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エンドリア物語

「位(くらい)の首飾り」<エンドリア物語外伝33>

作者: あまみつ

「ドレスコードって、なんだ?」

 隣にいたシュデルに聞いた。

 朝、エンドリア国王からオレとムーに一通ずつ書簡が届いた。

 開けてみると、堅苦しい言葉で、外国の人が来て、オレにちょっと用事があるから、明日の午後1時に城に来いという内容だった。

 それに紙片がはさまれていて『インフォーマルな席なので、ドレスコードは無視してよい』と書かれていた。

「服装規定のことです。公式な場では服装が決められています。そのルールに則った服装をしていくわけです」

「『無視していい』ってことは、いつもの服でいいってことだよな?」

 着古したシャツとズボンしか持っていない。

 手紙と紙片をシュデルに渡した。

「外国の要人がいる席でしたら、庶民でも礼装をするのが普通です。わざわざ『ドレスコードを無視してよい』と、別の紙に書いてくれたのですから、大丈夫だと思います」

「本当に大丈夫なんだよな?」

「大丈夫です。アレン皇太子は店長がそのレベルの服しかない持っていないことを知っています」

 言われてみれば、そうなのだが、なぜか、うれしくない。

「はいしゅ」

 ムーが、オレにムー宛の書簡を渡した。

 内容はほぼ同じ。違うことは、時間が3時であること。はさまれていた紙片に『正装だぞ、間違えるな』と、書かれていたこと。

 魔術師の正装。

 よくわからないので、そのままシュデルに渡した。

「僕に渡されても……」

 手紙に呼んだシュデルが絶句した。

「店長、ムーさん、正装持っていました?」

「魔術師の正装って、なんだ?」

「ええと、ムーさん。持っていますか?」

「ないしゅ」

「ど、どうしよう!」

 あたふたと、パニックに陥っている。

 当事者のムーは、椅子に腰掛けて足をブラブラさせている。

「本当に持っていないんですか?」

「ないしゅ」

「間に合うかな」

 青ざめたシュデルの肩をたたいた。

「ムーの正装って、何を用意すればいいんだ?」

「正装といっても、種類があります。祭事にでる祭服と今回のように政治の場にでる場合でも違います。今回の場合、季節も考えるとカラーのついた白い絹のロングシャツを着用して、厚手のピンクの上絹のローブ。帯に、位をしめすアクセサリー……」

「アクセサリー?」

「……ムーさん、いま何位でしたか?」

「5位しゅ」

「……店長、本当ですか?」

「オレが知っていると思うか?」

「思いません」

「なら、聞くなよ」

「どうしよう…」

 シュデルが頭を抱えてうずくまった。

「貸し衣装で似たようなの見たことがあるけど、あれだとダメなのか?」

「服は僕の昔のを縫い直せば間に合います。帯は僕とはサイズが違うので買うしかありませんが、絹でなくてもいいので何とか買えます。問題はアクセサリーです。5位のアクセサリーなんて、絶対に無理です」

「高いのか?」

「店長、ムーさんの祖父のケロヴォス・スウィンデルズさんが高位を示す首飾りをしているのをみたことがありますよね」

「あるにきまっているだろ。高そうな宝石が………まさか、あれ?」

「あれです。魔術師は最高位の1位から50位までのどれかに実力などに応じて登録されます。ほとんどの人が30位以下です。1位から3位までは名誉称号のようなもので、4位から10位までは魔法協会の統治を実質的に行っている権力者や地方の政治力がある人達やとびぬけた実力がある人しかなれません。魔法協会全体でも5、60人しかいません。その人達がつけるのがあの首飾りです」

「僕しゃん5位しゅ」

 ムーが胸を張った。

 スウィンデルズの爺さんがつけている首飾りが高位の示すものであることはオレだって知っていた。

 知っていたが、ムーもつける資格があるなどと考えたことすらなかった。

「シュデル、あの高位を示す首飾りって、支給品?」

「そんなはず、ないでしょう!」

「自分で買うのか!貧乏な魔術師はどうすりゃいいんだ!」

「貧乏な魔術師が5位になることなど、魔術師の常識ではありえなんです!」

「ありえないと言っても、現実にいるだろうが!」

「あれは!」

 そこでシュデルが言葉に詰まった。少しして言ったのは、

「……人でありません。化け物です」

 完全に開き直った。

「ムーの服と帯はなんとかなるんだよな。スウィンデルズ爺さんの首飾りを借りたらダメなのか?」

「位によってアクセサリーが違うんです。スウィンデルズさんは8位なので使えません」

「8位?」

「はい」

「ムー、爺さんより、上?」

「上です」

「つまり、でかい宝石がついた首飾りより、立派な首飾りが必要?」

「正解です」

「無理だ」

「だから、僕がさっきから無理だと言っているじゃないですか!」

 シュデルに怒鳴られた。

「ゾンビ使い、何位しゅ?」

「僕ですか、15位です」

「ボクしゃん、勝ったしゅ」

「はいはい、ムーさんの勝ちです」

 15位。

「シュデルのアクセサリーは首飾りじゃないんだよな?」

「違います。規定の様式の乗っ取った帯飾りです」

「持っているのか?」

「あります」

「見たことないな」

「僕は公式の場には出られませんから、ロラムにおいてあります」

 笑顔がひきつっている。

 場所がロラムとなると、地雷の可能性がある。

「なんで、ロラムしゅ?」

 地雷原につっこんだ奴がいる。

「知りたいんですか?」

「知りたいしゅ」

「父がどうしても作りたいといったのでお任せしたのです。いつまでも送ってこないので問い合わせたところ、公式の場に僕がでられないのは可哀想だと、ロラムの公式の場では、僕の代わりに僕の席に置かれているそうです」

 椅子にポツンと置かれた帯飾り。

「ぷぷっしゅ!」

 ムーが笑った。

「笑っていいです。僕も父の行動は異常だと思っていますから。それより、今はムーさんのアクセサリーです。作るとなると最低でも金貨250枚はします」

「なんだろうな、そのバカみたいな金額」

「店長、遠い目をしている場合じゃありません」

「持っているしゅ」

 ムーの声が遙か彼方から聞こえた。

「持っているんですか!」

「服はないしゅ。首飾りはあるしゅ」

「店長、しっかりしてください。ムーさん、首飾りを持っているそうです」

「………嘘じゃないのか。金貨250枚だぞ」

「いつ、誰が、作ったんですか?」

「ボクしゃんが、魔術師協会に登録が認められて5位をもらったと知ったペトリ爺ちゃんが…」

「ペトリさんが作ってくださったのですか?」

「…作ろうとしたのを、スウィンデルズの爺が邪魔をしたしゅ。大喧嘩になって…」

「スウィンデルズさんが作ってくださったのですか?」

「……スウィンデルズの祖母ちゃんとペトリの祖母ちゃんが話し合って、スウィンデルズの家に伝わっている首飾りをボクしゃんのものにしたしゅ」

「5位のものですか?」

「3代前…4代だったかもしれなかったしゅ。昔のスウィンデルズの当主が5位だったって言ってたしゅ」

「どこにあるんですか?」

「ボクしゃんの部屋の中しゅ」

「ムーの部屋…」

「あの部屋のどこにあるのかわかっていますよね?」

 ムーは笑顔で「てへへしゅ」と言った。

「まさか」

「わからないなんて、言いませんよね?」

「わからないに決まってるしゅ」

 ゴミ溜め。

 それも、危険物満載のゴミ溜めのどこかに金貨250枚に匹敵する首飾りがある。

 シュデルがオレの肩を両手でグッと押さえた。

「店長、わかっていますよね?」

「あそこを探さないとダメか?」

「ボクは金庫の中身をかきあつめて帯を買ってきます。そのあと、昔の僕の服で使えそうなもののサイズを直します」

「ムーに探させると…」

「ムーさんだけだと明日までに見つかるかわかりません」

「首飾りなしで…」

「5位が首飾りなしというのは、魔術師の常識ではあってはならないことです」

 逃げ道を探しているオレに、ムーが言った。

「首飾りの場所、思い出したしゅ」

「本当か?」

「本当ですか?」

「蛇型の魔法生物さんに食べられたような気がするしゅ」




「ウィル、よく来てくれた」

 謁見の間で、笑顔で迎えてくれたのはお人好しと評判のエンドリア国王。

 穏やかな顔は見ていて和む。

 ずっと見ていたいが、礼を失してはならないので、膝をつき頭をさげた。

 昨日は夜遅くまで、首飾りを追っかけていた。

 首飾りを飲み込んだ蛇型の魔法生物はクネクネと部屋中を逃げ回り、捕まえて吐き出させたのは、夜中の12時をすぎていた。

「先日、知り合いの塾長から相談を受けたのだ。色々考えたのだが、ウィルならば解決してくれるのではないかと考えて来てもらった。やってもらえるかね」

「このウィル・バーガー、国王様の願いなら…」

 オレは顔を上げた。

「って、いうと思いましたか?」

 毎週1回は呼び出される。

 最初の頃は王の前だと緊張したが、最近は顔見知りのオジサンになっている。

「言ってくれないと困るのだが」

「返事をする前に、何をするのか教えてください」

「教える前に『引き受ける』という返事を聞きたい」

「国王様の頼みでも、きけることと、きけないことがあります」

 どんな塾か知らないが、オレに塾の講師をやれとか言われても絶対に無理だ。学校の成績はほとんどが赤点スレスレだった。

「父上、やり方が違っております」

 国王の隣に立ったアレン皇太子がオレを見た。

「ウィル。塾生の相手をして欲しいだけだ。10分で良い。相手をしてくれれば金貨10枚を払おう」

「金貨10枚、本当ですか?」

 オレが疑うのは当然だ。

 エンドリア王国、自然豊かで、人々も優しく、税金も安い平和で良い国だ。が、貧乏だ。

 大国ならば一晩の夕食代だろう金貨10枚も簡単に出せる金額ではない。

「安心しろ、払うのはエンドリア王国ではない。その塾長殿だ」

「やります」

「奥の部屋で待っている。頼んだぞ、ウィル」

「任せてください」




「詐欺だー!」

「見苦しいぞ。さっさと準備しろ」

 塾と言われたから、オレは勉強の塾を思い浮かべた。それなのに、案内された場所は王宮内の武道場、待っていたのは、ゴツイ身体の団体様御一行。

 団体の前には特に厳つい3人が椅子に座ってオレに会釈した。

「紹介がまだだったな。こちらはギャリオット格闘塾の皆さんだ」

 笑顔のアレン皇太子が説明してくれた。

「世界屈指の格闘塾じゃないですか!」

「前に『入りたかった』と言っていなかったか?」

「いいましたよ、いいましたけど、あれは夢というより武道家を目指していた少年の頃の妄想です」

「会えてうれしいのではないか?」

「話しを聞いて帰っていいのなら、うれしいです」

「そんなはず、なかろう」

 はぁとため息をついた。

「手間をかけさせて申し訳ない」

 一番偉そうな人が頭を下げた。

「とんでもないです。頭をあげてください」

 見た感じでは有名な武道家のようだ。名前を知りたい、と、アレン皇太子に視線で希望を送ったが届かなかったようだ。無視された。

「当塾では2年ごとに塾生筆頭を決めなければならい。上位8人が総当たり戦を行って決めるのだが、この2人の勝負がつかない。そこで、ウィル殿に審判を頼みたい」

「この2人の戦いの審判ですか?」

 それならば、ラッキーだ。

 間近ですごい試合が見られる。

「頼みたいのは、彼との戦いだ」

「彼?」

「そこに座っている。本来ならば名を名乗るべきなのは、わかっているが、非公式の場。Aということで頼む」

 仮名、A。

 20代後半に見える。細身だが筋肉の塊といった感じだ。瞬発力はすごそうだ。

「Aは攻撃に重きをおく戦闘スタイルで、Bは守りに重きをおく戦闘スタイルなのだ」

 仮名、B。

 たぶん、隣の人だろう。Aより横幅が広い。上半身だけでなく、下半身も筋肉が盛り上がっているのがわかる。スピードより耐久力と重視している感じだ。

「Aと君が10分間戦って、Aが一瞬でも君に触れることができたら、Aの勝ち。触れられなけれBの勝ちとする」

「そんな大役、オレには無理です」

「場所は武道場に引かれた四角い白い線の内側。出た場合も触れたと同じ扱いにする」

 オレを無視して、ルールの説明をしている。

「触れられなければ金貨10枚、触れられたら0枚だから、そのことも忘れないように」

「えっ」

 驚いたオレの後ろからアレン皇太子の声がした。

「成功報酬だ」

「あの…無理です」

 レベルが違いすぎる。1秒かからず吹っ飛ばされて終わりだ。

「我が国の為に頑張れ」

 すでに袖の下をもらっているらしい。

「怪我をさせられて、金も貰えないというのは……」

「大丈夫だ」と、Aが言った。

「素人相手に本気は出さない」

「本当ですか」

「前に武道を習っていたそうじゃないか。うまく受け身をとってくれれば怪我はしない」

 Aはさわやかな笑顔を浮かべた。ゴツイのは変わらないが。

「わかりました」

 軽くかすって終わりにすれば、怪我をせずにすむ。

 まともに食らえば、治療費が金貨10枚じゃ足りなくなる。

「では、こちらに」

 エンドリア王宮の武官がオレとAさんを真ん中に案内した。

 向かい合って、構えた。

「ドリャァーーー!」

 勘で避けた蹴りが、オレの頭上を通過した。

 もし、当たっていたら、首が飛んでいたかもしれない。

「本気は出さないと言ったじゃないですか!」

「出していない。ほんの小手調べだ」

「小手調べなんていりませんよ。軽いのをお願いします」

「これでどうだ!」

 高速の正拳づき。

 予測していたので、割と楽にかわせた。

「逃げるな」

「逃げるに決まっているじゃないですか!当たったていたら、内臓破裂で死んでいます」

「素人は難しいな」と言いつつ、オレを攻撃してくるAは、速度も破壊力も落としていない。

 オレの命より、自分の立場が大切らしい。

 逃げ切る。

 そう決めた。

 出来る出来ないではなく、逃げ切れなければ死ぬ。

「逃げるなよ」

「わかっています」

 踏み出しと同時にきた突きを後ろに飛んでかわした、振りをして、横に跳んだ。

「なぜ、逃げる」

「横に飛んでなければ、今頃、天国の門をたたいていました」

 会話で時間を稼いで、2分経った。あと8分。

「逃げる気なら、本気で行くぞ」

「来ないでください。怖いんです」

 Aがニヤリと笑った。

 Aの姿が消えた。オレの頭上に跳躍している。

 旋風脚で片をつける気だ。

 Aの足が高速で回転して、地面に着地した。

「なぜだ」

「当たったら、痛いからに決まっています」

 コンマ数秒遅れて地面に着地したオレが言った。

 Aの足が回り出す前に、Aの足より高い位置に跳んだ。足を縮めての必死の体勢で、回転する足に当たることを避けた。

 数秒間、Aは自分の足下を見ていた。そして、顔を上げた。

 別人のような引き締まった顔だった。

「約束はなしだ。ここから本気で当てにいく」

「武道家が約束を破っていいんですか!」

 オレの問いには答えず、飛びかかってきた。

 大技を使わず、確実に触れようと、ライン内を追いつめるように動く。

「オレは素人です」

「本気を出さないと約束したのに」

「死にたくなぁーーい!」

 訴えながら、逃げ回った。

 何でもいい。

 わずかでも怯んでくれたら、逃げ回るのが楽になる。

「オレ、肉を食べたのは3日前が最後なんです」

「せめて、肉をたっぷり食べてから死にたいんです」

「恋人はいません。予定もありません」

「昨日は蛇型の魔法生物を追いかけていました」

 一瞬動きが鈍った。

「体表の色はオレンジ、黒の編み目模様」

 動きには変化がない。

「表面がヌルヌルしていて…」

 わずかに動きが鈍ったような気がする。

「ネットリした粘液が体中にまとわりついていて…」

 話しを大きくした。

 実際の蛇型魔法生物は、ツルツルが正しい。

「手で触れると、デロッとした半透明のものが…」

「いい加減にしろ!」

「つかまえようしても、なにせ、ヌラヌラとしているものですから…」

「その口、黙らせてやる!」

 怒って力んでくれたので、逃げやすくなった。

 ヒョイヒョイとオレが逃げていると、ゴツイ団体様一行から声がかかった。

「あと3分」

 Aが止まった。

 このままだと逃げ切られると理解したらしい。

 手を上に上げた。

「棒を」

「棒?」

 飛んできたの三節棍。長い棒だが、2つの節があり、折れて短くしてヌンチャクのようにも使える。

「待った!武器の使用は聞いてない!」

「これは格闘の武器だ」

「違う、違う。その理屈だと双剣も大刀もいいことになる。リーチが勝敗を決する戦いで武器は反則……」

「問答無用!」

「ヒェーーーー!」

 オレの大脳の思考速度では対応は無理だったらしい。

 脳内が真っ白になり、身体だけが別の人間の物ように動いていた。

「そこまで」

 声が聞こえたとたん、オレがオレに戻った。

 床に転がった。

 立つ力など、どこを探してもない。

 どこかで誰かが何か言っている。騒ぎ声が聞こえる。

 転がっているオレの側に立ち止まった足があった。

「飲まれますか?」

 身体を起こして、差し出されたコップを一気に飲んだ。喉を通りきらない水が、口の端からこぼれた。

 別の人影が近づいてきた。

「動けるか?」

 声からアレン皇太子だとわかる。首を横に振った。

「残念だな。調理場にステーキの用意をさせておいたのだが」

 なぜか、オレの身体がすごく軽くなった。

 荒い息だったが笑顔になれた。

「大丈夫です。動けます」




「もめだしたの、父上に任してきた」

 調理場の一角で肉を頬張っているオレのところに、アレン皇太子が来た。

「もがもが」

「口の物を飲み込んでから言え」

 もったいないのでゆっくりと肉を噛んで飲み込んでから、同じことを言った。

「オレの肉です。あげません」

「その一言で、感動が消えたな」

「なんか、感動することでもあったんですか?」

「私のではない。そこの武官のだ」

 見るとオレに肩を貸して、調理場まで連れてきてくれた武官が、がっかりした顔をしている。

「オレ、何かしましたか?」

「お前の回避術に感動したのだろ」

「もしかして、格好良かったとか」

「いいはずがないだろう。逃げ切ったのが凄いだけだ」

 アレン皇太子がオレの前の席に座った。

「私からすると、先週のミノタウルスとの戦いの方が上だな」

「その話しはやめてください」

「あれは、すばらしかった。逃げ切れるとは思わなかった」

 東方から来た召喚魔術師達がミノタウルス2頭を召喚した。

 巨大な斧を軽々と振り回す2頭は、標的であるはずのムーではなく、側にいたオレを襲った。

 ギリギリのところで避けて、互いに傷つけさせることを繰り返させて何とかしとめた。

「あの巨大な斧が2本同時に落ちたときには、ダメだと誰もが思ったのに、間に入り込んでいるとは」

「頼みますから、今はやめてください」

「そんなに怖かったのか?」

「そうじゃなくて」

 オレはフォークに刺している牛肉を見せた。

 ミノタウルスの頭は牛で、身体は人。

 牛は牛として、美味しく味わいたい。

 アレン皇太子もわかったらしい。

「悪かった。それで、いま食べている肉だが、これから頼む用事の先払いだ」

「わかりました」

 先払いなら”頼まれた用事をやらない”という選択もある。

「やらないと、食い逃げしたとシュデルに言いつけるからな」

「それはちょっと」

「大したことじゃない。ムーを定時に城まで連れてきてくれ」

「正装ですよ。馬車で迎えじゃないんですか?」

「こちらもそのつもりだったが、御者をやってくれる者がいない」

 歩いて10分もかからない。

「わかりました。あと1枚追加してくれたら、やりましょう」

 アレン皇太子が苦笑した。

「料理長、こいつに、もう1枚焼いてやれ」




「店長、いい加減に笑うのをやめてください。間に合わなくなります」

 シュデルに叱られたが、笑いがとまらない。

「それは……ないだろ」

 シュデルの努力が形になっていた。

 整えられた白い髪。

 スタンドカラーの白いロングシャツに重ねられた厚手のローズピンクのローブ。色の組み合わさった帯が腰に巻かれている。

 ムーが本物の魔術師に見える。

 問題はただひとつ。

「重いしゅ」

 首に巻かれた、宝石がいくつもついた首飾り。

 真ん中に大きな宝石がついたそれは、ムーの身体のサイズにあっていない。

「それは無理だろ。外したらダメなのか?」

「ダメです。5位に首に首飾りが巻いていないということは許されないのです」

「スウィンデルズの爺さんだって、つけているときと、つけていないときがあるぞ」

「正装では、絶対につけないといけないのです」

 シュデルの言っていることはわかるが、ムーの首には重そうで、見るからに痛々しい。

「わかった。城にはいったら、つけさせる。それでどうだ?」

「わかりました。必ず、店長がつけてください」

 ムーの首を抜くように、首飾りを外した。シュデルが首飾りをショルダーバックに入れて、オレの身体に斜めに掛けた。

「それから、注意をいくつか」

「そろそろ、いかないと」

「大事なことです。まず、ムーさんに宝石を渡さないこと」

「渡さない?つけないとまずいんだろ?」

「位を示す宝石には、魔法がかかっていてはいけません。これだけ大きな宝石をムーさんに渡すと、すぐに魔法をかける可能性があります。魔法道具の知識もお持ちですから、ムーさんでしたら護符にするくらい簡単です。気をつけてください」

「オレは、ずっとはムーと一緒にいられないぞ」

 呼ばれたのはムーだけだ。

「アレン皇太子でも頼んでください。護符になると使えませんから、また別の宝石を買わないといけなくなります」

「わかった。絶対に護符にはさせない」

「その意気でお願いします。時間がないので、あとひとつ。ムーさん、ローブで歩くと転びますから、気をつけてください」

 ローブ、ローブ。

 ムーのローブ姿を思い出そうとしたが、思い出せない。

「まさか、ローブを着たことがない?」

「あるしゅ!」

「着慣れていないことと、正装用なので丈が長いんです。道でつまずくと悲劇が起きますから、気をつけてあげてください」

 道でつまずくと服が汚れる。

 道でつまずかない為には。

「オレにムーを抱えていけって、いうことか?」

「店長、ムーさんのこと、よろしくお願いします」

 シュデルが笑顔で言った。



「あんたも大変だねえ」

 クッキーとお茶を出してくれたのは、縫製担当のポーモントさん。オレの数少ない服がシュデルの手に負えないような大怪我を負ったときは、こっそりお世話になっている。

「ありがとうございます」

 ムーをアレン皇太子に届けて、『宝石に魔法をかけさせないように、護符にしないように』という注意書きを伝えた後、帰りの運搬要員に待機している。

 付き人の待機場所は別に控え室が用意されているのだが、他の要人たちの付き人との共用だ。身なりが違いすぎて、昔、他国の付き人に『出て行くように』と注意を受けてから入らないようにしている。

 オレにお茶を出した後、ルテスさんは窓際の席に腰掛けて繕いものをはじめた。召使いのエプロンらしい。破かれたところが見る見るうちに直っていく。

「今日のお客様は、大きな国の貴族とその方のお気に入りの武道家とその弟子たちだそうだよ。料理長が肉がたくさんいると嘆いていたよ」

 肉がたくさん。

 ステーキを何枚食べられるのだろう。

 扉がバンと開かれた。

「ウィル、来い!」

 アレン皇太子が怖い顔でオレを呼んだ。

 クッキーに未練を残しながら、オレは立ち上がった。

「なんでしょうか」

「こっちだ」

 皇太子が廊下を走り出した。本気のスピードだ。

 慌てて追いかける。

「バカどもが、ムーを本気で怒らせた」

「何をしたんですか?」

「ルゴモ村の件を話題にした」

 ムーの両親が亡くなった事件だ。

 優しかったムーの両親は自分たちを殺そうとした村人達を守ろうとして命を落とした。

「バカですね」

「私は反対したのだ。ムー・ペトリというのは、会って楽しい人物ではなく、非常に危険な人物だと。それなのに、どうしても会いたいと言うから、お茶会をセッティングしたのに、バカすぎて涙がでる」

「まあ、見かけがあれですから」

「あの年で5位というのも、来客たちの気分を害したらしい」

「そんなの凄いんですか、5位って」

「普通の魔術師には、雲の彼方のさらに遠いところだな」

 角を曲がって、階段を2段飛びにあがる。

「スウィンデルズ殿の力だろうと、聞こえよがしに言っていた」

「爺さん、8位だとシュデルが言っていました。孫がどんなに可愛くても、8位が5位を据えるのは出来ないんじゃないですか?」

「当たり前だ。10位以上は金や権力だけでは手に入らない。実績と実力が必要だ」

 階段をあがったところで、右に曲がり、直線の廊下をひた走る。

 突き当たりはサンルームがあるティールームだ。

 走っているオレと皇太子の耳に聞き慣れた台詞が聞こえた。

「我はムー、我が声にこたえよ。ティパス」

 オレと皇太子は部屋に飛び込んだ。

 楕円形の部屋で外側に突きだしている半分が、上部にステンドグラスをはめ込んだサンルームになっている。そこに重厚なテーブルがおかれ、8人の席があった。

 座っているのは6人、ムーだけ少し離れていて、オレにすぐ前に背を向けて立っていた。

 そのムーの前に召喚されたらしき半透明の球状のものが浮かび上がった。

 オレは、前に見たことがあった。

「全員、絶対に動くな!」

 怒鳴ると、オレは前にいるムーをつかんで、扉のところにいる皇太子に投げた。

「すぐに城の全員をサンルームとは逆側に非難させろ!」

 事情を察した皇太子はムーを小脇に抱えて、駆けていった。

 サンルームにいる6人も逃げようと立ち上がった。

「間に合わない、あんた達は動くな!しゃべるな!」

 オレが言い終わる前に、半透明のものが開いた。

 クラゲに似ている。

 直径1メートルほどのクラゲが、空中に浮かんでいる。

 形状の違いは身体の下からでているヒラヒラが4本しかないことだ。

 透明な色が薄い赤い色になった。

 誰も動かないでくれ、話さないでくれとオレは祈った。

 数秒後、クラゲの色が青くなった。

 オレは話せる限りの早さで、一気に話した。

「しばらく、動かないでください。話さないでください。オレが状況を見ながら説明します」

 まだ、青だったが、口を閉じた。

 絶対に失敗できない。

 そのことを前の召喚で知っていた。

 クラゲは赤くなり、また、青くなった。

「動かないでください。クラゲは赤くなると動いたものや音に反応します。あのヒラヒラに触れたら消滅します」

 驚いたような顔で、客は互いに顔を見合わせた。ひとりが口を開きそうになった。

「話すな!」

 オレが言ったすぐあとに、クラゲの色が赤くなった。

 前回の経験では約5秒で青と赤が入れ替わった。

 息が詰まりそうな5秒後、青になった。

「次にクラゲが青になったらオレが実験します。動かないでくれという意味が分かります。絶対に動かないでください。話さないでください」

 赤に変わる。数秒後、青になった。

 オレはポケットに入っていたコインを一枚、色の変わるタイミングを考え、力の限り窓に向かって投げた。オレはそのまま停止。クラゲが赤になった。

 飛んでいったコインは、ステンドグラスに当たって、カランと音を立てた。

 クラゲのヒレが瞬時にのびて、ステンドグラスに触れた。

 ステンドグラスが消滅した。

 ステンドグラスが1枚なくなったのではない。テラスのステンドグラスが丸ごとなくなったのだ。鉄枠だけ残っている。

 次にクラゲが青になったとき、オレは急いで話した。

「触れた物だけでなく、それに類する物が近くにあるとそれも消えるんです。この中のひとりが消えれば、全員が消えます」

 もう少し話せそうだったが、黙った。

 彼らにも考える時間が必要だ。

 オレの言った意味が理解されると、6人の表情がこわばった。

 どんなに自分が頑張っても、自分以外の1人が動けば巻き込まれる。

「さっき投げたコインも消滅しています。皆さんがコインを持っていたら、消滅していることになります。確かめたいのはわかりますが、絶対に動かないでください」

 ムーに会いたいというだけあって、皆、肝は座っているようだ。

 状況に驚いているようだが、パニックにはなってはいない。

 青になるのを確認してから、話し出す。

「約5秒で色が変わります。オレの指示に従ってください」

 2、3人がうなずいた。

「動かないで!」

 オレが注意したすぐあとに赤になる。

 心臓に悪すぎる。

 彼らがいる場所から、扉の外のクラゲが見えなくなる場所まで約20メートル。走れば2回で終わるが、そんな危険がおかせない。

「一回に行う移動は4歩。歩幅は50センチ。オレがカウントします。最短コースをとるのはかまいませんが、周りにぶつからないよう気をつけてください」

 早口でしゃべっていると喉が痛くなってくる。

 クラゲが赤になり、青になる。

「次からカウントします。準備に身体を動かしたりしないでください。じっとしていて、カウントにあわせて4歩、歩いてください」

 10歩は歩けるかもしれないが、倒れたりする可能性があることを考えると時間に余裕は必要だ。

 みんながクラゲを凝視している。

 赤が青になる。

「行きます、1、2、3、4」

 予想通り、前の人とぶつかった人がいたが、赤になる前に体勢を立て直せた。

 そのあとは、同じことの繰り返しだ。気をつけないと、単調なことの繰り返しで気が緩む。

「行きます、1、2、3、4。動いたら、消滅です」

「行きます、1、2、3、4。ピクリと動いても死にます」

「行きます、1、2、3、4。手先や首が動いてもアウトです」

 脅しながら20メートル歩かせた。

 最後の方にはオレも合流して、最後に後ずさりしながら部屋から出た。

 扉を抜けて、クラゲが赤くなり、次に青になったときに、素早く扉を閉めた。

 廊下の壁にもたれた。

 緊張の連続でヘトヘトだった。喉もからからだ。

 だが、ここだとまだ安全圏でない。

 オレは黙ってついてくるように手振りで伝え、6人と一緒にテラスの反対側に向かって足音を忍ばせて歩き始めた。



「オレ、頼みましたよね!」

「あの状況で見ていられるか!」

 城の全員を避難させていたアレン皇太子はムーから目を離した。

 その結果、位を示す宝石は赤黒い炎を巻き上げている。

「保証してください!」

「あいつらに頼め!」

 ムーがオレに宝石を差し出した。

「交換しゅ」

 ムーが言っている意味は分かる。

 6人にムーの新しい位を示す宝石を買わせ、これと交換しろということだ。

 ムーとすれば、6人に宝石を買わせることで経済的な負担を強いることができ、怪しげな宝石をもたせることができる。一石二鳥の作戦だが、6人が申し出を受けてくれるとは思わない。

 オレ達の話し声が聞こえたらしい。

 塾長がオレ達の方に歩いてきた。

「命を助けて貰って感謝する。その宝石を引き受けることは出来ないが、こちらの条件を聞いてくれたら、新しい宝石を用意しよう」

「条件ですか?」

 オレの眉が自然と寄った。

 戦うのは、もうごめんだ。

「ウィル殿に我が塾にはいってもらうのはどうだろう?」

「イヤです」

 即答してから、まずい返事だったことに気がついた。

 うまくはぐらかして、宝石を買わせればよかった。

「ならば、あれほどの回避術をどのようにして身につけたのか、教えては貰えないか?」

 チャンスが再び巡ってきた。

「教えたら、宝石を買っていただけますか?」

「約束しよう」

「ムーと一緒にモンスター退治をしてください」

 塾長が静止した。

 顔面がこわばっているように見える。

「多いときには一週間に2回ほど依頼がありますから、一緒に行けばすぐに身につきます。ただし、一度でも失敗したら、死ぬと理解して行ってください」

 今回のクラゲの召喚獣は森の中で出現した。

 すぐに動かなかったオレとムーは助かったが、鳥や虫だけでなく、風に揺らぐ葉や草も全部消えた。条件を必死に考えて、逃げ切るまで2時間以上かかった。

 塾長が硬い笑顔を浮かべた。

「我々には無理そうだな」

「行かなくても、教えましたから、宝石は買ってください」

 返事に言いよどんだ塾長の後ろから、塾生がひとりオレに詰め寄った。

「その程度の助言で金を取ろうとは、虫が良すぎる!」

「オレは先に言いましたよ。教えたら、宝石を買ってくれと」

 塾生とオレとの間に、ちっこい影がはいった。

「ダメダメしゅ」

 持っていた宝石をポイッと地面に捨てると、ムーが前にいる塾生を見上げた。

「アホしゅ、脳味噌がないしゅ」

 塾生の顔が真っ赤になった。

「おい、こいつはガキだ。喧嘩を買うな」

 オレは注意した。

「黙っていろ。このチビに格闘と魔法、どちらが上か教えてやる」

 本来なら、塾長がとめるべきだろうが、なぜか止める気がないらしい。

 状況を見て取った城の人々が一斉に、王宮の外に向かって逃げ出した。

「お前は残れ」

 そう言いおいてアレン皇太子も逃げていく。

「オレも逃げたいんですけど!」

 逃げていくアレン皇太子の背中に言ったが、手でシッシッとやられた。

「行くぞ」

 飛びかかった塾生の身体が、吹っ飛んだ。逃げていく城の人々の頭上を抜けて飛んでいく。城の外に落ちて、水音がしたから堀に落ちたのだろう。

「よく頑張ったな」

 思わず、ムーをほめた。

 ムーの魔力を考えると、微微微量で押さえた努力はすごいものがある。

 が、勘違いされたらしい。

「我らが魔術師に劣ると!」

 残りの塾生3人が同時にムーにかかってきた。

 ムーを連れて逃げても、いつまでも追いかけてくるタイプだと判断して、そのままにした。

 結果。

「やりすぎだ」

「一回は頑張ったしゅ」

 3人はオレ達の真上に飛んでいった。見上げたが、姿は見えない。かなりの高さに飛んでいったらしい。しばらくすれば、落ちてくるだろうが、落ちる場所は飛んでいった方向から考えるとこの王宮内だ。オレ達以外はすでに避難を終えているから、オレ達さえ城から出れば人的被害はでない。

「王宮の敷地から出ますよ」

 塾長とあとひとり、貴族らしき人に声を掛けたあと、ムーを小脇に抱えて走り出した。

 2人とも後ろを走ってついてくる。

 心配だろうから、一応フォローは入れておく。

「ムーが保護魔法をいれましたから、命は大丈夫です」

 両手ともの印を結んでいた。

「ゆっくり落下してくるのか?」

「いいえ、保護だけです。高速で飛んでいる鳥や氷にぶつかっても怪我しませんし、落ちてくる加速度で身体が分解もしません。地面に激突しても、かすり傷ひとつしない高度な魔法です」

 ムーがフライを使うとき用にオレが頼んで開発してもらったオリジナル魔法だ。この魔法のおかげでフライで飛翔中、バードストライクや着地の失敗で命を失う危険は劇的に減った。

「それは……」

 なぜか、黙った。

 黙って走ってついてきたが、城に出る頃にようやく口を開いた。

「……かなりのスピードで地面に墜落すると言うことか?」

「どちらかというと、音速で頭から地面に突っ込む、ですね。そんな顔をしなくても大丈夫です。オレも5回ほど体験していますから」

 塾長の顔の筋肉がけいれんするように動いている。

「本当に大丈夫です。かすり傷すらしません。安心してください」

「ウィル、自分を基準にするな」

 オレ達を城の外で迎えたアレン皇太子が言った。

「いや、わかりました。大丈夫なのですね?」

 塾長、なぜか、下手にでた。

「大丈夫です」

「それで、ムー殿の使ったのはカウンターですか?」

 オレは小脇に抱えていたムーを下ろした。

 聞かれたムーの頬が膨れている。答える気はないようだ。

 まだ、宝石の望みがあるので、代わりにオレが答えた。

「いいえ、魔法を発動させています」

 塾長はカウンター、ムーがあらかじめ攻撃に備えた魔法を自分にかけておいて、攻撃しようとした3人がそれに触れたと考えたのだろう。

 実際はそうじゃない。飛びかかってきたことにムーが反応して魔法を発動させている。用心に印は結んでいただろうが、発動は後だ。

「そんなはずは」

「あれくらいの魔法なら、詠唱なしで、発動時間は0秒ですみます」

 塾長の目が揺らいだ。

 肉体による格闘は近づけなければ戦えない。発動時間0秒は戦う相手としては厳しいものがある。

「ファイアボールやアイスメイルとかも発動時間0秒です。魔力は化け物並にありますから、通常の戦闘でムーが魔力切れすることはありません」

 無敵の魔術師。

 そうに思って恐怖を感じたら、宝石を買ってくれるかもしれない。

 オレがワクワクして塾長を見ていると、上からヒューという音がした。激突音、地響き。

 3人が戻ってきたらしい。

「とにかく、様子を見に行かなければ」

 塾長が駆けだした。

 オレとアレン皇太子も追いかける。

 地面はおおきくえぐれていたが、3人とも無傷だった。

 衝突の精神的ショックか、すこしぼんやりしている。

 それと、もうひとつ。

「ウィル、帰る前にあれを何とかしておけ」

 アレン皇太子が3人を目で指した。

 ムーがさっき投げ捨てた宝石。

 そこから吹き上げている赤黒い炎が3人にまとわりついていた。



「いい日だな」

 窓から午後の暖かい日差しが燦々と降り注ぐ。

 午前中には、いくつか商品が売れた。

 金庫には金貨10枚。

 懐は暖かく、陽気もいい。

 店のカンターで商品の青銅の斧を布で磨きながら、のんびりと過ごす午後。

 昨日は、王宮に呼ばれて、プロの武道家と戦わされて、ムーの召喚獣から逃げて、塾生を吹っ飛ばした件と赤黒い炎の吹き出す宝石の件で、王様と皇太子に叱られて。

 その後、夕方になってモジャが来てくれて、クラゲ型召喚獣のいる空間を閉鎖してくれて、赤黒い炎を吹き出す宝石は一回だけという約束で元の状態に戻してくれた。

 今日は朝から何も起きていない。

「ダメです!」

 シュデルの声が響き、ムーが店内に駆け込んできた。

「返してください」

「ボクしゃんのしゅ」

「魔法をかけたり、魔法道具にしたりしたら、使えなくなるとわかっているんですか」

「わかてっるしゅ」

「また、なくしたら大変なことになります。金庫にしまっておきますから渡してください」

「イヤしゅ」

 どうやら、ムーの位の宝石をシュデルが金庫に保管しようとしていて、ムーが抵抗しているらしい。

「シュデル、金庫に入れておかなかったのか?」

 金貨250枚。

 なくしたら、桃海亭では購入は不可能だ。

「昨日、モジャさんから渡されてすぐに入れておきました。先ほど、使用後の手入れをしようと金庫を開けたらないんです」

 ムーは昨夜も遅くまで起きていた。そして、つい先ほどまで寝ていた。

「先ほど、ポケットから鎖がでているのが見えました。首飾りですよね。出してください」

「違うしゅ」

 ムーがやけに抵抗する。

 シュデルがしつこいと、高圧的にでることもあるのに、今日はそれがない。

「右のポケットです」

 シュデルの手がポケットに延びた。

「イヤしゅ!」

 逃げようとしたムーが、シュデルに捕まって、ポケットを探られた。

「あれっ?」

「どうかしたのか?」

 探っていたポケットをシュデルがのぞいた。

「何もないです」

「首飾りを盗った犯人はボクしゃんじゃないでしゅ」

 さっきと持っていると認める言動をしていたが、ポケットにないとなると強く出てきた。

「他を当たるしゅ」

「でも、僕は間違いなく見たのです。このポケットから、鎖がでているのを」

「違うしゅ。ボクしゃんじゃないしゅ」

 言い争っている2人の足下に、何か動いている物があることにオレは気がついた。

 ウネウネと芋虫のように動いて食堂に向かっている。

「ムーさん以外、誰が金庫を開けられるのですか」

「ウィルしゃん」

「ムーさんは知らないようですが、いま金庫の鍵を持っているのは僕だけです。店長がこの間無駄遣いをしたので、僕が店長の鍵も預かっています」

「はぅ!」

「どこにあるんですか。左のポケットですか」

「違うしゅ」

 2人の争いは放置して、オレは斧の磨きに戻った。

 見なかった。

 オレは何も見なかった。

「モジャさんから、あの首飾りはスウィンデルズ家の家宝と聞きました。絶対に魔法などかけさせません。さあ、出してください」

「ほょしゅ」

 ムーとシュデルの攻防は、まだまだ続きそうだ。

 オレは丹念に青銅の斧を磨いていく。

 そのオレの前を、

 位の首飾りがウネウネと動きながら、ゆっくりと食堂に入っていった。



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