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The Story of Ark -王無き世界の王の物語-  作者: わにたろう
第八章 心を穿つ銃弾と雷
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歪な日常

 その日もいつもと変わらない普通の日だった。

 窓から差し込む陽射しに、閉じていた瞼を撫でられて目を覚ましたヨイヤミは、大きく伸びをしながら布団を出る。

 今日もいつものように退屈な学校生活を送るのだ。それでも、週に一度の楽しみがあれば、それも苦痛ではなかった。

 例の事件からもうすぐ一ヶ月が経とうとしている。ヨイヤミとリナルドの仲も少しずつ回復の一途を辿っている。

 親に会うのが後ろめたいという気持ちはすっかりと身を潜め、朝の陽射しが差し込む廊下を歩いてリビングへと向かう。

 リビングの扉を開ける億劫さは既に取り払われ、気の重さから実際に重く感じていた扉は何の抵抗もなく開かれる。


「おはよう」


 ヨイヤミの挨拶がリビングに響き渡り、既にリビングで新聞を読んでいた父さんと、朝食の準備をしていた母さんが揃ってこちらに視線を向ける。


「「おはよう」」


 まるで示し合わせたかのように、声をそろえてヨイヤミに挨拶を返す。ヨイヤミは何も考えることなく機械的に、いつももの自らの席に腰を下ろす。

 母さんが朝食の野菜を切る、まな板に包丁が落ちる音と、父さんが新聞のページをめくる、紙が擦れる音が朝ののんびりとした食卓を包み込む。

 そんなのどかな雰囲気に誘われて、ヨイヤミは大きな欠伸をする。やがて、母さんが朝食の準備を終わらせて料理を食卓へと運んでくる。

 忙しそうにする母さんを見たヨイヤミは、自ら席を立ち母親に手伝いに向かう。

 そんなヨイヤミの姿を見て、母さんは小さく微笑みながら「ありがとう」と一言告げて、ヨイヤミと共に朝食の準備を続ける。

 そうして食卓に料理と食器が並び、朝食の準備は整った。


「では、いただこうか」


 父さんが新聞を畳んで朝食に向かうと、手を合わせる。ヨイヤミと母さんもそれに続くように手を合わせる。


「「「いただきます」」」


 一か月前のヨイヤミには考えられなかっただろう光景が広がっていた。これだけすぐにこの家族が立ち直れたのは、エリスやカルマたちのお陰だろう。

 ヨイヤミはこんな何気ない、家族で過ごす時間も悪くないと思い始めていた。それは、スラム街へと足を踏み入れる前のヨイヤミが抱くことのなかった感情だ。

 しかしこれが、この家族で過ごす最後の朝食になるとは、このときのヨイヤミは思いもしなかっただろう。

 食事も終わりに近づいた頃、リナルドの口から聞き慣れない話が述べられた。


「そう言えば、街の大掃除の日は今日だったか……」


 「街の大掃除」という言葉をこれまで聞いたこともないし、これまで街の清掃なんてしたことがあっただろうか、と疑問に思いながらヨイヤミは首を傾げる。

 そんなヨイヤミの様子を察したのか、ヨイヤミが疑問を口にする前に父さんが答える。


「ヨイヤミは知らないだろうが、この国には貴族街や平民街の他にスラム街という街がある」


 本当は知っていたが、自分がそれを知っていることは内緒なので、ここは素直に頷いて知らない振りをしておく。


「今度、この国の軍事演習場を広げるという計画が進んでいる」


 急に話が飛んだな……、と思いながらも、何とか父さんの話に遅れをとらないように、一旦考えるのを止めて聞くことに徹する。


「それで、スラム街を潰して、そこに軍事演習場を作るのだよ」


「えっ…………」


 ヨイヤミの動きが止まる。動きだけではない、思考もまた同じように停止する。


「スラム街の連中は納税義務もはたしていない連中だ。奴らがいなくなったところで、我々の国には何の影響もない」


 父さんの言葉が右耳から左耳へと通り抜けていくように、頭の中に入って来ない。


「だから、今日この国の軍が、スラム街に溜まったゴミを全て焼き尽くすそうだ」


 停止した思考の中で、無理矢理に脳の引き出しから言葉を引っ張り出し、リナルドに問いかける。


「焼くのは、ゴミだけなんやろ?」


 それだけの言葉を引っ張り出すのが精一杯だった。その言葉に対して、リナルドは罪悪感など微塵もないような口調でこう言った。


「ああそうだ、ゴミだけだ。納税義務も果たさずに、この国の土地を占領しているなど、ゴミと何一つ変わらんではないか。彼らもまた、焼き尽くされるゴミだよ」


 ヨイヤミの眼が大きく見開かれる。思考が追いつかなくとも、今すぐここを出てスラム街へと向かわなければならないことだけは理解できた。

 ヨイヤミは腰かけていた椅子を投げ捨てるように退けて、勢いよく駆けだす。扉を強引に開き、裸足のままで外へと飛び出る。


「待て。どうしたのだ、ヨイヤミ」


 背後から父親が呼び止める声が微かに耳を掠めたが、それはヨイヤミの心へと届くことなく、開け放たれた廊下に反響して飽和していった。

 ヨイヤミはいつもの大通りを、いつもでは考えられない程全速力で走っていた。

 僕は何を勘違いしていたんだろう。この国の人間は結局皆同じなのだ。

 あれは、僕のことを心配していただけで、決して命そのものを重んじていた訳ではなった。


 この国の人間は気持ち悪い……。


 きっと、今この道を歩いている人のほとんどが、今日の大掃除のことを知っているのだろう。

 大勢の命が奪われると知っていてなお、これだけ平然とした態度で過ごすことができるのだ。


 この世界は狂っている。こんなの、尋常じゃない……。

 僕はこんな世界に身を置こうとしていたのか……。


 この国に、この世界に、そして自分自身に絶望する。

 しかし、今は立ち止まっている時間はない。一刻も早く彼らの元へ、カルマたちの元へ向かわなければならない。

 東の城壁に視線を向けるが、まだ何か異変が起こっているようには見えない。今からならまだ間に合う。せめて彼らだけでも救い出さなければならない。

 それが、貴族街の人間でありながら、スラム街の人間と友情を持った自らの務めだ。そんなことを思った時に、ふと一つの疑問が浮かんでくる。

 もし、あの時カルマと出会わずに、自分がスラム街のことを知らなければ、今日の大掃除のことを聞かされた僕はどう感じたのだろうか……。きっと、何も感じずに、大通りを行く彼らのように、平然と日常を過ごしていたのだろう。結局自分も、この国の人間なのだ。

 いや、人間なんて、そんなものなのだろう。自分が関係のないところで起こっていることなど、気にもしないのだ。

 この国の外では、今でも多くの国が戦争をして、多くの命が奪われている。それなのに、そんな外の国の人間のことを自分がこれまでに考えたことがあっただろうか……。

 答えは否だ。

 そもそも、この外の世界が、戦争に満ち溢れていると知ったのも、最近の話だ。自分は、それすらも知らなかったのだ。

 別にこの国の人間が狂っている訳でも、尋常じゃない訳でもない。ただ、自らと関係がないから、気にしていないだけなのだ。ただ、いつもと変わらない日常を送っているだけなのだ。


 そうだ、これは日常だ。今までと何も変わらない、ただの日常だ……。


 誰に助けを求めることもできない。唯一できるのは、自らがこの事実を彼らの伝えることだけ。

 ヨイヤミはひたすら、皆が過ごす日常の中をひた走る。

 いつもの場所にカルマたちはいない。今日は、ヨイヤミがスラム街へと足を運ぶ日ではなかったし、そうだったとしても時間が速すぎた。

 ヨイヤミは初めて、一人で城壁前の家へと入っていく。着替える時間も惜しいと考えたヨイヤミは、布きれに着替えることなく、普段の格好のまま本棚を押し除けて穴へと入っていく。




 穴を抜けた先に待っていたのはいつものスラム街の風景だった。

 スラム街に漂う腐臭も、今では不快に感じることもなく、どこか故郷に帰って来たような懐かしさすら感じる。

 唯一いつもと違ったのは、周囲からの視線だった。

 痛い程に鋭い視線が四方八方から向けられる。これまで、ヨイヤミのことを見ても、何の視線も向けてこなかったスラム街の住人たちが、ヨイヤミを恐れるかのような恐怖の視線で睨み付ける。


「おい、貴族街の餓鬼がどうしてこんなところにいるんだ」


「私たちを殺しに来たんだわ。この悪魔め……」


「殺される前に殺せ。たかだか子供一人くらい、俺たちにだって殺れる」


 彼らは口々に殺意に溢れた言葉を口にする。恐怖の視線は殺意の視線へと挿げ変えられ、開き切った瞳孔でこちらを見る。

 大量の殺意に気圧され、ヨイヤミの足が竦み動けなくなる。

 カルマがずっと恐れていたことは、これだったのだ。いつからかスラム街に来るのが普通のことになっていたから、大丈夫だろうと過信していた。

 今はこんなところで足止めを喰らっている訳にはいかない。彼らもまた、ヨイヤミが助けようとしたスラム街の住民なのだ。

 しかし手も足も、そして口も、恐怖によって塗り固められ、まるで神経がなくなったように、身体中が動かなくなっていた。

 殺意が少しずつ歩み寄る。黒く染まった人々の心が、雪崩のように押し寄せてくる。

 一番早くヨイヤミに辿り着いた男が拳を握りしめ、天高く振り上げる。ヨイヤミにはその拳がまるで死神の鎌のように見えていた。

 ヨイヤミの頬に喰いこむように男の拳で殴りつけられる。その勢いでヨイヤミは地面に倒れる。

 ヨイヤミが地面に倒れ、反撃できないことを察した他の住民が一斉にヨイヤミを囲んで、蹴り始める。


「死ね、死ね、死ね、死ね、死ね……」


 彼らの貴族への怨念が、言葉と暴力となってヨイヤミを襲う。彼らの憎悪を、ヨイヤミは初めて己の身で感じ取った。

 実際こんなものでは済まないような仕打ちを受けてきたのだろう。彼らの生活と自分の生活を見比べれば、そんなものは考えなくても解る。

 何発蹴られたのかもわからなくなり始めた頃、ヨイヤミの意識が少しずつ薄らいでいく。そんな中、これは仕方のないことなのだと諦めかけていた。

 これが、貴族街でのうのうと暮らしてきた僕への罰だというのなら、甘んじて受けなければならないのかもしれない。だって、僕はこれから彼らが殺されるというのに、何食わぬ顔で日常を過ごしている彼らと同じ、貴族なのだから。

 そして目を瞑り、死を受け入れようとした瞬間、いつもの如くひねくれた、しかし、とても暖かみのある声がヨイヤミの鼓膜を震わせる。


「てめえら、俺の獲物に何やってくれてんだ」


 その声と共に、大きな丸太がヨイヤミの頭の上を通り過ぎる。ヨイヤミを囲んでいた大人たちが次々と吹き飛ばされていく。

 そこに立っていたのは、ニコルのロニー。丸太を振り回したのはロニーだろう。


「こいつは俺の獲物だ。お前らなんかに渡して堪るか」


 ロニーの丸太によって、ヨイヤミと同じように地面に倒れ込んだ大人たちに向かって、ニコルが言い放つ。


「素直に助けに来たってえ、言えばいいじゃないかあ」


 ベシッとニコルがロニーの頭を叩く。そして、その視線をヨイヤミへと向ける。


「へっ、いい様じゃねえか」


 ふんだんに皮肉を混ぜ合わせて、ヨイヤミに毒づく。


「ふんっ。おかげさまで……」


 ニコルに言われると、こんな状況にも関わらず言い返したくなるのは不思議なものだ。こんなボロボロの身では、格好なんてついたものではないが……。


「ニコル、お前自分が何をしているのかわかっているのか。今こいつを逃がせば、王都にこのことを知らされて、俺たちは殺されるんだぞ」


 ニコルはなおも、彼らに向かって食って掛かる。


「心配すんな。誰も逃がすなんて言ってないだろ。殺すのは俺だって言っただけだぜ」


 相変わらず口だけは強気な奴である。そう思いながら、ヨイヤミは自分がここに来た理由を思い出す。この状況は、皆に伝える絶好の機会だ。


「違う。僕が国に戻らんでも、この街はもうすぐ燃やされる。僕は、それを伝えに来たんや」


 ヨイヤミの叫び声のような大声に、街の住民たちの時が止まったかのように静まり返る。

 そして、ヨイヤミが言った言葉を少しずつ咀嚼するように噛み砕き、ようやくその言葉を理解する。

 最初に口を開いたのはニコルだ。


「おい、ヨイヤミ……。それは、どういう意味だ……」


 流石のニコルも動揺を隠せない様子で、息を飲みながらこちらに問いかける。


「そのままの意味や。グランパニアは、軍事演習場の拡大のためにスラム街を焼き払う。その決行日が今日なんや」


 ニコルの額を一筋の汗が滴り落ちる。ニコルからいつもの気迫が完全に失われている。ロニーもどうすればいいのかわからずに、あたふたとしている。


「嘘だ。貴族街の餓鬼の話など信用できるか。俺たちを怯えさせて、楽しんでいるに決まってる」


 一人の男がそう言ったのを皮切りに、周りの住民たちも同調して「そうだ、そうだ」と声を上げ始める。

 確かに、僕言うことを信用しろというのが無理な話だ。

 これから彼らを虐殺しようとしているのも貴族ならば、その情報を伝えているのも貴族なのだ。信じろと言う方が、どうかしている…。


「黙れえええええええええええ」


 いつの間にかヨイヤミの批判のために一体となっていたスラム街の住民たちを断ち斬るかのように、ニコルの叫び声が放たれる。


「お前たちが、こいつの何を知ってるっていうんだ。こいつの言葉を嘘だと言えるだけの理由が、お前たちにはあるのか?……ないだろ。俺はお前らがなんと言おうが、こいつのことを信じる。信じたくないっていうなら、ここでいつものようにだらだらと過ごして、そのまま殺されちまえ」


 ニコルの怒声によって、再びこの辺りを静寂が覆う。そして、ニコルはヨイヤミの元に歩み寄ると、手を差し伸べる。


「俺はお前を信じる。カルマたちのところに行くぞ」


 こんな時にもかかわらず、久しぶりに差し伸べられたニコルの手を取るのが、少しだけ勿体なく感じられた。そう感じたのも一瞬で、すぐにヨイヤミはその手を取る。

 そしてヨイヤミが立ち上がったのを見た住人達が、ようやくヨイヤミの言葉を信じたのか、再び時が動き出したかのように阿鼻叫喚の巷と化す。


「早くしろ。まだ軍は来ていない。軍が来る前に、門を潜るんだ」


「もうこの国はたくさんだ。外が危険だろうが関係ねえ。ここに居たって大して変わらねえ」


「俺たちが何したって言うんだ。なんで急に殺されなきゃならねえんだ」


 地面に倒れ込んでいた住民たちも一斉に立ち上がり、叫び声を上げながら走り出す。皆、混乱しているようで収集の付かない状態になってしまっている。

 しかしこれだけ騒いでくれれば、この街中の住民にこの情報が届くはずだ。


「やっとお前の声が届いたな。声が小さ過ぎるんじゃねえのか、お前」


 そこにいたのはいつものニコルだった。いつものように皮肉を忘れないニコルがそこにいた。


「ほらあ、二人ともお。早くカルマ君のところに行かないとお」


 ロニーが急ごうという気持ちが削がれてしまうような口調で急かしてくる。


「そうやな。僕の仕事が終わった訳やない。むしろ、始まったばかりや」


 三人はお互いの顔を見合わせて同時に頷くと、カルマたちが待っているであろう遺跡擬きに向けて、走り始めた。


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