32.Model-Void
一方、ハートショットとラストラリーの2人は、少ない手掛かりを頼りにして魔女クラメルの居場所を特定するために下街を捜索していた。
ハートショットはインヘルに同行している間は楽しめなかった観光を兼ねて気楽にやっている様子ではあったが、流石はプロと言うべきか、着実に、魔女の鼻を明かしていくように、その距離を詰めている。
そんな彼女の仕事を何よりも手伝っているのは、暗殺者としての、ある程度の行動様式の見当だった。
店主が魔獣の被害に遭い、無人となったとある花屋。品物や家財等は全て回収されたようだが、かつての店の様子を表す痕跡を、彼女は家探し……もとい調査によって見つけ出していた。
「床に描かれている魔道具の燃料供給源……所謂『設置型簡易魔法陣』ですね。これは火属性と金属性の合成魔法でしょう。領主様の邸宅にも、似たようなものがありました」
「へぇ……これが設置型魔法陣なんだ。魔力を注ぐか、属性石を使えば発動するん……だったよね?」
「魔法書で勉強した成果が出てますねラストラリーちゃん。この紋様が火属性。そしてこっちが金属性。光源の魔道具が置かれていたのでしょう。魔道具師に頼めばどんな家にも置けるものですが……」
ハートショットが壁面や床の上に指を這わせると、壁紙や木目の「ほつれ」を探し当てて、そこからシールのようになっているカモフラージュ用の布を引っ剥がした。
その裏側にも同じ魔法が描かれており、この一人暮らし用ほどの広さしかないような部屋だけでも、陣の数は十数個も設置されている。
「普段暮らしにしては魔法陣の数が多過ぎます。こんなに光源が必要でしょうか? こんな量を属性石の魔力が空っぽになるまでフル活用したら不眠症になります」
「確かに……領主さんのおっきい家でも、属性石は何個かで足りてたっけ。部屋がすごく明るくなるね。パーティとかしてたのかな……?」
「設置した魔道具師は疑問を持たなかったんでしょうかねぇ……ま、平和的に魔道具師やってる人なら、気付かないかもしれませんが」
「……気付かないって、何に? 確かにこのお部屋、ずっと光ってそうだけど……窓は無いし、周りの人のメーワクにはならないよ?」
「おそらく、麻薬栽培です」
「えっ?」
ラストラリーはその言葉に肩をビクッとさせると、何気なく触ってしまっていた魔法陣から無意識に腕を引いた。別に魔法陣そのものに害がある訳ではなかったが、途端にこの部屋が非合法で非日常なモノの巣窟へと変貌したような気がしたので、サッと距離を置いたのだろう。
子供の教育にあまり良くはない場所だ。これまで魔獣の死骸とか血みどろの戦闘とかをを散々見てきた少女にとっては、尾を引くような出来事ではないにしろ、流石に居心地は悪くなったようだが。
「四六時中、光を当て続けなければ育たない植物ですからね。この量の光源は必要です。実際、この手の犯罪の足がつくのは属性石代からが多いですし……ほら、天井を見てください。換気口もあります」
外部から区切られるように窓の無い部屋であるという事実もその事を後押ししていた。ハートショットは大体の顛末を把握すると、次にその花屋の建物内の床を、何かを探すように物色し始める。
そして栽培部屋の更に奥、最も人目につきづらい部屋の隅で、目当てのものを見つけたようだ。床に不自然に入った切れ込みのような模様と小さい穴。
彼女はそこに人差し指を突っ込むと、天窓を開けるようにして引っ張り上げる。
「ビンゴ! 隠し収納!」
床下には人間1人も入れないような小さな空間と、その端に、中身の見えない皮袋が置かれていた。ラストラリーに触らないよう指示を出すと、少女はこくこくと頷きながらも、目の前の非合法なブツに少しだけ危うい興味の込もった視線を向けている。
収納の底には僅かに埃が溜まっているようで、ハートショットはそれを指の腹でなぞった。
「しかも最近開けられた形跡がありますね。これはこれは……ビンゴどころかジャックポットですよ」
「な、なんで分かるの?」
「この収納の上、おそらく棚か何かを置いて隠していたんでしょう。だから滅多に埃が溜まらなかったはず。実際、床上は全く汚れてませんでした。だけど収納の中には少しだけ埃が溜まっていた……おそらく誰かが最近開けたからです」
「誰かって……まさか」
「十中八九、魔女でしょう。こっちの赤い花はうまく使えば鎮痛剤になります。この実は興奮作用……つまるところ覚醒剤になる。戦争中は兵士も愛用してたらしいですよ」
ハートショットはここでようやく、確固たる自信を持って魔女の痕跡を掴んだ。おそらくクラメルは、ハートショットと交戦した時に負った火傷などのダメージが完璧には回復していないのだろう。
しかし立場上、普通の医者には罹れない敵がまず取るであろう行動は、おそらく「鎮痛剤」の調達。ハートショットに多少の薬物の知識があるように、クラメルにも同様の知識があった。そして同時に、薬の原料に心当たりもあった。
戦時中の兵士だけでなく、暗殺者たちも薬物を扱うことがある。
孤立無援の状況に陥ったときの応急処置や自決の為だ。もしくは、毒の武器として使うか。
そして何より多く利用されたのが、常に死と同居するというストレスに対する緩和策だった。
出来るだけリアルに想像してほしい。彼女たちのような裏の世界に生きる者は、仲の良かった同僚が真隣で頭を撃ち抜かれる事もある訳だ。
明らかな即死。脳漿をブチ撒けて、陸に上げられた魚のように身体を痙攣させる知己。一緒に戦線を張って、寝食を共にした仲間だったモノ。
それを間近で見てしまったらどうだろう。
ショックを受けるに違いない。感情にも常軌を逸した負荷がかかる。意図せずとも声が震えてしまうことだろう。
それでも、暗殺対象は自衛のために死に物狂いで襲ってくる。何故なら、命の為に戦うこと自体が前提であり、敵の死などそんなやり取りの中の一つの「工程」……些事でしかないのだから。
こんな感じで、割と薬の知識があるのがハートショットたち殺し屋の宿命である。しかし存外、依存症になる者は少ない。「少ない」というのはゼロではないということだが、扱い方さえ心得て、十分な休養さえ取れば、どんなに強力な麻薬も、つまるところ薬品なのだ。
「しかし、敵はもう『暗殺者』などではなく『魔女』……ただの人殺しの犯罪者です。組織的な後ろ盾も無ければ、怪我を治すことにすら高いリスクが付き纏う。染み付いてしまった習慣は、弱みに他ならないですよ」
「ハーティさん……ママにも負けないくらい、悪い顔してるよ」
「あははっ! インヘル先輩ほど悪人面じゃないですよ。……まあ、原料を手に入れたなら、次はきっと効果の抽出と処置です……まともな医者には出来ないとすれば――」
ハートショットは何もない空間から物を探るように手を動かした。異空間魔法に収納している何かを漁っているようだ。
そして取り出したのが、道化師を象ったようなデザインのシーリングスタンプから金色の飾り糸に至るまで丁寧に修飾された一本の巻物のようなもの。
「それは……?」
「魔法陣絵巻物。特別な魔法が掛けられた一度きりの使い捨てですが……私の使えない魔法でも、魔力を込めれば一度だけ使えます。使えるツテは何でも使うのが私の主義ですからね」
彼女はスクロールの繊細な装丁を惜しみなく剥がすと、展開したそれに魔力を込め始めた。派手なルージュのような真紅で描かれた魔法陣がぼんやりとした輝きを帯び、暫く待っていると、不思議なことにその巻物から聞いたこともない「誰かの声」が放たれる。
『……個人回線で誰かと思えば、君か空白。まだ私の通信魔法のスクロールを保管してあったなんて、その私思いには感無量だよ』
インヘルのドスの効いた声を、更にハスキーにさせたような、重さと鋭さを兼ね備えた女の声だった。或いは少し高い男声にも聞こえたが、吐息混じりのそれは男にしては少々艶やかだ。ラストラリーは声の様子から何となく、壮年の女性を連想した。
「御師様! ご無沙汰してます!」
『あー、その呼び方はやめてくれって言っただろう……大体、もう君の師匠じゃあない』
「じゃあ母さん?」
『それも却下だ。全身に蕁麻疹が出来たように痒くなる』
「んもう……だったら、引退した私を『フラン』って呼ぶのもやめて下さいね? 今の私はハーティです」
「は、ハーティさん……この人は?」
通話口に突然現れたラストラリーの幼い声に、その相手は少しだけ考え込み、先程までと同じような冷静な口調で呟くように言う。
『……産んだ?』
「ち、違いますっ! 今の同僚のお子さんを預かってるんです! ラストラリーちゃん。この人はですね、私に戦闘指南をしてくれた人で、以前の上司で、母親代わりの――」
『ああビックリした。逃げるように引退したから、寿退社だったのかと思ったよ。人が居るなら言っておくれ。危うく内輪話をするところだった……というか、用件は何だい。託児所で働いてるなら、きっとまともな仕事してるんだろう。私なんかに用事は無いはずだ』
「いえ、相変わらず連盟直下で、狩人をやらせてもらっています。それで、訳あって魔女と衝突してまして……」
ラストラリーはハートショットの話しぶりが、インヘルやパラノイヤ、他の人物に対するものよりも、この通信先の相手に格別の敬意を払っているような印象を受けた。例えるならば親子、或いは恩人に対するもののようだ。
『狩人で子供……ああ、葬儀屋の所か。それで何が必要なのかな? 出来れば奇跡とか、祝福とか以外にしてくれたまえ』
「そんな大仰なものは要りませんよ。情報を下さい。アーテローヤルに闇医者って居ますかね? もしくは裏稼業の人でも利用できる医療施設」
そして、ハートショットはその口調のまま、そんな尋ね事を口走った。少なくともこのトーンで話す内容では無いのだが、通話先の女性の応対もひどく落ち着いたもので、「少し待て」と呟くと、続けざまに本のページを捲るような紙の音が聞こえて来る。
やがて女は解答に行き着いたようで、その渋さのある声で、結果をハートショットへと伝えた。
『Dr.クーパー・デイズ 石垣第八通り 3-50046 アーテローヤル。おそらくコレだろうね。以前、ウチの1人が世話になったことがある』
「流石! 頼りになります!」
『おおかた想像できるけど、随分と厄介な魔女に逃げられたみたいだね』
「……郷愁さん、覚えてますか?」
『……覚えてるさ。あの子の目は印象的だった。あれは深海のような、深い復讐の意志を持った目だ。いつか暗殺者として打ち止めが来る事は分かっていたが……そうか。魔女堕ちか』
「ノスタルジア」の名前を聞いた女は、そこで初めて、まるで石像のように微動だにしなかった声色を、若干の寂しさが含まれたようなものに変えた。
しかしそこから先は無い。動かない。
ただ少し寂しそうで、物悲しそうで、それで終わりだった。
「彼女のこと、教えてもらう訳にはいきませんか」
『言えないよ。それは君も分かっているだろう? 私たちが私たちであるうちは、誰かの心に残ってはいけない。彼女はもう私の管轄外だ。君たちは、今は私とは無関係の、ただの"ハーティ"と"クラメル"。部外者には2人がウチに居た時の情報は渡せないし、今の彼女の情報も知らない。過干渉もしない』
「……クラメル。それが彼女の名前なんですね」
『おっと……言えないと言ったばかりなのに、口が滑ってしまったか。君相手だと、どうにもそういう所が鈍くなってしまうな』
ハートショットは魔女クラメルの顔を頭に思い浮かべていた。
深い悲しみと憎悪に浸したような、インクブルーの髪と瞳。あれを相手にした時、説得というものを試みようとは全く思えなかった。
奇しくも女の言う「復讐の意志」という言葉がよく似合う、言葉の届かなそうな場所まで身を投げた彼女の姿が、ハートショットには痛ましく思えた。
同じ師に教示を受け、同じ暗部で生きていたのに、自分とは明確に違う姿からは、改めて、押さえつけられない人間の感情というものの複雑さが垣間見られた。
自分も憎悪に燃えるようなことがあれば、ああなってしまうのだろうか……などという考えを遮ったのは、スクロールから聞こえる女の声だった。
『ところで、この個人回線のスクロールはまだ持ってるかい』
「……え? あ、ああ。はい。部隊で渡されたものを何枚か」
『君が出て行く時に伝え損ねた私の落ち度だ。今回はタダで情報は渡すけれどね……次からはちゃんとした手続きで、窓口から通したまえよ。君はもう私の娘ではなく顧客。次から取るモノは取るから』
「ええっ!? そ、それを知ってたらこの一回はもっと大事な時に使いたかったですよぉ! しかも御師様への依頼って……ドン引きの暴利じゃないですか!」
『ふむ……じゃあ、もう少しサービスはしようか。これはクラメルの名前を喋ってしまった事への口止め料としてくれ』
女は最後に、言い残すように口にする。
本当に単なる口止め料なのか、もしくはハートショットに対する、何か特別な感情がその提案をさせたのかは定かではない。
『一度だ。もう一度だけ、私への連絡を許す。タダ働きで構わないよ。だがそれで終いさ。後にも先にも、私に直で繋ぐことは許さない。次は大事に使いな』
「うっ……分かりました。それでお願いします」
『それと、そこの御嬢さん。ラストラリー……だっけ? どうしても始末したい奴が居たら、ぜひ道化師たちに一報を。仕事は選ぶが、非合法な事なら手広くやってるよ。安くする』
「ちょっ……! なに余計なこと言ってるんですか!」
『それじゃあ、私は休暇中だから。……クラメルは強いよ。気張りたまえ』
女が言い終えるとスクロールの隅が蒼く輝き、巻物はその熱を感じないような蒼炎によって、一瞬で灰も残さず燃え尽きてしまった。
「……知ってますよ」
最後の忠告は、ハートショットにとって最初から聞くまでもなかった事だが、自らの師が太鼓判を押すほどの者なると、改めてクラメルの危険性を再確認しなくてはならなかった。
結局、ラストラリーは通話口の相手のことを尋ねるタイミングを失ったが、その女はおそらくハートショットにとって、何か大きな意味のある人物なのだということを、幼心ながら感じ取っていた。
◆ ◆ ◆
「――ん? いやなに、久方ぶりに家出娘の声を聞いただけだ。……私、そんなに機嫌が良さそうだったかい?」
部屋にある家具の一つ一つはとても豪奢で、職人の意匠が垣間見える、芸術作品とでも呼ぶべき代物だ。どうやらそういった物をコレクションすることが趣味らしい。
かなり分厚い台帳のような黒い本をキャビネットに戻しながら、通信先の相手と世間話を交えながら情報交換のような会話をしていた。
「それで……新しい騎士団長のことだったね。そろそろ発表されるんじゃないかな。確か名前は……『テラ』。公爵家の御令嬢だというのに、騎士爵に拘ってる奇特な女騎士だと聞くよ。まあ、あの一家は奇人変人の集まりで有名だから、今更驚きもしないが」
そう言うと、女は何かを思い出したように、不満そうな顔を露わにした。
「彼女、狩人連盟が大層嫌いみたいでね。民を護るのは騎士の役割であって、連盟のような不透明な組織ではないって主張してるよ。実際、水面下で優秀な連盟員を強引に引き抜いてるらしい。あれが暗部の事なんて知ったら顰蹙を買うに違いないが……大っぴらに公爵家にまで喧嘩を売る楼員も居ないだろう。まあ、それだけ裏で動く私たちの仕事が増えるかもしれないけれど」
道化師たち第13代頭目、アガルタ・エタニティ・ハートビート・エンブリオ。
コードネームを「細動」という、国で最も恐れられる暗殺者である。
その姿を見たことがある者は、この世に存在しないとされている。それは暗殺対象や関係者の全てが確実にこの世から葬られているという意味でもあるが、実はハートショットも、第四の母親である彼女の、本当の姿というものを知らないのだ。「自分の姿を他人に見せられない呪い」と言い換えても良い。
例えば複数人が同時に彼女の姿を目撃するようなことがあったとしても、各々がそれに対して抱く印象は全く異なってしまう。
ブロンドヘアの長髪かと思えばアッシュグレーのカールヘアだったり、碧眼かと思えば紫色の差した黒い瞳をしていたり、女の姿をしていたかと思えば瞬きをした直後には男の姿に見えてしまったり、幼子の背丈をしている時もあれば2m近い長身だったりすることもある。
ラストラリーはその声から壮年の女性を想起したようだが、果たしてハートショットの聞いた声はどのようなものだったのか……他人が他人である限り、それを推し量る術は存在しない。
何故このようなことが起こるのかは、科学や魔法学をもってしても、微塵も解決出来ていないのだ。
そんな人物が、どうしてハートショットの「母親」たり得たのか。それはきっと、世界で2人だけにしか通じない、大事な何かがあったからなのだろう。




