ある夜の夢
『あーー? できてないってどーいう意味だよ』
ヘッドセットから聞こえる怒鳴り声に僕は顔をしかめる。頭がグワングワンした。
「ゴホッ
す、すみません。ゴホン、ゴホン。
2日位前から調子が悪くて……
咳が止まらなくて、頭も痛くて……ゴホ、ゴホン
熱も少しあるみたいなんで『知らねーよ、そんなことはよぉ!』……」
『てめぇの体の具合なんて、聞いてねーよ。
わかってんのか? 明後日がソフトの納期なんだよ。それがまだできてねぇってどういうことだ。
いいか、明日までに絶対完成させろよ。
できなかったら違約金、てめぇに払わせるからな。テレワークなんだから、二十四時間働け!死んでもやれ。
いいな。ソフト完成させてからならいくらでも死んでいいぞ、この役立たずが!』
そして、一方的にWeb会議が切断された。
ため息しか出ない。
頭がガンガン痛む。
脇の下の体温計を見ると37度を少し超えていた。もう、なにもかも投げ出して眠りたかったが、さっきの主任の剣幕ではそういうわけにもいかない。もしも、ソフトが間に合わなかったら……
僕は発熱とは違う寒気にぶるりと身を震わせた。
「とにかく咳止めと解熱剤を飲んで、やるしかないな」
鉛がへばりついたような倦怠感に悩まされながら僕は無理やり立ち上がるとと洗面所へ向かった。
ブルルルル
ブルルルル
携帯のバイブの音に、僕は目を覚ました。慌てて携帯を手に取り、携帯に表示されている『主任』という文字に血の気が失せた。
時計に目をやる。
しまった! うっかり寝入ってしまったんだ。
ああ、終わった。
もうソフトの締め切りは絶対に間に合わない……
自然と体が震えてきた。とても携帯に出る勇気はなかった。携帯はゆうに1分は振動し続けてようやく止まった。だけど、安心はできない。きっと主任の事だから家に押し掛けてくるだろう。僕は軽いパニックに襲われた。
ああ ああ! どうしよう。できてないってなったらタダじゃすまない。
どうしょう、どうしょう……
逃げるか? …… でもどこへ?
ああ、もうおしまいだ。もう、どうにもならない。 ああ、ああ、一体どうしたらいいんだ!
気づくと自分のマンションの屋上に立っていた。金網を乗り越える。熱は下がっているようだけど頭がガンガン痛み、ものを考えるのがひどく辛かった。
死にたい
頭の中にはその単語しかなかった。金網を跨ぎ、下を見る。5階建てだが、頭がくらくらする高さだ。きっと飛び降りれば願いが叶うだろう。僕は一度深呼吸をするとそのまま、身を投げ出した。
「うわぁ!」
大声を上げて飛び起きた。心臓がばくばくと鳴り、全身に、びっしょりと汗をかいていた。
そうだ。僕はあの時、確かにマンションから飛び降りたんだ。そこまでの記憶にある。だけど、その先は……
地面に叩きつけられる前に、黒い穴が現れてそれに飲み込まれた……ような気がする。
あれが召喚された瞬間なんだろうか?
考えても良くわからない。
「どうかされましたか?」
横を向くと、そばで寝ていたリリアナが半身を起こして心配そうにこちらを見ていた。
「あ、うん。大丈夫。嫌な夢を見たみたい」
ぎこちなく笑って見せると、リリアナが近づいてきてぎゅっと僕を抱き締めてきた。
「えっ? ち、ちょっと待って……」
驚いて引きはなそうとしたけどリリアナは僕を離そうとしなかった。そして、耳元でそっと囁いた。
「大丈夫ですよ。大勇者様は私たちがお守りしますから。なにも心配することはないのです」
それは小さな子供に言い聞かせるこのようだった。その声を聞いているとなんだかすごく安らいだ気持ちになった。
「大丈夫です。大丈夫ですから。なにも、考えないで良いのです。安心して。なにも、考えないくて良いのです。なにも、なぁ~んにも心配しないで、安心して、私たちのそばにいれば良いのです」
それはまるで子守唄のようで、僕はその声を聞いているうちに再び眠ってしまった。
2021/03/220 初稿
次回投稿は明日(2021年3月21日)の10:00予定です