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泣かない魔女の絢爛な葬送  作者: 模範的市民
序章:人間不適合者
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2.Iron MakeUp

 インヘルが求めているのは、自分の記憶であった。

 いつからかぱったりと途切れていた記憶。そういえば、自分に親は居るんだっけ。誰かと一緒に遊んだっけ。

 童心とも呼べるであろう心持ちが、インヘルには存在していなかった。隣にそんな程度の年頃の子供を携えて旅をしていれば、嫌でも自分の子供時代を思い浮かべようとしてしまう。


 しかし彼女には実感が無い。いつの間にかこんな背丈になり、こんな力を持っており、彷徨っているうちにラストラリーと出会い、今に至っているようにしか思えないほど、自身の記憶がぽっかりと欠落していた。


 それに気が付いたのはごく最近だ。ラストラリーから、「ママはどんな人だったの?」と尋ねられてから、そういえば……と思い返してみて何も無かったことが始まりだった。


 何故自分は血が流れないのか、その所以たるものを知らずに、そういうものだと受け入れて生きてきたのだ。

 自分が何者なのかを知らず、何の疑問も持たずに生きてきた。最古の記憶も今や霞がかっていて、明日にでも忘れてしまいそうだ。


 いや、きっと、明日全てを忘れてしまったとしても、インヘルはこの生き方を変えないのだろう。狩人の認定証を懐から見つけ出し、魔獣を狩って生きる姿が目に浮かぶようだ。そこに何の疑問も持たず。


 しかしラストラリーの放った始まりの言葉は、インヘルの実感に煩わしい変化を起こしていた。


 例えば魔獣が見つからず、不貞腐れたまま宿をとり、飛び込んだベッドの上でそのまま微睡んだ瞬間とか。

 自分の中で、知らない人間の顔が浮かぶのだ。正確には、記憶には無いというのに、不愉快にも体感が知っているような、そんな誰かの顔が。


 ――よしよし。君は私の娘だよ……なーんて、分かるはずもないか。そうだ、君に名前を付けないと。いや、しかし……どうしようかなぁ。決めてなかった。


「……またか。何だよこれ……誰なんだよテメェは」


 インヘルにとってそれは、肝心な所だけがぼかされたような、ストレスの溜まる幻覚だった。

 そこから目を覚ますと、いつも数時間は経っている。これは本当は幻覚などではなく、その間だけ時間の進み方が違う別空間にでも飛ばされてしまう嫌がらせを受けているのではないかと疑ったこともあった。


 元から朝は苦手だった。夜がよく眠れないので、朝も爽快に起きたことがないにしろ、時折これが起こると、それはもう寝覚めが最悪である。


 地下街は時間感覚が希薄になりがちだ。頼りになるのは宿のエントランスに一つだけ置かれている時計のみ。

 部屋を抜け出して確認した針も今や深夜を指しており、自分の体内時計がその時刻を否定しようとしていても、それは遥かに信頼できる実測値である。


 夕方この宿へ入って、そのまま例のうざったい幻覚幻聴を体験して目覚めたとすれば整合性は取れている。


 結局彼女はその苛立ちをぶつける先も見つけられずに、ラストラリーが眠る自室へと足を運ぼうとした。


 ――キキッ、キッ、キキッ


 そんな彼女の耳に、錆びた金属を擦り合わせたような、小さい金切り音が届く。何かの鳴き声のようにも聞こえる。

 僅かな音だろうと十二分に不快なそれは、インヘルに疑問を抱かせた。


「チッ……何の音だ?」


 ――ガリガリガリガリ


 やがて鳴き声のような音は、木材を齧るような音に変化する。彼女が音の在処を追うと、それはエントランスのすぐ横にある食糧倉庫から響いているようだ。

 どうにも嫌な予感がする。そもそもこんな小さな音が聞こえるほど、宿が静まり返っているのが妙だ。


 インヘルは途端に気を張り詰めさせた。

 気付いたのだ。宿の店主の気配が無いことに。


 彼女は至極冷静に倉庫へ接近し、そこへ繋がる扉を開けた。直後、部屋に閉じ込められていた血腥(ちなまぐさ)い、すえた臭いが鼻を突く。


 倉庫の暗闇の中に浮かび上がるのは、西瓜大の2つの球体。眼球のようだ。扉が開かれたことによる外界の光で、そのまぶたの無い眼球の持ち主は侵入者に気付く。


 そこに居たのは全身が腫瘍のようなものに覆われた巨大な鼠だった。しかし、げっ歯類に見られるような特徴的な前歯の代わりと言わんばかりに、その口元には人間の歯のようなものがびっしりと生え揃っている。


「探す手間が省けたぜ。夜中を待ってたのか? 夜這いとは関心出来ねぇ趣味だね」


 暗闇に目が慣れたとき、鼠の体を覆う腫瘍の正体が露わになる。


 それは人間の体の一部(パーツ)だった。

 耳、鼻、四肢、内臓。夥しい数のそれらを全身に、まるで食糧でも備蓄しておくかのように纏わり付かせている。或いは毛皮の一片たりとも見えないところから察するに、全身の方が人間の身体の部位で出来ているのか。


 成牛のようなサイズのそれは、唯一自分のものと思われる目玉をぎょろりとインヘルの方へ向けた。

 やけに素早く動く尾は、まるで縄のような太さの線虫がびちびちと暴れ回っているかのように見える。


 その魔獣の足下には、食い散らされた大量の野菜や、おそらく宿の店主だったであろう肉の塊が散乱していた。悲鳴も聞こえなかったところを考えると、奇襲か、一撃で屠られたかだろう。


「デッカ。プロテインバーでも食った?」

「ギィイイイィィィッッ!!」

「まあいいや」


 魔獣はその巨躯からは考えられないほどの速度で跳躍し、歯並びの悪い口をあんぐりと開いてインヘルへと襲い掛かる。

 彼女は呼応して、右手の甲に黒い魔法陣を展開した。


「【機々械々(エクスマキナ)】」


 凶撃があわや眼前まで迫ったその瞬間、インヘルの振りかぶった右腕は無骨で機械質な鈍色の光沢を帯びる。

 その変化は腕だけでなく右半身まで広がり、それは鉄弓を引き絞るかのような唸り声を上げていた。


「【戦鎚機関(トニトルス)】」


 刹那の発火と雷撃。

 余りの速度に音すら歪ませるその拳は、魔獣の巨躯を横薙ぎに一閃する。

 昼間の騒動でカウンターテーブルを破壊してみせたアレは手加減と呼べるほどのものですらなく、本人にとって、蚊すら殺さぬ勢いで手心を加えたものだったのだろう。


 金属と肉が思い切りぶつかり合うような、ぐちゃりという湿っぽい音と共に、魔獣の全身は倉庫の壁、果ては宿屋と数軒先の家屋の石壁すら易々と突き破っていき、相当な距離吹っ飛んだところでようやく勢いが止まった。


 眠りについていた宿の客や周辺住民は災害でも起きたかのように飛び起き、慌ただしく狼狽した様子で部屋の外の様子を見回す。

 その中で唯一、この音がインヘルの出したものであることに気付けたラストラリーは、急いで彼女の元へと駆け寄る。


「あ……ママっ! て、て、敵……?」

「ママじゃねぇ。インヘルさんと呼びな」

「い、インヘルさんママ」

「はぁ……もういい。ったく、テメェが寝ぼけてる間に終わったぜ。万事順調絶好調にな」

「ひぇっ」


 インヘルが風穴を開けた方向を指差すとラストラリーはひゅうと音を立てながら息を飲み込んだ。トンネル掘りの工事現場さながらの惨状に、ラストラリーの顔色は真っ青だ。


「ば……ばかばか! だめだよママ! メーワクかけちゃったって!!」

「あン? 誰が馬鹿だと? 魔獣放っといたら街の奴らは全員死んでんだぞ。むしろ私は崇め奉られるべきだ」

「そうはいかないの! ママはいっつも……」


 ふとインヘルが吹き飛ばした先にある家屋の方向に目を向けると、住人と思しき人々が破壊の痕跡を目の当たりにして虚無感に包まれたような目をしている様子が飛び込んできた。


 やがてその視線が破壊痕の大元に到達すると、言葉を失っていたときの態度は一変。周囲は瞬時にバッシングの嵐に包まれる。

 その発端は、野次馬として現場を見物していた宿の宿泊人の1人だった。


「お、お前の、せいだぞ……!」

「そ、そうよっ! 何私たちを助けた気になってるの……!? 私たちまで危なかったじゃないッ!」

「俺の家……返せよ……!」

「見てみろこの惨状をっ! 何が狩人様だ……お前がでしゃばらなくても、他の狩人が上手くやってたはずだ!」

「魔獣を刺激したのはお前なんじゃないのか!」

「お前みたいな奴、狩人なんか辞めちまえ!」


 狩人連盟の鉄則――人を殺めるべからず。自分たちに手を出せない狩人の掟に基づいた、恐るべき被害者意識と集団心理が、怒号の嵐を呼び起こした。


 ――「狩人」なんて偉そうにしといて、結局魔獣を絶滅させることが出来ていない無能な連中だ。

 ――軽はずみに街を壊しておいて、申し訳なさそうにも出来ないらしい。

 ――人々の生活を守るのが使命じゃないのか。

 ――しかも子連れだなんて、仕事に対して責任感というものがないの?


 大合唱の波に飲まれながら、インヘルは辛うじてそんな言葉を聞き取っていた。

 言い忘れていたが、狩人は英雄ではない。むしろ嫌われ者で、汚れ仕事で、世間の評価は最悪極まっている。皆の憧れるような騎士団とはワケが違う。


 出てけ! 出てけ! 出てけ!


 そのうち怒声は一つの意思になり、集団心理は更なる統一化を見せた。自分たちはもう安全だ。もうこの街に狩人は要らない、と。

 そしてきっと、また魔獣が出たら狩人に祈るのだろう。それが狩人の歴史だった。


「……」

「ご、ごめんなさい……ごめんなさいっ……」


 ラストラリーはインヘルの陰に隠れるように彼女のローブをきゅっと掴み、涙目になって震えながら、迷惑をかけたであろう人々に精一杯謝っていた。

 しかし彼女の小さな声は、この渦に飲み込まれて誰の耳にも届かない。インヘルは何食わぬ顔で、そんなラストラリーを見ていた。


「う、うあああああッ!?」


 ふと、集団心理に悲鳴という乱れが生じる。

 皆が一斉にそちらの方向に視線を向けると、人間の腕のようなものが、ある男の首元をがっしりと掴んでいた。


 魔獣にはまだ息があったのだ。

 身体を構成していた人間の腕を分離させ、周囲の人々を人質に取るような振る舞いを見せ始める。


 一つの塊が瓦解する時は早い。恐慌は光の速さで伝播し、すぐに集団がパニックを起こして散り散りになる。


「フ、シュゥゥゥゥ……!」

「へぇ、動けないフリに人質か。頭は多少回るんだな」


 起き上がった魔獣の全身は、先程の損傷のせいか形を維持しておくのも難しく、肉塊の一部がぼろぼろと剥がれ落ちていた。

 分離させたパーツの中でまだ動きがあるのは、その魔獣と細い触手のようなもので繋がれているものだけらしい。


 ざっと10名ほどの一般人が、インヘルの隙を付いた鼠の魔獣により命を握られていた。その危機に対しては、彼女を除いて誰も動けない。ただ自らの命欲しさに、蜘蛛の子を散らすように距離を置いてしまった。


 魔獣は先程のインヘルの拳を警戒し、くれぐれも接近には慎重になっているようだ。


「た、助けて……! 助けてくれ……! アンタ狩人だろ!?」


 比較的魔獣の近くに居た破壊された家の持ち主たちが、軒並み掠れ声を揃えてインヘルに懇願する。

 しかしやはり彼女の表情は、ブーイングを受けていた時のそれと同じで全く動かない。さながら今死にかけている命を、同じ命として見ていないかのように。


 当然のことだった。

 何せインヘルは、「人間」というものが分からない。

 自分と似たような姿形をしているだけで、そこに親愛もなければ、何を考えているのかも全く理解できないのだ。


「やだ」


 そして彼らにとって不幸にも、彼女の行動原理は自分がムカつくかそうでないかであった。


「さっきまでよ。お前ら、何か、まるで自分が正しいみてぇに私にピーピー喚いてたよな?」

「い、言ってない……俺は別に何も言ってない……!」

「私もッ……お願い、私だけでも助けてよっ!」

「"気軽に嘘をつく"。ふぅん……これが私の理解できない人間らしさってやつか? だとしたらこれが悲しさってやつか。私、コイツらと同じなのはムカつくんだが」

「頼む……助けてくれ……さっきのは悪かったから……何かの間違いだ! な? な?」

「じゃあこれ以上文句を垂れるな。死にたくねぇなら目を閉じろ」


 予想通り、その指示はすんなり通った。人質全員が一斉にぎゅっと目を閉じる。しがみつくラストラリーの手を解くと、彼女は両手を上に挙げて降伏のポーズらしきものを取った。

 魔獣はその仕草の意味するところすら理解しているように、まぶたの無い眼球を歪ませて勝利の笑みを浮かべているように見えた。


 しかし、インヘルは生粋の「葬儀屋」であった。

 一度始めた仕事を中断するには死体と、棺桶が必要だ。


「【機々械々(エスクマキナ)】」


 彼女の背中の死角に、魔法陣が現れる。

 瞬きも許さない間隙。彼女はその魔法陣から、巨大な銃火器を引き出した。それは金属質な彼女の腕と一体化し、勝利の余韻に浸っている狡猾な魔獣へと向けられる。

 なまじ半端な知能を身に付けた奴には、降伏の素振りがちょうど良い目眩しだ。


「ギッ……!?」

「【銃殺機関(インフェルノ)】」


 銃弾と呼ぶにはいささか巨大な鉄塊が、息もつかせないような連射速度で魔獣の肉を穿ち、抉り、四散させた。

 原型を保っていられないほどの濃密で絢爛で苛烈な弾幕に、魔獣はいよいよ抵抗する力を、文字通り一片たりとも残さぬまま、細切れにされていく。

 インヘルが満足するまで掃射は継続し、鼓膜を殴り付けた爆音と、目眩くマズルフラッシュの後に訪れたのは、元の夜街の静寂だけだった。


 それが終わるとインヘルは軽く息を吐いた。

 魔力を収め、身体を覆っていた金属質はまるで瞬時に火傷が治るかのようにじわりと引いていく。


「終わったぜ。目ェ開けてもいいぞ」

「……」

「言い忘れてたが私はなァ、嘘を吐く奴が嫌いだ。何ださっきのは? やれ人々が〜だの、やれ狩人が〜だのと主語がデカくてウゼェ。守られようとしてんじゃねぇ。テメーらが怒ってんのは、大層な理由じゃなくて『私がムカつくから』だろ? ほら、もうさっさと消えろ。シッ、シッ!」


 インヘルは最後にそれだけ言い残し、助けた連中をその場から追い出しながら魔獣の亡骸の方へと足を運んだ。

 見るも無惨な姿になってしまったそれは、自然分解の法則を無視したかのように、もう崩壊を始めていた。

 そしてその肉体があった場所の中心に、拳大の大きさの、紫色に近いピンク色をした肉塊が稼働するように蠢いている。


 魔獣の心臓だ。

 この心臓こそが、狩っても狩っても魔獣の絶対数が減らない原因でもある。高音の熱で炭にしようと、海に沈めようと、腐らせようと細切れにしようと、どんな方法で処理を行おうと、やがてそのまま分解されてもう一度この世に同じ魔獣を誕生させてしまう。


 専門家はこれを「非合理な生まれかわり」と呼び、日々魔獣の転生の謎を究明しようとしていた。


 しかしそんな努力も虚しく、魔獣たちの輪廻の仕組みと人間への敵対心の源泉は未だによく分かっていない。魔獣との戦いにおいて、その途切れぬ輪廻こそ、人類を疲弊させる最大の原因となっていた。


 ――ラストラリーが現れるまでは。


「おい、残穢(ラストラリー)……テメェの仕事だ」


 彼女は自分自身をポーッとした目で見つめていたラストラリーを、水を差したとは気付かずに近くへと呼び出した。


 インヘルの仕事は言わば魔獣の葬式準備にある。

 ここからはラストラリーによる「供養」の時間。


 インヘルは魔獣の心臓を素手で掴み上げると、それをラストラリーに受け渡した。

ブックマークや、ページ下部から作品評価を頂けると、嬉しみで徐々に筆者の髪が伸びます。ただいま3ミリの坊主頭です。

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