる。
ハートショットは初見ながら少女のその尋常ではない様子を見て、助けを求めるために駆け出した。
その恐怖の源泉に、インヘルは僅かばかりの心当たりがあった。
それはクラメルとの会話で存在が示唆されていた程度の、ほんの小さな引っ掛かりだ。
――何かに怯えてるように見えたんだよ。生き物には危機を感じた時にそれなりの反応ってモノがある。叫んだり、無我夢中で暴れたり……虫とかになると死んだフリをするとかね。
あの蜘蛛の魔獣をも容易く脅かす、上位的な「何か」の存在。
ほんのりと胸に影を落とした疑念が、ここに来て更に信憑性を増し、輪郭すらも帯び始めた。
まだ戦わなければいけない相手が、この街にいるのかもしれない……インヘルはぞわぞわとした胸騒ぎを覚える。
「『いやだ』……『みすてないで』……」
ラストラリーの放ったそんな台詞は、あくまでも魔獣が感じていたであろうことの代弁。しかしインヘルはそれを聞いた瞬間、何故かそうすべきな気がして、少女の肩に置いていた手でその体をきゅっと抱き寄せた。
繰り返すようだが、これはインヘルに向けられた言葉ではない。しかし、もしもそれが母親失格の彼女に対するラストラリーの内なる心情だとしたら、そんな心持ちになった。
それは唐突に降って湧いた、自分でも抑えの利かない感触だった。
「……!」
「落ち着け。悪ィ……私まで取り乱しちまったら、そりゃお前は震えるしかないよな。大丈夫だ……大丈夫」
「ママ……」
インヘルは少女を片手で抱き寄せながら、言い聞かせるようにそう言った後、その頭を優しく撫でた。それに応えるように、強張ったラストラリーの身体からは震えが引いていき、不安定な呼吸も少しずつ落ち着き始める。
「私がどんな敵もブッ倒してやる。安心しろ。お前は誰にも傷付けさせねぇから……な? 怖くねぇだろ?」
「ッ……ふぅ……っ……はぁっ……はぁっ……」
領主邸の灯りが不安定に明滅する。
その灯りで一瞬浮かび上がったインヘルの表情は、誰が見ても慈愛に満ちていて、それでいて母親らしかった。
少女は回された腕の裾をきゅっと握りながら、大きく深呼吸する。
「すぅ……はぁ……う、うん……もう大丈夫。ありがとう、ママ」
「……おうよ」
少女の身の震えと怖気が止まったところで、インヘルは自分自身がそんな事をした理由もあまり分かっていないような表情を見せた。しかし自分の頭がおかしくなったのかと疑うようなことはなかった。咄嗟に出た行動こそ、まさに自分を映す鏡なのだろう。
ようやく自分がインヘルに抱き寄せられているという所に意識が向いたラストラリーは、一瞬驚いたような顔をしたが、体温を感じない彼女の肌から言いようのない暖かさを感じ、今度は弱々しくその腕をきゅっと掴みながら、「えへへ」と照れくさそうに、それでいて嬉しそうに微笑んでいた。
少女が暫くその抱擁を味わっていると、表の庭で掃除をしていた女中を連れたハートショットが大慌てで裏庭まで駆け込んでくる。
「あ」
「たたたたた大変なんですよ! とにかく子供、子供が………………あれ? な、なんか大丈夫……そう、です、ね……? 失礼しましたぁ〜……」
ひょっこりと顔を覗かせたハートショットは僅かな時間で現状を噛み砕いて理解すると、まるで見てはいけない情事を垣間見てしまったような気持ちになり、咄嗟に顔を引っ込める。
インヘルは俊敏な動きでラストラリーから離れると、自分のしていた事に対してようやく恥ずかしさを感じたのか、複雑な表情を浮かべながら口元に手を当てる。
「……狩人様。問題が無いようでしたら、私掃除を任されていましたので、失礼致します」
「は、はい、すみません! ……あ、そうです! 服が汚れてしまったので、洗濯用具を用意していただければ……」
「はぁ〜……分かりました。伝達します」
建物の影でハートショットと、無駄足のために呼び付けられた女中の一人がゴタゴタした会話を済ませているうちに、ラストラリーは服についた砂埃をぽんと払い立ち上がると、インヘルに向けて、ふにゃっとした笑顔を向ける。いつも通りの様子に戻ったようだ。
「あの〜、もう良いですか? 終わりました?」
「……ああ。もう大丈夫みたいだ」
再び顔を覗かせたハートショットは御婦人が噂話をする時のようにホホホとにやけている。
「いやぁ、あのメイドさんには申し訳ないことをしました! こんな裏庭で盗みでも企ててると思われちゃいましたかね? やっぱビナーさんじゃないと印象悪そうでしたよ!」
彼女はそんな報告内容にも関わらず、声に活気があるように見える。
「……何でお前はそんな元気いっぱいになってんだ」
「何でって、嬉しいんですよ〜! ああ……遂にインヘル先輩にも親としての自覚が……」
ハートショットは胸の前で両手を組み、神への祈りのような芝居じみた態度を見せると、対するインヘルは言葉を濁らせ、彼女と目も合わせずに口を開く。
「……今すぐ記憶消せ。そういう便利なスクロール持ってんだろ」
「持ってたとしても使いませ〜ん! ぷぷぷ……悩ましそうですねぇ? 私がギュッとしてあげましょうか? んん?」
語気の強さはいつものインヘルの荒々しいそれであったが、あんな光景を目にしてしまえばいまいち迫力に欠ける。しかし基本的に冗談の通じない彼女を揶揄い過ぎるのも考えものだ。
インヘルは震える呼吸をゆっくりと吐き出し歩き出すと、ハートショットの隣を横切った瞬間、目にも止まらぬ速度で頭頂部に拳骨を繰り出した。
「あびゃァッ!?」
人体を叩いたとは思えないほどの音と同時に身体は激しく軋み、ハートショットの膝から下は何かの冗談のように地面に飲み込まれるようにして食い込む。
「水浴び行くぞラストラリー」
青筋を浮かべるインヘルは、足を不機嫌に踏み鳴らしながらその場を後にした。残されたラストラリーは、膝下がガッツリと地面に埋まっているハートショットに心配そうに微笑みながら、「大丈夫?」と声を掛けた。
「こ、これが……怪我人に対する態度、です……か……」
「ハーティさん。死んじゃ駄目だよ」
「ラストラリーちゃん……どうやら、私はここまでのようです……最期に、この、スクロールを……」
ハートショットは天を仰ぎながら異空間魔法から一枚の単純な魔法陣が描かれたスクロールを取り出すと、それをラストラリーに手渡した。
「……これは?」
「火属性魔法の、スクロールです……温風が出ます……体とか、髪とか、服とかを……乾かすのに……便……利……ガクッ」
「は、ハーティさぁぁぁぁん!!」
ハートショットは燃え尽きた。真っ白な灰に。
それにしても間抜けな姿勢である。膝から下が全て地面にめり込んでいるので倒れることも出来ず、骨組みが壊れた案山子のようだ。
冗談の通じない奴に冗談を言ってしまった罰にしては重過ぎる気もするが、ラストラリーはそのスクロールを握り締めると、ぺこりと頭を下げてインヘルの背中を追って行った。
◆ ◆ ◆
「……よう。さっきぶりだな、魔女さんよ」
「ん? ああ葬儀屋。キミが来たって事は……身柄の引き渡しかな」
「ご明察。街に騎士団が到着した。手前の顔も見納めだ」
「魔女の処断は終身刑以上。ま、ボクがやらかした規模で言えば死刑は免れない……ギロチンは苦しくないって聞くけど、そんなの信じられないよねぇ。誰も死んだことなんて無いんだからさ」
と口にしたところで、クラメルはインヘルの目を見た。彼女は首を落とされてもすぐさま生え変わる超再生を持っていることを思い出したのだ。
「そういえばキミは不死身だったね。首落とされるってどんな感じなの?」
「そうだな……ま、刃が落ちたらクシャミしてみろ。何も感じねぇぞ」
「参考になるなあ」
クラメルは何も参考にしていないかのように棒読みで答える。
しかし、インヘルはこんな雑談をする為に見張りに頼んで倉庫に入れてもらった訳では無い。それはクラメルも承知していたようで、無駄話のあと一息ついてから、すぐに本題へと移る。
「……領主はウエストエンドの連中を見下してる訳じゃなかったぜ」
「……うん。そうか。まあ何となく、そんな気はしていたよ」
まるで想定内だったかのように呟くクラメルだが、その内心は穏やかではないはずだ。彼女が信じていたのは……信じさせられていたのは、領主ゼビオの「建前」の部分だったのだ。
誰かの虚構を見抜くことも出来ず、我を忘れ、多くの人間を殺めた。「他人のことなど理解している」という傲慢のもとに生まれた盛大な誤解は、同時に彼女の復讐の意味を奪い去った。
少し冷静になっていれば――というのは欺瞞である。
復讐に駆られた者の心は、復讐に身を焦がした者にしか分からない。勝者は無く、互いを否定し合い、最後には虚無感だけが独り歩きする。その過程に「冷静さ」などは存在しない。胸に搭載した邪悪な燃料が尽きるまで走り続けてしまうのが復讐の本質だからだ。
「ウエストエンドを虐げる理由は聞けなかったが……領主は自分の代でそれを終わりにしようとしているように感じた。手前が大人しく老衰でくたばっていたら、その頃にはこの街も変わってただろうぜ」
「……僕のやっていた事は、ただの骨折り損か。いや、むしろ逆効果だったのかもしれないね」
「……悔しいか?」
インヘルに悪意はない。ただ「隠しておいた方がいい事」というのを基本的に信用していないだけである。これは彼女自身の出生に関わることが巧妙に隠されていることに起因する。
隠しておいていい事など無い。それで残るのはいつだって後悔だけだ。もしそれを隠し通せたとしても、秘密を作った側は、棘として一生食い込み続けるその小さな罪悪と戦っていかねばならない。「隠し通せてしまった」「何かの拍子に明らかになってしまったらどうしよう」……隠し事とは成功しても失敗しても悪循環になる。
それを背負うという僅かばかりの勇気は、まだインヘルに備わっていない。
優しい嘘すら吐いてもらえなかったクラメルは、「悔しいか」と尋ねる彼女から目を逸らした。悔しいに決まっている。だが、それこそが現実なのだ。自分一人の意志で変わる都合のいい代物じゃあない。
数多の艱難辛苦と修羅場を踏み越えてきたクラメルは……最後に笑った。さながら、喜劇でも鑑賞したかのように。
「っはははは! そうか、そうか……僕は皮肉にも『道化』のままだった訳か」
道化師たちを離れ、一人の人間としてやるべき事をやっていたつもりだったが、自身が選んだ「道化」という宿命は、どこまでも付き纏うらしい。
これまでネガティブな微笑みを浮かべるだけだった彼女の、その笑顔は、悔しさの苦味と全てを享受した酸味に塗れた、まさに本物だった。
「安心は無い。しかも悔しい。だけど……もういいかな。水底に深く潜るのも、ここまでだ」
憑き物が落ちた、と表現するのが適しているだろう。
深海のような瞳にもはや憎悪の仄暗い輝きは無く、それは彼女の一世一代の喜劇が終結したことを意味していた。
そんな幕引きのタイミングで、丁度よく倉庫の扉が叩かれる。それは合図だった。
「……騎士団のご到着だ。じゃあな魔女。救われたいなら精々反省しな」
「ああ。地獄でキミに会わないことを期待してるよ」
外の黄昏には、薄暗い雲がゆっくりと這い回っていた。
ブックマーク、評価、感想など頂ければ執筆の励みになります。もし良ければ前作である第一部も併せてお読みください。1日あれば最終話まで読み切れます。
もちろん第二部だけでも問題なく読めますが、前作からの繋がりもありますので、順序通り読んで頂ければリップサービスを味わえると思います。




