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The Story of Ark -王無き世界の王の物語-  作者: わにたろう
第八章 心を穿つ銃弾と雷
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身分の違い

「うわあ……」


 うなされていたかのように勢いよく目を覚ますと、そこはスラム街へと入る時に通った空き家の中だった。ヨイヤミの息は全力疾走した後のように荒れており、深呼吸して息を整える。

 少しだけ落ち着きを取り戻し、辺りを見回すと、向かいにあった扉が開けられ、そこからカルマが顔を出した。


「よっ。大丈夫か?悪かったな。嫌な思いさせて……」


 自分はあの環境や光景に耐えきれず気を失ってしまったのだ。それは、あの場所で暮らしているカルマからしたら、冒涜や蔑視に他ならない。そんな自分がどうしても許せなくて、でも唯一できることは謝ることぐらいで……。


「ごめん……」


 それ以上の言葉が出てこなかった。どんな理由を並べたところで、何の意味もなさない。自らの行動が何よりもカルマの心を傷つけるものだったのだから。


「別に気にしてない。慣れていないんだから仕方ねえよ。むしろ、そんなになるまで我慢してくれたことの方が嬉しかった」


 カルマの言葉にヨイヤミは目を見張った。どれだけ非難されても仕方がないこの状況で、あろうことか、カルマは嬉しいと言ってくれたのだ。


「だって、それだけ俺に馴染もうとしてくれたってことだろ。あの街に貴族街の奴らが足を踏み入れることはない。もし来たとしても、身体中を覆いかぶせる衣服を身に纏って、口や鼻を覆いかぶせる布を巻いて来やがる。まるで、この街にあるものは触れることすら嫌がるように……」


 カルマは奥歯を噛みしめて、あからさまに悔しげな表情を作る。それでも、すぐにその表情を解いて、柔らかい優しげな笑みを浮かべる。


「でもお前は違う。俺の故郷を受け入れようと必死になってくれた。……ありがとう」


 どこか照れ臭そうに、鼻下を指でこすりながら、ヨイヤミに向けての礼を述べる。それが、もう十分だと言われているようで、なんだか悔しくて、自分に対する怒りが込み上げてきて、ヨイヤミは自らの唇を噛みしめる。


「ほんとにごめん。でも、これで終わりやないから…。何度だって、何度だって、僕はあの光景に慣れるまで、スラム街に顔を出す。だって、僕はカルマの友達なんやから……」


 友達の故郷を受け入れられないなんて、以ての外だ。これじゃ、本当の友達なんて言えない。このままでは終わらせない。自らの決意はこんなものじゃない。ヨイヤミは、その意志を瞳に焼き付け、カルマの顔をジッと見返す。

 ヨイヤミのその言葉を聞いたカルマは、唖然として一瞬言葉を失ったが、すぐに苦笑を漏らすとヨイヤミに向けて手を差し出す。


「わかった。約束だ。ヨイヤミがスラム街で普通にいられるようになったら、俺たちは本当の友達になろう」


 差し出された手をヨイヤミは、一週間前と同じように、しかし、あの時よりも強い決意を込めて握り返す。これで終わりではない。まだ、始まったばかりだ。


 その日は大人しくカルマと別れ帰路に就いた。まだ外は明るかったが、陽は既に頂点を越えて、東に傾き始めており、これからスラム街にもう一度戻ったところで時間がない。それに、今すぐ行ったところで、先程と同じ結果になるのは目に見えている。ヨイヤミには心の整理が必要だ。

 だから、今日は大人しく別れて、陽が明るく照らす街中を、学校帰りの少年少女に混じりながら家へと戻っていった。

 何もなかったかのように平然と家に帰ると、母さんが笑顔で迎え入れてくれる。時間さえ守れば優しくて良い両親なのだ。ヨイヤミは、帰宅の挨拶だけ済ませ、すぐに自分の部屋に戻る。

 今日の夕飯はおいしくは食べられないだろうな……、と思いながら、少し前に見た光景を思い出す。

 先程は母さんの手前平然とした振りをしたが、やはり先程のことを考えると、すこし気分が悪くなる。カルマたちはそんな光景が日常になっているのだろう。

 やはり、自分が知っている世界など狭いものなのだ。自分のような生活をしている者など、本当に一握りなのだと実感する。

 そうは思いながらも、やはり今日は食欲がわかない。食べ物を残すなど、それこそカルマたちを侮辱するような行為な気がして後ろめたかったが、食べ物が喉を通っていかない。


「母さん、ごめん。今日はあんまりお腹減っとらんわ……」


 そう言って、席を立つ。母さんは「しょうがないわね」と苦笑しながら、食卓を片付け始める。その様子を見ていたヨイヤミが、不意にあることを思いつく。


「なあ、パンだけ自分の部屋に持って行ってもええ?後でお腹すいたら食べたいんやけど……」


 ヨイヤミが尋ねると、特に何も疑問に思うこともなく「いいわよ」と言って承諾する。「ありがと」と一言だけ残しヨイヤミはパンを三つほど持って部屋へと戻る。

 食欲が無い者が三つもパンを持ち出せば少し違和感を覚えるだろうが、山積みになったパンの中から持ちだしたし、母さんは片づけをしていたので、ヨイヤミが持っていく場所を見てなどはいなかった。

 ヨイヤミはそのまま、ある部屋へと向かった。三人だけしか住んでいないにも拘らず、無駄に広いこの家の一室にヨイヤミは脚を運んでいた。


「お~い。この部屋開けてくれんか?ごはん余分に持って来たったぞ」


 そう言って、この前のお仕置き部屋をノックしながら、中にいる人物に向かって呼びかけるが、案の定、何の返事も帰って来ない。両親に見つかると、色々と厄介なことになるのは目に見えているので、ヨイヤミもあまり騒ぐことはできない。


「なあ、開けてくれよ。少しくらい話しようや」


 ともすれば懇願しているように聞こえなくもない声音で、ヨイヤミは呼びかけを続ける。しかし、ヨイヤミの努力は空しく、その部屋からは吐息一つ聞こえてこない。

 鍵などないため、無理矢理に開けることだってできる。きっとそれに対して彼女は、表向きは怒らないだろう。しかし、内面では怒りを煮えたぎらせているのは想像に難くない。だから、そういう手は使いたくない。

 なかなか上手くいかないことに少し歯噛みしながら唸っていたヨイヤミは、例の小さな穴から部屋の中を覗き込む。そこにあったのは、その身なりからは考えられないほどの美しさを放つ、まるで女神のような彼女の姿だった。

 小さな窓から差し込む月明かりの元に、量の膝を折りながら座り込み、そしてその月明かりの先に故郷を思うかのように視線を向けて佇んでいる。月明かりで照らされた黒髪が、まるで自らが輝きを放つかのように煌めき、浮世離れした美しさを醸し出している。


「き、綺麗や……」


 ヨイヤミは素直に見とれてしまった。この世界で彼女だけが別の次元にいるかのような錯覚を覚えるように、彼女だけに視線が引き寄せられ、それ以外のもの全てから意識が剥ぎ取られてしまった。

 先程までのヨイヤミの声が聞こえていないはずがないのに、まるでこちらを気にする様子もなく、彼女はただ窓の外へと視線を落とす。


 彼女は今、何を思っているのだろうか。彼女が向けるその視線は、一体どこに向けられたものなのだろうか。知りたい……。知りたくて仕方がない……。


 ヨイヤミは不意に駆られた衝動により、扉に手を掛けようとして、思い踏みとどまる。

 自分でも扉に手を掛けようとしていることに、ほとんど気が付いていなかった。無理矢理に止めた手が、その思いを吐き出す場所を探して、小さく触れている。自分でも意志が自制できないほどに、激情に駆られていたのだ。

 もう片方の手で、無理矢理に震えを抑えると、中にいる彼女に向かって、もう少しだけ声を掛ける。


「お腹減ったら、またいつでも言うてな。母さんたちは、君のこと奴隷って言うけど、僕は君のことだって一人の人間やと思とるし、友達になりたいと思とる。だから、僕はいつでも待っとるから」


 そう告げて、部屋に戻ろうしたその時、やっと彼女がこちらに視線を向けてくれた。寂しげで儚げな、簡単に壊れてしまいそうな美しい瞳を……。


 次の日からは真面目に学校に通った。さすがに毎日休んでは、先生にも怪しまれて、両親にバレてしまう。だから、学校を抜け出すのは多くて週に一回と決めている。

 表面上の友達ごっこをしながら、ヨイヤミは毎日を過ごしていく。


 あれから一週間が経った。今日は休日で、親も出かけている。カルマに会いに行こうかとも思いながら、今日は一日かけて、彼女の心の扉を開くことを決めた。

 ヨイヤミは離れたところで待っているかもしれない少年に向けて小さく「ごめん」と謝罪の言葉を漏らした。

 あれから一週間、毎日のように両親にバレないように彼女の元に通い詰めたが、彼女が扉を開くことはなかった。

 しかし、今日は親の目を気にしないで、彼女の説得をすることができる。一回ぐらい暴れてやろう、くらいのつもりで彼女の部屋に向かった。

 部屋の前に着くなり、ヨイヤミはまずノックをする。今日もいつも通りノックをしても顔を出さないだろうと高を括っていたヨイヤミだったが、何を思ったか、その扉はいとも容易く開かれた。

 無理矢理にこじ開けることはなくとも、今日は色々としてやろうと考えていたのに、拍子抜けする程容易く開かれた扉に、ヨイヤミは呆然として立ち尽くしていた。

 やっとの思いで彼女と視線を交わしたのに、あまりにも突拍子過ぎて何も言葉が出てこない。

 ヨイヤミが言葉を出せぬまま、口をパクパクと開閉していると、先に彼女が声を発した。


「今日は、あなたの両親はいないのでしょう。なら、あなたの戯れに少しくらいは付き合おうと思いまして……」


 久しぶりに聞いたはずの彼女の声は、しかし、初めて聴いたような印象受ける。あの時は、これ程しっかりと彼女を見ていなかったから気付くことがなかったが、彼女の声は少し重みのあるとても凛々しい声だった。まるでどこかの軍人のような、奴隷とはかけ離れた厳かなものだった。

 そんな感じでヨイヤミは、今日はそれなりの覚悟をしてやってきたのだが、あまりにも早くに相手が開城したので、その覚悟を持て余したまま、やり場のない気持ちを押し殺して、何とか平静を取り持つと彼女に話しかける。


「母さんたちがいないのには気がついとったんやな。ってか、戯れってどういうことや。僕は本気で君と友達になろうと……」


 自分の覚悟を戯れと言われ、少し不快な感情を覚え、言葉に怒りが混じる。しかし、彼女は笑うどころか、何を考えているのかわからないような平坦な表情で続ける。


「だってそうでしょう。奴隷と友達になるなんて、貴族の戯れとしか考えられない」


 ヨイヤミは奴隷とか貴族とか、そういう身分の違いは正直まだ理解ができていない。誰しも同じ人間なのだから、同じように暮らせばいいじゃないかと、そう思ってしまう。


「奴隷とか、貴族とか、僕にはようわからん。そんなに違うものなんか?僕も君も、別に何も変わらんと思うんやけど……」


 そんなヨイヤミの言葉に、怒るでも呆れるでもなく、相変わらず平坦な表情と声音で答える。


「まあ、子供のあなたには、まだ早い話かもしれませんね。しかし、いずれわかる時が来ますよ。いつまでも今のあなたのようではいられない」


 まるで、これまでのヨイヤミをずっと見てきたかのように、そして今後どうなるかを見通すように、彼女はそんなことを言う。

 表情も声音も平坦なのに、何処か嘲笑われているような気になって、ヨイヤミは更に怒りが込み上げてくる。折角扉を開いて、面と向かって話すことができているのに、自分の気持ちが自制できない。そんなのだから、子供と言われるのだろう。


「別に僕は子供なんかやない。君から見たら子供かもしれんけど、色んなことを学んで、色んなことを覚えてきた。知識やったら君にだって負けん」


 怒りに任せて独りで勝手に盛り上がってしまう。別に向こうは勝ち負けなどと言う話はしていないのに、怒りが込み上げてくると、言い返さずにはいられなくなるのは悪い癖だ。


「そうですね。貴族の子供は表面上の知識だけはとても豊富だ。そういう知識だけなら、あなたの方が勝っているかもしれません。でも、そんな知識だけではこの世界は生きていけませんよ。実際に見たことも、感じたこともないあなたたちは、本当の世界なんて一つも知らない」


 つい最近同じようなことを言われた気がする。そして、その事実を最近目の当たりにし、自分が何も知らないことを実感したところだ。だから、何も言い返すことができなかった。いつの間にか、怒りは空気に飽和していた。


「なら、教えてくれよ……」


 あの時と同じように教えを乞う。


「僕と君は何が違うんや……?」


 知っているというのなら、全てを教えて欲しい。


「奴隷と貴族って、一体なんなんや……?」


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