15 personne spéciale
―――彼と偶然の再会を果たしたのは、そんな平和な日々を送っていたときのことだった。
ある水曜日の帰り道。仁史は今夜、同期の人たちと飲みの約束があるから、一緒には帰れなかった。
最寄りから1つ前の駅で電車を降りて、定期入れを出すためにバッグの中をゴソゴソと漁りながら、人の波に身を任せて進んでいく。なかなか見つからなくて、バッグの中に気をとられ過ぎてしまっていたのか、
「あっ」
ホームの先、階段のところまで来ていたことに気づいていなかった。
落ちる…!
本気でそう思った、次の瞬間。階段を下りる人の背中に飛び込みそうになっていた私の体を、強い力がぐいっと押しとどめた。
その人は私をホームに立たせてくれて、そのまま人の波から少し外れたところに導いた。彼に手を引かれながら、私は高鳴る胸の鼓動を静めることができなかった。見覚えのある後姿、以前も同じように引かれた手の力強さ……。彼の顔をみるまでは断定できないと頭でわかっていても、体は「彼だ」とはっきり認識していたのかもしれない。
そして、
「大丈夫?」
そう言いながら振り返ったその人は―――紛れもなく、拓海だった。
「長い間、留守にしてごめんね。きのう、フランスから戻ってきたところなんだ。店も……この通り、まずは掃除しなくちゃいけない」
困ったように笑う彼を見て、私はそれ以上にないほどの安堵感を覚えていた。
数ヶ月ぶりに会った拓海は、何も変わっていなかった。相変わらず明るくて、優しくて。そんな彼の様子だから、私はつい見落としそうになっていた。―――彼がもう、幼いころからずっと抱えている、暗い闇の部分を。
「心配してたんだよ、突然“臨時休業”なんて…。どこか、体でも悪くしてるのかと思って」
私がそう言うと、拓海はコーヒーを淹れながらわざと驚いたような顔をした。
「えっ、璃子が俺のこと心配してくれてたの?嬉しいなあ」
「またそんなことばっかり言って。私だって彼氏できてから、そういう言葉に免疫ついてきてるんだからね」
目を一瞬大きく見開いてから、拓海は優しく微笑んだ。温かいコーヒーの入ったマグカップを1つ私に手渡してから、彼も隣に腰を下ろす。思えば、こうして並んで座るのなんて初めてかもしれない。いつもお店に来たときは“バーテンダーとお客さん”の位置なのに、いまはすごく身近に感じられる。
「彼氏とは順調なの?」
「うん、お弁当の作りあいっことかしてる。仲いいでしょ」
「なんていうか…、微笑ましいね。まぶしいよ」
拓海は本当に眩しそうに目を細めながら、コーヒーを一口、こくりと飲んだ。
静かな店内には私たちの話し声と、コーヒーを飲む音しか聞こえない。私には仁史がいるのに、拓海と2人きりになってしまっていることに少しだけ背徳的な思いを感じていた。そしてそれが、ほんの少しだけ…本当にほんの1ミリだけ、気持ちよくもあった。認めたくはないけれど、自分にもそんな感情があったなんて。
拓海にとって私はただの常連客の1人に違いないから、実際はなにも後ろめたいことなんてない。だからこそお店に入れてくれたんだろうし、今こうして2人きりでいられるのだと思う。
再び顔を出そうとしていた、ある感情に…何が何でも気づくまいと必死になっていた私に、彼が打ち明けてくれたのは―――今1番聞きたくない言葉だった。
「俺さ、この店たたんで…フランスに帰ろうと思ってるんだ」




