4.StarDust Witch
狩人連盟本部。
王都に構えられた役所のような3階建ての建造物の中は簡素で、備えられた人員はさほど多くない。狩人の伝統を重んじ、旅を続ける者が殆どだからであろう。
係は殆どが魔法を使えない一族で構成されているが、「楼員」と呼ばれる老獪の魔法使いたちが最低1人は常駐するように、彼らは交代勤務制が取られている。
事務員が始末書を受け取り、処理するというのが通常の流れであるが、インヘルとラストラリーが訪れた日は少しばかり流れが違った。
「インヘル・カーネイション様。書類は受理したのですが……楼員の皆様が上階でお呼びです」
「は? 始末書は書いただろ。何のお咎めだよ?」
「私には分かりかねます、が……本日は何故か楼員の方々が全て揃い踏みでして。御二方に特別な都合があるのかもしれません」
「冗談だろ……?」
インヘルが嫌っているのは始末書の提出などではなく、伝統伝統と口を揃えて狩人の待遇について何の改善策も講じない上層部の魔法使い、すなわち楼員たちそのものである。
即座に「何か悪いことしたっけ」と考えてしまうのは、心当たりが有りすぎる弊害なのかもしれないが、楼員揃い踏みとなるとまた話が変わってくる。
クビならもっと楽だった。楼員1人でインヘルに解雇通知を出しておけば、事務的に終わる出来事で済んだだろう。
それならば迷惑を被るのは食いぶちが無くなるインヘルとラストラリーだけだし、クビになっても魔獣狩りを続けることは出来る。何も問題はない。
だが楼員が直接、しかも全員揃って対峙するとなると、また話がややこしくなってくる。無視もできなければ、厄介事に巻き込まれる可能性大だ。お説教程度では済まないだろう。
極秘依頼でも丸投げされるのか、或いは何か脅迫されるのか。いずれにせよ「何故私なんだ」という疑問は残る。
ラストラリーに視線を送る。彼女は事の重大さに気付いていないようで、インヘルの顔を見ては、首を傾げていた。
「はぁ〜……そんな前例あんのか?」
「私が知る中では、ありませんね……」
「逃げたくなってきた。おい、ラストラリー、どうする? 逃げるか?」
「ママが逃げるなら、私も逃げるよ」
「芯の無ェ返事だな。まっ、逃亡するにはお前邪魔だし……しゃーねぇ。腹括るか」
「ご案内致します」
ラストラリーより少し背の高いであろう、子供のような係員は、その金髪を揺らしながら2人を楼員たちの待つ部屋へと案内し始めた。
◆
彼女たちは階段を上り、上階の会議室前へ到着する。
係員の女が扉をノックすると、中からしわ枯れた1人の老人の入室許可の声が響く。
「失礼します」
声に呼応してその係員は扉を開け、部屋に2人を招き入れる。インヘルは相も変わらず無鉄砲な態度でずかずかと踏み入るのに対し、ラストラリーはくれぐれも淑やかに落ち着いた様子だ。
室内はこれから裁判でも行われるかのような厳かな雰囲気だった。背もたれの長い、見るからに権力を誇示する13の椅子全てに、好々爺然とは言い難い老人たちが座っている。
笑顔も溜め息も漏れない緊迫した空間に、流石のインヘルもその乱暴な口八丁を黙らせた。
「インヘル・カーネイション」
中央に座る、1人の老人が口を開いた。
白い髭を蓄えた老獪な彼こそが狩人連盟の元締めであり、現狩人連盟の会長を務める魔法使い、ダンテ・バロット・オルトロス。
「貴様、何処であの魔王と触れた」
「……ん? 魔王っつったか? 年寄りは婉曲的で分かんねェな」
「とぼけるな。彼女から我々に文書が来たのだ。そのせいで、我々が総出で迎えることとなった」
「私も分かんねぇよ。何で私がここに呼ばれたのかもな。一から説明しろや、ジジイ共」
インヘルの無礼に憤慨することすら忘れているような彼らの様子を見るに、どうやら彼女は知らないうちに相当ヤバい人物と接触したことになっているらしい。
しかしインヘルにはその「ヤバそうな女」に全くもって心当たりが無かった。
「我々とて分からぬ。しかし奴は、貴様に用があるから、楼員全てを呼び出してこの場に集めろと言ったのだ」
「……で、ソイツは何処に居るんだよ?」
「間もなく到着するとは思うが」
「――私を『魔王』呼ばわりなんて、君たち随分と偉くなったじゃないか」
不意な若い女の声に、その場にいた楼員たち全員が凍りつく。曲がった腰などものともせず、一斉に姿勢を硬直させ、声の主を一点に見つめていた。
インヘルやラストラリーも、背後から聞こえたその声の主を探して振り返る。
しかしおかしな人物は誰も居ない。ただ、ここまで案内してくれた従業員を除いては、誰も居ない。思わず再度周囲を見回してみても、この場にはインヘルたちと、楼員と、その女しか見当たらなかった。
「私だよ、私」
そして案の定、声の主はその従業員の制服を着た幼そうな女だった。
彼女は帽子を外す。床まで届きそうな長い金髪のツインテールを揺らしながら瞬きをすると、彼女の瞳孔はまるで夜空がそのまま閉じ込められたかのように煌めくものへと変化していた。
刹那その女は姿を消す。かと思えば、ダンテの席の真横へと、瞬時に移動した。
「やあ君たち。息災かい?」
明らかなる異端。観測不能な遊星の如き気まぐれな神出鬼没は、しかし魔王と呼ばれるには余りにも幼く、害意の一片も感じない。
だがインヘルは、今までにない危険信号をその女から感じていた。言葉にするならば「絶対に敵にしてはいけない」という存在感だろうか。
自分たちとはまるで次元の異なる者だという、漠然とした畏怖を感じる。
「手前……何者だ?」
「おお、自己紹介が遅れたね。私の名前はフレデリカ。フレデリカ・グラヤノ・フルボディ」
フレデリカはダンテの座る椅子の背後に姿を隠した一瞬で、姿を変化させた。ローブのような服に、身の丈に合わないほどの巨大なステッキ。
まるで絵本の中の魔女の典型だ。
「よろしく、インヘル・カーネイション。そして……」
彼女は目を細め、興味深いものを観察するかのように、インヘルの傍らに立つ少女に星空のような瞳を向けた。
「残穢ちゃん」
名前を呼ばれた彼女は、ようやく自分が得体の知れないものに睨まれていることに気付いたかのように、びくっと肩を震わせてインヘルに泣き付いた。
インヘルは自分の服の裾を掴む彼女を喧しそうに振り払おうと軽く腕をぶんぶんと振るも、ラストラリーは離れようとしない。
怯えている訳ではないのだろうが、余りにもフレデリカが怪しい様子のため、不審者を見る眼差しである。
「お前はどうして私を知ってるんだ?」
「君はこの時代でも特別な『魔女』だからね」
「……魔女? それは罪を犯した魔法使いの呼び名だろ? 私は不良かもしれねぇが、強盗とか殺人とかはやってねぇ」
「長い時間は言葉の意味を風化させる。君は魔女だよ。少なくとも、本来の意味でね」
インヘルには、魔女であるという自己認識がそもそも存在していない。
現代の魔女とは、罪を犯した魔法使いの総称である。しかし元来の意味での「魔女」とは、魔法の才能が無い者が、儀式によって強制的に魔法を開花させた存在のこと。
力への渇望、叶えたい願い、そういったものを原動力として、「魔女の制約」という狂気じみたリスクを背負い生きる者たちである。
しかしこの世界において、フレデリカなどの例外を除けば、魔女は絶滅していた。しているはずだった。
よって、魔女の言葉の意味も風化している。
「生きづらいと思ったことはない? 自分の生き方に疑問を抱いたことはない?」
「……」
インヘルには、フレデリカの問いかけに心当たりがあった。
「人間」が上手くできない。一部の感情が欠落している。そして何より、身体から血が流れない。
魔獣を狩るという言語化不能な使命感と、過去を求める欲求に支配され、周囲の景色を、まるでぼんやりと写真を眺めるように過ごす自分の生き方に、疑問を抱いていた。
「魔女は生きづらい。生きづらいから魔女になるんだ。君は生粋の魔女だよ」
「……私が、お前の言う『本来の意味での魔女』だとして……お前はどうして私を呼んだんだ? 何の話がある?」
「助言、かな。もしくは啓示と言った方が正しいかもしれない」
そんな言葉一つで足りそうなことをする為だけに、わざわざ楼員全てを動かすなど、スケールが違い過ぎる。
おそらくフレデリカにとって、狩人連盟の最高権力者などその程度の、取るに足らないものなのだろう。ただ存在するだけで全てを従わせ、恐れさせる。
だとすれば、余計に疑問だ。インヘルに助言をするまでもなく、全て1人で解決して仕舞えば良いのではないだろうか。それだけの力が、フレデリカにはありそうな気もする。
「君は全てを忘れているだろう。だけど君の心には、使命が根差している筈だ。今はそれに従って生きたまえ」
「……おい、待て。その口ぶり……お前は私が何者なのか知ってるのか?」
「知ってるよ」
「……! なら、私は何なんだ? 何処で生まれた!? どうして血が流れない!?」
「焦っちゃダメだよ。それは君自身が見つけるべきことさ。ゆっくりと進めば、全ての答えは見えてくるはず。君の使命の正体も……君の過去も」
「テメェ……傍観者気取ってんじゃねぇ……! 言えッ!」
「だ、ダメっ!」
黒い魔法陣と共に、人差し指を銃口に変化させ、それをフレデリカに向けるインヘル。ラストラリーはそんな彼女の前に立ち、彼女の凶行を体を張って阻止する。
「退け、ラストラリー! 目の前に答えが在るんだ……簡単にゃ逃がさねぇよ!」
「あ、あのねママ。あの人は、そうじゃないよ……何か、敵とは違う気がする……! お願い……私も頑張って、ママのお手伝いするから……撃たないでッ!」
「まずはその乱暴を直すところからだね」
「――ッ」
直後、インヘルの視界がぐわんと歪む。強烈な睡魔だった。引き金を引くことすら許さないほど激しいそれは、インヘルの全身を弛緩させる。
「最後に一つ」
抗えない眠気に倒れ伏すインヘルの真横には、いつの間にかフレデリカが接近していた。彼女はラストラリーの頭をぽんと撫でながら、言伝のように、眠りに落ちる直前のインヘルに向かって言葉を発する。
「ラストラリーちゃんの母親として、頼んだよ」
「ク……ソが……!」
こうして悪態を吐きながら、インヘルの意識は、完全に夢の中へと姿を眩ませた。それを確認したフレデリカは、改めて狼狽する楼員たちの方へと振り返る。
「君たちはインヘル・カーネイションに、魔獣狩りの仕事を優先的に回してくれ。魔王呼ばわりは許してあげるからさ……お願いね?」
もはやそれはお願いではなく命令と呼ぶべき代物だったが、伝統に厳しいはずの老獪たちは一切の反論も見せず、ただ規格外の彼女の脅迫を、無言のまま満場一致で受け入れたようだった。
フレデリカは前作第一部からの登場人物になります。これを機に、第一部も如何でしょうか。
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