33.Gloomy Shot
下街は貴族たちの住まう丘の上とは異なり賑やかな場所だ。しかし、貴族と民衆の間に埋められないほど深い溝があるのと同じで、やはりこの活気に漲った場所にも二面性が存在する。
太陽の昇りはじめから馬車と蹄鉄の音が散発的に響き、目覚めの時間になると軽食屋が開店を始め、そこから少し経てば労働者の雑踏が通りを覆い尽くし、昼には物見遊山の貴族が僅かに召し通り、時折子供が遊び、それが過ぎると下街の気に入った商品を彼らの御使いが買取に漕ぎ出し、夕方からは仕事終わりの労働者がプロムナードに流れ込む。
夜になると自警団が見回りを行い、石工やオリーブの農夫がぽつぽつと歩みを進め、誰もが寝静まった頃に彼らは市場に足を運ぶ。
一度海に近付けば、この街は眠らない街の顔を覗かせる。しかし、それがどの場所でもそうであるという事はない。
裏枝は下街の、ランプも置かれない暗がりにあるストリートの総称である。大通りは眠らないが、少し逸れるとそこはもう宵闇の世界。眠り続けて、その睡魔に人を引き込んで離さない。
農夫でも露天商でも弁当屋でも針子でも石工でもない。そこに誰もが見ないようにしている世界が広がっていたとして、一体誰が、好んで蓋を開けようとするだろう。
それをする者は、総じて、眠らない街に馴染めなかった、暗澹を生きる者に違いない。
「(怪しい店が多いですねぇ。『ゴミ捨て屋』ってまさか、ウエストエンドに廃棄物をまとめて捨てる仕事でしょうか?)」
「わあ、アクセサリーだ。ねぇ見て見て、あのブレスレット綺麗だよハーティさん。骨董品屋だって」
「盗品混じりかもですよ。掴まされたらヤクネタの元です」
「やくねた?」
「厄介なネタ」
「なるほど……!」
「(うーん素直。あんまり教えちゃいけない隠語ばっか教えてる気が……この歳で清濁併せ呑むのは、ちょっと早過ぎますよね〜)」
◆ ◆ ◆
Dr.クーパー・デイズ 石垣第八通り 3-50046 アーテローヤル。
覚えるのが苦手なハートショットが何度も唱えてようやく暗記した目的地だ。その建物はまさに裏枝の最中に埋まるようにして、何の店でもなく、ただの民家のような家屋として在った。
ハートショットは目的地に到着したとき、既にあからさまな「戦闘モード」に入っていた。
彼女はノックをする前に身体を曲げ伸ばししたりと準備運動を始め、包帯の巻かれた左腕と胸元をそっと撫でる。先日クラメルに負わされた痛手だ。まるでそれを思い出しているかのように長いまばたきをすると、直後には、その灰褐色の瞳に吸い込まれてしまいそうなほどの眼光を宿していた。
隣に居たラストラリーは、彼女のそんな様子を初めて目にしたことになる。同時に、彼女のあの人懐っこい少女のような面影が、まるで虚飾にすら思えてしまうような、漠然とした怖さというものを感じていた。
アレはアレで彼女らしいが、いま隣で雰囲気をがらりと変貌させたこの姿も、彼女そのものなのだろう。ラストラリーは、この空気感を纏っている時のハートショットのことは少し苦手のようだった。
「(ぴりぴりする……ハーティさんはママとは別の、何だか怖いものを持っているような……)」
「行きましょうか。ラストラリーちゃんは私の後ろへ。この中に魔女が居るかもしれませんから」
「……あ、うん」
生返事のようになってしまったが、そんな少女の様子を見てハートショットは首を傾げると、インヘルが叩けば粉砕してしまいそうな、建て付けの調整されていない扉を数回叩く。どうやら漸く扉と窓の区別がつくようになってきたらしい。
「……」
「……」
「……来ないね」
しかし、少し待ってみても応答がない。留守かと思うところだが、ハートショットは中に人が居ることを何となく察していた。医者の真似事を許可もなくやっているのだからこの程度の警戒は当たり前だろう。
「……ラストラリーちゃん。おんぶしてあげます」
「へ? ひゃわぁッ!?」
「暫く寝たフリしといて下さい」
ハートショットは一芝居打ってみることにした。
異空間魔法から見栄えの良さそうな衣服を取り出すと、手も使わずに瞬時に着替えることが出来る。一旦服を着て、その状態のまま収納する事で、次に出現させるときは事前に着ておいたような状態に戻るのだ。
そして、街を出歩くときの為に借りていた大きめの外套を、背負ったラストラリーごと覆うようにして纏う。
衣服の力は大きい。インヘルに「痴女マント」と揶揄されるような格好をしていたハートショットではあるが、それがドレスを纏えば、途端に見た目だけは貴族の令嬢に早変わり。
そこに彼女が持つ元来の演技力まで備われば、素人でその正体を見抜ける者など存在しない。鬼気迫るように、しかし見せる姿はとても儚い、助けを求める貴族令嬢であった。
「すみませんッ……すみませんッ!」
息を切らし、全く疲れを感じている訳でもないのに額から汗まで流し、先程よりも乱暴に扉を叩き、急を要する事態を演じる。
貴族という設定を選んだのは、彼らが厄介事を内々で片付けるという性質を持つからだ。事情の説明出来ない怪我、醜聞、明かしたくない病……加えて闇医者の所在すら把握している情報通な立場。高額料金でも払えるだけの財力。
この場所を利用するための「理由」を持たせるには、とにかく民衆に通じる下級貴族が最適だった。
扉に縋り付くように叩いていると、緊急性を見出したであろうこの家の持ち主が、努めて冷静に姿を現した。扉を半開きに保ち、最低限の警戒は忘れていない様子の、壮年の男だった。
一丁前に前開きの白衣を纏っており、癖の強い銀色の髪を伸びっぱなしにした無愛想な表情。
「はい」
「Dr.クーパー様ですか!? むす……いえっ、使用人見習いの子が、事故に遭ってしまって……! お願いします……助けて下さい……!」
「……わざわざこんな礼儀知らずの下賎の元など訪れず、家に名のある医者を呼べば良いだろうに」
「医者は……ッ! い、いえ……それは出来ないと、申しますか……き、金額に糸目はつけません! この子を助けてください!」
「(ま、ここに来たってこたァ……そうだろうな。それに相当焦ってるらしい。使用人見習いにここまで感情的にはならんだろうが……急を要するか?)」
身なりや絶望的な表情から、適当な推察を入れさせることが出来ればそれで良い。黙して語らず。この場所に来る全ての人物は、そういう蓋をしなくてはならない場所がある者たちだ。
「(子供……か)」
「お願いします……お願いします……」
「入りな。処置しよう。もてなしは無ェが勘弁しろ」
「ああ……神の思し召しに感謝します……!」
◆ ◆ ◆
「(まあ、無神論者なんですが。ちょっと謙虚過ぎた? もう少し横柄にしておいた方が良かったですかね?)」
内心ではそのようなことを思いながら、その道化は全く崩さなかった。
中は思ったよりも広いようだが、少し考えてみて、ベッド等を何台も置いておく必要があるスペースが広くない訳がない。
出入り口から少し進むと廊下に分かれ道があるようで、処置室らしいものは正面、そして病棟の役割を果たすスペースが左側にあるようだ。ハートショットは何の気なしに、4台ほどのベッドが置かれている、薄暗い部屋に視線を向けてみた。
居たのは何人かの子供。彼らの瞳には見覚えがある。
人と同じ表情を作っておきながら、その実何の救いも求めていないようなあれは……ウエストエンドの子供たちのそれだった。
これでは病棟ではなく、まるで霊安室だ。
そして、そんな鬱屈な空間の奥にピントが合った瞬間、ハートショットは道化を忘れてしまうように、目を見開いた。
一つの窓。開かれた窓。
その窓は、入ってきた通りとは別の裏道に通じており、立派な錠前が急いで解錠されたかのように開け放たれている。
「(まさかッ……!)」
不自然だった。人目に付きたくないであろうこの施設だからこそ、窓を敢えて汚して、更にあれほど頑丈な鍵を付けているのだろう。しかし、あれはおかしい。換気だとしても窓が海風に煽られないようストッパーなりを掛けておくはず。
考える前に身体が動いていた。
――言い訳なんて後から捻り出せ。クラメルが……あの魔女が、今の今までこの場所に居た。その可能性より重要な情報は無い。
魔法を発動させ、貴族らしい衣服を再び仕事着に変化させる。
「……! なッ……お前ら、まさか狩――」
「ラストラリーちゃんッ!!」
「え、あッ……うん! つ、掴まった!」
物音に振り返ったドクターは一瞬で変化した服装に、瞬時に何かを判断したようだ。
焦燥。おそらく彼の反応は、魔女と繋がりがあるという証。ウエストエンドの子供たちらしい患者が居ることも、偶然などという都合の良いものでは片付けられなくなった。
「待て! 彼女はッ……!!」
ハートショットは、Dr.クーパーが何かを言いかけるのも聞かずに飛び出した。しかし、ラストラリーを背中に背負っていたというハンデがここに来て牙を剥く。
クーパーが、決死の覚悟をしたようにハートショットの腕を掴むのが一瞬だけ早かった。この対応の早さ……おそらく狩人である彼女たちの存在を予め知っており、警戒していたのだろう。
「チィッ……!」
演者の仮面はもはや完全に剥ぎ取られ、その中から飛び出したのは、れっきとした暗殺者の顔だった。しかしクーパーは全く怯んでいない。まるで自分の役割がこれであるかのように、確固たる意思を持って全力で彼女を引き止めようとする。
そして……ハートショットは、あまりに早い見切りを付けた。
手には異空間から取り出した一本のマチェーテ。
彼を害さないことを諦めたのだ。
「(邪魔するなら……この腕、切り落と――)」
「駄目ッ!!」
そこに1人、横槍を入れる者が居た。
背中にしがみついていたはずのラストラリーだ。
普段の臆病で内気な性分を噛み殺し、自分を奮い立たせ、ハートショットの背中から飛び降りると、クーパーに体当たりをしてよろめかせる。
バランスを崩した彼の手は緩み、ハートショットはそこから腕を引き抜くと、一瞬だけ、心配した表情で少女の顔を見た。
少女の肚は、もう決まっていたらしい。
「どけェェッ!!」
腕を離してしまった彼を、ここまで駆り立てるものは何なのだろう。
おそらく部外者である2人には、理解できないであろう事情があることは明白だ。腕を広げて止めようとするラストラリーを殴り倒してでも、ハートショットをこの場に留めておきたいように見えた。
しかし少女は、自分に向かってくる彼の姿を見ても、一向に退かなかった。瞳の端に涙を少し溜めながら、それでも両腕を開いて通せんぼを続ける。
そこに普段のオドオドとした少女の姿は無く、自分が痛みを伴うことを確信しながらも、決して彼から視線を離さなかった。
少女の眼差しに射竦められたクーパーは、まるで我を失っていた者が、漸く正気を取り戻したかのように、振り上げかけた腕を押さえ込むと、膝から崩れ落ちて、拳を床へと振り下ろす。ドンッ、という重苦しい音が響いた。
「畜生ッ……!」
そんな僅かなやり取りを目にしたハートショットは、少女のまさかの姿に、本気で驚いていた。ラストラリーがそこまで熱血だとは思っていなかったからだ。
しかしやはり少女の手には余るほどの勇敢さを振るっていたようで、指先は少しだけ震えている。
「……ハーティさん」
搾り出すような声だった。それでも、その言葉は、ハートショットの体の芯に深く響いた。
「絶対に……捕まえて」
「……!」
「絶対に捕まえて」――すなわち「絶対に殺すな」
少女の言葉が持つ力は強かった。
あの夜、ラストラリーは魔女とハートショットの戦いを目にしてはいない。しかしその中で、ハートショットは追い詰められ、我を失い、「暗殺者」としての責務が宿ったかのように、それに囚われた。ご丁寧に、過去与えられた呪いのような言葉まで思い出しながら。
結果、クラメルの命を奪おうとした。
もちろん仕事の都合上、任務は捕縛という事になってはいるが、魔女を殺してしまったとしても、特段咎められるような事態には陥らないだろう。
それでも、このクーパーや子供の患者たちの様子を見るに、魔女クラメルを突き動かしている原動力は、2人が予想をしていたモノよりも遥かに大きい。
彼女を、自らの手で殺めてはいけない。
ハートショットの中でそれが「努力義務」ではなく、「義務」に変わった瞬間であった。
「――お任せあれ」
一部始終を体験したハートショットは、少女をこの場所に残しておくことを決意し、窓に脚をかけることもせずに外へと飛び出す。
海沿いの通りに出る方向の曲がり角に、インクブルーの髪が吸い込まれていく影が見えた。




