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ギャル改  作者: シンドロウ
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第一改 改造人間とかありえんてぃー




<それでは、次のニュースです。昨夜、収賄容疑で大学教授の彩園京介あやぞの・きょうすけ容疑者、四十三歳が逮捕されました>


「…………は?」



齧りかけのパンをそのままに、少女はテレビを凝視したまま硬直した。


それもその筈。大量のフラッシュと報道陣に囲まれながらパトカーへ押し込まれていく様を全国のお茶の間に曝されているのは、他ならぬ自分の父親だからだ。



「いや……これマ? マ? まぢでパパ逮捕されてんの?」



研究者として多忙な日々を送る父は、家に殆ど戻ることが無い。それでも、いい歳をした大人だし、生活費の振込みやら何やらも滞りないので、心配する必要はないだろうと思っていたらこれだ。



――収賄ってなんだし。つかパパ、四十三歳だったんだ思ってたより若いじゃん。ウケる。いや、ウケねーわ。



混乱した頭は、上手く情報を入れることが出来ず、余計なことばかり思考する。


今し方、彼女にとって重要なのは父親が何をやらかしたのか。そして娘である自分は、これからどうすればいいのか、だ。



「っべぇ、ガッコ行ってる場合じゃなくね、これ」



もしかしたら、今にも報道陣が家に殺到してくるかもしれない。そして自分も、父親よろしく全国デビューとなる訳だ。少女は半分残ったパンを皿に置いて、慌てて鞄から化粧ポーチを取り出した。



「カメラ来る前にもっと盛るしかねー。つけま、もっとエグいのにしよっかな」



冷静さを欠いているせいか、少女は「全国デビューするならちゃんと顔付くらなきゃ」と、手鏡を前に奮闘し始めた。当然、そんなことをしている場合ではないのだが、未だ父親が逮捕されたという衝撃にやられ、思考回路はショートしている。


少女は友人が「べぇ~~~、これバアちゃん家の便所で見たヤツだわ」と称した、恐ろしいフォルムの付け睫毛を取り出し、来たるマスコミの襲来に備えた。その時。



「っべ、もう来たの?! まだ全然盛れてねぇんだけど!!」



鳴り響くインターホンが、来客を告げる。この状況で、朝からインターホンが鳴るとなれば、相手はマスコミしかあるまい。きっと「お父さんが逮捕されて、どんな心境でしたか?」「事件について何か知っていることは?」等と、質問攻めにされるのだろう。


父親の年齢を先刻把握したばかりの少女に知っていることなど、何も無いが。それでも容赦なくカメラの前に曝されるのであれば、せめて可愛く映るしかないと、少女は意を決し、ドアを開けた。



「はぁーい!!」



覚悟を込めて、勢いよく扉を開け放つ。フラッシュに備え、目を細めてみた少女であったが、其処には無数のマスコミやカメラ、やじ馬の姿は一つも無く――。



「あ、あの……おはようござい、ます」



玄関先に佇んでいたのは、体長二メートルを越えているであろう、異形の大男であった。



「ぎゃああああああああああああああああああああああ!!!!!」






渾身の絶叫を上げ、卒倒した少女が眼を覚ましたのは、それから小一時間後のことであった。



「あ、起きた? いや、悪いね、くるむちゃん。びっくりさせちゃって」


「…………おじさん?」



起きて最初に目に入ったのは見慣れた天井と、よく知った壮年の男の顔だった。


ギャル渇望の涙袋とぱっちり二重を持つ垂れ目の二枚目。若い頃から知った顔は、十数年の月日を経てだいぶ老け込んだが、同年代に比べれば随分と若々しく見えるのは、スーツの上からでも分かる鍛え上げられた肉体のせいか。四十代前半でも尚、一切の弛みなく引き締まった体。あれに抱えられ、玄関からリビングまで運ばれ、ソファに寝かせられたのだと理解したところで、少女――彩園くるむは上体を起こした。



「むちゃかわおじさんだよね? まぢ久しくね?」


「うん、久し振り。その呼び方、相変わらずなんだな……」



彼は、武者川龍大むしゃかわ・たつひろ。くるむの父、京介の古くからの友人で、幼い頃からよく世話をしてくれて、家にも度々顔を出しては、此方の様子を見に来てくれている。くるむにとっては、父親より父親らしい存在だ。


ちなみに、むちゃかわおじさんという愛称は、子供の時、さ行が上手く発音出来ず、武者川おじさんと呼べなかった頃の名残である。



「きゃわたんじゃね? むちゃかわおじさんって。我ながらセンスやべぇって思うんだけど」


「そうか……。若い子の感性はよく分かんないけど、まぁいいや」


「つか、おじさんなんで家にいんの? パパなら家にい…………」



と、久方ぶりとなる武者川の来訪に幾らかテンションを上げていたくるむであったが、再会を喜び合っている場合ではないことを思い出し、凄まじい速さで武者川の肩を掴み、その逞しい体をぶんぶんと前後に揺らした。



「そうだ、おじさん!! ニュース見た?! パパ!! なんか収賄? とかで逮捕されてんの!!」


「知ってる。今日はそれについて、くるむちゃんに話があって来たんだ」



かなりの力加減で揺すったにも関わらず、まるで動じていない辺り、武者川の鍛え方が生半可なものではないことが伝わる。



――がーさすポリメン。



心の中で武者川を褒められる程度に余裕が戻ってきたところで、改めてと、武者川は向いのソファに座り、話を始めた。



「取り敢えず、順を追って話そう。……色々信じられないかもしれないけど、これから俺が話すことは、全て真実だ。しっかり聞いてほしい」



如何にも真面目な話をする、という武者川の顔に、くるむはミルクティーベージュの髪を直しながら、軽く眉を顰めた。


真面目な空気は苦手だ。しかし、敢えて空気を読まずにいられる様子でもない。此処はお利口さんでいるしかないと、くるむは綺麗に揃えた膝の上に両手を置き、背筋を伸ばした。



「くるむちゃん。君のお父さん……京介が、何の仕事をしているか、知っているか?」


「え……よく分かんないけど、大学で何かの研究してるんじゃね? 仕事のこと、全然聞いたことないから知らないんだけど」



父親が何の仕事をしているのか、具体的にはしない。仕事の話どころか、プライベートのことでさえろくに話したことが無いのだ。父親が何処で働いて、何をしているか。くるむは全く知らないのだが、武者川は、それも当然のことだと言うような渋い顔を浮かべる。



「……京介の仕事は、研究者だ。それは間違いない。だが……勤め先は大学ではない」


「…………へ?」



予想外の言葉に、くるむは呆けた。


父親の職場に赴いたことが無いので、彼の勤め先が此処だとはっきり言える大学が何処なのかさえ、くるむには分からない。しかし、朝のニュースで、父は確かに大学教授と言われていた。であれば、大学が勤務先ではないのかと眼をぱちくりさせるくるむを前に、武者川は更に衝撃的な言葉を口にした。



「京介の職場は、政府が極秘で運営している地下施設……人体実験が日常的に行われているブラック研究所。そしてそこでアイツは……生体兵器の開発グループリーダーをやっている」


「え、待ち。ちょ、おじさん、待ち」



それは幾らなんでも、とくるむは反射的に武者川を制した。


彼の表情は真剣そのもので、最初に宣言した通り、彼の言っていることは全て真実に違いないのだろうが。それでもこれは、くるむの頭が許容出来る範囲外だ。

父親が実は超絶ブラックな場所に勤めていて、其処で人体実験をして、生体兵器を開発している。そんなことを享受出来る人間がいてたまるかと、くるむは手を突き出したポーズのまま、真偽を確めるように武者川に尋ねる。



「ちょっと何言ってるか意味プーなんだけど……えっ、つまりアレなの? ウチのパパ、マッドサイエンティストなの?」


「……残念ながら、そういうことになります」


「やばくない? それガチめにやばくない? ウチはマッドサイエンティストの娘で、おじさんはマッドサイエンティストのズッ友ってことっしょ? やばいってまぢで」


「まぁ……京介も色々あってこうなっただけで、生まれながらのマッドサイエンティストって訳じゃないから……」



彩園くるむ、高校二年生にして初めて知った事実。パパは、マッドサイエンティストだった。



実は自分は武者川の娘だったと言われた方がまだ信じられただろう。事実は小説より奇なりと言うが、確かにこれは、国民的アイドルのメンバーとして活動している男装女子が俺様系アイドルと恋に落ちたり、戦国時代にタイムスリップして名立たる武将達に求愛される携帯小説より有り得ない。


いや、流石にそれは盛ったかと、くるむは自棄くそ混じりに乾いた笑いを零した。


一体パパは、いつからマッドサイエンティストになっていたのか。天国のママはこれ知っているのか――。

写真立ての中で穏やかに微笑む在りし日の母親を横目で見ながら、くるむは額に手を宛がい「ありえんてぃーだわ……」と重々しい声で呟いた。



「未だ困惑してるだろうけど……取り敢えず、話を戻そう」



武者川自身、こうなることは予測していた。父親が、マッドサイエンティスト。辛いとか悲しいとかより、なんで、と疑問符を浮かべたくもなるだろう、と。


理解しきれない分、落ち込んだり、酷く狼狽したりしていないのは、今日までその事実を秘匿してきた武者川にとって救いであったが。項垂れたくるむを前に、あまりいい気はしないものだと苦々しい顔をしたまま、武者川は話を続けた。



「京介が今日逮捕されたのは、ニュースで報道されていた内容とは違う。かといって、マッドサイエンティストだったから捕まったという訳でもない。彼の仕事は、国からの依頼だからな。……というか、実は京介は逮捕された訳じゃなくてね」


「次から次へと怒濤じゃね? 怒濤るだわ」



言いながら、「あ、これイイじゃん。今度使おう」と、友人との話のネタを頭の片隅にメモしたところで、武者川から第二の爆弾が放られた。



「アイツは……捕まったとみせかけて、秘密裏に保護されているんだ」


「……はい?」


「くるむちゃん、君……≪アルカトラム≫と怪人兵は知っているよね?」


「ああ……よくテレビに出る奴等でしょ。異次元の怪人帝国≪アルカトラム≫と、そこの兵士が、こっちの世界を侵略しに来てるって」






今から二十年程前。帝王・クリムゾニウス率いる怪人帝国≪アルカトラム≫が、異次元ゲートから此方の世界に侵攻して来た。


彼等はこの世界を征服し、人間を家畜奴隷として支配することが目的らしい。クリムゾニウスは、異次元ゲートを拡大・固定化すべく、怪人兵を此方に送り込み続けている。

そしてその異次元ゲートが空いているのは此処、日本の首都で。都内周辺は常に怪人兵の脅威に曝されているのが現状だ。


度々ニュースで怪人兵の襲来が報道されるし、時に怪人警報が出ることもあるので、今や≪アルカトラム≫のことを知らない人間はごく少数だろう。



して、その≪アルカトラム≫と父親が何の関係があるのかと、くるむが小首を傾げる中。武者川の話は核心へと迫っていく。



「≪アルカトラム≫から派遣されて来る怪人兵は、年々強くなっていてね……。人間が思ってたより抵抗してくるから、兵士のレベルを上げてきたんだろう。このままだと、いずれ人間では手も脚も出なくなると危惧した政府は、秘密裏に対怪人兵用の兵器を造ることにした。その計画の一つ……対怪人兵用生体兵器・改造人間製造計画のプロジェクトリーダーが、京介だ」


「……改造、人間」



此処でくるむは、そういえばと武者川の背後に佇む巨体に目をやった。



「って、お前かよ!! あまりに動かないから背景の一部に見えてたわ!!」


「ご、ごめんなさいぃぃ……!」



脳の処理が追いつかず、今の今まですっかり忘れていたが、そういえば自分が倒れたのは彼の出現によるものだと思い出したくるむは、これまで微動だにせず、壁際で置き物のように立ち尽くしていた大男に向かって声を上げた。


筋骨隆々の真っ白なボディに、体の各部位に奔る赤いライン。眼のない頭部に、ピンと生えた耳のような角のような何か。怪人でないのなら、あれが武者川の言う改造人間で違いないだろう。であれば、彼が家を訪ねてきたのも合点が行く。


しかし、何でこんなものを家に寄越して来たのかとくるむが頭をかしかしと掻いていると、武者川が部屋の隅で蹲った改造人間を呼び寄せ、紹介した。



「彼は、京介が造り出した改造人間一号。大人しくて気弱な性格だが、雑魚怪人兵なら腕の一振りでミンチに出来るパワーの持ち主だ」


「鬼じゃん。まぢパネぇの来たなオイ」



記憶が確かなら、雑魚怪人兵でも警察隊の一斉射撃でようやく倒せる程度の力を持っていた筈だが。

それを軽く殴った程度でミンチに出来るパワーとは。本当にとんでもないものを造ってくれたものだなと、くるむは何処か遠くにいる父親を張り倒したい気持ちを拳の中に握り込んだ。



「つかさ、おじさん、なんでそんなやべぇの家に連れてきた訳? 下手したらウチもミンチになりかねないよねコレ」


「あう……」



鬼だのやべぇだと言われ、傷心したらしい。その場に再び蹲り、指でフローリングにのの字を書いている改造人間一号は虫一匹殺せなそうだが、その拳一つで怪人を挽肉に出来る力を持っているのだ。その脅威たるや、爆弾をも凌駕するだろう。そんな危険極まりないものを何故、家に連れて来たのか。それこそが、武者川が此処を訪れた本当の理由であった。



「……一号が完成し、いざ怪人との初戦闘となった日。運悪く当たったのが、≪アルカトラム≫の幹部、マンドラゴラスでね」


「あ、知ってる。あの頭の形が卑猥で、テレビ出る時モザイクかけられてるやつっしょ」


「そう。そいつと一号が戦った時に、問題が起きてね……」



マンドラゴラス。全身が赤黒く、頭部がきのこのような形状で、所々血管が浮き出たフォルムの怪人兵幹部だ。



幹部は、異次元ゲートから侵入してくる兵士の監督役で、兵士が過剰に暴れて侵略予定地を滅ぼしたり、人間の反撃に遭って犬死しないよう見張る為、時たま此方にやって来る。

戦闘力は下級兵士百人分とも、今の人類では太刀打ち出来ないとも言われ、これまで幹部クラスが倒されたことは無いという。


その幹部の一人で、頻繁に此方の世界にやって来るマンドラゴラスだが、そういえば最近テレビであまり見ないと思っていたのだが。



「初戦で相手は大幹部。俺らも向こうも、一号が勝てるとは誰も思っていなかったんだ。……だが、一号はわりと余裕でマンドラゴラスに勝ってしまってね」


「うそぴょん……あいつ、自衛隊の戦車ぶっ壊してたじゃん……」



見た目は卑猥だが、マンドラゴラスはこれまで、幾人の勇敢な警察官や自衛官を葬ってきた実力派だ。

それを相手にして、わりと余裕で勝ってしまったとは。


いよいよ本当に大変なものじゃないかと一号を凝視しているくるむに、武者川は深刻な面持ちのまま続きを語る。



「幹部がやられたとなれば、流石の≪アルカトラム≫も危機感を覚え、これ以上改造人間が造られないよう、京介を狙ってくるだろう……。そう考えた政府は、京介を逮捕という形で保護し、奴等の眼を逸らし、その間に次の改造人間を造らせることにした訳だ」


「なるほ。……で、なんでこいつが家に来た訳?」


「改造人間は、≪アルカトラム≫や悪意ある人間に悪用されたりしないよう、セーフティロックがかけられている。このロックが掛かっている状態では、改造人間は半分の力も出せない。そして、ロックの解除コードは京介か、彼の娘である君のDNAと声が必要なんだ」


「……DNA?」


「ああ。一号のロックは戦闘終了後、自動的にかけられるようになっている。だから戦闘毎に、口から君のDNA……皮膚の一部や血液を摂取させ、戦えと肉声で指示しなければならないんだ」


「め、めんでぃー……」


「京介は、娘である君なら一号を正しく扱えると信頼していたんだろう。だから、記念すべき初号機である彼のロック解除は、自分と娘にしか出来ないようにしたんだ」


「有難迷惑って言葉がジャミってんだけど……ってことは何? もしかしなくてもウチ、こいつと二人で≪アルカトラム≫戦わなきゃいけない感じな訳?」


「……本当に申し訳ない」



話しながら、徐々に蓄積してきた罪悪感が、此処でついに限界値を迎えたらしい。武者川はソファから降りるや、その場に手をつき、膝をつき、綺麗な土下座をしてみせた。


まさか、幼い頃からお世話になってきた父の旧友に土下座をされる日が来るとは――。


暫し呆然としていたくるむであったが、事は「ちょっとやめてよ、おじさん~。頭あげてって~」で済まされることではない。



「本来なら、次の改造人間が出来上がるまで、京介と一号で持つだろうと思われていたんだ。だが、マンドラゴラスの件で京介は身を隠さなければならなくなり……現状、頼れるのは君だけなんだ、くるむちゃん」


「無理無理無理無理!! ウチ、あんな化け物と戦うなんてまぢで無理だから!!」


「君は一号の傍にいて、ロックを解除してくれるだけでいいんだ!! そしたら、後は全部彼がやるし、後片付けとかは俺達がやる!! 次の改造人間が出来るまで、その間だけでいいんだ!!」


「無理だって!! 怪人まぢやべぇじゃん!! 絶対死ぬってウチ!! まだ高二なのに若くして死ぬってガチで!!」



戦闘は全て一号はやると言っても、戦車を破壊するような奴らを相手にしていくのだ。彼と共に≪アルカトラム≫と立ち向かうということは、銃弾飛び交う戦場に放り込まれるのと同義だ。幾ら相手が武者川で、土下座をしてまで頼まれても、YESと言えることではない。ギャルだって死ぬのは怖い。



「頼む!! 今、世界の平和を守れるのは君しかいないんだ!!」


「いやーーーーーー!!! 平和の為に死ぬとかマジ勘弁だってーーーー!!!」



ぶんぶんと首を横に振り、無理だ嫌だと我武者羅に拒み続けていたその時。グシャァ! という破壊音が家の中に響き、その音に、くるむも武者川も口を開けたまま沈黙し、音の発生源たる一号の方を凝視した。



「あ、あの……ごめん、なさい。その……くるむちゃんが嫌がってたから、あの…………」



見れば、一号の足元のフローリングが無惨に破壊されていた。彼が殴りつけ、ぶち破ったらしい。くるむはサァっと顔面蒼白させながら、戸惑う一号から身を庇うように体を縮めた。



「……脅し?」


「ち、違うよ!! ぼ、僕はただ……くるむちゃんが戦いたくないなら、僕一人でも大丈夫って、そう言いたくて…………」



一号曰く、くるむが嫌がっているのなら無理強いしてはダメだと言おうと意気込んだ結果、勢い余って床を破壊してしまったらしい。決して、嫌がるくるむに「断ればお前もこうだ……」と言いたかった訳ではないのだと、一号は全力で否定する。


そんな彼を見つめていた武者川は、ややあって、何をしているんだ自分はと自嘲するような溜め息を吐いた。



「……そうだよな。突然こんなこと言われたって、受け入れられる訳がない」


「……おじさん?」


「くるむちゃんは、普通の女子高生なんだし……世界の為とか、平和の為とか言われても、怪人相手に戦えやしないよな」



迫り来る危機に目が眩み、生まれた時から可愛がってきた少女を死地に立たせようとしていたとは。

いい歳して情けないと肩を落としながら、武者川は傍らに置いていた荷物を手に取り、帰り仕度を始めた。



「行こう、一号」


「……いいの? 武者川さん」


「ああ。くるむちゃんは戦いたくないって言ってるんだ。無理強いは、良くないよな」



お前に言われて目が覚めたよと言いながら、武者川は一号の背を軽く叩き、帰還を促した。


これ以上此処にいては、くるむを巻き込んでしまいかねない。断られてしまった以上、潔く撤退し、次の改造人間が完成するまでの対策を練ろうと、武者川は踵を返した。


が、彼の口から零れ落ちた自嘲めいた一言が、事態を思いがけない方向へと運んでいった。



「幾ら怪人兵一人倒せば云百万支払われるって言ったって、命を懸けて戦えなんてそんなこと…………」


「待ち」


「へ?」



なんだか申し訳ないことをした。だが、自分はやはり怪人兵とは戦えないのだと、俯きがちになっていたくるむが、光の速さで顔を上げた。


蛍光灯の光を受け、キラキラと輝くフルメイク顔に、先程まであった恐怖は見られない。ナチュ甘ハニーヘーゼルのカラーコンタクトを入れた瞳も、爛々と輝いている。まるで、宝の地図を見付けたかのように。



「おじさん、今、なんて言った?」


「え……命を懸けて戦えなんてそんなこと」


「じゃなくて、その前!」



武者川は言った。怪人兵一人倒せば云百万が支払われる、と。


怪人兵一人で、云百万。下手したら、くるむが将来社会人となった時の年収より遥かに上回るかもしれない金額。それが、一号のセーフティロック解除するだけで支払われると聞いたら、万年金欠ギャルは食い付かずにはいられなかった。



「……怪人倒したら、そんなU吉もらえんの?」


「あ、ああ……。怪人兵と直接戦う訳じゃないにしても危険極まりないし……正当な報酬は支払って然るべきだと政府が。尤も、怪人兵のランク次第で値段も幾らか上下するけど」



雑魚怪人兵でも、最低十万前後。一般兵なら最大云百万まで。幹部クラスになれば億にも届く。

現状、改造人間一号だけが頼みの綱であり、彼の力をフル稼動させることが出来るのがくるむだけとなれば、これくらいの報酬は然るべきだと政府は判断し、交渉材料として用意した。


しかし、幾ら高額でも命懸けとなれば、今日までただの女子高生であるくるむには承諾しかねるだろうと思われていたのだが――。



「っべぇ……。怪人兵一人で云百万って、オールでオケっても超余裕じゃん……っべぇ……っべぇしか言えねぇ……」


「あの……くるむちゃん?」


「……おじさん。その件なんだけど……ちょっち、考えさせてもらえる?」



怪人兵は、そうひっきりなしに来るものでもない。向こうも無限に兵士を有している訳ではないし、異次元ゲートを通るに辺り、幾らかコストがかかるらしい。その為、次の改造人間が出るまで、ほんの数体そこそこの怪人兵と戦うだけで終わるかもしれないが。それでも云百、云千という金が入ってくるのだ。


しかも戦うのは一号。自分はロックだけ解除して、後は避難していればいいという。はっきり言って美味過ぎる。


これに喰い付かないギャルがいるか。否、いないと、頭の中で取らぬ狸の皮算用を展開するくるむに、流石の武者川も顔を強張らせた。



「まさかくるむちゃん、お金欲しさに怪人兵と戦う気じゃ」


「ち、ちげーって!! そんな援交感覚で命懸けたりしねーって!! 確かに、U吉は欲しいけど? でもやっぱ一番大事なのってラブ&ピースじゃね?!」



ちなみに名誉の為に言っておくと、くるむはお金欲しさに援助交際の類に手を出したことはない。どれだけ金欠でも、名前も知らないオッサンと寝るなど、ギャルとしても許し難い。何せ其処には、愛が無いのだから。


そう、大事なのはラブ&ピースであり、金は二の次。だが、あるに越したことはないだろうと眼を泳がせるくるむに、武者川は深い溜め息を吐く。



「……まぁ、理由はどうあれ、君がやる気になってくれたなら、それに越したことはない。ロックが掛かった状態の一号じゃ、一般兵士クラスの怪人でも危ういくらいだからな」



大人としては、軽率に自分の命を秤に乗せるなと言いたいところだが。くるむが人類の希望であり、彼女だけが頼りなのだと頭を下げた身で、偉そうに説教は出来ない。武者川は、子犬のように此方を見遣ってくる一号の頭を軽く撫でると、今度は一人で玄関方面へと足を進めた。



「取り敢えず、上の方に君が承諾してくれたことを伝えてくるよ。手続きやら何やらは俺がやっておくから……心構えだけしておいて」


「りょ。何か色々ありがとね、おじさん」


「いいえ。当然のことをしてるだけだからね」



よく磨き上げられた革靴を履き、武者川は彩園家の扉を押し開けた。


思うことはあるが、自分の役目はくるむを説得し、一号と共に≪アルカトルム≫と戦う使命を享受させることだ。それが成されたのであれば、次は本当に彼女が覚悟を決めた時、その身を守ることが己の使命となる。その時まで、余計なことは口にするべきではないと自分に言い聞かせ、一歩踏み出した時だった。



「……ところで、一つ聞いていい?」


「ん?」


「後片付けは俺達が~とか言ってたけど……おじさんって、ガチでフツーの警察官なの?」


「……あー」



そういえば、彼女は呆けているように見えて、鋭いところがある子なのだったと思い出し、武者川は額に手を当てた。


普段はまるで似ていないと思うが、こういう時、彼女はあいつの娘なのだなと、そう実感させられる。


武者川は人差し指を唇に宛がい、ナイショ話を打ち明けるような茶目っけ溢れる顔をしながら、ポケットから手帳を取り出して見せた。



「これも今まで秘密にしてきたことなんだけど……実は俺も、京介同様フツーのお仕事してないんだ」



警察手帳にも似た黒革製のそれには、政府直属機密特別機動部隊の文字と、武者川龍大の名前が記され、上等な黒服に身を包んだ彼の写真がその上で燦然と輝いていた。


それがどれ程凄いものなのか、今日まで彼の正体を嗅ぎ取れずにいたくるむにはさっぱり理解出来なかったが――写真に写る武者川の立派な姿を、くるむはとても誇らしいと思った。



「俺は、政府直属機密特別機動部隊……表沙汰に出来ない事件を担当する、お偉いさんの猟犬でね。今は、対怪人特別武装組織≪牙≫の隊長をやっている。一号を任されたのも、そういうこと」


「えげちぃー。よく分かんないけど、やばい。おじさん神ってるわ」



くるむが何を言っているのか武者川は凡そよく分かっていなかったが、それでも彼女が褒めてくれているのは分かったので、照れ臭そうにはみかみながら、玄関を離れた。



「じゃあ一号のことよろしく。また来るから」


「おけ。じゃね~、おじさん」



せっかく来てくれたのだし、姿が見えなくなるまでは見送ろうと、くるむはスリッパサンダルを履き、軽く外に出て大きく手を振った。



家の前に停めていた車に乗り込むと、武者川はヒラヒラと片手を振って、すぐに行ってしまった。


お偉い方に報告に向かうのだろう。彼も昔から忙しい人だとは思っていたが、想像以上に大変なところで働いているのだな……と、車が見えなくなったところで、くるむはあることに気が付いた。



「…………ん?」



しれっと言われたので、さらっと流していたが、武者川はさりげなく、とんでもないことを言い残して行った。



――じゃあ一号のことよろしく、と。



ゆっくりと振り向きながら、彼の言葉と、背後に依然佇む改造人間一号の姿を確めると、くるむはバシバシと眼を瞬かせながら素っ頓狂な声を上げた。



「んんーーーーーーーーー?!?!」






「…………」


「…………」



カチコチ。時計の秒針が動く音だけが、静まり返ったリビングに響く。


武者川が帰ってから三十分。残された一号と、彼を任かされたくるむは、互いに向い合うようにソファに着き、さてどうしたものかと口を噤んでいた。



今後、彼と共に≪アルカトラム≫と戦うのであれば、一号が自分の近くにいるのは必然。となれば、此処彩園家に居付くのも当たり前なのだが、改造人間と共に暮らすことになるとは想像出来まい。



(こいつ何パクつくんだろ……つか部屋とかどうするよ。空いてる部屋はあるけどベッド使えるか、このサイズで)



犬猫を預かるのとは訳が違う。何せ一号はこの巨体。改造”人間”とはいえど、人間と同じように飲み食いするのかも分からないし、睡眠を要するのかさえ疑問だ。そう、くるむは彼のことを何も知らないのだ。

そんな状態で引き受けてしまった自分も自分だが、彼について殆ど説明することなく行ってしまった武者川も武者川である。また来る、と言っていたが、出来ることなら今すぐにでも来てほしい。


くるむは両手を組み合わせ、暫し思い悩んだ。すぐに電話しても、車の中では出られまい。であれば、幾らか時間を置いて武者川に連絡するのがいいだろう。それまでの間、こうして名も知らぬ改造人間と二人でにらめっこしてる訳には――と、そこでくるむはあることに気が付いた。



「そういえば、あんた名前は?」


「な、名前?」


「そ。改造人間ってことは、改造された人間ってことっしょ? なら、名前あるんでしょ?」



武者川は彼を一号、と呼んでいたが、それは名前というより肩書きだろう。分からないことは山積みだが、取り敢えずこれから行動を共にする相手の名前くらいは把握しておかねばなるまいと、くるむは尋ねたのだが。ありとあらゆる質疑応答の中で最も答え易いであろう質問に対し、一号は返答に困っていた。


自分の名前など、考えるでもないであろうに、何をそんなに考えているのかとくるむが訝ると、一号は恐る恐る口を開いてきた。



「…………あるには、ある……けど……」


「けど?」


「……か、改造された時、過去の記憶を消去されてるから……こうなる前、どんな人間だったのか、どんな名前だったのかも分からなくて」


「はぁ?! 何それ、ウチのパパ、そんなことやったの?!」



予期せぬ解答に、くるむは思わずテーブルを叩いた。

マッドサイエンティストとは言ったが、まさか自分の父親が此処まで人道を外れているとは思わなかった驚きと、憤りが爆発したかのような勢いに、一号は可哀想なくらい肩を跳ねさせたが、くるむはそんな一号の様子も眼に入らぬ程に憤慨していた。



「ねぇわ。まぢでねぇわ。いくらマッドサイエンティストでもさぁ、普通記憶まで弄る? テンサゲの極みなんですけど」


「し、仕方ないんだよ。昔のこと覚えてると、人間に戻りたいって思っちゃったりするかもだし、家族に会いに行こうとか思うこともあるだろうし……守秘義務とかもあるから」


「いや、全然仕方なくないでしょ!! まぢでサイコだなあの野郎!! もう、ドン引き。ドン引きだわガチめに」



人体を原型をほぼ失うまでに弄った段階で最早倫理も糞もないのだが、だからこそ、人であった頃の記憶や名前まで奪ったことは許し難いと、くるむは怒っていた。


一号の言う通り、人間時代の記憶を持ち合わせていては何かと不都合なのかもしれないが。人の為、国の為、世界の為に怪人兵と戦う戦士としてその身と生涯を捧げてくれた者に対する所業ではないだろうと、くるむはソファにどっかりと凭れ、大きな溜め息を吐いた。


今日まで父親のことなど何も知らずに過ごしてきたことが、いっそ憎たらしい。子供に言えないくらいなら、そんなこと最初からするなと言ってやりたい気分だ。


彼もまた世の為人の為にと改造人間製造に乗り出たのかもしれないが、それはそれ、これはこれだ。

武者川と連絡がついたなら、まずは父親のことに対し幾つか物申さなければと眉を顰めていたが、ふと一号の様子が気になって、くるむは眉間の皺をそのままに、首を傾げた。



「……なんで嬉しそうにしてんの、あんた」


「えっ?! な、なんで分かったの?!」


「いや、口。なんかニコニコしてっから、笑ってんのかなって。つかあんた、歯やばくね? サメじゃん最早それ。リアルにサメってるわ」



ギザギザとした鋭い歯を僅かに覗かせる一号の口元は、喜びを噛み締めているように見えた。


凶器めいた歯がびっしりと並んでいる様は、とても悍ましい筈なのに。くるむの眼には、彼がニコニコと微笑みを浮かべているように見えて、気付けば此方の表情も柔らかくなっている。一号は、自分の口元を手で覆って、恥ずかしそうにしているが。



人であったの記憶は無くとも、それを消されている事実を知りながら、彼がこうも穏やかであることが、妙に馬鹿らしくもあり、微笑ましくもあり、少しだけ悲しくもあった。


彼はきっと、さぞ良い人間だったのだろう。


くるむは、盛大に照れる一号の様子にクスリと笑みを零しながら、ソファに座り直した。



「で、なんで嬉しそうにしてた訳? 改造人間的に笑いのツボに入るとこあった?」


「あ、いや……。くるむちゃんが、僕の為に怒ってくれたから、その……嬉しくなっちゃって」


「なんだそりゃ」



初見時はあまりのインパクトに卒倒したが、落ち着いて見ると――やはりおっかないビジュアルであることに変わりないのだが。言動が稚けないせいか、次第に慣れてきたせいか。くるむは徐々に、目の前の改造人間が大型犬に思えてきた。


もし一号に尻尾があったのなら、今頃ぶんぶんと左右に振っているだろう。その代わりと言わんばかりに、耳のような角のような部位がピクピクと動いている。



――角はあんな風に動かないだろうから、もしかしたらあれは耳なのかもしれない。



くるむは、これもギリギリきも可愛いくらいにはなるのではないかと眼を細め、ほのかに赤くなった一号の顔を見遣る。



「あんたさぁ、見た目はまぁ改造されてんだから仕方ないにしても、中身も変わってんのね」


「そ、そうかなぁ……」


「なんつーか、怪人とバトるキャラしてないよね。あれだ、小鳥とか肩に乗せてる系のやつだわ。巨人兵的な感じ」


「……うん。戦うのは、あまり好きじゃない……かな。戦う為に造られたのに、こんなこと言っちゃいけないんだろうけど……」


「んなことないって。ていうか、愚痴の一つ言えねーってんなら、まぢでポコパンっしょ。グー安定だから」



言いながら、シャドーボクシングをして見せると、一号は何処か困ったような笑みを浮かべながら「ありがとう、くるむちゃん」と小さくお辞儀してきた。


何も礼を言われるようなことをした覚えはないのだが、感謝されたなら有り難く受けとめておこうと、くるむは特に何も言わず、適当に笑って返した。



それにしても、一号は本当に戦いに向いていないように見える。

記憶まで弄るくらいなら、人格まで好戦的にするか、命令には絶対の、戦闘ロボのようにしてしまえばよかっただろうに。その方が余程人道的と思える程度に、一号に戦いを強いるのは酷なことのように思える。

こんな些細なことで喜んだり、すぐに傷付いたりするような繊細な心は、間違いなく戦いに不向きだ。

彼が何を想って、怪人兵との戦いに臨んでいるのかはしらないが、当人も戦闘を忌避している辺り、嫌々やっているようにも感じられる。


それが今の自分のアイデンティティであり、絶対的な使命だとしても。一号自身が嫌がっているのなら、止めさせてやるべきなのではないだろうか。近々、次の改造人間が造られるようだし。彼の代わりが出来るなら、彼が戦う必要はないのではと、くるむは沈思した後、パチンと指を鳴らした。



「……あのさ。あんた、戦うの嫌なら、逃げちゃえばいいんじゃね?」


「…………え?」



其処に眼があったなら、何度もぱちぱちと瞬きしていただろう。それ程の驚きようでポカンと呆ける一号を前に、くるむは我乍ら名案と言うような顔で、とんでもない案を語る。



「おじさんには黙っておくからさ、今のうちに逃げちゃいなよ。それで、あんたは自由の身になれて、ウチもいつもの生活に戻れる。ほら、これWIN-WINじゃん!」


「え、えええ?!」


「ちゃけばU吉は欲しいけど、よくよく考えたら命あってのU吉だし? 見知らぬ他人の為に命懸けてこいってのもかなりキツいし」



正直、くるむは今も金が惜しかった。一号の隣に立ってロックを解除するだけで、好きな物を好きなだけ買える大枚を頂戴出来る。そんな美味い話、きっと一生やってこない。だが、自分が戦いを拒んだ時、床を破壊してしまう程の意気込みで武者川を説得しようとしてくれた彼が戦いたくないと言うのなら、その意志を尊重してやるべきだと思うのだ。


怪人兵との戦いの為に造られた改造人間が、≪アルカトラム≫との戦いから逃げるなど、許されることではないだろう。それでも、本気で戦いたくないのなら、何処へでも逃げるべきだ。


相手が怪人兵であっても、敵を傷付けることで一号自身が傷を負うくらいなら、世界の果てまで逃げてしまえばいい。誰もが彼を責め立てるかもしれないけれど。そんな声など一つも聴こえないところまで逃げていけばいい。くるむは、今はその絶好の機会だと、一号を真っ直ぐに見ながら、真っ直ぐな声を投げかけた。



「だからさ、逃げちゃいなよ。あんただって、誰かの為に改造されて、誰かの為に記憶も名前も奪われて……その果てに誰かの為に死ぬなんて、嫌でしょ?」



武者川が気付いた時は、適当な方向に逃げて行ったと言っておこう。


共謀がバレた日には自分も何かしらの罰を受けるかもしれないが、武者川ならきっと酷いことはしない筈だ。自分のことを責めるより、一号の抜けた穴をどう埋めるか、それを最優先に考えて、軽い拳骨一つで済ませてくれるに違いない。そんな彼が、一号紛失の責任を問われたら――その時は、お偉いのとこまで殴り込んでいって、一号に対する非道を責め立ててやろう。お前らが人のこと言えた義理かと、びしっと言ってやればいい。


くるむは何も知らないが故に、何処までも楽観的だった。この世にはどうにもならないことがあると分かっている筈なのに、どうにかなることも同じ数だけあると思っているが故に、くるむは一号を揺るがすような言葉を口にする。


けれど、彼女の分も一号は理解していた。


自分は改造人間になった時から、何処にも逃れられやしない。怪人兵を一人残らず殺すか、怪人兵に殺されるか――その時が来るまで、自分は戦い続けなければならない。そんな運命を享受しているからこそ、一号はくるむの言葉に頷けなかった。


戦うことは、好きではない。どちらかと言えば、嫌いだ。くるむの提案も、本当は、心底嬉しくて仕方ない。だけど、だからこそ、一号は小さく首を横に振った。


くるむは、知らない。彼が何の為に改造人間になったのか。その記憶さえ消失していながら、尚も戦うことを選んだのか。その理由を、その覚悟を、彼女は知らない。知らされていない――。



「…………僕は、」



何かを告げようとした一号のか細い声がぽつりと落ちたのとほぼ同時に、けたたましいサイレンの音が響き渡った。


その本能に警鐘を鳴らすかのような音は、都内周辺に住まう者であれば、誰もが意味を知っている。それは、近場に怪人兵が出現した時に鳴り響く、避難勧告だ。



「ウソ、怪人警報?!」



くるむが慌ててリモコンを掴み取り、テレビの電源を付けると、ちょうど緊急ニュースが映っているところだった。


命知らずのリポーターと共に映し出されているのは、見覚えのある街並みだ。

ちょうどここから北上したところで、距離は数キロ圏内。人通りの多い場所なので、もしかしたら知り合いがいるかもしれない――と、手に汗握りながらテレビ画面を凝視していた時だった。



<ただいま、警官隊と怪人兵カマキュリオンが応戦しています!! 更に、現場近くには幹部、スカルタクスの姿も確認されており――>



カマキリのようなブレード状の手を持った怪人兵――カマキュリンの腕の一振りで、バリケード代わりのパトカーが吹っ飛ばされた。


その切れ味の恐ろしさは、滑らかな断面図を曝したパトカーや、周囲に散らばる瓦礫を見れば一目瞭然。

相手はそこそこの階級を持った怪人兵らしい。警官隊が相手では、あと何分持つか。


そんな現場の中で、銃を手に懸命にカマキュリオンに向かう男の姿を眼にした時から、くるむはリポーターの声も何も、頭に入ってはいなかった。



「あ、あの人……もしかしなくても、武者川さ――」



一号が言い切るより先に、くるむは反射的に駆け出した。



間違いない。あそこにいたのは、あの絶望的な戦場にいたのは、武者川だ。


そう理解すると同時に、体が動き出して止まらなかった。



「く、くるむちゃん?!」



早く行かなければ。そうしないと、おじさんが、あの怪人兵に殺されてしまう。そんな悍ましい予感に駆り立てられるがままに、くるむは走った。



自分が行ったところで、どうにもならないだろう。けれど、あのままリビングでテレビを眺めていても、運命は変えられない。そう何かに急かされるように、くるむは走って、走って、走って――荒ぶる呼吸の合間に、武者川のことを思い出した。



父親がいない寂しさに圧し潰れそうな時、家を訪れ、一日中遊んでくれた。

母親が事故で亡くなり、深く落ち込んだ時、元気を出してほしいと色んな場所に連れていってくれた。

受験勉強に行き詰った時、丁寧に一問一問解説して、くるむちゃんなら絶対合格出来ると励まし、お守りまで買ってきてくれた。

忙しいだろうに、参観日や三者面談の時に親代理として足を運んでくれた日もあった。


彼がいたから、自分は今日まで腐らずにいられた。あらゆる悲しみや苦難を乗り越えて来られた。

そんな彼が、もし死んでしまったら。そう考えるだけで、くるむの胸は張り裂けそうだった。



「おじさん……おじさん……おじさあああああん!!」



怪人警報を聞いて逃げ惑う人と時にぶつかりながら、避難誘導をする警察官の制止を振り払いながら、無我夢中で駆け抜け――その先で目の当たりにした光景に、くるむは刹那、呼吸を忘れた。



「……ウソ、なんで」





罅割れた道路。倒壊した建造物。切り刻まれた街路樹や信号機。ガラクタと化した車。砂っぽい風に混じって鼻を衝く、鉄の匂い。


まるで映画の中のような、破壊された日常の光景。それが、とても近しく馴染みのある場所であるが故に、脳の奥深くまで杭を打たれたかのような衝撃を覚える。だが、くるむにとって更に衝撃的なものが其処にはあった。



「うおおおおおおおおおおおお!!!」


「……あいつ、なんで此処に」



其処には、たった一人カマキュリオンと戦う改造人間一号の姿があったのだ。



「キヒヒヒヒ!! こんなものか、改造人間 !!マンドラゴラス様をやったというから警戒していたが、思うようにパワーが出せていないようだなぁ!!」


「う……うあああああッ!!」



呆然と佇むくるむの目の前で、カマキュリオンの攻撃を受け止めた筈の一号が、力任せに吹き飛ばされた。

どうやら彼は、くるむを追い越す速さで現場まで駆け付け、カマキュリオンと対峙していたらしい。だが、未だセーフティロックが解除されていない状態故、カマキュリオンの言う通りパワーが出せず、苦戦を強いられているようだ。ろくに受け身も取れず、地面に転がった一号のボディは、所々痛ましく切り裂かれ、傷口からは鮮やか過ぎる程に赤い血がダラダラと流れ落ちている。


そんな状態でカマキュリオンと戦う一号の姿を見て、くるむは息が詰まりそうな胸元を反射的に握り締めた。その時だ。



「くるむちゃん! 来たのか!!」


「お、おじさん!」



依然銃を手に、一号の援護をと身を潜めていた武者川に声を掛けられ、くるむは覚束ない足取りで駆け出した。


武者川が無事だった。その安堵感もあった。だが、それよりも、戦いを忌避していた筈の一号が此処に来て、ろくに力も出せない状態でカマキュリオンと対峙していることへのショックが強く、くるむの足は上手く動いてくれなかった。



気を抜けば、膝から崩れ落ちてしまいそうだった。テレビで見るよりも遥かに悍ましい怪人兵に、彼が甚振られる様が、恐ろしかった。瞬き一つすれば、次の瞬間には彼がカマキュリオンに殺されてしまいそうで、馬鹿みたいに体が震えた。そんなくるむを受け止めるように物陰に引っ張り込むと、武者川は懸命にカマキュリオンに応戦する一号へと視線を遣った。



「あいつ……まだセーフティロックが解除されてないってのにカマキュリオンと応戦し始めてな……。向こうには幹部もいるってのに、無茶しやがって」



言いながら、手持ちのハンドガンに弾を装填する武者川は、悲痛な面持ちのくるむを横目で見て、眉を顰めた。


自分が離れてから今まで、彼女と一号の間にどんなやり取りがあったのか。武者川には知る由もない。それでも彼は、カマキュリオンに甚振られながら、尚も懸命に立ち向かう一号の姿を見て、今にも泣き出しそうなくるむの顔を見て察した。


彼女はきっと、争いを好まない一号を戦わせたくないと。そう思うようになったのだろう、と。



そう理解出来ていながら、武者川は敢えて、くるむを此処から引き剥がすことをしなかった。


全ては、世の為、人の為、平和の為。そして何より――今戦っている一号の為に、彼女には覚悟を決めてもらうしかないのだ。



「……君が来てくれたなら、もう大丈夫だ。マンドラゴラスを倒したあいつなら、負けやしない」



くるむを強い言葉で宥めながら、武者川は歯を食い縛った。


何が機密特別機動部隊だ。何が対怪人特別武装組織だ。

限りなく無関係な女の子の優しさを無下にして、戦いを嫌う奴を最前線に立たせて。それで全てが救われるからなんて納得しようとしている。


そんな自分に心底腹が立つ。だが、激情一つで何もかも投げ出せるような純粋さは、とうの昔に捨ててしまった。


気が付けば色んなものを妥協するようになった。あらゆるものに眼を瞑るようになった。余計な荷物は迷いと共に置き去りにするようになった。そうして、後戻り出来なくなったこの身で、今更綺麗事を掴み取ることは出来やしないのだと自分に言い聞かせると、武者川は吼えるように声を上げた。



「一号、くるむちゃんが来てくれた!! 一度撤退して、セーーフティロックを解除しろ!!」



傍らのくるむが、びくりと肩を震わせた。此処でセーフティロックを解除しなければ、一号がカマキュリオンに殺されると分かっていても、彼を戦わせることに抵抗があるのだろう。そんな彼女の切願するような眼差しを振り解き、武者川は、カマキュリオンの攻撃を受け続ける一号へと叫ぶ。



「おい、一号! 聞こえてるだろ?! 今すぐロックを解除するんだ!!」



もし此処で一号が死ねば、この世界は一気に攻め落とされるだろう。次の改造人間製造まで持ち堪えられるかも危ういところだ。この一戦には、世界と人類の存続がかかっていると言ってもいい。


だが、今の武者川にとっては、そんなことは半ばどうでも良くなりかけていた。



「どうした一号!! 早く戻れ!!」



万が一、目の前で一号が死ぬようなことになれば、くるむは心に深い傷を負うに違いない。


その外見や言動から勘違いされるが――幼い頃から彼女を見てきた武者川は、彼女がとても心優しく、人の為に胸を痛める子だということを知っている。



一号が此処で倒されれば、くるむはきっと、自分を責めるだろう。彼を止められなかったこと、彼を戦わせてしまったこと、彼の力になれなかったこと。様々なことを悔やみ、嘆き、それを自分の罪業として背負ってしまうに違いない。


だからせめて、彼女が負う傷が浅く済むように。彼女が受ける痛みが限りなく小さくなるように。今すぐにでも撤退して、全力を以てして奴等を撃退してくれと、武者川は嘆願するように声を張る。



「安全装置が起動している状態じゃ、あいつらには勝てない!!今すぐくるむちゃんに――」


「駄目だ!!」



しかし、一号は頑なにその場から離れることを拒む。


今こうしている間にも、その身をカマキュリオンの鎌に引き裂かれていながら。それでも一号は、撤退を拒絶する――否。彼が、こうも必死に拒み続けているのは。



「くるむちゃんは、優しい子なんだ……」



振り下ろされたカマキュリオンの腕を掴み取ると、一号は力の限り踏み込んだ。


これ以上、踏み込ませる訳にはいかない。引き下がる訳にはいかない。自分の後ろには、誰よりも何よりも守りたいと心に決めた彼女がいるのだからと。鉛の鎧を着込んだように重い体で、一号は必死に抗う。



「戦いたくないなら、逃げていいって……戦う為に造られた僕に……こんな体になった僕に……くるむちゃんは、そう……言ってくれたんだ」


「くっ……こいつ……まだこんな力、が……ッ」



とうにボロボロだというのに、未だセーフティロックも解除されていない状態だというのに。一号は、限界以上の力を振り絞るように、カマキュリオンをジリジリと押し返していく。


その力の淵源は、偏に、彼の意地であり、覚悟であった。



「そんなくるむちゃんを、僕は戦わせたくない。だから……僕は、一人で戦うんだ」



例え、この身を縛る抑止力があろうとも。万全の状態で戦えずとも。自分が血反吐を吐くような想いで拳を振るい、怪人兵達に勝利することが出来たなら、くるむは戦わずに済む。


一目見て卒倒する程に恐ろしい、こんな、化け物のような体に成り果てた自分の身を案じ、憂い、逃げてもいいのだと言ってくれた。そんな彼女を守りたいと、一号は心から願った。


全ての怪人兵が倒され、≪アルカトラム≫との戦いが終わり、世界に平和が戻るその日まで、彼女が今までと変わらぬ日常の中に在り続けていられるのなら、傷付くなど厭わない。一号は、そんな願いと祈りを込めるように、カマキュリオンへと拳を振り翳す。



「優しいくるむちゃんが傷つかないよう、傷つけられないよう……僕は一人で、お前達を倒すんだあああああ!!」


「!!」



渾身の力を込めた一撃は、カマキュリオンの体を吹き飛ばした。


一号が此処に来てから、初めての大打撃。セーフティロックが機能している為、今の一撃のみでカマキュリオンを撃破出来たとは思えない。それでも、かなりのダメージを与えることは出来たのではないだろうか。


沈黙の中に、希望が溶けだしていく。だがそれはほんの一瞬、僅かに垣間見えた夢に過ぎない。



「キヒヒ。なァんだ、息んだ割りにはこの程度か」





切り裂かれる砂煙。その鎌鼬のような風に当てられ、一号の体が宙を舞う。


それは人々にとってどうしようもない現実であり、抗いようのない、絶望であった。



「一号!!」


「ふん。よく分からんが、改造人間もここで終わりのようだな」



其処に更に追い討ちをかけるかのように、積まれたパトカーの上に異形の影が降り立った。


喩うならそれは、死という概念を形にした姿だ。濁った白い骨で出来た鎧のような躯。星一つない夜空のように黒い皮膚。不気味なライトグリーン色に発光する双眸。風に靡く烏の羽根のような毛髪と、同じ色をした裏地の赤い外套。見た者に命の終わりを感じさせるその容貌は――。



「幹部、スカルタクス……!!」



≪アルカトラム≫が誇る最強クラスの兵士。幹部の中でも特に名高き、髑髏の怪人。至極つまらなそうに腕を組みながら倒れた一号を見遣る彼こそが、≪アルカトラム≫幹部・スカルタクスであった。


通常の怪人兵ですら、実際に見たことは殆どないくるむでも、彼がカマキュリオンや他の怪人兵とは格が違うのだということが一目で理解出来た。



その立ち振る舞いから気迫から、スカルタクスが強者であることは明らかで。こんなものに勝てる訳がないという恐怖と絶望が、足元からせり上がる。


まるで、密室の中に徐々に水を注ぎ込まれていくような気分だ。息をすることさえ恐れ、一言も発することが出来ない。



思わず身を縮めたくるむ達はただ、非情で出来たスカルタクスの声を聞くので精一杯で。そんな哀れなまでに弱い人類を鼻で一笑したスカルタクスは、もうこれ以上の戯れは時間の無駄だと言わんばかりに、カマキュリオンを促した。



「カマキュリオン、そのまま一気に畳みかけろ。そいつの首を獲った曉には、貴様を新幹部としてクリムゾニウス様に推進しようぞ」


「はっ! お任せくださいませ、スカルタクス様!! このカマキュリオン、必ずやマンドラゴラス様の仇を討ち、クリムゾニウス様に奴の首級を捧げまする!!」


「――まずい、一号!!」



水位を上げていく絶望の中から、いち早く顔を出した武者川が叫んだ時には遅かった。


本気を出したカマキュリオンの一閃が、よろめく一号に容赦なく襲い掛かり、胴体に深い傷を負わせる。

その痛みを声に出さぬよう一号が歯を食い縛っていると、今度は砲弾のような蹴りが腹部を抉り、一号の巨体はボールのように跳ね上がる。



「ぐ、あ――ッ!!」


「キヒヒ!! 何が、一人で戦うだ!! 運良くマンドラゴラス様を倒せたからって、調子に乗るんじゃねぇ!!」



空中で吐き出された血が、地面に降って落ちるより速く、跳躍したカマキュリオンの鎌が、一号を襲う。


咄嗟に腕を構え、身を守った一号であったが、鎌は骨まで喰い込み、其処から更に、勢い任せに地上に叩き付けられた衝撃で、肋も数本悲鳴を上げた。


酸素を求めて呼吸をすれば、体が千切れそうな程の痛みが全身に奔る。もういっそ、息を止めて、楽になってしまえと語り掛けてくるかのように、激痛が一号を苛む。それでも一号は、軋む体に力を入れて、立ち上がる。



あと何百何千と同じことを繰り返すことになろうとも、彼女を、くるむを守れることが出来るなら。


ふらつく脚を鼓舞するように、強く地面を踏みしめ、一号は顔を上げ――其処で、凛然と佇むくるむの姿を目の当たりにした。



「く……くるむ……ちゃん?」






武者川の安否が気掛かりで、走り出した時と同じだった。


居ても立ってもいられない。その衝動に身を任せ、くるむはスカルタクスの恐怖を振り解き、パトカーの陰から飛び出し、一号とカマキュリオンの間に立ちはだかった。



「……あの娘」


「……駄目だな、ありゃ」



その、躊躇を捨てたスピードに置き去りにされ、くるむを引き止めることさえ叶わなかった武者川は、お手上げだと苦笑した。



幼い頃からそうだ。彼女はいざという時、何も考えず、衝動的に突っ走る癖がある。誰に止められようと、無茶だ無謀だと言われようと、そんなことは関係ない。そうしなければならないと思ったのだから、そうするしかないだろうと、全てを振り払う勢いで駆け出す。

父親譲りのその性分に火が点いた以上、誰にもくるむを止めることは出来ない。隕石が降ろうが、地球が引っくり返ろうが、天に座す神が顔を出してこようが意味はない。


くるむは、そういう子なのだからと武者川がパトカーに凭れる中。慌てふためいた一号の声が辺りに響いた。



「あ、危ないよ、くるむちゃん!! 早く逃げて!! 此処は僕が、どうにかするから!!」



幾ら覚悟を決めたとはいえ、こうも近くにいられては、守り切れる自信がない。自分がどうにか時間を稼ぐから、その間に逃げてくれと一号は伸ばしあぐねた手を右往左往させた。


だが、先程の一号さながらに、くるむは一歩も引かず。踵を返したかと思ったのも刹那。振り向いた先の一号を暫し見詰め――。



「…………馬ー鹿」


「いたっ」


「せっかく逃げられるかもしれなかったのにさ。ほんと、あんた最高に馬鹿。ASBだわ、ASB」



屈み込んでいた為、ちょうどいい位置に来ていた一号の頭部に軽くチョップを食らわせ、くるむは悪戯っぽく笑った。


この状況下で、彼女はおかしくなってしまったのかとカマキュリオンや、近辺で構える警官隊が訝るが、くるむは至って正常だ。だからこそ、彼女は一号の元に駆け寄ったのだ。



(だからさ、逃げちゃいなよ。あんただって、誰かの為に改造されて、誰かの為に記憶も名前も奪われて……その果てに誰かの為に死ぬなんて、嫌でしょ?)



そう言った時、彼が頷かなかった理由が、あの時のくるむには理解出来なかった。


戦うことを嫌っていながら。科せられた宿命から逃げ出せる機会が目の前にありながら。何故、一号は全てを投げ出そうとしなかったのか。



(くるむちゃんは、優しい子なんだ……)


(戦いたくないなら、逃げていいって……戦う為に造られた僕に……こんな体になった僕に……くるむちゃんは、そう……言ってくれたんだ)


(そんなくるむちゃんを、僕は戦わせたくない。だから……僕は、一人で戦うんだ)


(優しいくるむちゃんが傷つかないよう、傷つけられないよう……僕は一人で、お前達を倒すんだあああああ!!)



その理由は、とてもくだらないものだった。これから彼が背負う痛みに比べれば、あまりに些末で、あまりに馬鹿らしい。


だが。その意志は、その覚悟は、自分が想っていたよりも遥かに清く、強く、尊いものなのだと痛感させられて。くるむは、彼を一人のままにしたくないと思った。



このどうしようもない改造人間を、たった一人で戦わせたくない。ボロボロになった体を支える者さえいないままにしたくない。彼を、死なせたくない。その想い一つで走り出したくるむは、擦り傷と切り傷にまみれた一号の手をそっと握った。



「でも……あんたの覚悟も知らず、逃げちゃえとか言ったウチは、もっと馬鹿だ」



もう、一人ではない。これからは二人で、一緒に戦っていこう。そうしたら、嫌な気持ちも、怖い気持ちも、半分に出来る筈だから。


くるむは、それを伝えたかったのだと、一号の手を取って、微笑んで――。



「……くるむちゃ、」



これが、自分の覚悟と決意の証だと言わんばかりの勢いで、くるむは一号に唇を寄せた。



(改造人間は、≪アルカトラム≫や悪意ある人間に悪用されたりしないよう、セーフティロックがかけられている。このロックが掛かっている状態では、改造人間は半分の力も出せない。そして、ロックの解除コードは京介か、彼の娘である君のDNAと声が必要なんだ)



何処か怪我をしていたのなら、血液から摂取してもらうところだったが――生憎、彼のお陰で傷一つない状態だ。


確か、唾液の中にもDNAは含まれていた筈だし、今用意出来るものなんてこれくらいだろうと、くるむは尖った牙の間を潜り抜けるように舌を押し込んだ。



「んな」


「な――何をしているんだ、あの娘ぇえええ?!」



武者川の呆けた声とスカルタクスの絶叫が、何処か遠くに聞こえる。それくらい必死に、無我夢中で、くるむは一号の咥内に唾液を送り込んでいた。



彩園くるむ、高校二年生にして初めてのキス。大事に大事に取っておいてきたファーストキスを、此処で使ってしまった。


周りが何を言っているようだが、まともに聞こえる状態ではないのだと半ば自棄クソになりながら、くるむは一号に唾液を摂取させると唇を離し、涎が伝う口元をグッと拭った。



「……行くよ、一号」



失ったものは大きい。しかし、これくらいの対価を支払って然るべきだろうと、くるむは背筋を伸ばし、凛と前を見据えた。



敵は怪人帝国≪アルカトラム≫。救うべきは、この世界と全人類。


であれば、ファーストキスの一つくらいくれてやると勇んだ以上、恥じらっていられやしない。くるむは腰に手を当て、ポカンと佇むカマキュリオンをビシっと指差した。



「ウチとあんたで、あいつら全員秒でフルボッコに――……」



と、くるむが懸命に格好付けてから二秒後。


呆然としたままのカマキュリオンの上半身が、ジュッと音を立てて消滅した。



「………………んん?」





ギギギと、関節が錆付いた玩具のように振り向けば、大きく開かれた一号の口と、其処から間髪入れず発射された、白いレーザーのような何かが目に入った。


そして再び、ジュッと何かが焼却される音が聴こえたかと思えば、突っ立ったままのカマキュリオンの下半身までもが吹き飛ばされ――。



「オォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオン!!!」



響き渡る雄叫びと共に、第三、第四の攻撃が勢いあまって飛散したカマキュリオンの脚や、肉片さえも残さず焼き払った。かと思えば、一号はぐりんと顔の向きを変え、其方に向かって咆哮を上げた。



「オォオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」


「ひぎやあああああああーーーー!!!」



至極当然。其処にいたのは、くるむと一号のキスを目の当たりにした衝撃が抜けきらぬまま、カマキュリオン突然の死に硬直したスカルタクスであった。



「ななな、なんじゃこりゃあああああああああああああ!!!」


「オオオオオオオオオオオオオォオォォォン!!!」



最早別人と化したように叫びながら、一号は逃げ惑うスカルタクス目掛け、白い熱線を吐き出す。


幹部・スカルタクスでも、あれを食らえば一たまりもないという恐怖を感じているらしい。それ程の凄まじい攻撃を絶え間なく発射し続ける一号に、流石のくるむもダッシュで距離を取った。



「ちょ、何アレ?! 何?! 何なの?!!」



陸上部顔負けの速さでパトカーの陰へ引っ込んだくるむは、逃げ回るスカルタクスと熱線を吐きまくる一号を、何とも言えない顔で見遣る武者川の肩を、勢い任せにバシバシと叩きながら尋ねた。



「まぢやべーって!! ちょ、リアルに巨人兵じゃね?! おじさん、何なのアレ!!」


「…………あれは、一号の必殺・破壊熱線だ」


「破壊熱線?!」


「ああ。一号の戦意が最高に昂ぶった時にのみ発射出来る必殺技だ」



改造人間一号が有する対怪人兵用内蔵兵器の一つにして、必殺技。それが咥内から発射されるレーザ―状の破壊熱線だ。


触れたものを容赦なく焼却する凄まじい熱焔で、怪人兵の強固な体でも焼き切る絶大な威力を誇る、書いて字の如く”必殺技”である。



「威力は見ての通り。殺傷力も凄まじいので、一号自身あまり使いたがらないんだが…………今の一号は、テンションが上がって我を失いかけてるようだ」


「え、まさかのバイブスぶち上がり状態な感じ? ここに来てバーサーカーモード入っちゃった感じ?」


「一号はピュアだからな……。いきなりキスとかされたら、まぁ……パニックにもなるだろう、うん」


「ぎゃあああああああ熱い熱い熱い!! き、貴様ああああああ!! そんなものを引っ切り無しに撃つんじゃ」


「オォォオオオオオオオオオオオオオオ!!」


「ひぃいいいいいいいいいい!!!」



先程までの威厳はどこへやら。情け容赦なく乱射される破壊熱線に悲鳴を上げながら逃げていくスカルタクスを見ながら、くるむは思った。


あのオヤジ、なんてもん作ってくれてるんだ、と。



キスされたことで我を失い、幹部クラスを軽く泣かせる威力の熱線を吐きまくる改造人間なんて。まぢありえんてぃーだろと、くるむは虚しさで眼を細めながら、虚空を見つめた。



「ちなみに、くるむちゃん。DNAを与えるなら、髪の毛一本食べさせるとかでもいいんだぞ」


「……それ早めに言ってくれない? おじさん」

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