序
この世にいる人は皆、心に鬼を飼っているらしい。
「いいかい、望月。よぉく聞くんだ。
人は心に鬼を飼う。鬼は心に何時も在る。
鬼は人が死んだ時に初めていなくなる。
決して、鬼に負けてはならないよ。」
小さいころ、私は祖父にそういわれ続けた。
そのたび、私はいろんなことを思ったものだ。
――鬼ってなぁに?
――どうして人は鬼に負けちゃいけないの?
――鬼はどうして、人の心に在るの?
――負けるときって、どんなとき?
でも、何故か、私はそれを祖父に聞けなかった。
大好きな祖父でそのほかのことは何でもいえたし聞けたのに、
何故かそれだけは、聞けなかったのだ。
祖父は聡い人であったから、多分私が聞けないでいることにも気づいていただろう。
だけど、祖父はそれを私に尋ねさせようとはしなかった。
だけどその代わり、必ずこうしてくれた。
まず、穏やかに笑う。
それから、私の頭をやさしく撫でる。
そして、穏やかに私に向かって云うのだ。
「鬼っていうのはな、本来怖いものではないんだよ。
むしろ、優しいものなんだ。本来はね。」
――なら、どうして負けちゃいけないの?
そんな疑問は常にあった。
だけどやっぱり、私は祖父に聞けなかった。
月日は流れた。まるで祖父のように穏やかに。
月日が流れれば、私も成長する。祖父も同様。
いや、祖父は成長、というよりも、
確実に人生の終着点へと向かっている。
すなわち、段々と老いていった、というのが正しいけれど、
でも、成長、という言葉を私は使った。
そのほうが、なんとなくしっくり来たのだ。私には。
とにかく、月日は流れた。
私と祖父は、お互いに『成長』した。
そして私が中学を卒業した翌週に、祖父は『成長』をやめた。
最後の最後まで穏やかに、ゆったりと優しく『成長』を止めたのだ。