無慈悲な銃口
意外なことに、体型には似合わずロニーは脚が割と早かった。少なくとも、ニコルとヨイヤミに後れを取ることはなかった。逆に何故、話し方だけあれほどのろまに感じさせるのか……。
彼らが遺跡擬きに到着すると、案の定残りの四人がその中の木箱で腰かけて談笑していた。
「あれ?どうしてヨイヤミがいるんだよ。それにお前ら、どうしてそんなに焦って……」
カルマが最後まで言い終える前に、カルマの言葉を遮るようにしてニコルが現状を伝える。
「カルマ、これから軍がここに攻めてくる。一刻も早くこの国から外に逃げるぞ」
そんなニコルの言葉をカルマがすぐに飲み込める訳もなく、ニコルに問い返す。
「ちょっと待て。ちゃんと説明してくれ。何がどうして、そうなるんだ」
焦っているニコルは苛立ちを包み隠さずに、それでも説明だけはちゃんとする。
「ああもう。時間がないって言ってんのに……。あのな、グランパニアの軍の奴ら、軍事演習場を広げる計画を立てとるらしくて、その場所がここなんだよ。だから、軍の奴らが今日、この国を焼き払いに来るんだって」
カルマとサラは言葉を失ったように、唖然とした表情をしている。
レアはまだこの事態を理解しきっていないようで、首を傾げている。
一人だけ違和感を覚えたのはリディアだった。このことを知っていたかのように、驚いた様子がまるでなかった。しかし、今はそんなことを気にしている時間はない。
「とにかく、今外は大変なことになってる。俺たちも一刻も早く逃げねえと……」
そこで、唖然としていたカルマが、少し冷静さを取り戻してカルマに告げる。
「落ち着け……。逃げるってどこに逃げるつもりだ。このスラム街で唯一外に出られるのは東門くらいだろ。奴らの攻め入る場所だって東門くらいしかない。そんなところに自ら突っ込んでいくのは、自ら殺されに行くようなもんだろ。外に出る場所なんてどこにもない」
そんなカルマに苛立ちが増していくニコルは、激昂するかのように怒りを爆発させる。
「だから、俺たちにはいつもの場所があるだろうが。あそこなら、何の問題もなく逃げられる。こんなところで、こうやって無駄な時間を過ごしている暇なんかねえんだよ。お前こそ、そんなこともわからねえのか」
激昂するニコルとは相対して、カルマは平静を保ったまま、なおもニコルに告げる。
「そうだ。今はあそこしか逃げ道がない。でも、あそこは俺たちが自分たちで掘った穴だぞ。俺たちがあそこから逃げるのを誰かに見られたら、あそこに人が密集することは目に見えている。あんなところに人が密集すれば、あの穴は簡単に崩れるぞ。そうすれば、誰もここから逃げられない」
カルマが今すぐに逃げ出そうとしなかったのは、それが理由だった。逃げ道としては、確かにあの穴は確実性が高い。しかし、人が密集すれば一気にその確実性が崩れ落ちる。字の如く、崩れ落ちるのだ。
「じゃあ、どうしろってんだよ。ここで、大人しく殺されろってか……。それなら俺は一か八かであそこから抜け出すぞ。こんなところで貴族街の奴らに大人しく殺される気はねえ」
ニコルの言葉に、カルマがようやく同意を示すように頷き返す。
「それは俺も同じだ。こんなところで殺される気はない。だから、少しだけ時間をくれ。お前たちも俺のことは知っているだろ。俺が道を開く。それまでの間、なんとか逃げて、生き延びてくれ」
ニコルが言葉を失う。今までカルマの言葉に勢いに任せて言葉を放っていたニコルの口が、急ブレーキを踏んだかのように、一瞬開こうとして閉じられる。
「俺なら大丈夫だ。軍の奴らなんかに負けたりしねえよ」
ニコルは何も言わない。先程までの勢いが嘘だったかのように、口を噤み黙り込む。その代わりにレアがカルマの足元まで歩み寄る。
「おにいちゃん……。行っちゃうの……」
その声は震えていて、今にも泣きだしそうだった。現状が理解できていないレアでも、兄が危険なところに行こうとしていることは理解ができているらしい。
カルマはしゃがんで、目線をレアに合わせる。
「ああ、ちょっとだけ行ってくる……。大丈夫、すぐに帰ってくるから。そんな顔しないでくれ」
レアの頭を撫でながら、レアを安心させるように微笑みかける。レアの前に立つカルマは、やはりいつもとは違って大人に見える。それだけ彼が彼女を護るために、大人として過ごしてきたということだろう。
レアは俯いたまま、カルマと視線を合わせようとはしない。そんなレアの頭からカルマはそっと手を離すと、ヨイヤミたちがいる方向に視線を向ける。
「お前らには迷惑かけるけど、レアのこと、よろしく頼む」
そんな言葉にニコルが反論する。しかし、先程のような勢いは全くない。触れれば消えてしまいそうな程、か細い声をなんとか絞り出す。
「知るかよ……。心配だって言うなら、お前が面倒見ればいいだろうが。さっさとやることやって、帰って来やがれ」
ニコルもまた、カルマと視線を合わそうとはしない。話し終えて閉じた口許が、小さく震えている。ここでニコルが『行くな』と止めないのは、きっとそれがカルマにしかできないとわかっているからなのだろう。だからヨイヤミも、ここで口を挟むことはしなかった。
「本当に一人で行くの?確かにカルマのことは、私たちは良く知ってるから、この中でそんなことができるとしたら、それはカルマだけだってわかってる。でも、やっぱり一人ってのは……」
リディアの言葉でヨイヤミは思いつく。そうだ、別に彼を一人で行かせる必要はない。自分も力になれることがきっとあるはずだ。
「それなら、僕が行く。僕なら貴族街の人間やし、それはこの格好を見ればわかるはずや。まあ、ちょっとボロボロやけど……。それでも貴族街の人間なら、すぐに殺されることもないし、少しくらいなら話を聞いてくれるはずや」
ヨイヤミの提案にカルマが少しだけ訝しげな表情を浮かべる。
「でも、わざわざお前が危険に身を曝す必要はないだろう。お前は何も気にする必要なく逃げられる訳だし……」
ヨイヤミは左右に首を振る。一振り、一振りに意味を込めるようにゆっくりと……。
「僕が皆を置いて逃げる訳ないやろ。自分ができることを精一杯やる。そうやないと、これから先皆と合わせる顔がない」
まだこれから先がある。こんなところで終わる訳にはいかない。ヨイヤミは言外にそう告げる。その言葉に、カルマも折れたように、苦笑しながら了承を示す。
「わかった。なら、ヨイヤミは俺についてきてもらう。皆は、ひとまずここで待っていてくれ。余程状況が悪化しそうになったら、俺たちを置いて一か八かであの穴から向こう側に逃げて構わない。必ず俺が迎えに来るけど、それでも……、もしものときはレアをよろしく頼む」
カルマのその言葉に誰も返事をしない。ここで返事をしてしまえば、カルマが帰って来ないような気がしたからだ。皆が口を噤んだまま、ただカルマを眺めている。
「絶対に帰ってこい。カルマもヨイヤミも……。勝手に死んだら、許さねえからな」
静寂の空気を破るように、言葉を紡いだのはニコルだ。それに続くようにして、皆が激励の言葉を掛けていく。
「頑張ってね……。あんたたちのこと信じてるから」
「手伝えなくてごめんねえ。でも、必ず帰ってきてよお」
「あ、あ、あの……。無事で、い、いてくだ、さい。待ってます、から」
皆の言葉を受けて、ヨイヤミとカルマは頷く。そして、お互いの顔を見合わせてもう一度頷いて「行くぞ」と皆に背を向けようとしたその時、最後とばかりにレアがカルマに声を掛ける。
「おにいちゃん……。……行ってらっしゃい」
行かないで、とは言わない。レアも幼いながら、色々と理解はしているのだろう。だから、カルマが悔いなくこの場を離れられように、なるべく笑顔で送り出そうとする。
その笑顔が、どう見ても強がっているため、逆に後ろ脚を引かれそうになるが、カルマの決意は固い。
「ああ、行ってきます」
その言葉を残して、ヨイヤミとカルマは、これから戦場になるであろう、東門へと向けて走りだす。
「とにかく、お前は向こうに話が通じないとわかったら、俺の後ろに隠れてろよ」
全力疾走しながらも、カルマはほとんど息を切らさずに、普通に話しかけてくる。普段から割と走り慣れているヨイヤミだが、カルマのペースに付いて行くのは、なかなかに骨が折れることであり、息絶え絶えに返事をする。
「はあ、はあ……。わかった……、けど……、本当に、大丈夫、なんか……」
何とか単語ごとに区切ったため、言いたかったことは伝わっただろう。カルマにはまだ、振り返るだけの余力もあるらしい。もしかしたら、ヨイヤミの出せる限界のペースに合わせられているのかもしれない。
「心配するな……。口で説明しても、たぶんわからないことだから、後は目で見てもらうしかないけど、俺は絶対に大丈夫だ」
そこまではっきり言われてしまうと、信じるしかない。スラム街は少しだけ様相を変え、廃墟が立ち並ぶ道になっていた。ヨイヤミがよく知る壁側はテントが立ち並んでいる、と言った雰囲気だったが、こちらは何とか建物という雰囲気を保ったままではあるが、それでもこれをどう表現するかと言われれば廃墟だった。
ここも昔は平民街の一つだったらしいから、これはその頃の名残だろう。
こちら側にも人は存在するようで、僕らの方を不思議そうな目で眺める者も少なくない。おそらく、ここに居る人たちは現状を知らないのだろう。
しかし、今ここに居る人たち全員にそれを教えている時間はない。僕は彼らと目を合わせないように走り抜ける。目を合わせれば罪悪感で押し潰されそうになるから。
このスラム街は四方を壁で囲まれている。元々グランパニア全体を囲む一つの円形だった城壁に、スラム街を隔離する形で壁を増設したのだ。上空から見ると台形のような形で囲まれている。
ヨイヤミが初めてここに来たとき、ここをゴミ箱と比喩したのは、四方を囲まれていたという理由もあったかもしれない。
二人は廃墟群も抜けて、遂にいつもヨイヤミがくぐる城壁とは反対側にある城壁に辿り着く。
そして、まるで見計らったかのように城壁に備えられた城門が動き出す。
この城門は普通の造りと違い、外側からも内側からも開けられるようになっている。それはこういった時のために、外側から入ってくるためなのだろう。
城門がゆっくりと口を開くように、砂埃を挙げながら開いていく。城門の先に見えるのは太陽の光を浴びて煌々と輝く、何本もの銀のグリーブ。
やがて、手甲やプレートも露わになり、そして城門が開き切ると、優に千は超えるであろう兵士が、城門の向こうで待ち構えていた。
「嘘やろ……。一体何人おるんや……。こんなのカルマ一人で相手でき……」
ヨイヤミが言葉を最後まで発する前に、隣から放たれる殺気に言葉を失う。どす黒い感情が隣から流れ込んでくる。
これまでに見たことのないようなカルマの顔。初めて会った時の顔、友達として認められてからの顔、レアを前にしたときの顔。これまでにいくつもの顔を見てきたが、そのどれとも違う。
その殺気に気圧されそうになったが、このままでは何の話し合いもなくカルマが突っ込んでいきそうだったので、勇気を出してカルマの一歩前に出る。
ヨイヤミが動いたのを感じ取った兵士たちが、一斉に手に持った銃器をこちらに向けて構える。
この前のエリスのときでも怖気づいてしまったのに、その百倍以上の銃口に眩暈を起こしそうになるが、必死に堪えて振る舞う。
「話を聞いてほしい。僕は貴族街の人間や。この格好を見ればわかるやろ」
そうは言ったものの、既に先程の件で服はボロボロだったので、正直あまり説得力はなかった。だが、スラム街の人間は、布を頭から被ったような服ばかりだったので、これでも何とか通じるだろうという考えだ。
案の定ヨイヤミが貴族街の人間だということは、理解してくれたらしく、すぐに攻撃に移るようなことはしなかった。
「あなたが貴族街の人間であることは承知した。だが、何故あなたがスラム街にいるのだ。貴族のスラム街への出入りは禁止どころか、できないはずなのだが」
軍の兵士からすれば、貴族は国を支える大切な住民なので、子供であるにもかかわらず礼節をもって接してくれはするものの、その言葉に孕んでいるのは攻撃的な感情だ。
「今はそんなことはどうでもいいやろ。僕はこの計画を止めに来たんや。今すぐ計画を中止してくれんか」
そんな我が儘みたいな言葉が通じる訳もないと思ってはいたが、まずは相手に目的を伝えることが先決であると感じたヨイヤミは、真っ先にこの言葉を選んだ。その発現が敵意によって潰されるのは容易に想像ができ……。
「これは既に決定事項だ。この街は一度焼き払い、軍事演習場として生まれ変わる。それが国のためであり、あなたもまた、そうすることによって平和な未来を約束される一人であるはずだ。なのに何故、それを拒む」
彼が言うことは最もであり、この国の軍が強くなれば、それで命を護られるのはこの国住民たちだ。だがそのために、彼らを犠牲にすることは間違っている。
「なら、スラム街の皆だって、グランパニアの住民や。あんたらが護らなあかん、この国の国民やないんか?」
この国を護るというのなら、スラム街の人間だって護らなければならないはずだ。護るはずの国軍が何故自ら、その護るべき対象を傷つけるのか……。
「それは違う。彼らは国民として認められていない。彼らは納税の義務すら果たすことなく、この国に勝手に寄生しているだけの害虫だ。害虫を駆除するのは当たり前のことだろ」
こんなの水掛け論だ。どちらも自らの意見を曲げる気はないし、平行線を辿っているだけだ。背後では、押し殺すことのできない殺意を放つカルマから、凄まじいプレッシャーが掛けられる。
「なら、せめて……、スラム街の皆を、外に出すことはできんのか……。この街は明け渡す、やから皆の命だけは……」
そこで会話をしていた兵士がニヒルな笑みを浮かべる。まるで嘲笑するかのようなその笑みは、ヨイヤミの背筋を凍らせて、その後の言葉を失わせる。
「この国を出て、そいつらに何ができるというのだ。金もない、生きる術も知らない、あるのは薄汚れたその身体のみ。ならば、ここで排除されても、変わらないはずだ。それに、納税の義務も果たさず、この国に住みついているのであれば、強制的に排除されても、何も文句は言えなかろう。また、スラム街の者が諸外国に逃げ出せば、それは我々の汚点として、諸外国に認識されてしまう。それは我々の面子にも関わることである」
まただ……。また、外面を気にして、面子を気にして誰かを殺すのか。この国の連中は誰一人として、自らの面子よりも、他人の命が大事であると思うことができないのか……。
「そんなに面子が大事か……。人の命よりも、大事やっちゅうんか」
ヨイヤミの言葉に怒気が混じる。あまり攻撃的になるのは、交渉において不利になるのがわかっていたので、何とか気持ちを抑え込んでいたのだが、ここでヨイヤミに我慢の限界がきた。
「何を言っている。彼らは人ではない、害虫だ。殺したところで何も変わらん……」
もう、会話の余地はない。こちらが何を言おうとも、彼らは姿勢を変える気などありはしない。
「話はここまでだ。君が何を言ったところで、この作戦が中止されることはない。邪魔をするというのなら……」
そう言いながら、ヨイヤミと会話をしていた一兵士が、ヨイヤミに銃口を向ける。
「君にも死んでもらうだけだ。貴族一人のために、この作戦を中止する訳にはいかないのでな……」
ヨイヤミの全神経が彼の引き金に掛けられた人差し指に集中する。彼の脳の指令が、ゆっくり彼の人差し指の筋肉へと伝わり、力が込められるのがはっきりとわかる。それを理解した瞬間、銃口が轟音を挙げながら火を噴いた。