14.Switch
幾許かの葛藤と疑問を胸に抱いたまま、彼女は一時の休息を求めて再びこのチームハウスへと帰還した。
傍に少女を置き、されど親にあらずの人でなし。だが此度はその表情に何処か靄がかかっているかのような、そんな様子で。
そんな彼女を迎えたのは、臆病を取り繕った1人の厭世と、名も知らぬ新参者である。
「おかえりインヘル。まだ討伐依頼は溜まってますので、仕事に行きたければ好きなタイミングでどうぞ」
「チッ……帰って来て早々に次の仕事の話かよ? 私は構わんが、そろそろ残穢が参りそうなんだ」
パラノイヤはその言葉に目を丸くした。大袈裟な演技でも何でもなく、本気で驚いていた。
まさかこの堅物が他人の心配をするなんて、今までの経験からしても稀有な事例だったからだ。インヘルはまさに「唯我独尊」に四肢が生えたような人物。全てが自分都合。
そんな者が、他者の都合で休息を取ろうとしている。今回の仕事のどこかで変わった経験をしたらしい。それを良い傾向と取るべきか、凶兆と取るべきかは未だ定かではないが、悩ましい表情をしていることと無関係ではないと判断したパラノイヤは、素直な質問をぶつけてみた。
「何か変わった出来事でもありました?」
「あン? ……ああ、そうだ。聞いてくれよ。魔獣が喋ったんだ」
「……どういう事です?」
自らの変化には無自覚のようだが、その代わりにインヘルが報告したのは、これまた非常に興味を唆られる出来事だった。パラノイヤはデスクに座ったまま仕事の手を止め、詳細の報告を義務付けるように視線だけを彼女の方へと向ける。
一瞬で終わる話にはならなさそうだと悟ったインヘルは、腕にしがみついていたラストラリーを追い払うように休憩に向かわせると、自らも近場にあった椅子を取り寄せ、無造作に腰を下ろした。
「まんまの意味だ。殺す直前に魔獣が言葉を話した。そんな話、聞いたことあるか?」
「初耳です。ごく珍しい個体、でしょうか? 魔獣には本能しか無いというのが通説ですし。或いは、襲った人間の真似事をしてみただけとか。発した言葉の内容は?」
「『やめて、殺さないで』……だったかな」
「判断不可能ですね。知性とも真似事とも思える。要検討でしょう。狩人連盟に報告しておきます」
「私にゃそれが、魔獣の言葉に聞こえたぜ。勘だが」
「ただの直感でしょう。しかし……インヘルの勘は妙に鋭いですからね。しかもバッドニュースについての勘が」
「知恵があったら悪いのかよ?」
「最悪の線は……魔獣が知性に『適応』している可能性です。ともすれば、あの正体不明のケダモノ達には、大きな進化の余地がある。言葉を発する魔獣というのが、その兆候でなければ良いのですが」
「あのー、ここまで無視されるの初めてなんですけど」
パラノイヤの隣でじっと2人のやりとりを見ていた、新参者のハーティがそう言った。独り言をわざと聞かせてくるような子供じみた駄々のようにも見えたが、どうやら彼女はただ黙ってインヘルを見つめていた訳ではないようだ。
言うなれば、そう、品定め。
これから行うであろう彼女の初業務はインヘルと協働での魔獣討伐。命の保証がないシビアな世界だ。
故に、当然ながら未だ馴染みきっているとは言えないハートショットは「同僚」を選り好みする権利がある。彼女はパラノイヤを信用に足る人物だと評しているらしいが、それはここ数日、彼女のデスクワークっぷりと手腕を目にしているからだ。
パラノイヤの戦闘力は定かではないが、少なくとも指揮官としてのまともさがある。
しかし今目の前に居るインヘルに、何の疑いもなく背中を預けるほど馬鹿ではない。
ハートショットには実戦経験がある。言わばプロの世界で生きることの何たるかを知っている。仲間を売る奴にも心当たりがある。
「協調性」というのはもはや崩れない前提。しかし、インヘルの振る舞いからはそれが全く感じられない。
ハートショットはいつもの腑抜けたような、からからと元気な声を完全に押し殺し、冷静に先を見定めていた。
「ハーティ。相方ですよ。無視されたからと言って、あまり睨んではいけません」
「だからこそです。おまけに、私が任されているのは彼女の補助。要するに、『下』なんですよ。パラさんが信用しているということを考慮しても、この人には仕事に対する誠実さというのが感じられない」
「おーおー言うねェこのガキンチョ。なあパラノイヤ。さっきまではアウトオブ眼中だったんだが、急に罵倒かまされちゃ無視出来ねぇよ。誰だコイツ? 補助? 何の話だよ?」
「これから説明しようと思ってたんですが……順序が狂いましたね。彼女はハートショット・オレアンド。前々から募集していた4人目です」
初めて見せる新人の様子に、パラノイヤは警戒を抱くと同時に少しだけ彼女に対する考えを改めた。
確かに彼女には、インヘルとはまた違う軽薄さがあった事は事実だ。しかし、自分の仕事の話になると人が変わったかのように頭がキレる。いや、頭はそれほど良くないという本質的な部分は変わらないのだが、「責任」に対しては自身の確固たる考えを持っているということだ。
――冷めた目で物事を見ることが出来る証拠だろう。才能がそうさせたのか、或いは身を置いていた環境故か。
この切り替えが出来る者は少ない。
そして何より初対面のインヘル先輩相手にこの胆力は、目を見張るものがあった。
「上から紹介された人材です。丁度忙しい時期でしょう? どうです、子守りなどに」
「オイオイ。私のことを信用出来ないとほざく女に、サポートしてもらえだァ? 真っ当な命令とは言えねぇな。主に私の精神衛生上」
「貴女そういうの気にしないでしょう。しかしまあ、この場限りで生まれたいざこざ。すぐに決着でもつけたらどうです。……ハーティはどうしたいんですか?」
「私が気に食わないのは、この人の『下』って部分だけ。どうです、立場を交換しません? とりあえず命令系統は私に。依頼は指名なんで、現場にはこの人にも出てもらいますけど」
「ははーん、私にお飾りになれってこった。私の仕事が減るのは良いんだが、ナメられてんのは業腹だぜ……うし、喧嘩すっか」
「まあ、それは外でやってください」
「(……パラノイヤ、新入りが不満げなのを見抜いて最初から吹っかけさせる気だったな? 性格出てるぜ全く)」
◆
ハートショットはインヘルの前評判をパラノイヤから聞いていた。
子連れ、無気力、恐れ知らず、エトセトラ。
そして彼女は全てにおいて、インヘルに対し、パラノイヤとは不釣り合いだという感想を持っていた。どうしてパラノイヤは彼女をここまで信用しているのか。その源泉が全く分からなかったのだ。
「(――曰く、戦闘に関しては文句のつけようがない。というのにカテゴリーはC……本当に強いんですかね? 命知らずの無能の下に就くとロクなことがない。私は貴女とは違って死にたくないんですよ、センパァイ?)」
「(対人戦か……昔やった事は覚えてるんだが、どんくらい前の話だっけな?)」
故に彼女が選んだのは、まずインヘルの立場の絶対的な担保である「強さ」の否定。インコ並の頭しかない彼女はそこまで考えていた訳ではなく、ただ喧嘩して上下関係を決するのがラクだからという短絡的な理由だが、インヘルにとってこの勝負はかなりいやらしい。
彼女がパラノイヤに信頼を置かれているのは、自身の強さのお陰でもある。相手が嫌がることを考えるのは戦闘の定石。幸か不幸か、ハートショット・オレアンドはこれを本能的に嗅ぎ分けたのだ。
インヘルにとって、これはタダの嫌がらせでも喧嘩騒ぎでもなく、自らの振る舞いを再考する必要が出てくるかもしれない、決して負けられない闘いである。
「なんで私まで」
「パラさんには見届けて欲しいんですよ。本当に、インヘル先輩が信用に足る人物なのか。その再認識の機会でもあります」
「……まあ、それについては一理あります。私はともかく貴女達は初対面ですし、命を預け合う仲になるのですから、信用は大前提。そのうえで上下を決するには合理的でしょう」
「(『一理』とか適当なこと言いやがるぜ。こうなると分かって新入りを差し向けたくせによォ)」
「――私としては、結果の分かる勝負に興ずるほど、暇ではないのですがね」
「む……」
ハートショットが頬を膨らませ、いじけるような態度を見せた。彼女の言わんとする意味が分かったのだろう。
「私では、インヘル先輩に勝てないと?」
「そうは言っていませんが……結果が出れば分かりますよ」
「後で『ハーティが勝つと思ってました』とかは効きませんからね! これで私が勝ったら、何卒立場の交換を!」
「勿論、約束は破らないのが信条ですので」
「――顔合わせから私の許可なく速攻で下克上ブチかまそうとしやがって。私の胸借してやるから、黙って来いよ戦闘狂」
「貸すほど胸無いですよね、センパイ」
「そうだな、よーし惨たらしく殺してやる」
「殺すのは無しに決まってるでしょう……いざって時は私が強引に止めますからね」
睨み合う2人を宥めるように、パラノイヤはその間に割って入った。そして一応、チームハウスまでの距離を確認しておく。
かなり離れた屋外まで出てきたので万が一でも無いとは思うが、カテゴリーA相当の魔法使い2人が喧嘩をするのだ。用心に越したことはない。
渋々顔な彼女たちを引き剥がすと、荒涼とした開けた土地の中心で、パラノイヤは喧嘩のルールを考案する。基準の下で行動しなければすぐにトラブルに発展しそうな2人だ。単純なルールの制定は必要な措置だと判断したらしい。
「1.殺さない。2.無闇に地形を破壊しない。3.一定距離離れた場所から私の合図で始める……このくらいでどうです?」
「……チッ、しゃーねぇな」
「パラさんの判断には異存ありません!」
パラノイヤへの信用度の高さをまざまざと見せつけるようにしながら、2人は指示を承諾した。
彼女たちはお互いの魔法を全く知らない。強いて言えばインヘルの再生能力について、ハーティが軽く知っているくらいだろうか。全てを知っているパラノイヤがそれらを詳しく教えなかったのは、この状況を予期してのことである。
――背中合わせになり距離を置く両名の間隔はおよそ20mほど。
見届け人として、被害を受けづらい場所で合図の用意をするパラノイヤを尻目に、インヘルは抜け目なく周囲の地形を確認する。
「(チームハウスのある山中の開けた場所……一応、土地の権利はパラノイヤが持ってるんだっけな。木も道も無ェが、足場が悪い訳じゃない。しかし、山なだけあって高低差がある……見晴らしは抜群だ。私の魔法にとっての不都合は無いが、パラノイヤが不公平な勝負をさせるとは思えねぇし……相手も存分に魔法を発揮できるだろう。意味通り、シンプルな『喧嘩』か)」
純粋な戦闘力をぶつけ合える場所であることは確実。
極力「運要素」を削ぎ落とした計画は、公正さを愛するパラノイヤならではの悪巧みが見え隠れしていた。
「合図と同時に振り向いたらそのまま開始です。どうぞ私を巻き込まないように」
インヘルとハートショットはまるでガンマンの早撃ち対決のように背中を向け合う態勢を作りながら、同じタイミングで深く息を吐き出す。
敵の魔法の予想などはしない。
「具体像」を勝手に作り上げると、裏切られた際の対応が鈍ることを知っている2人だからこそ、ここからは何も考えない。
奇しくも動きの次に論理が後追いするような形を快適とする彼女たちの戦闘に関する思考パターンは似通っているらしい。
パラノイヤは人差し指を立て、試合開始のゴングにしてはいささか消え入りそうな普段着の声で
「始め」
と呟いた。
2人の鋭敏化した感覚は容易くそれを聞き取る。
そしてインヘルが振り返った刹那――彼女は出鼻を挫かれたことに気が付いた。




