繋がるはずのなかった絆
相変わらず慣れない腐臭と煩雑とした景色に、初めは少し陶酔感に苛まれたが、これまでのイメージトレーニングのお陰で、この前ほど取り乱すことはなかった。
それでも、まるで投げ捨てられたゴミのように、道端に何人もの人が座り込んだり寝転んだりしているのは奇妙に思えてしまう。
この前よりは大分マシにはなったものの、それでも不安げに視線をあちこちに巡らさずにはいられなかったヨイヤミの様子を見て、カルマは声を掛ける。
「そんなにビクビクするな。貴族街の人間だってバレるのは避けたいからな。深呼吸でもして、一回落ち着け」
何の迷いもなく慣れた感じで先を行くカルマは、軽い笑みを浮かべながらこちらに気を遣ってくれる。カルマにしっかりくっついているレアも、この前のようにゴミにカラスがたかったりしていても、特に気にする様子もなく歩いていく。
あんな小さな子が平気なのに、僕は何を動揺しているんだ。
自分の心を奮い立たせて、必死で平静を装う。カラスが漁ったことにより崩れたゴミの山の一部を踏み鳴らしながら、カルマとの間に空いた小さな間を埋めるように、ヨイヤミは小走りに追いかけた。
カルマの後を追って数分すると、何やら少し遺跡じみたような場所に出る。遺跡のようなレンガ造りの建造物は、所々に綻びが見え、崩れかけている。
その周辺は特にゴミが捨てられているということも、人が辺りに寝転んでいるということもなく、これまでの場所に比べれば幾分か過ごしやすい空気で満たされていた。
ここに、こんなところもあるんだな……。
足を止めて、その建造物を眺めながら、口には出さずに心の中で感嘆の声を上げていると、カルマの呼び声が意識の離れたところから聞こえてくる。
「……ヤミ、おい、ヨイヤミ」
まるで悪夢からやっと解放されたかのように、安堵の気持ちで満たされながら深呼吸をしていたヨイヤミは、自らを呼ぶ声に気が付いて、ハッとその声の主へと視線を巡らせる。
「ほら、こっちだ。行くぞ」
レアは相変わらずカルマにしっかりとくっついている。こんな殺伐とした場所でも、こうやって家族の繋がりをしっかりと保てるんだな、と二人の姿を見て暖かい気持ちが胸の辺りに込み上げるのを感じながら、ヨイヤミは二人の元へと駆け寄る。
子供が少し屈んで、やっと入れるくらいの高さの入口をくぐると、そこは何がある訳でもない、ただのだだっ広い正方形の空間が広がっていた。いくつもある綻びから、太陽の光が差し込み、暗闇の空間に明りと温かみを与えてくれている。
そんな空間の入口の反対側に木箱に座り込んで、何やら楽しそうに話しこんでいる少年少女が四人いた。彼らは皆同じような身なりをしており、スラム街の子供たちであることはすぐに分かった。
「よっ、お前ら。今日は新入りを連れてきたぞ」
カルマが手を上げながら、ことさら明るい声で彼らに向けて挨拶をする。その声に、四人は会話を中断してこちらに視線を向けてくる。
一人は本当にスラム街の人間かと思うくらい恰幅の良い少年。一人は少し眼つきの悪い細見で、身長もカルマやもう一人の少年と比べると小さな少年。一人は見るからに気の強そうな、赤い長髪の少女。一人はもう一人の少女とは対照的に、とても気の弱そうな、オドオドとした少女。
「お前ら、こいつがこの前に言っていた貴族街のやつだ。まあ、俺らの知ってる貴族街のやつらみたいに、お高くとまったやつじゃないから安心しろ。俺が保証する」
カルマが胸を、ドンッと叩きながら自慢げにヨイヤミのことを紹介する。僕を見た反応は様々だった。
「まあ、カルマ君がそう言うなら、大丈夫なんじゃない」
恰幅の良い少年はのんびりとした口調でそんなことを言う。
「へっ、どうだか……。貴族街のやつなんて皆一緒だろ。俺は信用しねえぜ」
眼つきの悪い少年は見た目のまま、何処か嫌味な印象を覚える。カルマの第一印象と、なんとなく似通っている気がするな、とヨイヤミは心の中で苦笑を漏らした。
「いいじゃない。どこの誰だろうと、仲間が増えるのは歓迎だわ。大勢の方が楽しいし」
気の強そうな少女にも、眼つきの悪い少年と同じような反応をされるかと思ったが、そんなことはなく、意外と歓迎ムードだった。見た目で判断したことを、心の中でこっそりと謝罪する。
「あ……、あの……。よ、よろしく、おねがいし、ます」
もう一人の少女は見た目通り、たどたどしく挨拶をしてくる。特に警戒されている訳ではなさそうなので、ひとまず安心だ。
唯一反応の悪かった少年の元に、レアがとてとてと小走りで近づいていく。少年の前で立ち止まったレアは、頬をぷくっと膨らませてあからさまに怒った表情を作ると、少年に向けて叱りつけるように告げる。
「ヨイヤミおにいちゃんはわるいひとなんかじゃないもん」
む~っ、と唸ったレアを見ながら、少年は少しバツの悪そうな表情を浮かべると、自らの少し暗めの短い金髪を掻きながら「でもよ~」とブツブツ言っている。そんな少年にヨイヤミはスッと手を差し伸べる。
「僕も、仲よくしてもらえると嬉しいな……」
警戒されないように笑みを浮かべながら差し出されたヨイヤミの手を見て、「はあ……」と溜め息を吐きながら頭を掻くと、その手でヨイヤミの手を握り返す。
「わかったよ。勝手に決めつけて悪かった。俺はニコル・キルヒレイスだ。よろしくな」
少しだけ恥ずかしそうに頬を染めながらヨイヤミとニコルが握手を交わすと、隣の気の強そうな少女が茶々を入れる。
「おおっ。珍しく素直じゃんか。ニコルもレアには敵わないか。あははは……」
「うっるせえ。お前は黙ってろ」
彼女の冷やかしに食って掛かる少年だったが、そんなことどこ吹く風といった様子で、少女がヨイヤミより先に手を差し伸べてくる。
「私はリディア・グラディエイト。リディアでいいわ。楽しいのは大歓迎よ」
少し目端が吊り上がった狐目で、スラム街の少女にしてはその赤い長髪は綺麗に梳かれている。身なり以外はスラム街の人間であるという印象をあまり受けなかった。
ヨイヤミが彼女を見て心の中で感想を述べていると、フッと顔をヨイヤミの耳元に近づけて、凍りつくような声でこう言った。
「でも、つまらないことは大嫌いだから。つまらないことしたら……、殺しちゃうかも」
ヨイヤミの背筋に悪寒が走る。恐怖で身体が硬直して動かなくなる。さっき良い人かと思ったけど、気が強いどころか、この人普通に恐い…、などとヨイヤミが怯えていると、その姿を見たリディアは、「あははは……」と可笑しそうに笑い始める。
「冗談だって。いや~、その顔最高だわ。ありがと」
どうやらからかわれただけらしい。さっきの声音は全然冗談には聞こえなかったんだけど。それにしても、何に対する感謝の言葉だったのだろうか……。
「僕もよろしくねえ。貴族街の友達とかいないから、色々教えて欲しいなあ」
恰幅の良い少年が少し離れたところから手を上げて挨拶をしてくれる。語尾を伸ばしたりするところや、その恰幅の良さからすごく温和な雰囲気を醸し出している。
「あっ、名前言うの忘れてたあ。僕の名前はロニー・フロイデン。よろしくねえ」
話していると、すごく気が抜けていきそうだ、と思いながらヨイヤミは苦笑して、ロニーの挨拶に「よろしく」と手を上げて返事をする。
「あ、あの……」
ブルブルと震える声がすぐ傍から聞こえてくる。リディアに手を引かれてヨイヤミの近くに連れてこられたようだ。顔には少しだがそばかすがあり、軽い茶髪を後ろで三つ編みにした少女が、オドオドとしながら、上目づかいでヨイヤミをながめる。
「わたしは……、サラ・ハルフォール、っていいます。よろしく、おねがい、します」
言葉を単語ごとに切るような、たどたどしい口調で自己紹介しながら、手を差し伸べてくる。ヨイヤミは、その少女がとてもか弱く見えて、すごく気を遣いながら優しくその手を握り返す。
「うん、よろしくな」
朗らかな笑みを浮かべて挨拶を返すと、サラの表情もぱあっと明るくなり始める。その後何度も「おねがい、します」と繰り返しながら、頭を下げていた。
そこまで畏まられると、ヨイヤミも少し困り顔で苦笑を漏らしてしまう。
「何でそんなに何回も頭下げてんのよ。ヨイヤミは友達でしょ。そんな態度じゃ、ヨイヤミも困っちゃうよ」
そんなサラをリディアが止めに入り、ヨイヤミもそれに続いてサラに話しかける。
「うん。僕らは友達なんやで、そんなに畏まらんといて。気軽に話しかけてくれると、僕も嬉しい」
「ヨイヤミ、さんは、貴族、なのに、気取ったり、しないん、ですね」
話し方は元々こんな感じらしく、これに関してはどうやらどうしようもないらしい。それでも、先程みたいに何処か他人行儀なところが少し薄れただけ接しやすくなる。
「まあ、貴族とか平民とか、僕そういうの良くわからんし……。だって、皆同じ人間やろ」
そんなヨイヤミの言葉にニコルが溜め息を吐きながら、少しだけ馬鹿にしたような口調で口を挟む。
「要は、馬鹿で何もわからないから、俺たちとつるんでるだけってことか。そんな奴、いつ俺たちを裏切るかわかったもんじゃねえぞ」
二コルが鼻で笑いながらそんなことを言う。無知だの馬鹿だのと言われるのは、最近だけで何度目だろう……。いつの間にか、こういう言葉に言い返すことができなくなってしまっている。
「確かに馬鹿で無知かもしれん……。でも、友達のことを裏切るなんてこと、僕は絶対にせん」
ヨイヤミが反論すると、まるで値踏みするようにヨイヤミの全身をながめながら口を開く。
「はんっ。どうだかな。別に俺たちを失ったって、お前にとっては痛くも痒くもないだろう。口で言うのは簡単や。でも、これから先、お前の考えが変わらない保証なんてどこにもない」
ヨイヤミが苦虫を噛みしめたような表情をしていると、リディアがニコルの肩に手をポンと置き、溜め息を吐く。
「はあ……。あんたはどうして、そう捻じれた性格してるんだろうね。もうちっと気楽に考えられないの?そんな捻じれた考え方してたって、何も楽しくないでしょ?」
「そうだよ。ニコルおにいちゃん。なんでそんないいかたするの?」
リディアに続くようにレアまで介入してきたため、ニコルはまたしても言葉に詰まって、一瞬間を空けたが、視線をリディアだけに向けて言い返した。
「るせえな。俺はお前みたいに、楽しきゃ何でもいいなんて考え方はごめんなんだよ」
「ええ……。楽しかったらそれでいいじゃん。人生なんて短いんだから」
そんな鋭い視線を向けられても、飄々とした態度を崩さずに、「まあまあ」とニコルの肩を叩いている。ニコルはその手を振り払いながら、視線を誰もいないところに巡らせる。
レアは自分が無視されたのがショックだったらしく、「うぅ……」と唸って何かを訴えるようにニコルの方を見ているが、ニコルはそれに気づきながらも、レアに視線を向けようとはしない。
ニコルが大人しくなったのを確認したリディアは、ニイッと笑みを浮かべながらヨイヤミを見てくる。どうやら、ニコルに話しかけたのは、ヨイヤミへの助け舟だったようだ。ヨイヤミは口許を小さく動かして、声にならない「ありがとう」を伝えた。
「まあ、会っていきなり仲良くって訳にもいかねえだろうな。それでも、ゆっくりでいいから仲良くなってくれよ。二人とも、俺の大事な友達だ」
今までだんまりを保っていたカルマがこの場を収めるために、主に二人に向けて優しげな声を掛ける。そんなカルマの言葉に全く反応を示そうとしないニコルを、ヨイヤミは苦笑を漏らしながら見ていた。