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The Story of Ark -王無き世界の王の物語-  作者: わにたろう
第八章 心を穿つ銃弾と雷
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底の見えない問い掛け

 それから皆と少しだけ会話を交わした後(ニコルはあまり会話に加わらなかった)、自分の家の門限が厳しいことを皆に説明してスラム街を後にすることにした。

 門限の話をしたときは、またニコルが皮肉を言ってくると思ったが、特に何も言わずに、その隣にいたリディアが、


「貴族も色々と大変そうだね。まあ、私たちには関係のない話だけど……」


 と少し寂しげな表情でそう言った。

 このときのヨイヤミは、この言葉の意味をはっきりと理解することができていなかった。


 帰り道は元々いた四人とレアを残して、カルマとヨイヤミだけになっていた。


「ニコルのこと、あまり悪く思わないでやってくれ。あいつ、父親を貴族街の人間に殺されてるんだ。だから、正直お前に会わせるのも躊躇っていたんだけど……。やっぱり、あんま良くなかったかな」


 カルマは落ち込んで、萎れてしまった花のように肩を落として項垂れる。


「別に悪く何て思とらんよ。むしろ、あれが普通の反応やと思とる。他の皆が気さく過ぎるだけやろ。カルマだって、最初は結構攻撃的やったで」


 ヨイヤミがそう言いながら笑うと、カルマも「確かに……」と笑みを零しながら、落としていた肩を元に戻す。


「ニコルは少し人間不信なところはあるけど、本当に友達思いで良い奴だから。リディアは、口で言っている通り楽しいことが大好きで、いつでも笑ってる。俺たちのムードメーカーだ。ロニーは見た目通り、温和で優しい奴だ。でも、結構力持ちで、力仕事は自ら進んでやってくれるんだ。サラは知り合った時は、話すらできなかったんだ。そん時から比べれば、ビックリする程成長したよ」


 四人の特徴を語っているときのカルマはどこか嬉しそうで、本当に皆ことが好きなんだと実感する。それと同時にカルマのことを羨ましくも思う。

 自分には、そうやって自慢するように話すことができる友達はいない。そんなことを考えていると、カルマが先程の続きを口にする。


「ヨイヤミは好奇心旺盛で、自分の知らないことが気になって仕方なくて、そして、誰でも分け隔てなく接してくれる優しい奴だ」


 その言葉を聞いた瞬間、ヨイヤミは目を見開いてカルマを見返した。まるで、四人と同じように、ヨイヤミのことも自慢げに話してくれた。まるで、ヨイヤミの心の中を見透かしているかのように……。


「なっ、何を急に……。僕のことは僕が一番……」


 動揺を隠しきれず、顔を真っ赤に紅潮させながら言い返すが、それが唯の照れ隠しだというのは、誰が見ても明らかだっただろう。ヨイヤミはカルマから視線を外しながら、少し前を足早に進んでいく。

 視線からカルマが消えた瞬間、抑えきれない笑みが漏れだす。そして仕返しと言わんばかりに、ヨイヤミも自慢げに言葉を紡ぐ。


「カルマは世話焼きで、皆のことをよく見とって、皆の兄的な存在で、そして……、本当に頼りになる存在で……」


 カルマはヨイヤミのような反応しない。小さく笑みを見せると、ヨイヤミに並ぶ場所まで足早に近づくと、ヨイヤミの歩幅に合わせて並んで歩く。

二人はその後、黙ってスラム街を出るまでの道を歩いて行った。




 最近はしっかりと時間を気にしているお陰で、家に帰る時間が遅れるということはない。学校から帰宅する少年少女に紛れて、ヨイヤミも家の玄関を跨ぐ。

 父親は頻繁に外へと出かけるため家にはいないが、まだ陽が完全に落ちていないこんな時間でも母さんは家にいる。

 母さんが家にいるので、なるべくこっそりとエリスのいる部屋へと向かう。奴隷にも関わらず仕事を与えられないエリスは、いつものように部屋に座り込んだまま窓の外を眺めている。

 そっと扉を開けると彼女の視線がこちらにスッと移動する。ヨイヤミは小さな笑みを浮かべて彼女の元へと近づく。


「よっ、エリス。今日もお土産持ってきたけどいるか?」


 ヨイヤミの右手にはパンが握られている。そのパンをエリスに向けて差し出すが、エリスは首を小さく横に振って拒否を示す。


「お気遣いいただいて、ありがとうございます。ですが、既に今日はお昼に二つ程いただきましたので、既にお腹が一杯です」


 その言葉に、遂に母さんがエリスの食事の量を増やしてくれたのかと喜んだが、それを察したのかエリスは言葉を続ける。


「奥様がくれた訳ではございませんよ。隙を窺って、いくつかいただいただけです。私、手癖が悪いので……」


 そう言って、少しだけ笑みを見せる。彼女は無邪気に笑っているつもりなのだろうが、その表情は乏しく、ほとんど変化が見えない。しかし、最近はそんな彼女の表情の変化にも大分慣れ始めていた。

 ヨイヤミが苦笑して「そっか……」と右手のパンを自分で齧ると、ヨイヤミをからかうように、更に言葉を重ねる。


「奥様に言いつけても構いませんよ」


 ヨイヤミがそんなことをしないことはわかっていて、こういうことを言っているのだろう。彼女の表情が読み取れるようになって、少しは考えていることがわかり始めた。

 エリスは表情が常に平坦という訳ではなく、感情表現が乏しくほとんど顔に出ないだけで、しっかり観察しているとその表情はなかなかに豊かな変化を見せるのだ。


「そんなことする訳ないやろ。大体、僕もやってることあんまり変わらんし……」


 自らが持つ齧りかけのパンに視線をやりながら、ヨイヤミはそんなことを言った。


「それで、今日は何の用でしょうか?」


「用が無かったら来たらあかんのか?」


「いえ、ご命令とあらば何でもいたしますが……」


「別に命令もあらへんわ。友達として、ちょっとおしゃべりに来ただけや」


 この流れは、ヨイヤミが部屋に来るたびに毎回行われている。エリスも、ヨイヤミに対しては、奴隷と主人の子供という立場を忘れて、多少の冗談を交えながら会話をしてくれる。


「今日はな、スラム街の方に行ってきたんや。スラム街って知ってるか?この国の東の方にな……」


 そうして、ヨイヤミは今日一日あったことを楽しそうに語っていく。

 エリスはそれを、怒るでもなく、笑うでもなく、悲しむでもなく、本当に平坦な表情でただ聞いていた。ヨイヤミが話し終えるまで、ただただ聞いてくれていた。

 ヨイヤミがキラキラと目を輝かせながら、友達のことを自慢する姿をエリスは少しだけ羨ましいと思った。

 自分にも似たような記憶がある。貧しい国だったが、だからこそ隣人と協力して生活をしていた。そのお陰で、友達はたくさんいた。毎日のように家の手伝いを済ましては、友達と遊び、日々を暮らしていた。やがて自分は軍に入り……。

 しかし、そんな平和な日々は簡単に崩れ去っていった。

 羨ましい思いと共に、嫉妬心や、憎悪の気持ちといった、負の感情も少なからず紛れ込んでいた。しかし、その感情を目の前の子どもにぶつけるのは間違っている。

 だから彼女は全ての感情を抑え込み、平坦であり続けたのだ。

 ヨイヤミは平坦な表情であり続けるエリスの気持ちも知らずに、自分が満足するまで自らの話を続けた。エリスも別に嫌がっていないし大丈夫だろう、くらいにしか思っていなかった。

 実際、エリスもたまに相槌を打ちながら、ヨイヤミが話し終えるまで、聞く態勢を止めなかったし、幼いヨイヤミが彼女の心の底に気付けるはずもなかった。ただ、誰かに話したい、という思いだけが先走っていた。

 そうしてひたすら話し続けたヨイヤミは、親の目も気にしながら大人しくその部屋を後にした。




 それからのヨイヤミの生活は、スラム街とエリスの部屋を訪れるのが中心となっていた。

 エリスの元へはなるべく毎日通い詰め、スラム街は週に一回程度訪れていた。スラム街を訪れた日は、決まってその日の出来事をエリスに話していた。

 そんなある日スラム街を訪れようとしたヨイヤミを迎えたのは、意外なことにリディアだった。

 てっきりカルマが待っているものだと思っていたヨイヤミは、リディアを見た途端、挨拶に困って反応に戸惑った。


「よっ、今日辺り来るんじゃないかって思ってたんだよ。だから、カルマより先に来て待ってたってわけ」


 戸惑っていたヨイヤミよりも先に、リディアがここにいた理由を述べる。気さくな表情と口調によって、ヨイヤミの緊張も幾らか緩和される。


「お、おう。ここにリディアが来るのは初めてやったからびっくりしたわ……」


 照れ笑いを浮かべながら、少しまごついた感じでヨイヤミが挨拶を返す。道端に置いてあった木箱の上に腰を下ろしていたリディアは、ピョンっという擬音が聞こえてきそうなほど、身軽にその上から飛び降りた。そのまま軽い足取りでヨイヤミの元へと歩み寄る。


「なあに緊張してんだよ。私たちはもう友達だろう。それとも、お前の友達はカルマだけかあ~?」


 リディアはグッと顔を近づけ、含みのある笑みを浮かべながらヨイヤミの鼻を人差し指でつつく。女の子にこれ程近寄られたことはなかったし、何よりスキンシップをしたことがなかったヨイヤミは頬を赤く染めて、リディアからなるべく距離を取ろうと顔だけを後ろに退く。


「そ、そういうことやないけど……。リディアだって、もう大事な友達やし……」


 ヨイヤミが顔を近づけてくるリディアから視線を泳がせて言うと、リディアは吹き出してから、声を上げて笑いだした。


「ぶっ。あははははは……。ホントに面白い反応してくれて嬉しいわ。最近カルマとかにやっても反応薄いから、やっぱこういう反応してくれんと、面白くないわ」


 本当に楽しそうに笑いながら、ヨイヤミの肩をバンバンと叩く。またしてもからかわれたヨイヤミは、少しばつの悪い表情を浮かべるが、楽しそうに笑うリディアを見ていると、気にするのもバカらしくなってくる。


「で、なんでリディアが迎えに来てくれたん?」


 一通り笑ったリディアが落ち着いたのを見て、ヨイヤミが本題に入る。


「なんでって訳でもないけど、……強いて言うならヨイヤミと話してみたかったからかな。やっぱ貴族で私たちと会話してくれる人間って珍しいじゃん」


 普段から合っているのだから別に話す機会が無い訳でもないだろう、と不思議に思っていると、それが表情に出ていたのか、リディアが先に口を開く。


「ほら、二人で話したいことだってあるじゃん……」


 何処か含みのある顔で覗きこまれながらそんなことを言われて、またしてもヨイヤミは頬を赤く染める。

 そんな反応に裏の無さそうな無邪気な笑みを浮かべながら、リディアはヨイヤミに尋ねる。


「スラム街と比べて、貴族街ってどう?」


 女の子から真っ直ぐな視線を向けられて、少し戸惑いながらも、こういった好奇心はどこか通じるものがあるな、と思いつつヨイヤミはその質問に答える。


「どうって言われると難しいんやけど、やっぱり貴族街の方が平和を感じられるかな。それに色々と便利なことも多いと思う」


 幼いヨイヤミは、まだ人の気を遣うということを知らない。だから、投げ掛けられた質問に素直に答えていく。しかし、リディアもそれを気にする様子はなく、うんうんと頷いている。


「でも、なんか皆友達ごっこしとるみたいで息苦しいし、こっちと違って決まり事も多い。それに、皆身分がどうってことを嫌になるくらい気にしとる」


 身分の話をするヨイヤミは誰かを思い浮かべるように、屋根の隙間から覗く青空を眺める。


「どっちが良いっていうのはわからんけど、スラム街は大変そうやけど、生きるのが楽しそうって思った」


 それが、ヨイヤミが素直に感じたことだった。あの環境で暮らしている人間からしたら、それは「平和」を許された者の傲慢で強欲な意見でしかない。あの環境で済んでいる者からしたら、貴族街の暮らしはどれだけ羨ましく感じるのだろう。


「そっか……。ヨイヤミは貴族街での生活に満足してないんだ。じゃあ、スラム街で生活してみたいの?」


 リディアはヨイヤミの答えに対して、まるで第三者のように、自らの感情の一切込められていない質問を投げかける。自らの意見は度外視して、ただヨイヤミの意見だけを求めるように……。


「確かに、皆がいるスラム街で生活してみたいって気持ちもある。でも、僕にも家族がおる。だから、貴族街を出たいって思ったことはないな」


「ふ~ん。そう言うもんか……。ねえねえ、じゃあさ魔法って信じる?」


 あまりにも唐突過ぎる質問に「えっ?」とヨイヤミはその質問の意味を直ぐに理解することができずに、声を漏らしてリディアの方に視線を向けた。

 ヨイヤミの視界に入ってきたリディアの表情は、何処にも感情が見えず、まるで暗闇を覗き込んでいるかのような感覚だった。そんなリディアに、ヨイヤミは恐怖心を抱いた。


「え、えっと、魔法って言うた……?突然どうしたん?」


「うん、魔法のこと信じるかって、聞いたんだよ。聞いたことない、魔法のこと?」


 先程までと同じように、好奇心を抱いているようにも見えるが、リディアの目は何か深淵を覗いているかのように淀んでいて、暗闇が広がっていた。


「……うん。ま、魔法なんて、おとぎ話とか、空想の世界の話やろ。そりゃ、あれば格好ええなあとか思うけど……」


 リディアの質問の意図を測ることができずに、ヨイヤミは答えに困る。この頃のヨイヤミは、まだ王の資質のことを知らない。アカツキもそうだったように、普通の生活をしている限り、王の資質の情報を得ることはできないのだ。戦いに身を置いている者だけが、その存在を知っている。


「知らないのか……。学校とかで習ったりはしないの?」


 少し残念そうな表情を見せた後に、ヨイヤミが喋ることを許さないように、続けざまに質問を投げかけてくる。


「そんなの習う訳ないだろ……。何でそんなこと聞くんだよ?」


 ようやくヨイヤミは、リディアに対して質問で返すことができた。


「だって、この国の王様って魔法が使えるんでしょ?それなら、貴族街の人間にくらい、そのことを教えてるのかなって……。どうなの?」


 「どうなの?」と聞いてくるリディアの顔を見て、ヨイヤミは悟った。そこには感情の一切が含まれていない。彼女は好奇心などから尋ねているのではない。これは調査や尋問の類で、そこにあるのは好奇心のような胸を躍らす感情ではなく、ヨイヤミのことを危険視して調べ上げるような、そんな印象を覚えた。


「グランパニアの王様が魔法を使えるって何だよ?」


 そんなリディアの表情が気になりはしたものの、ヨイヤミにはそれ以上に聞かなければならないことがあった。彼女が先程述べた、ヨイヤミの好奇心を大いに揺さぶるものが……。


「これは噂だから、私も詳しいことは知らないよ。君が知らないんだもん、スラム街の私が知る訳ないじゃん。でも、質問に答えてくれてありがと。ヨイヤミは魔法のことは何も知らないんだよね?」


 リディアの表情に、急に生気が戻ったように暖かみが増していく。先程までの暗闇はもうどこにもない。勘違いだったかと思うくらいに、完全にその暗闇は消えていた。まるで存在などしていなかったかのように……。


「う……、うん」


 有無を言わせぬようなその勢いに気圧されて、ヨイヤミはそれ以上の言葉を飲み下すようにして、ただ頷くだけにする。


「そっか……。よかった」


 それはヨイヤミに向けて告げられた言葉ではなかったのだろう。とても小さな声で告げられた言葉は、風に乗って直ぐに空の青に溶けてゆく。それでも、ヨイヤミの耳には、はっきりとその声とその言葉が残っていた。

 それがどういう意味であるのか、好奇心旺盛なヨイヤミが聞こうとしなかった訳がない。だが、ほんの少し前のリディアの目の色を思い出して、これ以上このことについて尋ねることは憚られた。この言葉の真意をヨイヤミが尋ねることは終ぞなかった。

 結局、何もかもが有耶無耶なまま、いつもの家を通ってスラム街の壁を越えた。まるで、何かを試されていたような、そんな気分のまま、ヨイヤミはリディアと共にスラム街で待っていたカルマたちの輪の中に加わっていった。


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