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The Story of Ark -王無き世界の王の物語-  作者: わにたろう
第八章 心を穿つ銃弾と雷
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その意味は未だ知らず

 ヨイヤミは迷っていた。学校でも教わることのなかったこの国の裏の顔に、これ以上顔を突っ込んでいいものなのかどうか……。ヨイヤミの好奇心をもってしても、どう考えても故意に隠されていたその街のことをこれ以上詮索すれば、いずれ何か不味いことが起こるのではないかということは、想像に難くなかった。

 しかし、目の前の少年を見て、自らの知らない世界に足を踏み入れたいという好奇心が湧かない訳もなく、それに裕福な暮らししかしてこなかったヨイヤミは彼の姿を見て可哀想だと思ってしまった。

 本人には絶対にこんなことは言えない。でも、もし、できることのなら、彼らのことを支えたいと思った。それが、エゴでしかないということを、このときのヨイヤミは理解していなかった。だから、ヨイヤミはスラム街のことに顔を突っ込んでしまったのだ。


「なあ、そのスラム街のこと、もっと詳しく教えてくれんか?この国に住んどるのに、この国のことを知らんなんておかしいやろ。そんなの……、嫌や」


 そんなヨイヤミの言葉に、少年の表情が歪む。その表情の変化に違和感を覚えた。


「確かにお前は悪い奴じゃなさそうだし、お前が悪意も何もなく好奇心でスラム街のことを知りたいってことも理解できる。でも、口で説明したところで、こんな恵まれた世界で生きてきたお前じゃ、何も理解できないと思う。もし、本当にスラム街のことを知りたいっていうなら、これからスラム街に行って、その目にちゃんと焼き付ける覚悟はあるか?」


 少年のその言葉は容易に返答できるような、そんな安易な問いかけではなかった。ヨイヤミにどれだけの覚悟があったとしても、その言葉を一度は飲み込まなければ答えることができないほど、彼の表情と声音は真に迫っていた。

 その答えを飲み込んだまま、ふと屋根の間から覗く空へと視線を移すと、陽の傾きがそろそろ浅くなり始める頃で、ヨイヤミはその光景に焦りを覚え始める。


「あっ、ヤバイ……。そろそろ帰らんと勝手に家飛び出してきたことがバレる。なあ、スラム街のこと教えてもらうの今日じゃないとあかんか?」


 ヨイヤミの焦った表情に、先程までの少年の真剣な表情は何処かへと消え失せ、唖然とした表情になると、ヨイヤミのその表情から何か得心が行ったのか、軽く苦笑しながらヨイヤミの質問に返答する。


「わかったよ。おれはいつもこの辺にいる。お前が本当にスラム街のことを知りたいなら、いつでもここに来い。逃げたいなら逃げたいで、別に構わない。お前は元々スラム街のことなんて知る必要がないんだから、それで責めたりはしないさ」


 少年の声音は優しげで、敢えてヨイヤミに対して逃げ道を用意するかのような印象を覚える。ヨイヤミの家に帰らなければならないという言葉は、もしかすると少年には現状からの逃亡に感じたのかもしれない。だから、ヨイヤミは逃げる気はないという思いを込めて、こう言った。


「これからも色々話さなあかんのに、お互い名前も知らんのは不便やろ。僕の名前はヨイヤミ・エストハイム。君は?」


 少年は、一度はヨイヤミの言葉を噛み締めるように言葉に詰まったが、すぐに笑顔をみせると自らも名乗る。


「俺の名前はカルマ・オルフェリア。そこまで言うなら逃げんじゃねえぞ。俺はお前が来るまでいつでもここで待っていてやる」


 そう言ってカルマはヨイヤミに向けて手を差し出す。ヨイヤミはその手を快く受け入れ、自らもその手を取る。

陽も傾き始めて、青から朱へと代わり始める空が、家と家の隙間から覗くなか、二人は固く握手を交わした。




 ヨイヤミはひたすらに走っていた。無我夢中で人気の少ない道を走り抜ける。カルマと出会って話を続ける内にすっかり時間を忘れていた。陽はさらに傾いていき、ようやく人通りが出だした頃には、朱色と暗闇の間の濃紺色の空へとその姿を変えていた。

 自らの予定よりも相当に遅い時間になってしまっており、どれだけ急いだところでもう手遅れだろうということはわかっていた。それでも走らずにはいられない。もしかしたら間に合うかもしれないという一抹の期待を握りしめ、ヨイヤミはひたすらに走っていく。

 家に到着したときには、完全に陽も落ち辺りは暗闇に落ちていた。それでも、裕福な者たちが住まうこの街はそれぞれの家から漏れる灯りで、その暗闇も大人しく身を潜めている。

 ヨイヤミの家から漏れる、いくつも備え付けられている窓から覗く煌々と輝く明かりが、ヨイヤミには嘲笑っているかのように感じた。窓から光が覗くということは、既に親は帰ってきているということだ。

 ここまで来たら、大人しく引き下がる訳にも行かない。自らの部屋によじ登ってでも入って、何食わぬ顔で部屋にいれば、もしかしたらなんとかなるかもしれない。

 ヨイヤミは覚悟を決めて、家の裏側に回ると、レンガ造りの壁の小さな隙間に指を入れて、自らの部屋に向けて登り始める。しかし、そこでまさかの怒鳴り声に驚き、手を滑らせて地面へと真っ逆さまに落ちていく。


「ヨイヤミ、何をしてるんですか」


 一人の子供を持つにも関わらず、まだ幼さの残った容姿の女性が、その顔に似合った甲高い声でヨイヤミを怒鳴り付ける。

 ヨイヤミと同じ、更々とした滑らかな銀色の長髪を携えたその女性は腰に手を当てて、あからさまに怒った態度を取りながらヨイヤミに近づいてくる。


「何時だと思ってんの?それに、あんたどっから入ろうとしてるのよ?まさか、黙って部屋に戻れば、バレないとでも思った?」


 まあ、この状況を見れば、誰だってヨイヤミがどうしようとしていたかなんて一目瞭然だろう。ヨイヤミの母親は、尻餅をついて倒れているヨイヤミに手を差し伸べる。


「ほら、いつまでも寝転んでないで、早く家に入りなさい」


 そう言って、ヨイヤミを引きずるように立ち上がらせると、そのまま家の中まで引っ張っていった。こうなってしまえば、ヨイヤミの特に抵抗することはなく、大人しく連れられるままに母親の後を追う。

 そのまま連れて行かれたのは、自らの書斎で椅子に座り込む父親のところだった。父親の前に立ったヨイヤミは、あからさまに気だるげな顔をしながらその足を止めた。

 小太りで、あからさまに高そうな服に身を包み、自らの椅子にふんぞり返るように座っている。髪は黒く、ヨイヤミとは少し異なる印象を受ける。ヨイヤミは母方の遺伝子が大部分を締めているのだろう。

 しかし、こんな態度を取っているものの、父親は少し苦手というくらいで、別に嫌っている訳ではなかった。少し行き過ぎた教育方針以外は、当たり障りのない普通の父親だ。


「相変わらずお前は、何度言ってもわからん奴だな。まあいい……。いつも通りあの部屋で大人しく反省しなさい」


 あの部屋というのは、拷問部屋……、と言うわけではなく、単なる何もない小さな部屋である。この家には必要のない部屋がいくつもあって、その部屋はその中の一つなのである。


 今思うと異質な光景だと思う。反省させるためとはいえ、何もない密室に何日も閉じ込めるのだ。しかし、教育というのは怖いもので、慣れてくるとそれがおかしなことだとは思わなくなるのだ。


 実際、このときのヨイヤミは何の疑いもなく、自らその部屋へと入っていった。


「今回は一週間そこから出させないからな。いつまでも言うことを聞かなければ、拘束時間は延びていくだけだぞ。それと、今回は見張りを付ける。逃げ出そうなどと考えても無駄だからな」


 まるで、脱獄した囚人のような扱いだ、と今のヨイヤミが見れば思うのだが、それに反感して拒むようなことはない。

 窓がひとつあるだけの小さな部屋の前には、今まで見たことのない女の子が視線を下に落としながら、たたずんでいた。


「今日からこれがこの部屋の見張りをする。ヨイヤミが逃げ出そうとすれば、私たちに言うように言ってある。それと、これは奴隷だ。そろそろヨイヤミも奴隷というものを覚えなければならん頃だからな。これは道具であって、人ではない。これに無駄な感情を抱くなよ」


 目の前の女の子は、身を包むのは、お世辞にも服とは呼べない、継ぎ接ぎしてできた一枚の布。その布から覗く、露出した肌は、骨に皮が張り付いたように痩せ細っていた。それでも、そんな彼女から伸びる滑らかな深碧の髪だけが、彼女を美しく彩っていた。

 女の子と言っても、ヨイヤミからしたらかなり年上の女性だろう。彼女は俯いたままだったため、表情をはっきりと見ることはできなかった。


「奴隷……」


 今日両親が家を空けていたのはこれが理由だったのだろう。

 奴隷については学校でもよく教えられている。


「奴隷を同じ人間だとは思うな。彼らは道具であって人間でない」


 どの先生も口を揃えて同じ事を言う。小さい頃からそう教えられてきたヨイヤミは、それに疑問を抱くこともなかったし、それが普通なのだと受け入れてきた。

 しかし、実際目の前に奴隷と呼ばれる女の子を見ると、自分達と何も変わらない人間じゃないか……、そう思った。ヨイヤミには彼女を道具と思うことはできなかった。

 やがて、ヨイヤミが部屋に入ると、その扉は閉じられ、その部屋を照らす明かりは、窓から差し込んでくる、他人の家から漏れる明かりだけとなった。


「じゃあ、一週間大人しくしているのだぞ」


 そう残して、父親の足音はお仕置き部屋から離れていく。窓からの灯り以外にも、扉に空いた小さな穴からも光が漏れだしてくる。

 父親が離れていったのを確認したヨイヤミは、ため息を吐きながら、倒れるような勢いで床に腰をおろす。


「一週間かあ……。カルマ、それまで待ってくれとるかな?」


 などと、ヨイヤミは一切反省の色を見せずに、先のことを考えていた。

 それにしても、そんな先のことを考えるより、これから一週間どうやって暇を潰すかの方が、今のヨイヤミには問題であった。カルマのことは今考えたところでどうしようもないが、これから一週間については、今考えなければどうしようもない。

 それにしても、扉の前に立っているであろう少女は何をしているのだろうか。先程から、誰かが動くような気配は一切感じない。足音も聞こえなければ、吐息の音すら聞こえないのだ。

 本当に扉の前で見張りをしているのか気になったヨイヤミは、扉に空く小さな隙間からそっと扉の外を覗きこむと、そこにはしっかりと少女が立っていた。彼女は全く動く気配を見せず、まるで立ったまま眠っているかのように佇んでいる。

 もしかして眠っているのではないかと、そっと扉を開けようとすると、少女の視線が勢いよくヨイヤミの方に向けられる。あまりにも鋭い視線に、ヨイヤミは恐怖を感じて小さな悲鳴を漏らしてしまった。

 先程は俯いたままだったので見えなかった彼女の表情がはっきりと見える。しっかりとお互いに視線を交わし、無言のまま見つめ合い、やがて少女が先に口を開く。


「ヨイヤミ様、今すぐ部屋に戻って頂かなければ、リナルド様に言いつけることになりますが……」


 リナルド・エストハイム。リナルドというのは、ヨイヤミの父親の名前である。

 少女は無表情のまま、まるで機械のように、ただ言いつけられた言葉を口から発する。ヨイヤミもこの一週間は大人しくしようと決めていたので、ちょっとした出来心を奥底に仕舞い込んで、そそくさと扉を閉める。

 ヨイヤミが部屋の中に戻ったのを確認した少女は、先程同じように扉に背を向けて、一切動かないままその扉の前に立ち続けた。

 ヨイヤミはとりあえず、今日のところは寝ることに決めて、部屋の真ん中に腰を下ろして、そのまま仰向けに寝転がり、天井を見据える。窓から差し込む灯りは、時間を追うごとに少しずつ小さくなり、周りの住民たちが少しずつ眠りについていくことを知らせてくれる。

 なかなか眠ることのできないヨイヤミは、今日の出来事を思い出しながら、外からの光でぼんやりと浮かび上がる天井にカルマの顔を浮かび上がらせていた。

 ヨイヤミは無意識の内に笑みを漏らしていた。これからどんな冒険が待っているのだろうか。カルマの雰囲気からして、楽しいことだけが待っている訳ではなさそうだ。それでも、自らの知らないことを、自らの力で切り開くというのは、ヨイヤミの幼心を大きく刺激した。

 ワクワクと心を躍らせている内に、外の灯りは完全に途絶え、浮かんでいたカルマの顔も消えていった。それと時を同じくして、ヨイヤミの意識も深い闇の中へと落ちていった。


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