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The Story of Ark -王無き世界の王の物語-  作者: わにたろう
第八章 心を穿つ銃弾と雷
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僕が君を買う

「奴隷と貴族って、一体なんなんや……?」


 プライドもへったくれもないその言葉に、初めて彼女の顔が少しだけ動いた。気にしていなければ気付くことができなかっただろうと思われるほど小さく、しかし確実に彼女の表情が引きつった。そして、ほとんど間もなく彼女は口を開く。


「そうですね。私もあなたも何も変わらないのかもしれませんね。ただ、私の方が、少しだけ運が悪かっただけなのかもしれません。ただ、それだけなのかもしれません……」


 彼女はスッと視線を窓の向こうへと向ける。その遠くを見つめるような瞳は、ヨイヤミは知らない、彼女の故郷を思っているのだろうか。


「ほんの数メートル違う場所に生まれるだけで、全く別の生き方をしていたんでしょうね。あなたも平民街に生まれていれば、もっと別の生活をしていたかもしれない。数キロ離れた、この国と別の国に生まれていたら、私と同じ奴隷になっていたかもしれない……」


 彼女は窓に向けられた視線を足下へと落とす。


「結局、私とあなたの違いなんて、運が良かったか、悪かったかくらいのものです」


 彼女は平坦な表情にフッと自嘲するかのように、寂しげな笑みを浮かべる。そんな諦めたような言葉が、ヨイヤミにはどうしても許せなくて、彼女の気持ちも考えずに、感情のままに言い返す。


「たったそれだけやってわかっとるなら、なんで抗おうとせんのや。自分は別に悪いことをしたわけでもなければ、ただ運が悪かっただけなんやろ。なら……」


 ヨイヤミの言葉を遮るように、彼女は初めてはっきりとした感情をぶつけてきた。


「それは子供の理論だ。全てを奪われて、何もかも失った私に、今更何に抗えと言うのですか。私にはもうなにも残っていない…。残っているのは、外にも出せずに心の内で必死に牙を磨いている、この無駄なプライドだけだ」


 明確なその怒りをぶつけられて、ヨイヤミは戸惑い、狼狽し、困惑し何も言葉を発することができない。ヨイヤミが言葉を失っていると、続けざまに彼女の言葉が覆いかぶさる。


「私は奴隷として生きている癖に、心の中では奴隷である自分を一つも受け入れていない。心の中ではいつも、自らは奴隷でないと言い聞かせ、その矛盾が自らの心を少しずつ削り取っていく。私はもう限界なのです。私はもう、死にたいんですよ……」


 彼女の表情の動きは本当に些細なものばかりだった。それでも、先程までの表情の見えない平坦なものと比べれば、その差は歴然だった。ほとんど変わっていないはずの彼女の表情がとても豊かなものに見えた。それがヨイヤミには、少しだけ嬉しかった。


「死にたいなんて、簡単に言うなや。全部失ったって言うなら、これから見つければええやないか。まずは僕が友達になったる。だから、一緒に考えよう。これからのことを……」


 彼女の目に驚きの色が見え隠れする。何を馬鹿げたことを、と思っているのかもしれない。もしかしたら少しだけ希望を見つけてくれたのかもしれない。

 彼女のその行動にどんな意味があったのかはわからない。それでも、少なくとも彼女の心をこれまでで一番動かせたのは確かだった。


「奴隷にこれからなんて、ある訳ないじゃないですか。私は、商品として売られた身ですよ。私に自由なんてものはないのです」


 彼女の表情は既に平坦なものへと戻っていた。そんな彼女の諦めたような表情が許せなくて、何故だか無性に腹が立ってきて、ヨイヤミは語気を強めながら彼女に言い放った。


「なら、僕が君を買う。僕が君を買って、そして君を自由にする」


 そんなこと絵空事だってわかっている。夢物語だってわかっている。それでも、幼い頃のヨイヤミにはそれを実現したいという確かな思いがあった。だから、彼女を見つめるヨイヤミの目には一切の迷いがなく、真っ直ぐに彼女を見つめていた。


「それは、今のあなただから言えることです」


 そんな燃え滾ったヨイヤミの信念に冷水を浴びせるかのように、とても冷たい声音の言葉が彼女から発せられた。


「今は幼くて何も知らないから、そんなことが言えるのです。これからあなたが成長して、様々なことを学んで、この国に洗脳されていけば、いずれあなたも私を道具としか思わなくなる。この国の教育はそういうものですよ。奴隷と仲良くしている大人を、あなたは見たことがありますか?」


 彼女の言葉に直ぐに言い返すことができない。そんなはずないと心の中では思っているのに、言葉が口から出てこない。普段とそこまで変わっていないはずの彼女の声が、すごく悲痛に聞こえたから。とても苦しそうに聞こえたから……。


「…………。そんなこと……、ない……」


 絞り出すように、やっと発した言葉はそれだけだった。自分のことが信じられない訳ではない。しかし、将来の自分など信じてはいけないと云わんばかりに、彼女の声が責め立てるのだ。

 必死で絞り出した否定の言葉も、それ以上何も続きが出てこなかった。何を言っても、その言葉が軽薄に聞こえてしまいそうだったから。


「すみません、奴隷の分際で言い過ぎました。しかし、これだは覚えておいてください。根拠のない希望は、相手を生きたまま殺すだけです。あなたがそういった意志で、私を弄ぶためにそう言ったのなら別に構いません。でも、これから本当に誰かに希望を与えたいことがあれば、気を付けてください」


 彼女の言葉が心に痛く突き刺さってくる。はっきりとした否定をできなかったヨイヤミに今の彼女の言葉を否定する資格はないだろう。

 己の無知を突きつけられたようで悔しかった。自分はもう子供ではないと息巻いていた先程の自分が、何処か遠くへと行ってしまった気がした。

 カルマや彼女に出会ったこの数日で、ヨイヤミは自分が酷く信じられなくなっていた。学校ではそれなりに優秀だったにも関わらず、それは文字列に対することだけで、現実を突き付けられたときに、自分はどうすることもできないことに気が付いてしまったから……。

 ヨイヤミは全ての生気を失ったように項垂れたまま、この部屋を後にしようと踵を返して一歩踏み出すと、先程までと変わらない平坦な声音の中に、ほんの少しの優しさが混じった声が背中から包み込むようにヨイヤミの元へと届いた。


「でも、未来のあなたがどうなろうとも、今のあなただけでも、そう思ってくれたことは素直に嬉しかった。ありがとうございます」


 そんなほんの少しの優しさが、これまでに受けてきたどんな優しさよりも嬉しかった。ヨイヤミはその場に立ち止まり目を見開いて、床をジッと眺めた。

 そして、その床の上に一滴の雫が落ち、床を濡らす。最初それが自分の目から滴り落ちたものだと気が付くことができなかった。それくらいに、ヨイヤミの心はざわつき、思考が真っ白になっていた。

 ヨイヤミの動きが止まって、ヨイヤミが泣き出したことに気がついても、彼女は何も言わない。その姿をただジッと眺めていた。そんな気配を感じていたヨイヤミもまた、泣き顔のまま彼女の方を向きたくなくて、心が落ち着くまでただジッと床を眺めていた。

 そして、少しだけ落ち着きを取り戻すと、最大限に大人ぶって、目許を腫らしたまま平静を装って彼女に尋ねる。


「いずれ君のことを買うんなら、名前くらい知っとかなあかんやろ」


 そんなヨイヤミの強がりが、少なくともこの家に来て初めてとなる彼女の笑顔を引き出した。


「私はエリス・クライベルと申します。よろしくお願いします、未来のご主人様」


 このときにエリスが抱いていた覚悟を、この時のヨイヤミは知る由もなかった。




 エリスと多少の和解をしてから数日後、今度はカルマに会いに行くために、学校を抜け出していた。

 一週間に一回くらいしか会えない友人の顔を思い浮かべながら、今日の話題を考えたり、この前の失敗を取り返そうと意気込んだりしていた。そんなヨイヤミの表情は、走りながらにも拘らず、いくつもの色を浮かべていた。

 すっかり道も覚えて、カルマとの待ち合わせ場所に来るのにそこまで時間が掛からなくなっていた。おかげで、まだ陽も頂点に達するには程遠い浅さを見せていた。

 いつもの場所にたどり着くと、本当に毎日そこで待っているのか、カルマがこちらに気が付いて手を振ってくる。そんなカルマの姿を見たヨイヤミは、思わず笑みを漏らしながらカルマの元に駆け寄っていく。


「なかなか来れんくて悪いな」


 出会って早々、謝罪の言葉を口にするヨイヤミに、カルマは気にする様子もなく、苦笑しながら返事をする。


「別に気にしてねえよ。待ってるって言っても、午前中の数時間くらいのもんだ。お前が来る時間は大体決まってるから、ずっと待ってる訳じゃねえよ」


 ヨイヤミの謝罪の意図を正確に理解しながら、気にすることはないと告げる。カルマのお陰で、ヨイヤミもすぐに安心して「そっか」と安堵の笑みを漏らす。

 二人がそんな再会のやり取りをしていると、物陰から怯える小動物のようにこちらを眺める存在に気が付く。

 ヨイヤミが視線をそちらに巡らせたことに気が付いたのか、カルマもそちらへと視線を移し、その小動物?に向かって手招きをする。

 そこから現れたのは小さな女の子で、身なりはカルマと同じようなぼろ布を被ったような格好をしていた。その子は、物陰からちょこんと飛び出ると、すぐさまカルマの背中へと駆け寄り、ヨイヤミから隠れるようにカルマにしがみついて身を隠した。


「その子、どうしたん……?」


 どう考えてもカルマの知り合いのようだったので、女の子本人ではなくカルマへと質問を投げかける。すると、カルマは自らにしがみつく女の子の頭を軽く撫でながら、ヨイヤミに紹介する。


「こいつは俺の妹だよ。レアって言うんだ。ヨイヤミも仲良くしてやってくれよ」


 レアは相変わらず、カルマの服をギュッと握りしめながら、顔だけをカルマの背中から覗かせて、ヨイヤミを値踏みするかのようにジッと見てくる。なんだか舐めまわされているみたいで、少し居心地が悪くなるのを感じて苦笑を漏らしながら、ヨイヤミはゆっくりとレアに近づいていく。


「こんにちは、レアちゃん。よろしくな」


 レアは未だ警戒を解くことなく、カルマにしがみついているが、ヨイヤミが手を出すと、ジッとその手を眺めた後、ゆっくりと小さな可愛らしい手を、ヨイヤミの手に乗せるように差し出す。

 そんなレアの手をヨイヤミは優しく包み込むように握ると、レアの顔が少し和らいだような気がした。


「ほら、レア。よろしくって言われてんだ、ちゃんと挨拶しないとダメだろ」


 カルマがお兄ちゃんぽく、彼女の背中に手をまわしながら彼女をヨイヤミの前へと出るように促す。隠れる場所の無くなったレアは多少動揺して、視線をあちこちに巡らせたものの、何とかヨイヤミに焦点を合わせ、その小さな口を開いた。


「よろしく。ヨイヤミおにいちゃん……」


 どうやらカルマが既にヨイヤミの名前を伝えてあったらしく、ヨイヤミが自己紹介する前に名前を知られていた。お兄ちゃんなどと呼ばれるのは初めてで、なんだかすごくむず痒くて、恥ずかしくて、嬉しかった。

 ようやくちゃんと挨拶ができたレアの頭をカルマが優しく撫でてやると、レアはとても嬉しそうに口許を綻ばせた。それに釣られるように、カルマも優しげな笑みを浮かべる。

 カルマのお兄ちゃん然とした姿を見るのは初めてで、なんだか別人のように感じてしまう。でも、友人の新しい顔を見ることができて、嬉しさがさらに増していく。


「今日はどうする?無理に向こう側に行かなくてもいいぞ。俺はお前に会えるだけでも十分だから」


 カルマは先週のことを気にしてか、とても優しげな言葉を掛けてくる。いや、逃げ道を与えてくれている。友人にそんな気を遣わせている自分に少し苛立ちを覚えたが、表情には出さないように、平静を装いながらカルマへと話しかける。


「いや、スラム街の方に行くわ。そうやって逃げてたら、いつまでたってもカルマと本当の友達になれん気がするし……」


「別に、俺とお前は、もう立派な友達だろ。だから無理しなくても……」


 友達だからこその気遣いと、友達だからこその譲れぬ思い。カルマの言う通り、何処でだって会えればいいのだ。会えるだけで十分に楽しいし、笑いあうことができる。でも、ヨイヤミは逃げたくなかった。友人として、彼をしっかりと受け入れたかった。

 ヨイヤミの眼差しがゆるぎない信念を抱いていることを察したのか、カルマも意地を張るつもりもなく、簡単に折れた。


「わかったよ。じゃあ、いつも通り着替えてくれよ。あと、レアの前でこの前みたいに吐いたりするなよ」


 カルマはそうやって冗談っぽく含みのある笑みを浮かべながら言う。レアはカルマが何を言っているのかさっぱりといった様子で首を傾げている。

 そんな二人を見ながら、心の片隅に残る不安を払拭するようにヨイヤミは最大限に強がって見せる。


「ふ、ふん。あれは、元から気分が悪かっただけで、今日は全然大丈夫やし……」


 そんな感じでワイワイと言い合いながら、壁の向こう側を目指して三人は歩いていく。


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