8 ombre
『もしよかったら、俺とつきあってほしい』
ずっと気持ちを伝えたかったその人から、思いがけず告白された。
本当なら飛び上がっちゃうぐらい、すごく嬉しいはずなのに。なぜだか私は、すぐに返事をすることはできなかった。
*
加藤さんと飲みに行った翌日も、平日だからもちろん仕事はある。少し気まずいけれど、会社へ行かなくちゃ。加藤さんとも、普通に接しなくてはいけない。
マンションのエントランスを出ると、そこには意外な人物が立っていた。
「おはよう、佐倉」
「高橋くん…?」
会社の同期・高橋くんだった。何日か前に、私に間違いメールを送ってきてたっけ…。
高橋君は爽やか系でいつも清潔感が漂っていて、しっかりしてる人ってイメージがある。私はあまり話したことはないけど。
「どうしたの、こんなところで。家、この近くなの?」
「友達が近くに住んでて、昨夜泊めてもらったんだ。せっかくだから佐倉と一緒に会社いこうと思って、待ってたんだよ」
どうして、私の家がここだって知ってるんだろ…。
不審に思ったのを察したのか、高橋くんは黒縁メガネの奥で微笑みを浮かべた。
「去年、同期飲みのとき三上(遥子)と一緒に、佐倉を送ったことあっただろ。それでなんとなく覚えてたんだ」
「あ!そっか。そういえばそうだったね。あのときはほんとありがとうね」
「どういたしまして。さ、行こっか。遅れるよ」
高橋くんに促され、駅への道を並んで歩き始めた。少なからず感じた違和感は、彼の爽やかな笑顔によって完全に打ち消されていた…。
「加藤さんに告られたぁぁぁああ!?」
横に置いたお弁当をひっくり返してしまいそうな勢いで、遥子がベンチから立ち上がった。
まわりにいる社員たちもみんな、何事かとこちらを見ている。
「ちょっと遥子、声大きいよー」
「だって、あんた!なんでそんな大事なことすぐ言わないのよ!」
「昨日の今日だし、じゅうぶん“すぐ”だと思うけど…」
「で、もちろん返事はしたんだよね?」
「……まだしてない」
「なんでよ!?」
遥子の大きな声に、またも注目が集まる…。
「ちょっと、考えたいの。ほんとに加藤さんのこと好きなのかな、とか」
「えっ、璃子も他に気になる人いるってこと?」
正直に言うと、図星。けれど、
「いないよ、そんなの」私は友達の前でも本心を明かせない。弱い人間なんだ。
「じゃあつきあえばいいじゃない。何を迷うことがあるのよ。加藤さんに恋してから3か月、振り向いてもらうために頑張ってきたんでしょ?それがようやく実ったんじゃない。嬉しくないの?」
「嬉しいよ、もちろん嬉しい。…でも、好きになることとつきあうことは、私の中では別っていうか…」
これは事実。誰かを好きになっても、その先をなかなか想像できない。自分が誰かと恋人らしいことをしているところなんて、考えたこともない。
普通の女子が中学生ぐらいで経験してるような、かっこいい男子を見てキャーキャー言ってる段階なんだと思う。彼女になって何かしたいっていうところまでは、きっと考えが辿りついてないんだ。男性経験がないからだって言われれば、それまでかもしれないけれど。
「そんな深く考えなくてもいいと思うけどね。つきあったからって、絶対結婚するわけじゃないし」
遥子はやれやれ…といった様子でお弁当を広げ始める。私もちらりと時計を見て、鞄から慌ててランチボックスを取り出した。
「…でも、そろそろ考え始めるでしょ?友達だって何人か結婚したし」
「まあねー。けどあたしは、今を楽しみたいからなあ。結婚はまだしばらくいいや」
考え方が違いすぎて、かける言葉が見当たらない。そうなんだー、と相槌を返して、卵サンドを1つ取り出した。一口齧ったところで、ふと今朝の出来事を思い出した。
「そういえば今朝、高橋くんと一緒に会社来たんだよ」
「え?どこか途中で会ったの?」
「会ったっていうか、うちの前で待ってたの。友達の家がうちの近くなんだって」
すると、遥子は不思議そうな表情をした。わたし、何か変なこと言ったのかな…?
「璃子、高橋くんと仲よかったっけ?そんなイメージないけどなあ」
「ううん、仲いいって程じゃ…。あんまり喋ったこともなかったし。うちの場所も、飲み会のとき遥子と一緒に送ってくれたから覚えてただけみたいだし」
目を丸くして、私を見る遥子。お箸は完全に止まっている。それと同時に、私の動きも止まる。
「あたし、高橋くんと一緒に璃子を送ったことなんてないと思うんだけど」
「……え…?」




