31.Secret Service
「(この巨体でここまで跳ぶかッ……!)」
片脚に深々と突き刺さる触肢の痛みに耐えながら、インヘルは銃器に変形させた腕を魔獣に向ける。
その直後だった。十数メートルは跳び上がったかという所で、インヘルの全身は、どういう訳か空中にあった見えない何かに張り付き、身動きが取れなくなる。
「ッ……何だこりゃ……身体が……」
目を凝らすと、彼女の身体は、透明度の高い糸の粘着性によって絡め取られているらしい。それはエリアの上空に張られた蜘蛛の巣だった。
「(あの塔か! 私たちの真上に、巣が張ってあったな!?)」
トリモチか、或いは接着剤のようにへばりつく糸を引き剥がそうと苦戦している間に、魔獣は触肢をインヘルの身体から引き抜くと、屋根のように張られた蜘蛛の巣の上へと移動していた。
インヘルは無防備だった。背後を取られながら、身動きが取れずにもがくが、粘着性は中々に厄介なもので、彼女の馬鹿力を持ってしても、そもそも抜け出す為の稼働範囲が足りない。下手に暴れれば更に持ってかれる。磔にされるかのように絡みつく。
「キシィィィィッ!!」
猫が唸るような声を上げながら、巣の上を器用に渡り歩く魔獣がインヘルに向けて、槍のような脚を振り上げる。そして、躊躇なく振り下ろされたそれは、インヘルの胸元を背後からと貫いた。
「ッぐ……こンの野郎……いくら治ろうが痛ェんだよッ……!」
魔獣は一瞬困惑したような様子を見せる。同時に「この人間は心臓を抉っても死なない」と察したのだろう。
そこで魔獣が次に取った策は、糸であった。
腹から強靭な糸を垂らすと、それを、脚を器用に使ってインヘルの首元に引っ掛ける。そして、万力のような力で、彼女の首を千切らんばかりに絞め上げる。
外傷で死なないのであれば窒息か断頭を狙うべきだという判断をしたのだ。
インヘルはその再生能力から不死身と思われがちだが、そこにはいくつもの落とし穴が存在する。窒息もその一つである。
当然息の出来ない時間が長く続けば、仕留める事が可能。糸で絞め殺す、海に沈める、餅を詰まらせるなどすれば、割と簡単に死ぬのだ。
その点で、この魔獣の判断は正しいと言えるだろう。
インヘルは喉を合金の魔法で固めた。しかし、魔獣の力は十分に強い。肺が空気を取り込みづらいうえに、おそらくこのまま無抵抗を続けてしまえば先に頭を切り飛ばされる可能性の方が高い。
断頭はインヘルにとって、肉体的にというより精神的にくるものだ。頭部を切り離され、再生可能距離の外に出てしまえば、インヘルは新たに別の頭を生成する。
果たしてそれは、本当にインヘル自身なのだろうか。
首を落とされ、その脳が意識を失うまでの間。新たな自らの脳が生成されるまでの間。これまでの積み重ねてきたものが一瞬にしろ失われる。新たな頭部は記憶も経験も全てを引き継ぐが、しかし、再生したのは、間違いなく別人と考えることも出来るだろう。スワンプマンだ。
憑依とはまた違う。新たに自分が作り直され、元の自分が切り捨てられる……これには相当な胆力を要するし、また、頭というパーツは再生に時間がかかり、意識を失っている間は全くの無防備になってしまうため、断頭はインヘルの中でも、最優先で避けるべき損耗となっている。
以前のハートショットとの手合わせの際、瞬発力で上回る彼女を相手に真っ先に首をガードする事が出来たのは、インヘルの頭の中にそんな意識があったからだ。
「ッ……や、ら……せっ……かよ……!!」
今回のインヘルの判断も早かった。
彼女はまず、右腕に魔法陣を展開。すると、肩口から先を自らの意思で爆散させた。パンッという肉の弾け飛ぶ音が響き、苦痛に顔を歪ませる。
二の腕から下を地面に向けながら再生した右腕はだらりと垂れ下がり、糸から開放された肘から先だけが自由になる。
その間にも、ギリギリと音を立てて金属質の喉元に糸は食い込み、無理やり反り上げられた背骨も悲鳴を上げていた。
彼女は今にも飛びそうな意識を腕を破裂させたときに盛り返しながら、その右腕を刃物の形に変形させると、糸の巻きついた自らの首元に突き立てる。
「手前のような化け物に想像できるか? これキツいんだぜ……私ゃ苦労してんだッ! 労災も下りやしねェ!」
自分の体のことなど一切顧みない、途轍もない精神力こそが、魔法以上のインヘル最大の武器である。
彼女は皮一枚を繋ぐように、断ち切らぬように、自ら糸ごと首を掻き切ったのだ。
いくら再生能力があろうと、瞬時の判断でここまでやろうとする奴はまず居ない。傷に執着しない恐るべき精神性。
完全に断ち切られなければ再生は非常に早い。まるで手早く縫合されるかのように、骨まで剥き出しになっていた彼女の首は再び繋がった。
「【機々械々】……」
拘束が突然解かれて後ろへ倒れ込む魔獣を尻目に、インヘルは即座にジェットパックのような噴出口を背部や脚に創り出した。
「【空対機関】!」
いつか見せた空中形態。爆弾を背中に括り付けて飛び回るかのような強引な飛行形態。同時多発的に発火させたときの爆炎は、魔獣を吹き飛ばしつつ、インヘルの全身を糸の拘束から強引に引き剥がした。
◆ ◆ ◆
「……この数は、骨が折れますね」
ビナーは疲弊し始めていた。先程まではインヘルのサポートもあり、全方位から襲撃されようとカバー出来ていたのだが、孤立させられてしまった瞬間から、圧倒的な数的不利というものは牙を剥く。
「弱者戦略」
物量で圧倒的不利な立場にある者が、勝利する為の数理的モデルだ。
曰く、広域戦ではなく局地戦。持久戦ではなく電撃戦。遠隔戦ではなく接近戦。
ビナーにとって問題なのは、敵の数が圧倒的であるが故に、持久戦へと持ち込まれつつあることだった。集中力を常に張り詰めておかなければいけない命懸けの戦闘の中で、難しいのはそれを保つことである。
数字に直して、およそ500対1……これはビナーがその「目」で見た現在の戦況だ。更に、子蜘蛛たちは際限なく押し寄せている。数が減らない。
どういう理由かは知らないが、延々と敵の戦力が補充されているのだ。これを武器一つで押し切るだけの火力を、ビナーは持ち合わせていなかった。
かといって、撤退はまずあり得ない。
この数がインヘルに回るのを阻止しなくてはならないし、第一、2人の襲撃者をこの魔獣が許すはずがない。退いたとしても、敵の機動力がこちらを上回っているのだ。追い付かれることは間違いないだろう。撤退先での二次被害も考えられる。
「虫の癖に、良い作戦を練りますね。ご丁寧に足場まで崩して逃げ場を絶つとは」
大蜘蛛の本体がゴミの山から飛び出した時、足場の形は完全に崩壊し、山の斜面に小さいクレーターが出来たような地形になっていた。偶然この形になったとは思えない。おそらく予め足下に適度な空間が作られており、大蜘蛛本体はそこに身を潜めながら、飛び出すと同時に逃げづらい空間へとビナーを誘導した。
空中に巻き上げられたインヘルも何故か落ちて来ない。孤立無援とはまさにこの事だ。
――しかし危機に瀕していると思われたビナー本人は、無数の子蜘蛛に包囲されながら、さも休憩を入れるかのようにゆっくり、ゆっくりとその場に腰を下ろす。
子蜘蛛たちは彼女のまさかの行動に面食らったかのように、一瞬だけ攻撃の手を緩めたが、すぐさま波状攻撃を再開せんと彼女に飛び掛かった。
それがただ、怪物が自らの軛を外した所為だということも知らずに。
「くすくすっ……」
ビナーは俯き、笑っていた。
まるで喜劇でも見るかのように。
彼女の座る地面に、黒い魔法陣が浮かび上がる。
それはまるで、インヘルが扱う魔法陣だった。
しかし彼女とはまた違う、どこまでも輝きの無い漆黒で塗り潰すかのような、どす黒いものに溢れた、強大な魔力陣だった。
それに当てられた魔獣たちは、困惑と戦慄を同居させていた。正確には、恐怖など無いと思っていた生物が、原始的なその感情を思い出したかのように、一斉に動きを止めたのだ。
「何だこの人間は」「さっきまで、ただちょっと動けるだけだったのに」「このまま行けば勝てそうだったのに」
言葉を持たぬ獣の本能を、あえて言語にすれば、このようになるだろう。
それは魔獣からして見ても異端で、圧倒的で、目の前の人間が、さっきまで対峙していたメイド服の女とはまるで別人のように変貌したような気さえしていた。
「……かわいそうに」
ビナーに向かっていった魔獣の眷属たちが次々と何かに叩かれ、潰れる。
彼女の身体は、真っ黒なオーラのようなものを放っているように見えた。そしてその黒いモヤが、ビナー本人と、全く同じような姿形に変形し、子蜘蛛たちを潰したのだ。
まるで彼女の影が、実体を持ったかのように。
ビナーは、インヘルや領主、そしてウエストエンドの住民たちにすら見せたことのないものへと豹変した。
それは彼女の、誰にも知られてはいけない「秘匿」だった。
今、その秘匿の片鱗が破られる。
実像を持った彼女の分身は、まるでもう1人のビナー・ハイドランのように武器を振るい、「かわいそう」の言葉とは裏腹に、無慈悲に子蜘蛛たちを捩じ伏せていく。
「安心して下さい……私が君たちの母親になってあげます。君たちのことは、誰よりも良く理解っていますよ。人間に対する抗いようの無い殺意……それに振り回されて生きることの、何たる無為で、無知で、理解に乏しい姿でしょう」
ビナーの姿に尻込みし、子蜘蛛たちが動けなくなった頃。
その敵たちは、まるでモノが腐り落ちるかのように、見えない「ナニカ」によって原型を失っていった。固まっていた者たちは、等しくその見えざる力によって蝕まれ、バタートラップに掛かった害虫か、或いは四肢をもがれた人間のような、金切り声にも似た悲鳴を上げながら、ときに青紫の血液を吐き出して斃れていく。
さながら擬死反応。
魔獣の小さな眷属たちは、漸くをして完璧に想起した。
圧倒的な上位者に向けられた僅かな敵意と、たったそれだけによってもたらされる根源的な畏怖を。
「……人間というのは狡くて弱くて醜くて、平等にしてやってもすぐに差が欲しくて堪らなくなる愚物のこと。ならば何故、魔獣はそんな矮小な連中が憎いのでしょう? その理由を知ろうとすることすら許されない……そんな君たちは、とてもかわいそうです」
もはや子蜘蛛は、身体を強張らせて受け入れるしかなかった。
目の前の、そういえば見たことのある女は、まるで自分が本当に、彼らの母親であるかのような微笑みを浮かべている。
理解とはすなわち、下位の存在への憐憫でもあった。
「アーテローヤルとウエストエンド。貴族と貧乏人。一般人と狩人。持つ者と持たざる者。私は耐え忍び、その全てを見てみました。まあ! そう考えると、私ったら何と底無しに偉いのでしょう! 委ねてしまえば楽なのに、それに耐えられるなんて! 何たる立派! 何たる我慢強さ! 辛い方に歩み出すこともまた、選ばれた者の使命なのです!」
目に見えない「毒素」の波が広がるかのようにして、バタバタと斃れ伏す蜘蛛たちが、まるで腐りかけた獣の死骸のような姿になると、地面の黒い魔法陣は姿を消した。
残されたのは孤独な寂しさと、無惨に壊れてしまった、無数の魔獣の眷属たち。
「……しかし、残念ながら状況が変わりました。盤上を整え直さなければ。嬉しい誤算もあったものです」
ビナーは座り込んだ時と同様に、ゆっくりと立ち上がった。
そしてインヘルが戦っている空中に視線を向け、独り言を呟く。
「インヘル・カーネイション様――あの異質な魔力と特異体質。まるで、私と同じ残火。そして、ラストラリー様……いいえ、懐かしき我が仇敵」
いつか子供たちに向けたものとは程遠い、猟奇的で、歪で、しかし何かに苦しんでいるかのような笑顔が、ビナーの顔に、仮面のように張り付いていた。
「嗚呼、理解したい……! どうして貴女たちのような者が、人を憎まずにいられるのでしょうか!! この際、回りくどいことはナシにして……貴女の『敵』として、貴女の正面に立ってみたくなりました。そうしたら、貴女は私に答えを与えてくれるかもしれない!」
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