25. Poison of Life
僕の朝は彼女を迎えに行くことから始まる。
彼女は以前、ふとした事から脚を傷付けてしまい、そこから病気が広がって下半身が動かない。野垂れ死ぬのを待つ彼女が放っておけなくて、ごみの山から殆ど原型を留めていないボロボロの車椅子を拾ってきてあげたのが始まりだったと思う。
足場は車輪を動かすには全く適切でないほど廃棄物が散らかっていたけど、僕はそれでもゆっくりと、進むのを助けてあげる。
進む先はいつも決まっていた。
海辺の廃棄場……ウエストエンドの人は此処を9番浜と呼ぶ。
砂粒の代わりに硝子や波に打たれた金属片があるせいで、裸足で歩くこともできないような場所だったけど、彼女は此処が好きだった。
「潮の匂いと波の音がする。着いた? じゃあ、今日もお願いね!」
彼女は動かない脚とは別で、生まれつき目が見えなかったそうだ。深い傷を負ったのもそのせいだった。
僕の生まれ故郷ウエストエンドでは、そういう障害を負った子供というのは、決まって長く生きることが出来ない。
だけど僕はそれを、酷いこととは思わない。
それがこの世界の当たり前で、こんな風にして他人に手を差し伸べる方がむしろ異質で、許されないことだったのだから。
誰もが自分のことすらおぼつかない場所で、いちいち名前も知らない、明日死ぬかもしれない誰かのことを気に留められるほど、人は上手く出来ていないんだ。
最初は僕もそうだった。
一度彼女を拾ってしまった手前、貧乏人の吝嗇がそうさせたのかは知らないが、手放すことが不利益に思えるというだけで、ずるずると続いてきた関係性。僕にとって彼女は、ただの枷に他ならなかった。
「分かった。魔法で僕の視界を共有するよ」
「うん!」
「ん〜……そりゃっ!」
だけど、僕はその先を知ってしまった。
「……」
「今日はどう?」
「……すごく綺麗。ほら、あそこはキラキラしてる! 透き通った青と、薄い緑色とオレンジと白とが混ざってて……昨日よりも波は低いのね――って、クラメル〜! 私じゃなくて海の方を見て! 意地悪しないでよぉ!」
「あはは、ごめんって」
見えているのは僕と同じ海のはずなのに、どうしてキミの見えない瞳に映る景色は、それほど煌めいているんだろう。
僕はキミの口から飛び出す、摩訶不思議な、僕も見えているはずの世界の話が大好きになってしまった。
いつまでも子供のようにはしゃぐ仕草と、くしゃっとした笑顔が大好きになってしまった。
それだけが、僕のいるこの世界がとても美しい場所なんだという、唯一の証明だった。
僕はただ、キミが得るべきだった景色をお裾分けしているだけなのに、キミの声や表情は、僕に不釣り合いなほど美しいものを与えてくれたんだ。
それは、愛という深刻な病理だった。
「シャルルはどうして、そんなにここの海辺が好きなの?」
「……別にこの場所じゃなくても良いの。本街には貴女が居なかったから、私はずうっと波の音を聞くだけだった。だから私が好きなのはきっと……貴女と見る海なのよ。貴女と一緒なら、どんな海でもきっと天国のように綺麗に見えるでしょうね」
「……うん。僕も同じだ。シャルルと一緒だから、こんな場所でも、幸せだって思えるようになったんだよ。でもさ……シャルルは、本街に戻りたくない? キミは此処に縛られてはいないんだよ。身元も調べれば分かるだろうし、騎士団に言えば保護もされるでしょ?」
「むぅ……その時はクラメルも一緒じゃなきゃイヤ」
「僕は……ごめん。まだ無理だよ。ここで生まれたから」
「だったらすぐに戻らなくてもいいもんね〜」
ウエストエンドは要らないものを捨てるゴミ捨て場だ。
そのゴミとやらに、命があるかどうかは別として。
目の見えない、呪われた子供を捨てる理由なんて、後付けで幾らでも捏ねられる。
この頃の僕には、こんな気持ちも芽生えていた。
「此処はキミが居るべき場所じゃない」
「だからいつかはキミを、外に戻さなくてはならない」
この場所に来て、キミは何かを得られたのか? 足を患い、身体は痩せ細り……失ったものが余りにも大き過ぎるんじゃないのか?
それなのにまだキミは、そんなに幸せそうな顔をする。
キミの笑顔は僕の幸福だ。そして同時に、キミが笑うと、僕の心はどうしようもなく締め付けられる。
ウエストエンドは、今なお蠢き続ける呪いだ。
此処に生まれてしまったら最後、本来幸福になんてなれないはずだし、自分の人生に対して投げやりになってしまう。この場所に縛られ、何も考えられなくなる。
でも、僕は違った。
幸福を教えてもらった僕は、シャルルと一緒にウエストエンドを抜け出す術を必死に探していた。
幸いにも僕には魔法があった。ちっぽけな才能ではあるが、この国は初等魔法が使えることだけでもステータスとなる。もう少し大きくなって、魔法の勉強をして、この力を使えるような仕事が出来るようになったら……いつかは彼女を連れてこの街を出るんだ。
本街の丘から見る海と白い街並みの織りなす景色は、此処よりもよほど美しいだろう。
王都には尖塔のような驚くべき高さの建物があると聞く。
東に行けば東国とこの国の文化が入り混じる、異国情緒溢れる土地柄が根を張っているらしい。
古代の謎が詰まった遺跡。目眩くほど本の積まれた図書館という施設。冷たい大地には本街よりも白銀に輝く世界が広がり、雨の多い場所へ行けば僕たちの何十倍も大きな木が生えている。
此処よりも綺麗な場所なんてきっと幾らでもあるし、いつか僕がキミをそこへ連れ出して、もっと沢山の美しさを見せてあげたい。
――そんな話をしても、いつだって彼女の答えは一辺倒で「他人の人生をなぞるだけなんて貴女にはもったいないわ」と口にする。
違う。違うんだよ。僕がそうしたいんだ。
これだけが、かつては枷だと思っていたはずのキミのことが、誰よりも愛おしくなってしまった僕の、ささやかな願いなんだ。
キミの後ろ姿と海を眺めているうちに、頁がズタズタになった本で読んだような場所へキミを連れて行ったらどんな表情をして笑ってくれるのかが知りたかった。
だけどそれを直接伝えるには僕は幼すぎて、余りに照れくさくて、キミを愛してるだなんて、とてもじゃないけど言葉にできなかった。
◆ ◆ ◆
「――シャルル・フォン・パルマっていう、ウエストエンドに住んでいた女の子を知ってるかい、領主様?」
「……何の話だ魔女」
「独り言だよ。ああ、今の話には関係ないけど、パルマ家っていう、一時期本街に別荘を構えてた小貴族があったんだってね。……これも関係ないけど、そこの人たちは皆ブロンドヘアに銀色の瞳を持ってたね。当主の年齢の割には小さな娘が居てさ、『長女』だって。あの子、シャルルの雰囲気にそっくりだったなあ」
「……」
「でもやっぱりシャルルのブロンドとは違ったよ。あの子のは針金みたいにぼさぼさでね。おまけに脚と目が不自由だ。あれは、そうだね、乾いた肉の塊が腰から下に付いてるみたいだった。目もキラキラしてなかった。身体は痩せた鼠みたいに軽かったし、唇はいつもボロボロだったし、爪は何枚か無かったけど……顔立ちは何処となく精悍としているというか気品があったっけ。それでもやっぱ、パルマ家の愛され長女様とは違って、誰が見てもみすぼらしく見えただろうな。……それが僕の愛した人さ」
「あの汚濁に塗れた場所に住む奴のことなど、私は微塵も把握していない」
「だろうね。そうそう、シャルルは海が好きだったよ。僕の魔法を使って、よく一緒に海を見た。それで、あの子は言うんだ。『天国のように綺麗だ』って。――で、死んだよ。本街から来た貴族の子供が、冗談半分で海に軽く突き飛ばしてさ。足も使えないし、目も見えないしで、そりゃ浅瀬でも溺れ死ぬ。水を吸ったのか、痩せてた身体がパンパンに膨れ上がって……抱きしめても酷い臭いだけがしたんだ。僕の魔法でも、命だけは分けてやれなかった」
「……」
「その突き飛ばした貴族の子供、何て言ったと思う? 『此処にあるものは要らないものだから、僕は何も悪いことはしてない』だって。良い教育してるね」
「……貴様の目的は何だ」
「単純だよ。『ウエストエンドからの移民を受け入れてほしい』……もう十分でしょ。この街も、戦争の時代よりずっと豊かになった。これって贅沢かな? ただあの場所の人が、誰一人として私みたいにならないように……人並みの幸せを追えるようになるくらいで良い。ああ、心配しないで。住民票ならこの街のクズを八つ裂きにして、私が"空き"を作ってあげるから。まだ足りないだろうけど、いつかは全員分受け入れられるようになるさ」
ねえ、シャルル。聞こえているかな。
この街から見る景色は、塵の砂浜から見る海よりも、よっぽど穢かったよ。
「つまりは復讐か。……考え直せ。貴様の愛した人とやらも、そんな事は望んでいないだろう」
「……」
僕は思わず閉口した。
身体の芯が冷えきってゆく。こんな陳腐な常套句が、これ程までに僕を逆撫でするとは驚きだ。
まったく、良い冗談だよ。ここまで言ってもなお、この街に守るべき品位や品格があると信じて疑わないのか? 僕は何か間違ったことを言ったのか?
ただ彼らを、僕やシャルルとは違う……「人」として生きさせてもらいたいだけだ。これではまるで、害獣と同じじゃないか。
「シャルルが……僕の復讐を望んでないって?」
「そうだ。話を聞くに、その娘はまともな者だったのだろう。だからきっと、友人が復讐に身を捧げることを、決して快くは思わない筈だ」
……嗚呼、そうかい。よく分かったよ。
狩られるべきはお前たちの方だ。
悪辣な獣はお前たちの方だ。
僕はもう魔女を汚名とは思わない。
魔獣のことも、敵とは思えない。きっと彼らも僕たちと同じで、ただ要らないというだけで、討ち滅ぼされようとしているだけなんだ。
真にくたばるべき獣は……お前たちだ。
お前たちのそれは、健全な「正気の沙汰」なんかじゃない。弱い者を見つけて安心したいというだけで彼らを貪り食う、そんな理性のない狂気だろう。
狂気に染まった私だからこそよく分かる。
お前たちは狂ってるよ。
考えなしの空っぽな脳みそと、見え透いた胴欲に手足が生えただけの、形骸化された、この世で最も唾棄すべき生物だ。
お前たちが「魔獣」と見下す怪物と、何ら変わらない。
「……うん。ああ。そうだね。なかなか話が分かるじゃないか。確かにシャルルは優しかったからね。僕にここまでの冷酷さがあると知ったら、あの子はきっと僕の復讐を望まない」
「ならばこのような、望まれぬことをすべきでは――」
「もう良いよ、うるせェよ。口だけ噤んで地獄に堕ちろ豚野郎。これが望まれないことだって? んなこたぁ分かってるさッ!! だけど……たとえ絶望の中でも幸せに生きられたシャルルだってなあ……」
◆ ◆ ◆
「――死ぬ事だけは!! 望んじゃいねェはずだったッッッ!!!!」
クラメルは吼えた。
もはやまともな手段とは思えない単純な頭突きは、その咆哮に一瞬怯んだハートショットの額に直撃して力を緩ませ、同時に彼女を数歩だけ交代させる。
「うぁッ……!?」
走馬灯の中で見つけたのは生き延びる術ではなかったが、それでもクラメルの脳みそは余計なことを全く考えていなかった。
「ありがとう……死ねない理由が見つかったよ。充分だ」
クラメルは「保険」を発動させる。暗がりの中で活路を見出したのは、ハートショットに限った話ではない。
魔法陣破壊による【水刃】の弱点は本人もとっくに知っていた。だから、仕込んでおいたのだ。もしも水刃が無効化された場合の第二の手段を。
ハートショットの背後……最後まで破壊していなかった棚上の花瓶の中の水に、魔法陣が浮かび上がる。
水を創り出して放つから余計な構築過程が生まれるのだ。他方、最初から存在している「水」であれば、より迅速に操作することができる。
――それは第二の【水刃】となり、よろめくハートショットの背後から、彼女の喉元と右腕、そして心臓を貫いた。
クラメルvsハートショット、次回決着です。
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