9 sprint
「高橋くんと、送ってくれたんでしょ?去年の同期飲みのとき…」
私の問いかけに、困ったように首を振る遥子。一体、どういうこと?
「高橋くんとなんて、一緒に帰ったことないと思うよ。たしか全然方向も違うはずだし。それに、あたしと璃子はいつも2人で帰ってるじゃない」
そう言われてみればそうだ。すぐ酔ってしまう私と比べて、お酒に強い遥子はめったに酔わないから、飲みのときはだいたい隣にいてくれるよう頼んである。
だったら高橋くんは、どうしてそんな嘘ついたんだろう。いや、問題はそこじゃない。
―――どうしてうちの場所を知っていて、私を待っていたんだろう。
*
Ma chérieへ行かなくなって、3週間が過ぎた。
最近は仕事が忙しくて終電で帰らざるを得ないから、水曜日ぐらいは早く帰って家事をしないといけない。…なんて、自分に言い訳して。
ほんとは、拓海と顔を合わせるのが不安なだけだ。私は加藤さんが好きなんだって、自分にいくら言い聞かせても…拓海に会ったら、何かが崩れてしまいそう。
―――そして、今日も行かないつもりだった。
定時に会社を出て、いつも通りひと駅前で降りる。…けれど、あの裏通りは歩かない。
マンションへの直進コースを大股でずんずん歩きながら、仕事のことを考えた。忙しくしてたら、他のことを考えなくていいから楽だ。
耳にイヤホンをつけて、いろんなものから自分をシャットアウトすれば…街の中でも簡単に1人になれる。本当の1人ぼっちにはなりたくないけれど、1人でぼんやりと考えたいときもある。本来は寂しがり屋だから、こんなこと思うようになったのは本当に最近。少しだけ、大人になったということだろうか。
履きなれた黒いパンプスで歩いていると、突然後ろから肩を叩かれた。こんなところに知り合いはいないはずだし、あまり人気のない通りだから、驚いてびくっと飛び上がってしまった。
思い切って振り向くと、
「高橋くん…?」
「よかった、やっぱり佐倉だ。後ろ姿が似てたから、思い切って声かけたんだよ」
また、あの爽やかな笑顔だ。…けれど今回は、彼に対して一抹の気持ち悪さを感じた。そしてその不安は、私のもとへじわじわと忍び寄ってくる。
会社の近くならまだしも、なんでこんなところで偶然会うの?それに、後姿だけで私だとどうしてわかるの?
「…わっ、わたし、急ぐから!じゃあまたね!」
とにかく彼から距離をとりたくて、私は夢中で駆けだした。こう見えても学生のころ陸上部だったから、足には自信がある。ただ1つ問題なのが、いま履いてるタイトスカートと5cmヒールのパンプス…。
ちらりと後ろを見ると、高橋くんが追いかけてきているのが見えた。まずい。このままじゃ…!
「こっち!」
「きゃっ…」
突然、物陰からぐいっと腕を引かれ…、私は誰かの腕の中に飛び込んでしまった―――




