42. The Pandemonium is Coming
「い、息が詰まりました……私の身にもなって下さいよ先輩! ってか、連盟に変な圧力とか報復とか仕掛けられたらどうするんですか!」
「楼員に押し付けときゃ良いだろ。あの連中だって爵位やら特権やらは無いが、貴族並の影響力があるしな。連盟の屋台骨そのものが揺らぐなんざ中々無ェよ」
「す、すごい迫力だったね、あの人……」
「それは……確かに。まさかインヘル先輩を黙らせるとは思いませんでした。人の上に立つ才気というか、覇気というか……その分、私たちには到底理解できないような悩みも多そうでしたけど」
分かってはいたことだが、幾ら戦いの才能があるとはいえ、インヘルたちのような一介の人間ではどうにもならない事というのは存在する。
彼女たちは人の上に立つような人物ではない、ただの鉄砲玉だ。役に立つ時はあるが、また別の状況では微塵も力を発揮出来ない「指先」のような役割を果たす者。
インヘルはその現状を、まざまざと見せ付けられたような心持ちだった。チープな正義感にどれほどの代償が伴うのかを理解していたはずなのに、いつの間にか自分もそれに酔っ払いそうになっていた。中々どうしてままならないものだ。
彼女は「クラメルにどう説明したものか」と、面倒ごとを安請け合いしてしまった事に若干後悔しながら、同時にゼビオの言葉の中から、ウエストエンドの生まれた理由について考えていた。
数百年続いた血族の否定……ウエストエンドを受け入れることがそれに繋がるという言葉に引っ掛かりを覚えていた彼女が、懸命に自らを納得させようと唸っていると、ある不合理な事実に気付き、ハッとする。
「あの領主、子供居たか?」
「え? どうしたんですか突然。まあ、居ないんじゃないですかね。何日も滞在してますが見かけてませんし、子供が使っていそうな部屋も無いですし」
「……だよな」
辿り着いたのはウエストエンドが生まれた理由ではなく、ゼビオがまさにその「血筋」を自らの代で断ち切ろうとしている可能性だった。
彼が引退した後、この街を治める後継者は必要だ。しかし現在彼は齢五十付近であり、貴族としてそろそろ現役では居られなくなるだろう。
「(あの野郎、まさか……)」
「それがどうかしたんですか?」
「いや……何でもない。それより、ゴタゴタで魔獣の心臓をまだ処理してなかった」
「あっ……そ、そうだったね」
「うげぇ。ラストラリーちゃん、あんなの食べたらお腹壊しますよ?」
ウエストエンドを存続させ続けながら拒まなくてはならないという宿命が、テスタノーム家に巣喰い続ける呪りのようなものだとしたら――
「ところでビナー。養女の件はどうなってる?」
「はい。エディンバーグ男爵家から一名候補が。女中との間に出来た娘だそうでなかなか扱いが難しいらしく、変わらずやはり厄介払いをしたい口ぶりでしたね」
「だがあの娘は利発だ。私を相手にしても物怖じせず、凛々しい姿には逞しさを覚えた……よし、それで方向性を固めておいてくれ」
「領主様……はい。承りました」
「潮時だな。あの娘の教育を終えたら、私は第一線から身を引く。私に出来ることは……血の呪いを後世に残さないことだけだ。ウエストエンドはテスタノームの枷から外れる。あとは彼女が、どんな道を進むかに賭けるだけさ」
数百年続く痛みを受け入れるには、ただ一人の、ただ一瞬の覚悟だけでは到底足り得ない。これはゼビオという男が、己が幸福を顧みず、ただひたすらに婚姻を拒み続け、誰かの恨み言を一身に受けながら、生の限りを尽くしてようやく完成する覚悟の上で、ようやくスタートラインに立てるほど強い呪いだった。
そして数十年という歳月をかけ、漸く実ったのだ。彼が幼い頃にひとつ決めた、最も単純で、最も難しい解決策が。
ほんの小さい一歩である。それも誰かに押し付けるような形でしか糸口の見えないような、雁字搦めの運命からほつれを一つ見つけたような、その程度の序章でしかない。
だが、ゼビオは確信している。やがてウエストエンドはアーテローヤルに認められることを。自らの一族の罪で誹りを受けていたあの街の住民たちが、大手を振って白い街の日の下を歩ける日が来ることを。
「とは言ったものの、お前には休暇を与えたからな。また後日で構わん。子供たちはどうした? 暫く会えてないだろう? 暫くは家族で過ごせ。ウエストエンドの子供たちのことを隠す必要も、負い目を感じる必要もない」
「……気付いて、おられたのですね」
「当たり前だ。何も考えず与えた待遇だと思っていたのか。いくら借りた人材だろうと、住み込みではない女中の勤務など普通は許さん」
「……なるほど」
「家族との時間は大切だ。私は孤独を選んだ身ゆえ、それが出来ないが……一生の覚悟が揺らぐほど、羨ましくなったこともある。お前風に言えば、その気持ちは痛いほど……理解できるものだ」
「とても嬉しい申し出ですが……では、今夜にでも帰宅させて頂きます。それまでは晩餐の準備のお手伝いをお許し下さい」
「全く……呆れた仕事好き――」
ゼビオは自分が仕事をしっぱなしなのを棚に上げて大袈裟にため息を吐くと、ビナーの顔を見た。
彼女の表情は真顔だった。しかし、同時にそこから何か異質さを感じた。自分の言葉が適切でなかったのか……そんな考えを巡らしてしまうほどに、ゼビオはビナーの表情に怖気を覚えたのだ。
彼女はいつも半月に細めている瞳を、今は大きく開いていた。
刹那、部屋には衣擦れの音すら目立つような静寂が訪れる。
「仕事ではありませんよ、領主様」
「……どうした? 私の言葉がどこか癇に障ったのなら申し訳ないが……」
「いえ、何も。普段通りですよ。私は私のままです」
「……貴様は誰だ」
不意にゼビオから漏れ出たのはそんな言葉だった。答えなどハナから分かりきっているはずの質問だが、そう尋ねずにはいられなかった。
それほどまでにビナーの纏う雰囲気は異様で、彼女を知っている人物であれば別人に錯覚してしまうほど、鳥肌の立ちそうな瞳だった。
「『そろそろ隠す必要が無くなった』と思いまして。ああ……インヘル様たちにはまだお帰り頂きません。仕事も本日付で辞めにします。お世話になりました」
ゼビオは自分の頬に凍えるほど冷たい汗が伝うのが分かった。「自分はいったい何と対話しているんだ?」……そんな疑問ばかりが頭を駆け回り、指の一本も動かない。
「私はきっと、彼女たちがこの街に来るのを待っていたのです。魔獣を利用してウエストエンドとアーテローヤルの狂騒を演出したのは退屈凌ぎのようなものでしたが……それが功を奏して、インヘル様たちがやって来てくれたのは素晴らしい誤算でした」
「な……何を……」
「私は、闘争とは元来、憎しみ合いの果てに産まれるのだと考えていました。しかし魔女と領主様のように、信念のぶつかり合いで起こることもある……その点で言えば、この騒動そのものはハズレでしたね。私が期待していたのは、憎み合う者同士の凄惨な闘争だったのですが」
「突然……何の事を、言っているんだ……ビナー……?」
弓を張りつめたような空気にゼビオが閉口しかけていた中で、それは起こった。
灯りに照らされたビナーの足下の影が、まるで生物のように蠢いている。それは無数の小さな虫が這い回るようだった。「不吉」を凝縮した空気を放つその影は、やがて破裂したかのような様子で、刹那に絨毯のように広がり、光すら飲み込む。
彼はようやく気が付いた。己の絶体絶命に。
しかしビナー・ハイドランの擬態の精度は凄まじく、こうしてあからさまに敵意をぶつけられるまで、彼女がどんなものを腹の内に飼っていたのかなど、全く見当もついていなかった。
灯りが明滅する。
暗がりに一瞬浮かび上がった彼女の相貌は、もはや人間のものではなかった。「怪物」……そんな言葉すらも生温い。自分は本当に、こんなモノの側で、何年もの時を過ごしてきたのか?
ビナーが見せたバケモノとしての片鱗は、ゼビオの正気をみるみる削り取っていく。
「やっと出会えた……インヘル・カーネイション……そしてラストラリー。私と同じ、古の時代からの尖兵! 人類に巣食う病理の末裔! これは是非私も殺し合わねば! 憎み合わねば! さもすれば私に備わった人間への憎しみの理由も、理解できるかもしれない! 何故私のような怪物が生きているのかを、理解できるかもしれない!」
漆黒の絨毯は、部屋の壁面に至るまでを悉く覆い潰していく。
それは全てを食い殺すような瘴気にも、ビナーという生物から溢れ出す「膿」にも見えた。
ゼビオは指先に鋭い痛みを感じる。目をやると、彼の指には床や壁を覆う黒いナニカが、まるでインクを溢してしまったかのように侵食していた。
それは極小の、夥しい数の羽虫たちに生きたまま食い千切られたような、普通であれば耐え難い感覚である筈だったが……目の前の怖気の根源が、恐怖という感覚が、絶望が、それを麻痺させていた。
「……その為の呼び水となって下さい領主様。彼女たちが私と戦う理由を与えなければ……ね?」
「だ――」
「さようなら人間。逢魔の一柱、ビナー・ハイドランの憎悪の下に」
ほんの指先一寸を侵食した黒いナニカは、ゼビオの血管全てを瞬時に埋め尽くすように増殖し、蝕み、食い潰す。
声を上げるために吸った一息を吐き出すのも束の間、湿り気のある音と、流れるはずもない黒い血液が、破裂するように飛び散った。
この長丁場となったアーテローヤル編もとうとう終わりが見えてきました。ブックマークや作品評価・感想など、是非ともよろしくお願いします。




