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業が沸く

病室の中は、空調がととのって心地いい。昼飯を食べたあとなのですこしだるい。窓から外の様子をながめた。いい天気すぎて暑そうだ。

父は、いまから肺がんの手術で看護婦から説明をうけている。

病気になった原因は、パチンコをする習慣から客が吸うタバコの副流煙を呼吸してしまう環境のせいかもしれないと、医師がいっていた。おれはパチンコの習慣が、原因だろうと思った。

「なんだ、これ?」

「手術後に回復するまでは寝たきりなので、エコノミークラス症候群を予防するためにストッキングをはくんですよ」看護婦はいった。

着替えた姿をみたら、笑ってしまった。寺島進を坊主頭にしたような風貌の父親が、手術用の白衣をきて白いストッキングをはいている。あまりにも生命の危機にある姿にみえないのだ。

「じゃあ、手術の時間になりましたらむかえにいきますね」

「ダサすぎるな、これは」

おれは笑いをこらえるのに必死だった。

父はパチンコ依存症で、家族のことなど無関心でいつもパチンコをしていたから、ろくな思い出がない。なにか請求があるときはパチンコで儲けてから支払いをしようという思考だから父に頼れない。

すこし思い出すだけで不快だから、父が死んでくれるというイベントによろこびが隠しきれなかった。なんせ国立がんセンター 2016年 部位別がん死亡率調査で肺がんによる死亡率は86.1%にもなるのだ。生きていられるはずがない。

父はなにかしてないと不安につぶされてしまうようで、そわそわしていた。

「おとうさん、必ずよくなることを祈っているから。がんばってね」

心にもないことを言った。人が死にむかっているのによろこぶのはよくないと思ったからだ。

「心配かける」父はしずかに返事をした。

「退院してパチンコ行くときはマスクしていこうね。また肺をやられたらたいへんだもの」

もうパチンコをやる機会はこないだろうし、父が気持ちよくなるようなことをいった。

すこし間があった。父は思案しているようだった。

「どうしたの?どこか痛いの?」

「こんな大変な思いするなら・・・パチンコはもうやめる。お前には苦労させてしまったな。家族をほったらかしにして悪かった」

いままで自分の非を認める言葉をつかったことがなかったのでぎこちなかった。

「いいんだよ、むかしはつらかったけど、いまは苦労がむくわれてきたから」

「ああ、いろいろ思い出すんだ、中学校のジャージを買う金もパチンコに使ってしまっておまえは着るものがなかったものな。悪いことをした」

「さっさとパチンコに行きたいから冠婚葬祭も途中で抜け出したし、知り合いの見舞いもいかずに金を使いこんだ。いろんなものを犠牲にしてしまった。悪いことをした。もう取り返しはつかない。」

父は天をあおぎそして、両手で顔を隠した。嗚咽しだした。

「おれは悪いことをしたんだ、なんてことをしていたんだ」

「死んでも死にきれない。おれはいまやっと目が覚めた。もし生きて帰って来れたら一緒に牛久の大仏を見に行こう」

「お父さん、そんなこというなよ。ぜったい、生きれるから」

父の改心におれは心臓が震えた。いまから起きることはしっかりみつめて、なにがあっても気持ちがくずれないようにしっかり立っていようと決めた。

ニッポン放送のテレフォン人生相談に、こんな相談があった。

相談者は、ろくでなしの親がなくなったときに、感情の整理がつかなくなった。ああすればよかった、こうすればよかったなど思ってしまう、どうしたらいいでしょうとのことだった。

回答者のマドモアゼル・愛が「死んでよかったじゃない、ろくでなしだったのだから」といっていた。おれも人が死んだら、かならず悲しまなきゃいけないというように、思考が止まっていたから、自分を不幸にした人が死んだのに悲しむことはないと考えられるようになった。

しかし、考えていたことと、同じことは起きないということが身にしみた。さっきまで死んで欲しいと思っていたのに、生きていて欲しいと思うようになってしまった。


「じゃあ、時間になりましたので手術室にいきましょう。息子さんは病室でお待ちください」

病室は6人部屋で入口から左側が父のベッドだ。朝から検査や診察にいっていたから、部屋はかたづいていた。

おれは父にたいする複雑になった感情を落ちつかせるために、ベッドに腰をかけた。

キャンバス生地の毛糸だま柄トートバッグから、クロバー棒針6号とハマナカ アメリー ナチュラルブラウンを取りだして、アラン模様のセーターを編み出した。

何も考えたくないときは、編み物がいい。

看護婦が、配膳の片づけに入ってきた。

「あら〜、お兄さんは編み物をやるんですか?」

「ああ、そうなんですよ。あまりできないですけどね」

「私は学校ですこしやっただけで挫折しちゃったので尊敬します。何を編んでるんですか?」

「セーターです。アランセーターといって、縄編みの柄が美しいんです」

看護婦が話しかけてきてうれしくなった。やはり編み物はすばらしい。

しかし、女にモテたいと思っていたときはモテなくて、そういうことをしている場合じゃないというときに嬉しいことがある。人生は思い通りにいかない。


「まもなく消灯です」

院内放送が流れて22時だと知った。編み物をしていて、気がまぎれていた。

あとは身頃をつけるだけになっていた。見舞いのものはもうおれしかいない。

看護婦に案内されて休憩室で待つことになった。そこなら電気がついている。

数分後に医者がきた。とても忙しそうでピリピリしている。

「手術が終わりました。無事に成功です。ICUにきてください」

それを聞いてホッとした気持ちで「ICUってどっかの大学か!」と心の中でツッコミをいれていた。緊張と緩和からおかしな心の動きをしてしまった。


ICUの入口は冷凍食品の倉庫のような堅牢な扉だった。室内は診察室とかわらないつくりだった。5人の看護婦に3人の医者がいた。みんな白衣にマスクをしていて、どんな顔をしているかはわからない。

父は治療台にのせられていて酸素マスクをしている。意識はなく脈もひくい、血液を循環させる機械がカタカタ動いている。白衣で隠れているが、わき腹から管がたくさんでている。手術は成功とはいえ、凄惨な光景だった。

外の静寂と対照的にICU内はとてもにぎやかだった。手術後で緊張がとけて、みなテンションが高かった。協力しあい長時間の大手術をしたあとだものなと思った。

「とりあえず、このまま眠らせておいて、あした目覚めさせます。そして、肺に通した管などを抜いて明後日には話せるようになります」

「なななんとお礼を言ったらいいか、ほほ本当にありがとうございました」

感極まってどもってしまった。


明後日。父から電話があった。病室を移動になったらしい。悪い予感が頭にうかぶ。術後出血、傷感染、肺炎など。声が萩原健一のようだったし、何があったのだろう。術後の副作用か?

病院に行った。曇りの天気で、ニュースによると午後は雨が降るそうだから、傘を持っていった。父の顔色はとてもよかった。相変わらず白衣にストッキングをはいている。

おれは安堵して泣きそうになった。「手術成功してよかったね。こっちは心配したんだよ。術後は管だらけでおっかねえし」

「本当に散々だった。寝てる最中に幽霊が出たんだよ。眼鏡かけたやつがこっち見てニターって笑ってやがんだよ。こっち来いよって言ってもなんの反応もねえ。すこししたら女もでてきてニターとしてやがるんだよ」

話をしていると、ポツリポツリと雨が降ってきた。二人で窓から外をみる。

だんだん雨が激しくなってきた。

「これじゃあ、帰れねえなあ」

「そうだね」

ズダーン!雷がなって、病院内が停電した。

「このごろの異常気象はなんだろうね。病院も停電するんだね」

「当たり前だ。病院だって停電するんだ」

マンスプレイニングがでたように感じた。父は改心したのだからかん違いだろう。

「そんでよ、怖くなって病室変えてもらった」

「ああ、そんなことがあったんだね、幽霊なんているんだね」

看護婦から肺がんの手術後は幻覚をみることがあると聞いていた。

「あとは管だらけで動けなかったし、何にも食べさせてもらえねえし、最悪だ。目の前のコンビニすら、行かせてもらえねえ」

「コンビニでよ、あんぱん買ってきてくれ、看護婦は話が、通じねえんだわ」

「それは・・・お父さんが、まだそういう食事をしていい体じゃないんじゃないかな」

「いや、小腹減ったんだ。お前も、もう少ししっかりしないとダメじゃねえか」

 話しぶりがだんだんうざく感じられてきた。

「でも、お父さん、生きててよかったじゃない。それだけで満足しないと」

父は憮然とした顔で言った。

「なにいってやがんだ。どいつもこいつもから馬鹿だ!」

「看護婦もこっちの話をろくに聞きやがらねえ。なめてやがるんだ」

「まわりの患者も馬鹿ばかりだ。不摂生が祟ってこんなことになったんだ」

「おれはしっかりしてるから、どんなもんだってんだよ」

「親戚も見舞いに来やしねえし、どうなってんだ。おれが入院していることを連絡しなかったのか?」

「いいか、ふつうは入院したら見舞いにくるもんだろう。どいつもこいつも人でなしだ」

「ほんと散々だった。退院したら気晴らしにパチンコに行くぞ!」

おれは呆れて膝からくずれおちた。白いストッキングが視界にはいり思わず笑ってしまった。


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