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The Story of Ark -王無き世界の王の物語-  作者: わにたろう
第八章 心を穿つ銃弾と雷
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棄てられた街

 結局一週間の間、ヨイヤミの呼びかけに彼女が答えることはなかった。そのまま、ヨイヤミはその部屋から解放された。部屋を出る時に彼女に視線を巡らせたが、この部屋に入った時と同じように、俯いてその表情を見ることはできなかった。

 ようやく解放されたヨイヤミは、その日真っ先に学校へと向かった、振りをした。その日本当に向かったのは、あの日から行くことができていなかった貴族街の東側だった。あの日、カルマと出会って言葉を交わした、あの場所だった。

 あれから一週間も経ってしまった。もう、カルマは待っていてくれていないかもしれない。結局、カルマから告げられたこの国の裏の姿に恐怖し、逃げ出したと思われたかもしれない。

 それでも、この前と同じ場所で「よっ」と手を上げて迎え入れてくれる彼の姿を思い浮かべながら、ヨイヤミは一週間ぶりの光景を横目に走り抜けていた。


「よっ」


 ヨイヤミが思い浮かべていたのと同じように、カルマはヨイヤミを見つけた瞬間、笑みを浮かべながらこちらに手を振ってきた。

 カルマのその姿を見た瞬間、あまりにも想像通り過ぎて、毒気が抜かれたように呆然としてしまったが、それはほんの一瞬のことで、すぐに得も言われぬ思いが込み上げてきてヨイヤミは無意識の内に破顔する。


「ごめんな、待たせて。あれから色々あって、なかなかここにこれんだわ」


 ゆっくりとカルマの元に近づき、先程までの笑みを引込めて申し訳なさそうにカルマに謝罪する。そんな、ヨイヤミの姿を見たカルマは苦笑しながらヨイヤミの肩を何度か叩く。


「なあに、別に気にすることはねえよ。俺はちゃんとお前がここに来るって信じていた。それに、お前は実際にここに来たじゃねえか。だから、謝ることなんて何もない」


 カルマの言葉に、ヨイヤミは安堵の溜め息を漏らす。初めてできた本当の意味での友達は、ちゃんと自分のことを信じて待っていてくれた。その信頼に遅れはしたものの答えることができた。

 それがどうしようもなく嬉しくて、ヨイヤミの気持ちは高まっていく一方だった。でも、ちゃんと言っておかなければならないことがある。同じ轍を何度も踏む訳にはいかないから……。


「あのさ、これからはあんまり長いことここにおれんのや。家の事情って言ったら、カルマには甘えんなって言われそうやけど、それでも、カルマと会えんくなるのは嫌やから……」


 親の目を盗むには、学校から帰宅するのと同じ時間までしかいられない。それも、毎日来る訳にはいかない。学校や親に怪しまれない程度に、上手いこと学校を抜け出してこなくてはならない。そこまでしてでも、ヨイヤミはカルマに会いたいと思っていた。


「ああ、わかった。別にそれを甘えなんて言わねえよ。家の事情じゃ、仕方のないことだ。時間がないならさっそく、スラム街の方に行くか。こうやってしている時間がもったいねえ」


 そう言うと、カルマはさらに奥の方へと歩いていく。ヨイヤミは、それに黙ってついて行く。

 巨大な外壁が着々と迫ってくるような印象を覚える。実際はこちらから近づいているのに、壁があまりにも大きいせいでそんな気分に苛まれる。首が痛くなるほどに見上げなければ頂上が見えない外壁が目の前に鎮座する。

 外壁に隣接する家の前へと到着したカルマは、その家のドアを自らの家と云わんばかりに、何の躊躇いもなく開ける。それに続いて、ヨイヤミもその家の中へと入っていく。


「ここ、カルマの家なんか?」


 ヨイヤミは素朴な疑問を口にすると、ドンドン先に進みながらカルマは答える。


「違えよ。ここの家主は既にここには住んでねえ。ここはだいぶ前からただの空き家だ。まあ、貴族街の奴らからしたら、スラム街に隣接するこんな場所に住みたくねえわな。あ、もちろんお前のことはそんな風に思ってねえからな」


 こちらを向いて苦笑しながら歩いていく。やがて、奥の方のとある扉を開けると、そこにある小さな部屋の中に入っていく。カルマは、そこに置いてあった布きれを掴むとヨイヤミに放り投げる。


「これに着替えてくれ。スラム街の連中は貴族街の奴らを毛嫌いしている。お前がどんな奴かなんて関係なく、その格好だけでお前は街中の全てから非難の目を浴びることになる。そんなの嫌だろう?」


 カルマの言葉を、ヨイヤミはそのまま頭で思い浮かべて、その光景に恐怖し息を飲む。神妙な表情のままカルマに向けて頷き、その布きれを受け取る。ヨイヤミはそそくさと元着ていた服を脱いで着替えを始める。

 着替え終わったヨイヤミの姿を見て、カルマは小さく吹き出した。


「ふっ……。なんかお前、全然似合わねえな。何て言うか、根っからの貴族って言うか……。……あっ、そうだ。ここをこうして……」


 カルマはおもむろに、ヨイヤミの髪をクシャクシャにし始める。整えられていたヨイヤミの頭髪は、すっかり荒れ果てた荒野のようになってしまった。


「少しはそれっぽくなったな。まあ、それくらいしとけば、大丈夫だろ。後で顔に泥でも塗っとくか。よし、じゃあ行くぞ」


「行くぞって、どこに……?」


 カルマは行くぞと言ったものの、その部屋の中には窓すら存在しない。この部屋からどこかへ行くのならば、先程入ってきた入口に戻るしか道はない。


「こ、こ、だ、よ」


 カルマはその部屋にあった本棚を力いっぱい押した。するとその足元に、子供が入るのが精一杯だろうと思われる穴が顔を覗かせる。


「なっ。よし、じゃあ行くぞ」


 自慢げな表情を浮かべた後、カルマは早速その穴の中に入っていく。呆気にとられていたヨイヤミは、カルマが姿を消した途端、我に還ったようにハッとしてその後を急いで追った。

 薄暗い穴を二人は無言のまま突き進んでいた。そんな中、ヨイヤミの心中では、興奮が冷めやらなかった。まだ見たことのない場所への冒険をしているような気持が込み上げてきて、ヨイヤミの好奇心をこれ以上なく刺激する。やがて、穴の出口から光が差し込み、カルマがこちらに振り返り声を掛ける。


「着いたぞ。ここが、スラム街だ」


 その明りの先を、ヨイヤミの溢れんばかりの好奇心が、まだかまだかと高揚する。そして、遂に広がったその視界にヨイヤミは感動を覚え言葉を失った。なんてことはなかった……。言葉を失ったのは事実だったが、その理由は全く以て逆方向のものだった。

 ヨイヤミの正直な第一印象は大きなゴミ箱、といったところだった。穴を抜けて広がったその視界に入ってきたものは、たくさんの瓦礫の山と、布を張り合わせて木の柱で作り上げられたテントまがいのものが立ち並ぶ光景だった。

 視界に入る者は皆、大人も子供も関わらず、カルマや今の自分と同じような格好をしている。子供が走り回って遊んだりしているものの、同じ場所に死んでいるかのように生気を失ったまま座り込んでいる老人などもおり、そこに貴族街のような活気は感じられない。


「これが、スラム街……」


 ヨイヤミがやっとの思いで絞り出した言葉がそれだった。この頃のヨイヤミはまだまだ嘘をつくのが得意ではなかったため、感情がそのまま表情に表れていた。そんなヨイヤミを見たカルマも、特にそれを言及することもなく、平坦な声音でヨイヤミに告げる。


「そうだ、これがスラム街だ。見て、わかっただろ。お前たちが暮らす世界とは違うんだ。俺たちは捨てられた国民なんだ」


 カルマのその言葉から、ヨイヤミが抱いた第一印象があながち間違いではなかったことに気が付く。ここに住む者たちもまた、国からゴミとしてこの場所に捨てられたのだ。物だけではなく、ここにあるものすべてがこの国から廃棄されたものなのだ。しかし、そんなのあまりにも酷すぎる。


「どうだ?お前が期待したようなものは、ここには無かっただろ。知らない方が幸せだったんじゃないか?」


 カルマのその問いかけに、ヨイヤミは何も答えることができない。自分が今まで裕福に暮らしてきた裏側にこんな世界があったなんて……。想像していたものを遥かに凌駕していたこの光景を、すぐに受け入れることはできない。

 こんな世界で、カルマは生まれてからの十年間を生きてきたのかと思うと、自分がどれだけ恵まれているかを考えずにはいられない。


「やっぱり、もう戻るか?こんなの見ても、意味ないだろ……」


 ヨイヤミの表情が、言葉にするよりも余程、この街を受け入れられないことを語っている。カルマはそんなヨイヤミの心中を察して、戻ることを提案する。カルマだって、友が苦しむ姿を見ていたくはない。やはり、生きてきた世界が違い過ぎたのだ。

 しかしヨイヤミは、カルマのその提案を跳ねのけた。


「いや、カルマが生きてきた世界を、もう少し知りたいんや。大丈夫、これくらいの覚悟はしてきたんや」


 それが強がりだということは、誰が見ても明らかだっただろう。それでも、ヨイヤミの決意を無駄にしたくなかったカルマは、小さく頷くと「わかった」と一言だけ告げて、その歩みを前へと進める。

 多くの人が道端に座り込んで項垂れている。髪や髭や眉は、整えられることなく伸び散らかり、腕や脚はやせ細って、生きているのかどうかも怪しいような人ばかりだった。そんな中、一人の寝転がる男性に群がるカラスの群れがあった。十匹近くのカラスが、そこに横たわる人の肉をついばんでいく。


「なっ……、何だよ、あれ……。うっ、うううう……」


 貴族街にいるだけなら、間違いなく見ることのなかったであろう光景が、ヨイヤミの恐怖心を煽っていく。死体が道端に転がり、それにカラスが群がるなど考えたこともなかった。

 そして、その恐怖心を煽れることにより、危険を感じたヨイヤミの身体の感覚が研ぎ澄まされていく。そして、嗅覚もまた敏感になったヨイヤミは周囲の異臭にようやく気が付く。


「うっ……、なんだこれ。すごく臭い……」


 初めて見た光景による緊張感で失っていた嗅覚が目覚めることで、腐った生肉のような匂いや、湿り気を帯びたカビ臭さが漂ってくる。


「今まで気づいていなかったのか?ここはゴミの掃き溜めだから、貴族街や平民街のゴミが、ああやって積まれていくんだ。そうやってできたごみ溜めから、食べられる食糧や、使えるものを掘り出して生活している。それに、ここでは人が死んでも放って置くから、腐臭が立ち込めるんだ」


 そう言って瓦礫の山を指差しながら、この国での暮らしについて説明していく。

 そんなヨイヤミからの説明が終わりを迎える頃、カラスの食事がようやく終わったようで、一羽、また一羽と飛び立っていく。そこに残されたものは、ついばまれて骨が露出し、内臓はひしゃげた、肉の塊だった。


 それを見た瞬間ヨイヤミの精神力は限界を迎え、視界がグニャリと歪み始める。真っ直ぐ立っていることが困難になり、やがて力無く地面に倒れる。歪む視界の中で、カルマが走り寄ってくるのが見えたが、もう身体が言うことを聞かない。


「おい……、だいじょ…か…。しっか……ろ、お……」


 そして、聴覚すらも言うことを聞かなくなり、カルマの声がどんどん遠ざかっていく。カルマの声は、最早届かなくなり、歪んだ視界の先でカルマが自分に向けて何かを叫んでいるのだけが見える。やがて瞼が限界を迎え、ゆっくりとヨイヤミの視界は暗闇に包まれていく。

 ヨイヤミの意識は海の中に沈んでいくように、深みに落ちて行った。


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