打ち明けられる過去
「ありがとう……。もう、大丈夫だ」
どこかスッキリとした晴れやかな微笑みを浮かべて、しかし、目許は真っ赤に腫らしながら、アカツキはアリスに立ち直ったことを告げる。
どれだけの時間がたったのだろうか。たった数十秒のことだったかもしれないし、数十分もの間泣いていたのかもしれない。時間すらも忘れ、ただひたすらに感情に任せて全てを吐き出すことができた。それも、全てアリスのお陰だ。
「よかった……。やっと、笑ってくださいましたね」
アカツキに吊られるように、アリスも微笑みを漏らす。そんなアリスの目許も、うっすらと腫れていた。先程までのお姉さん然としたアリスはもうここにはいない。ここにいるのは、いつものアリスと、いつものアカツキだ。
それでも、これで全てが終わったわけではない。結局、アカツキの中の罪は消えないし、許された訳ではない。それでもアカツキの中での考え方は変わったはずだ。
もう、一人で悩みや苦しみを抱え込まないと決めた。ここにいる仲間たちと分かち合い、皆で共有し解決する。そして、犯してしまった罪を悔やむのでもなく、忘れるのでもなく、受け入れて、彼らに笑われないように胸を張れる生き方をしていく。
その全てが正しいのかは、誰にもわからない。しかし、そう考えることで、今は前に進むことができる。ならば、それでいいのだ。今はそれだけで、十分なのだ。
二人はもう一度、お互いを見つめ合いながら微笑みを漏らす。
そんなタイミングを見計らってか、ゆっくりと扉の方からこちらに近づいてくる影が一つ。
「もう、立ち直ったみたいやな……」
ヨイヤミは眉の端を下ろして、安堵の笑みを浮かべながら歩み寄る。アリスは一歩退いて、アカツキの視線の先から外れる。すごく久しぶりに顔を合わせたような気がする友に、アカツキは肩を下ろして苦笑するように笑みを漏らしながら謝罪の言葉を口にする。
「悪かったな。皆にも心配掛けたみたいで……。やっと、踏ん切りがついたよ」
アカツキの謝罪に少し皮肉めいた苦笑を浮かべながら、ヨイヤミはアカツキに向けて手を払うような素振りをして、否定を示す。
「ちゃうちゃう。僕はそんな心配なんかしてへんて。なんか皆の空気が悪いから、アカツキには早く立ち直って欲しかっただけや。謝られるようなことは何もしとらん」
そうやっておどけて見せるヨイヤミの目許には隈がくっきりと残っており、昨日眠れなかったことを暗に示す。それを見たアカツキは、可笑しくなって不意に吹き出した。
「ふっ……。そうか。ならよかった」
「な……、なんか僕可笑しなこと言うたか?」
アカツキの笑みの理由がわからなかったヨイヤミは、先程までの苦笑から少し焦りが混じった表情になって尋ねてくる。
「いや……。なんでもないよ。まあ、ありがとうな」
不意に投げ掛けられた感謝の言葉に、ヨイヤミは少しだけ狼狽し、答えに困ったように唇を引き結んでいたが、突然その表情を解いて、軽く俯くと重い口を開くように、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「あのな……、僕も決心したことがあるんや。アカツキの隠してた過去も知ってしまったし、僕だけが知ってるのも不公平やろ。だから、僕もそろそろ話そうと思う」
これまで何があっても話そうとしなかった自らの過去を、ようやく打ち明ける決心がついたとヨイヤミは告げた。これまでの様子を見ていれば、それがどれ程の決心なのかアカツキもそれなりに理解しているつもりだ。だから、どうしても尋ねずにはいられなかった。
「いいのか?別に、無理しなくても……」
自分も、思い出したくない過去を掘り出されて、あれだけのダメージを受けたのだ。それを他人に強いるつもりは到底ありはしない。これまで、何度も聞いておきながら、いざ本人が話そうとした途端こんな態度を取るのは自分勝手だと思いながらも、そう尋ねるしかない。
「どうせ、いずれ話さなあかんと思とったんや。ちょうど良い機会やし。それに、この前ロイズにも言われたんや。そんなに私たちが信じられんかって……。そうやって言われて、僕はすごく心が苦しくなった。だからきっと、どこかでそう思ってた自分がいるんやと思う。そんな自分が許せんって言うのが、一番大きな理由や」
アカツキは黙ったままヨイヤミの決断に聞き耳をたてる。ヨイヤミはそこで一度言葉を切って間を空けるが、アカツキが言葉を挟むことはない。
「要は、自分のために話すだけや。皆を信じきることができてない自分から決別するために、僕は皆に打ち明けようと決めたんや」
誰の為でもなく、自分のために、これまで隠し通してきた自らの過去を語るのだと、ヨイヤミは告げた。自分で決め、自分のために話すというのなら、アカツキに止める権利はない。
「だから、今から皆に話そうと思う。僕が隠してきた過去を……。今から出てこれるか?」
正直なことを言うと、目許も腫れているし、頬も窶れていて、皆にこんな顔を見せたくなかったが、ヨイヤミの決心を裏切るような真似はしたくない。
「わかった。少しだけ時間をくれるか?顔を洗ってから、リビングに向かうよ」
ヨイヤミは頷くと「わかった」と一言だけ残して、少しだけ表情を歪めたままその場を去っていった。
「アリスも先に行っていてくれ。俺は身支度を済ませたら行くから……」
アカツキの言葉に「わかりました」と頷くと、ヨイヤミと同じようにこの場を去る。一人残ったアカツキは、一旦気合いを入れ直すため、自らの頬を軽く叩いて「よしっ」と立ち上がると、しっかりとした足取りで自らの部屋を後にした。
二日ぶりのリビングは、どこか懐かしさを覚え、たった二日間しか引き籠っていないはずなのに、それが何ヵ月もあったかのように感じられた。アカツキが扉をくぐった瞬間、アリーナが抱きつきそのまま頭を撫でられ、アカツキが呆然と立ち尽くしていると、その視線の先で、ガリアスが独りでに瞳を潤めていた。
ロイズは、安堵のため息と共に微笑みを漏らし、アリスは「お帰りなさい」と笑顔で出迎えてくれた。
こんな仲間たちに囲まれて、俺はなんて幸せなのだろう、と思っていると、そんな中で、少しだけ強ばった表情のままのヨイヤミがいた。今からは自分の時間でなく、彼の時間だ。早く、この空気を終わらせて、彼にバトンを渡さなければ……。
「皆、心配掛けてごめん。もう、大丈夫だ。それと、ありがとう。皆と仲間になれてよかったと、心の底から思う。こんなどうしようもない国王だけど、これからもよろしく」
遠慮がちにアリーナを引き剥がすと、アカツキは少し恥ずかしそうに照れ笑いを浮かべながら、皆に向けて謝罪と感謝の気持ちを述べる。そして、準備はできたと言わんばかりに、ヨイヤミへと視線を向ける。それを察したヨイヤミは、一度だけ頷くと、覚悟を決めて口を開く。
「なあ皆……、突然やけど、聞いてほしいことがあるんや」
不意に投げかけられたその言葉に、そのことを知っていたアカツキとアリス以外の者たちが、咄嗟にヨイヤミへと疑問の視線を向ける。
「これまでずっと隠してきたけど、僕にもやっと決心がついたんや」
それが何の決心なのか、ロイズだけがすぐに気が付くことができた。あの日、激しい口論を交わしたロイズだからこそ、ヨイヤミがこれから何を言おうとしているのか、手を取るように理解することができた。
「いいのか?私が、ああ言ったからじゃないのか……」
だから、自分が無理矢理に押し付けてしまったのではないかと焦燥に駆られる。
「確かにそうや……。ロイズに皆のことを信用してないって言われたんわ、正直かなりグサッときたわ。でも、そうやって言われて、そうじゃないって自分で納得することができんかった。そんな自分が許せんくて……、それで、悩みに悩んで決めたんや。だから、ロイズに言われて、仕方無く話す訳やない。ちゃんと考えて自分で決めたんや」
ヨイヤミの意思の込もった眼差しを受けて、ロイズの気掛かりは飽和していく。自らで悩み抜いて決めたことなら、何も言うことはない。後は、彼の決意を受け入れるだけ……。
ロイズはヨイヤミの言葉を受け入れ、小さく頷くと、ヨイヤミは一度俯いてから、重たい口を開いた。
「じゃあ、これから皆に僕の生まれ故郷と、そこで起こったことを話そうと思う」
あれはアカツキと出会う五年前のある日、僕の中の全ての世界を失った話。
信じていた家族も、永遠に続くと思っていた友情も、素直な自分も……。
それをどれだけ悔いたところで、時間は戻らないし、やり直すことはできない。
おそらく、これから僕が一生背負うであろう、後悔の物語。
僕は上流階級の貴族の子供として産まれ育った。生活に困ったこともなく、親の後を継げばいいだけの、所謂レールの上の人生を約束されていた。別に、それを嫌だと思ったこともなかったし、それ以前に未来なんて考えることができるほど、僕はまだ大人ではなかった。
親に言われるがまま勉強し、習い事をし、そんな何の変哲もない時間を過ごしていた。いや、この戦争に満ち溢れた世界において、そんな生活ができるのは幸せなことだったのかもしれない。でも、僕の立場が普通でないと知るのは、もう少し後のことだった。
僕は、そんな生活に飽きたりすることもなく、毎日毎日同じような日々を過ごすことに、何の違和感も覚えなかった。ただ、好奇心だけは旺盛で、外の世界のことを知りたくて、よく外に飛び出しては、親に叱られた。
外の世界と言っても、僕の中の外の世界はちっぽけで、自らの国の中だけに留まっていた。小さかった僕からすれば、この国は十分大きくて、それだけで冒険をしているような気になった。
僕が暮らしていた大きな国の名は、グランパニア。世界の中でも四大大国と呼ばれるような大きな国で、この国の名を聞くだけで恐れおののく者は、多く存在した。
でも、そんなことは、この国の外に出たこともない僕には知る由もなかった。僕たち上流階級からすれば、この国での戦争は起きることはないし、各国の文化が多く取り入れられるこの国は、文明も進んでおり本当に便利で住みやすい国だった。
僕はこの国の貴族街と呼ばれるところに住んでいた。グランパニアには、平民街、貴族街、王都の三つの区域に別れており、貴族街は王都への高額納税者だけが住まう区域だった。
弱肉強食を信条としているグランパニアも、資金が無ければ経済を回すことはできない。だから、力がなくとも金銭的に裕福な者たちは、王都の膝下としてグランパニアの名の元に守られていた。
そして、そんな裕福な生活をしながら、僕は今日も家を飛び出して小さな旅を始める。