真名より目覚めし
その言葉と共にキラはカルマに向かって、天に振り上げていた自らの手を振り下ろした。キラに纏っていた雷が、地面を抉りながらカルマに向かって一直線に迸る。その速度は凄まじく、ヨイヤミには一瞬でカルマの元に到達したようにも見えた。
それでも、カルマはその攻撃を紙一重でかわしたようで、膝を付きながらも無傷ではあった。
カルマもそこで動きを止めるようなことはしない。曲げた膝をバネのように伸ばしながら、もう一度キラへの接近を試みる。
先程の攻撃によって抉れた地面が、線を描いていた。そんな威力がある攻撃をあの速度で撃たれていては、全てを避けるのが不可能だということは想像に難くない。
そんな防戦一方の遠距離戦では、カルマに為す術がない。遠距離の攻撃が無い訳ではないが、接近戦の方がまだ攻撃できる希望があると踏んだのだろう。
カルマも負けず劣らず、風を全身に纏って一瞬でキラの下へと接近する。最早、ヨイヤミの目で追える速度での戦いではない。人の範疇を越えた戦いが目の前で繰り広げられていた。
カルマは接近の勢いに乗せた拳をキラに向けて突き出す。その拳には風を纏っており、殺傷能力も相当高そうに思われた。だが、その拳がキラの身体へと到達することはなかった。
カルマの目の前にいたキラが唐突に消えたのだ。
カルマは驚きのあまり目を大きく見開き、動きを止め、次への行動をすぐさま取ることができなかった。そして、一瞬動きが止まったカルマの腹部に鈍痛が走る。
鈍痛が走った腹部へと視線を移す余裕もなくカルマは吹き飛ばされる。だがキラの姿を見れば、カルマを襲ったのはキラの脚から繰り出された蹴りであることは一目瞭然だった。
キラが消えたのも、カルマが動きを止めたのも、キラが攻撃したのも、ヨイヤミから見れば全てが一瞬の出来事だった。だがそれはあくまでも、凡人の見え方であり、彼らがそれを一瞬と感じているかどうかは定かではない。
蹴り飛ばされたカルマは、何度か地面に叩きつけられながらも、何とか体勢を立て直して、地面に膝を付きながらその勢いを殺した。
「瞬間移動は出鱈目過ぎるだろ……。基礎魔法にそんなもんあったか?それとも属性魔法か?」
これはカルマの駆け引きだった。今のまま戦っても間違いなく敗北する。だから少しだけ時間が欲しかった。相手の様子を覗う時間と、自らの息を整える時間が……。
カルマのことを下に見ていながらも、その力を認めてくれているキラならば、カルマの質問に対して素直に答えてくれるはずだと考えていた。だから、この問いかけはただの時間稼ぎでしかない。
「お前にはあれが瞬間移動に見えたのか?ならばそれは間違いだ。もちろん基礎魔法にそんな魔法は存在しない。今使ったのは、もちろん属性魔法だ」
まあ、そうだろうな。とカルマは、息を整えながらキラを見据える。カルマの本当の質問の意図を理解しているのか、キラも少し間を空けながらゆっくりと口を開く。
「今使ったのは、自らを雷に変え光速で移動する魔法だ。だから瞬間移動したように見えただけで、別に空間を移動したりはしていない。ただ、お前の認識速度を超えたために、瞬間移動したように見えただけだ」
カルマは苦笑するように、少しだけ口角を上げる。そんなカルマの反応にも、キラは特に表情を変えることはない。
「やっぱり出鱈目じゃねえか。雷の属性持ちは誰でもそんなことできるのかよ……。そんなの、その属性を手に入れた時点でハンデがあるじゃねえか」
それに対して、キラは少しだけ首を左右に振る。
「誰でも使えるということは無いだろう。これの制御には相当の技術が必要になるし、そもそも光速で移動することで身体への負担がどれ程になるか、お前に想像ができるか?」
話し方自体は誰がどう見ても穏やかなものだった。教師のように誰かに教鞭をふるうような、そんな雰囲気さえあった。だが、その言葉には、これまでに自らが耐えてきた痛みや苦しみが如実に滲み出ていた。それによりカルマの表情がさらに強張る。
「要は、それができるからこその最強って訳か……。限られた者にしか使えない技を持っているからこそ、四天王たり得るってことだな」
カルマの言葉にキラは小さく頷き肯定を示す。誰もがその位置に立てる訳ではない。死んだ方がマシなほどの苦しみに耐え、死んでしまうような痛みに耐え、その上で彼は人々の上に立っている。資質の力を誇示してふんぞり返っているだけの小国の王とは訳が違う。
だからこそ、自らを高めることを忘れ、容易に誰かの下に下る者が、キラには許せないのだろう。それでも、それを受け入れるだけの器量が彼にはある。今から彼の下に下ると言っても、彼は恐らく受け入れてくれるだろう。だがそんな選択肢はカルマの中には存在しない。
「瞬間移動している訳じゃないっていうなら、目で追えば何とかなるだろ。俺の動体視力舐めるなよ」
どう考えてもただの強がりだった。人間が光速を目で追える訳がない。力を持ったカルマなら追えるかもしれないと思ったが、それなら最初の段階で追えているはずだ。
「もし、目で追えたとしても、風速が光速を超えることなどできはしない。お前が俺に勝つことなど不可能だろうな」
カルマは自らが感じている恐怖を表情に出さないように、一筋の汗を頬に滴らせながらも、強がりな笑みを自らの顔に貼り付ける。
「勝ち負けの決まった戦い何て無えよ。その余裕、後で後悔させてやる」
威勢だけは良いその言葉を皮切りに、カルマは地面を蹴る。
これで何度目の接近だろうか……。もう、何度も見た光景が、ヨイヤミの視界の中で繰り返される。その度に、カルマの速度は上がっている気がする。もう、ヨイヤミの眼で追える速度を超えているので、実際どうなのかはわからないが…。
キラが放った雷のように、カルマが身に纏った風が地面を抉って一筋の線を描く。大地を捲りながらカルマはキラの下に接近する。
「うおおおおおおおおおおお!!」
咆哮と共に放たれた拳を、キラは難なく避ける。光速をもって、拳を放ったカルマの背後に回り込む。そして、自らの拳をカルマに放った。
しかし、その拳はカルマの掌によって勢いを殺された。キラの拳は、カルマの掌の中に収まっていたのだ。
「何っ!!」
流石のキラも、これには動揺を隠せなかった。キラの表情に初めて歪みが見えた。カルマの視線はまだキラを捉えていない。カルマはその拳を視認することなく、感覚だけで掴み取ったのだ。
カルマはその拳を握り締めてキラの動きを封じると、身体を捩じりながら振り返る勢いも併せて、キラの頬に殴りかかる。
キラが勢い余って吹き飛ぶ。それでも地面に倒れ込むようなことは無い。吹き飛ぶ間に体勢を立て直し、地面に着地する。
「どうだ、この野郎。まず一発入れてやったぞ」
拳を握りしめて小さなガッツポーズを取りながら、カルマはキラに向けて言い放つ。カルマはこの戦いの中で少しずつ成長をしている。もしかすると、この戦いに勝つことができるのかもしれない。そんな希望が、今のヨイヤミには沸いていた。
いつの間にか、ヨイヤミの心を満たしていたどす黒い恐怖は無くなっていた。カルマが与えてくれる希望の光が、そのどす黒い影に光を当てて、少しずつ消していってくれたのだ。
「ここで殺してしまうのは、本当に惜しいな。だがこれは、勝つか負けるかの戦争だ。最後にこの場に立っているのは、どちらか一人で十分だ」
初めて、キラが自ら動いた。ヨイヤミがキラを視認していた場所から、カルマのように地面を蹴ることなく一瞬でその姿を消し、ヨイヤミの眼で彼を捉えたときには既にカルマとの攻防が始まっていた。
凡人の眼では追えない程の、殴る蹴るの応酬。お互いがお互いの攻撃を往なし、次の攻撃を繰り出す。だが、キラが言ったように、風速が光速に勝ることはできない。それが少しずつ綻びとなり、カルマの身体にダメージを与えていく。
このままではカルマの勝ち目はない。カルマに負けて欲しくない。でも、自分にできることは何もない。そんな葛藤をしながら、ヨイヤミは二人の戦いを凝視していた。それでも、抑えきれなくなった心が、声になって溢れ出る。
「負けるなああああああ。頑張れカルマアアアアア!!」
友の声援がカルマに力を与える。友の声援を受けてカルマの眼に炎が宿る。一人で戦っているんじゃない。こんなところで負ける訳にはいかない。
カルマは、キラの額に向けて自らの額を突き出した。カルマが放った頭突きをキラは止めることができなかった。これまで手と脚からの攻撃しか繰り出していなかったカルマが繰り出した変則的な攻撃に、キラも対応が遅れる。
そして、その頭突きにより生まれた隙をカルマは見逃さない。カルマの手に風が集まっていく。風は球を描くように収縮し凝縮される。カルマの掌の中に、暴風の塊が生成される。巨大な台風が半径数十センチに凝縮され、それが一気に暴発すればその威力は計り知れない。
「喰らええええええ!!ウインド・ハウル!!」
名前まで付けた、カルマの唯一の必殺技。その暴風の塊を、キラの胸部に押し付けるようにして突き出す。キラに触れた瞬間、その塊は暴発し、周囲に凄まじい暴風と風の刃を生み出す。少し離れたヨイヤミですら、その勢いに吹き飛ばされ、頬を風の刃で傷つけられる。
その中心にいるキラはどれほどのダメージを喰らうのか想像することすら難しい。
暴風の塊は地面にクレーターのような大穴を空け、その中心にキラは倒れていた。
だが、そこに倒れるキラには違和感が拭いきれない。あれだけの暴風の中心にいながら、彼に残った傷は擦り傷のような傷が腕と頬にあるのみ。言ってしまえば、ほぼ無傷だった。
キラはゆっくりと瞼を開きカルマを見据える。お互いに動く気配はない。それは、既にカルマが動けるような状態ではなかったからだろう。だから、キラも急いで動く必要が無かった。
カルマの腕は既にボロボロだった。どちらかといえば、これが当然の光景だ。無傷のキラが異常なのだ。カルマが繰り出したのは自らをも傷つける、諸刃の剣だった。それだけの覚悟を伴った攻撃にも関わらず、キラにダメージを与えることは適わなかった。
キラは地面に手を付き、ゆっくりと自らの身体を起こす。
「それが、お前の全力か?」
キラのその問いかけに、カルマは何も答えない。ボロボロになった腕を抑えながら、息も絶え絶えに、その場に立ち尽くしていた。完全に立ち上がったキラはそれを肯定と捉えたのか、小さく頷くとカルマの方向に向けて脚を踏み出す。
「そうか……。お前の底が見えたな。もう、お前に勝ち目はない」
先程までのように威勢よく言い返してやりたい。お前なんかに負けないと、言ってやりたい。だが目の前の現実が、その言葉を喉元で詰まらせる。頭で思い浮かべても、脳がそれを拒絶するように言葉を発することを拒絶する。
「冥土の土産に、お前に本当の力というものを見せてやろう。お前が俺に勝てない最大の理由がそこにある」
そう言うとキラは天に手を掲げながら瞼を閉じる。そしてまるで何かを念じながら唱えるかのように、ゆっくりとその口を開く。
「天界より召されしその御身……」
キラが何やら唱え始めると、キラの足元に巨大な魔法陣が光を放ちながら描かれていく。
「我が身に宿りしその力、大いなる意志の下、その名をもって我が力と為さん。来たれ、雷鎚の戦神、トール」
キラが呪文のような言葉の羅列を並べ終え、誰とも知らない名を告げると、天から地面に描かれた魔法陣に向けて、巨大な光柱が舞い降りた。