24. Drowning Memory
「郷愁」クラメルには得体の知れない予感があった。蠢く水刃。精確無比な武器破壊。それを淡々と、しかし徹底し、相手は防戦一方の有利な状況。
そんな確実性の下で這い回るのは、文字通り予感としか言えないもの。
ハートショット・オレアンドがどんな魔法を使えるのか……それが一つも判明していない。
実際、彼女があまり魔法を使わないのにはそれなりの理由があった。ハートショットの得意分野は火属性の魔法。こと防衛戦においては、拠点を炎上させてしまう余地のあるそれが、非常に扱いづらいというのも理由の一つだった。
しかし彼女はもう一つ魔法を使っているはずだ。
次から次へと飛び出してくる大小さまざまな大量の武器群。鉈のような刃物もあれば、棒状の槍、金属製の鞭、暗器、果ては銃に至るまで、尋常ではない数の武器を虚空から取り出していた。
それでも尚、まだ出現させている。いつの間にかその手に掴んでいる。まるで歩く武器庫。
どうにか取り出す場面を視認しようとしても、上手いこと身体の陰に手元を隠した瞬間に出現させている。腕の運びが捉えづらい。
これが仮に構築系の魔法だとしたら、ハートショットの魔力は底なしだろう。何もない場所からものを創り出すのは相当な魔力を要するため、まずこの物量はあり得ない。
「(だとすると、考えられるのは収納系の魔法? ここまで起こりが読みづらい使い方をする人は初めてだなあ……)」
例えば彼女とばったり遭遇して、愛想良く手を振ったり挨拶をする。そして一礼なり何なり礼儀正しく振る舞ってから解散する。
そのまますれ違う刹那、いつの間にか現れた武器で喉笛を掻き切られたとしても、きっと全く抵抗できず、自分の身に何が起きたか分からないまま失血死……なんて出来事があり得るほど、「静か」な魔法だ。
クラメルはもはや、武器が唐突に出現することすら疑問に思わなくなっていた。「これはきっとそうなんだ」、「彼女に限っては、突然刃物を手にしていたとしても、それはごく自然な現象なんだ」と錯覚させられる。それほどまで彼女に馴染んでいる魔法だった。
「(この子、時折飛び道具も持ち出すから油断ならないや。武器はしっかりと、視認した瞬間に切り結ばなきゃ。オマケにとんでもない早さで私の水刃の軌道を読んでるときた。あっちが防戦一方に見えるけど、僕も攻めあぐねてるのは事実だなぁ)」
2人の思考は加速する。それは段々と論理的な思考をすっ飛ばし、直感と判断だけが身体と魔法を動かし、辛うじてそれを論理が後追いし始めている形だ。
ここから先は互いに死地。クラメルはようやく、自身の予感を言語化する術を見つけた。
それは、死へのビジョン。覚悟無しでは進む事にも及び腰になってしまう領域。自分はおそらく、その一線を越えたのだと。
しかしそれはハートショットも同じ。
同時に、何度も似たような予感をねじ伏せてきた2人にとって、そんな死の予感は、足を竦ませるまでに至らなかった。
言うなれば、彼女たちは思考していない。此処からは両名の迸る直感を、あえて言葉にしただけのものである。
「(もう、周囲に気は使ってらんない……良いんだ。もう、このゴミの役にも立たない領主サマは必要ない。無駄な殺しとか、気遣いとか、ポリシーとか、どうでもいい)」
――その認識の変化はまず、クラメルの魔法に現れた。
正確にハートショットの喉元だけを狙っていたはずの水の刃は、今度は部屋の壁面や床を抉りながら、それでもなお相手の刃圏に踏み込んで行く。
それは間違いなく焦燥を含んでいた。しかしそんな事を指摘できるほど状況は楽観的ではない。
それどころか、魔法の動きに不規則性が増した。時に家具の遮蔽の隙間から飛び込んでくる速攻は、精神をすり減らしているハートショットに牙を剥く。
「(避け……れる……ッ!! だけどまだ遠いッ……どの武器の間合いにも入っていない! 銃はダメです……銃口を向けなければならないから、確実にワンテンポ攻撃が遅れる……その前に破壊されること請け合いですね……!)」
「ふゥッ……」
「(早く……早く詰めないと……さっきと比べて明らかに余裕が無くなった! 此処で感覚を奪われたら――)」
直後、暗転。
あまり当たって欲しくなかった予想通り、暗闇と無音だけがハートショットの世界になる。水刃が死角に入ったのと同時のタイミングだった。
そんな混乱の最中、彼女の身体は無意識に動いていた。
これまでの膨大なパターンから、次の攻撃の軌道を弾き出し、あらかじめセットしておいた動作のように回避行動に移行する。宙返りをしながら、残された鋭敏な触覚だけが、水刃が頭の横を掠めて通った事だけを知らせる。
感覚は先刻と同様、すぐに戻った。
「(回避出来てる……ッ! セーフですかこれ!? いや、だけど、少し高く跳びすぎた……着地を狙われ――)」
再び頭をよぎった悪い予想は、しかし今度は的中しなかった。
少し高く跳んだことに対して、これまでほぼ最適化されていたはずのクラメルの一撃は対応できなかったらしい。ほんの僅かな鈍りの直後、すぐにその誤作動は修正されたが、これはハートショットの直感の水面に新たな石を一つ投じた。
それは精密機械を打ち崩す極小の糸口。
それは縋るには、余りにもか細い手掛かり。
「(どう、なんでしょう……いや、迷ってる時間は無い……経験で上回る相手を更に上回るには、型破りにならなければいけません! 敵が絶対にやらないこと! 私が絶対にやらないであろうこと! ――『暗殺者』が絶対に拒否することをッ!!)」
「(あれを躱すなんて並外れた神経してるなあ。感覚は奪ったはず……つまり無意識と反射だけで身体を動かしたってことか。あれ? 今ピンチなの、まさか僕? 追撃が遅れた。ヒントを与えてしまった。――だけどキミは暗部の人間だったんだろう? だとしたら、痛いほど刷り込まれているハズさ……もう一手、『確信』を欲しがるだろう。そこがキミの脆さだよ……!)」
歯車が噛み合った。
絶妙なタイミングで、ちょうどハートショットがその結論に辿り着くことが出来たのは「運」だろう。
暗部の教育は苛烈。普通の狩人ならば、仕事のミスが必ずしも自分の死に直結するとは限らない。かつてルーキーだった頃は、あのパラノイヤですら失敗したことがあるほどだ。
だが暗殺者はその限りではない。一度のミスはそのまま死に繋がる。
元より名前も残らぬ世捨て人。自分が死んでも、その事は誰にも知られないというシビアな世界に生きる者。
彼女たちが最も恐れるのは失敗である。
そのため、普通の狩人よりも確実性を重んじる。こと実戦においてそれは、判断の遅れとも取れるような深刻な誤差を生むのだ。
クラメルはそのことを知っていた。
故に弛緩した。
この若輩が、そこまでの段階に至っているとは考えなかったから。まさにこの瞬間、ハートショットがその結論に至る事など、考慮の余地がなかったのだ。
「(搦手はまだ用意してある。もう一度感覚を奪ってから――)」
三度目の暗転、無音。
次の一撃を躱されたところで、今度は驚愕しない。ハートショットはそれが出来るということを知ったばかりだったから。その為、この暗転からの速攻は避けられることを前提としたうえで、別のタネを植えておく。保険の意味合いもあった。
そして視界が開ける。
「(やっぱり、今度はさっきと違って最小限の動きにより近い……この手は使えたとしてもあと2、3回――)」
ようやくクラメルは気が付いた。敗北を告げる鐘があるとしたら、その淵を撫で回されているという今の状況に。
ハートショットの手には、いつの間にか銃が握られていた。
セオリーであれば視認した瞬間に破壊するはずの武器を、あろうことかこの瞬間だけ、クラメルが破壊し損じたのだ。
「(ッ……こ、こいつ! 暗転してる最中に武器を構えてた!? それも拳銃! 初撃が一歩遅れるから使って来ないとばかり……いや、まさかもう使ってくるなんて! 僕の魔法の仕組みに確信も持たないまま!!)」
クラメルの無属性魔法は、決して「目の合った相手の感覚を奪う」などという万能なものではない。
その正体は「感覚の強制」――任意で感覚を操作することが出来るが、例えば、相手の視力と聴力を遮断している間は、同時にクラメル自身も「何も見えていない」し「聞こえていない」。
ダメージの視認も出来ないのだ。その状況に陥っても自分の優位が崩れない瞬間しか使うことが出来ず、お互いのパフォーマンスを著しく落とす事で強引に有利状況を作り出すような魔法である。
目撃者である使用人の感覚を潰した時も、2つの感覚が使えなくとも領主の部屋まで侵入出来るような素養が身に付いていたから実現できたに過ぎない。
誤算だったのは最初に感覚を奪った時に仕留めきれなかったこと。それほどハートショットの運動神経と直感がズバ抜けていた。
加えて……彼女の魔法は、余りにも静かだった。
「(武器破壊……は間に合わないッ! 防御を――)」
水刃を引っ込め、別の魔法を発動する。
空中で放たれる弾丸。
クラメルが人差し指を天井に向けると、その足元からは水の壁がせり上がり、それが銃弾の威力を相殺しつつ弾道を変化させる。
「(――いや、だが、まだだ! 攻撃の手を緩めてしまった! 一瞬でも詰める隙を与えたらキミは……)」
確実に、ノーブレーキで突っ込んでくるッ!
防壁を解除し、再び水刃を展開した。先の弾丸より、弾丸のように突っ込んでくる彼女の方がよっぽど恐ろしい。運動能力では敵う道理が無いのだから。
だが、これまで無数の攻撃を躱しきってきたハートショットの感覚は、やはりと言うべきか研ぎ澄まされていた。一切速度を殺さず、跳躍し、空中で身体を捻ると、うねるように襲いかかる水を紙一重で回避する。
「(よし、抜け――)」
「(まだ甘いよッ!!)」
一方で、クラメルの極限まで加速した判断も冴えていた。
網を突破された彼女が次に平静に選択したのは武器破壊。いくら身体能力が優れていようと、丸腰相手なら一撃で命まで食い込むことはない。水刃は確かにハートショットから外れたが、しかし代わりに、その手に持っていた拳銃だけは壊すことに成功した。
「(骨何本かは持っていくと良いよ……だけど次は僕の番だ。僕の水刃はキミより速い!)」
――パリン。
硝子が砕けるような音が響く。
骨を折られるにしては軽々しい快音であり、水刃が貫く音にしては激しすぎる。クラメルはハートショットに触れられた、自分の手のひらに視線を向けた。
「(これは、まさか【魔法陣破壊】――)」
ハートショットはそのままクラメルの手首を掴んで捻り上げる。
そしてもう片方の手で、彼女に、殴打でも武器でもなく自分の用意していた魔法陣を見せつけるようにして構えた。
「ッ……!」
直後、クラメルの目の前に広がったのは、この場にはそぐわないであろう光景だった。
金色の鱗粉が、粉雪のように舞い散る幻想的な景色。どうもおかしい。ハートショットが見せた魔法陣は火属性魔法のものだった。本来なら熱に包まれ、焼け付くような地獄の光の中で悶えるべきであるはずだ。
おそらくこれは……「金」属性魔法。
火属性と金属性、2つの魔法を同時に展開しているのだろうか。しかし、異なる二属性の同時展開は不可能なはずである。
だがそれ以前に、これがどんな魔法なのかは、今のクラメルにはどうでもよかった。
きらりきらりと、舞い遊ぶ煌めき。
海に反射する太陽の粒のような穏やかな輝きに抱かれる錯覚。
次にクラメルは、またあり得ないものを見た。それは朽ちかけた車椅子に座る、儚げな人の姿だった。隣にいるのは……クラメル自身。自分で自分の後ろ姿を見るなんて不思議な経験だ。
深い微睡みの中に落ちていくような、底知れない海に抱かれるかのような。
かといって、それに溺れてしまいそうな感覚は覚えない。
それはただひたすらに深く、永く、しかし須臾に過ぎ去ってしまいそうな、単なる幻影であった。
◇ ◇ ◇
「――こんな感じで、魔法が使えるまでには三段階あるんだ。魔法陣構築、魔法陣展開、発動。この前向こうの3番山で拾った本に書いてあった」
「へぇ、凄いなぁクラメルは。将来はきっと大魔法使いだね」
「うーん……でもねシャルル。僕の魔力量じゃ【創水】とか【水刃】とか、簡単な魔法しか使えないんだ。初等魔法は【魔法陣破壊】で簡単に無効化されちゃう」
「ふふっ、そんなに勉強してるくせに。それにほら、クラメルにはもう一個あるじゃない。私、その魔法も貴女も……とっても大好きよ。貴女のおかげで、私の人生はキラキラに輝いたんだから」
僕は、何を見てるんだろう。
これが走馬灯ってやつなのか?
死の淵に立たされた時、人生の経験から、生き残る術を見つける為に見る、刹那の夢だっけ。
嗚呼……心底どうでも良い。僕の命は病んでいる。
生き延びる方法なんて見つからないさ。僕みたいな奴が死ぬのが当たり前な場所で、生まれてきてしまったんだから。
最初から、この命と、愛が、僕の病気だった。
クラメルの動機などが徐々に明らかになってきます。次回が楽しみなどと思っていただければ、ブックマークや評価、感想などをぜひともよろしくお願いします。




