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The Story of Ark -王無き世界の王の物語-  作者: わにたろう
第八章 心を穿つ銃弾と雷
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だから、今だけは

 塞ぎ込んでしまったままのアカツキを、ひとまず無理矢理に引っ張っていく形で、なんとかルブルニアへと戻ってきた。アカツキは、帰ってくるなり何一つ言葉を発することなく自室へと引き籠る。あの日完全に閉ざしていた記憶の扉を、素性も知れない相手にこじ開けられ、気持ちの整理がつかなくなってしまっているのだろう。

 イシュメルはこの国を護るために倒さざるを得なかった。しかし、オルタナの話によれば、その多くの兵を殺したのは、ただの意趣返しだ。殺す必要も無く、誰かを護るためでもなく、ただの恨みだけで殺したのだ。それはアカツキの中では許されざることで、それでも、恨みを晴らさずにはいられなくて……。その矛盾した自らの心に折り合いをつけるために、アカツキはその記憶を心の箱の中に仕舞い込み、硬く閉ざしたのだ。それを意図せぬ形で開けば、動揺し狼狽し動転するのは仕方のないことだ。今はそうっとしておくのが最善だろう。

 しかし、アカツキがそれだけ塞ぎ混む理由がヨイヤミにはわからなかった。確かに、人を殺したという過去は、苦しくも悲しい過去である。だが、この戦乱の世界において、人が死ぬことは日常茶飯事だと言っていい。アカツキだって、何人も人が死ぬところを見ているはずだ。それに、アカツキはイシュメルを殺したとき、そこまで感情を露にすることはなかった。なのに、今更そこまで塞ぎ混む理由は一体何なのか……。

 ヨイヤミはそんな事を考えながら、その先を見通すかのように、扉をジッと眺めていた。

 その日は夜も遅かったので、皆アカツキを心配した様子のまま自室へと戻っていった。アカツキの部屋の前を通る度に、皆一度足を止めて扉に手を掛けようとするも、誰もその扉を開かないまま、次の日を迎えた。

 次の日の朝、案の定アカツキは部屋から顔を出さなかった。別に部屋に鍵が付いている訳ではないので、無理矢理に入ろうとすれば、いつでも入れるのだが、昨日の今日で流石にそれは憚られた。アカツキの心同様に、その扉は閉じられたままだった。

 それでも、アカツキへの気遣いが抑えきれなくなったアリスは、朝食を持って、アカツキの部屋の扉をノックする。


「アカツキくん?起きていますか?朝ごはんの用意ができたのですが……」


 アリスの声に少ししてから、今にも枯れてしまいそうな程、か細い声が帰ってくる。


「食欲がないんだ。ごめん……、今日は遠慮させてもらうよ」


 その魂の抜けたような声が、余計にアリスの不安を煽っていく。アカツキがこれ程までに落ち込む姿を見たことがないアリスは、我慢の限界が訪れ、扉に手を掛けようとする。

 しかし、まるでアリスのことが見えているかのようなタイミングで、部屋の中からアカツキの声が扉に空いた小さな隙間から通り抜けてくる。


「ごめんな……。もう少しだけ一人にしてくれ、そうしたら、いつもの俺に戻るから……」


 アカツキの声が震えている。扉は閉められ、その向こうなど見えるはずがないのに、アカツキの表情が容易に想像できてしまう。

 アリスは扉に掛けようとしていた手を止め、そこでそのままじっと開けるかどうか俊巡するように、奥歯を噛み締めていた。アカツキを案じるアリスの瞳にも、うっすらと涙の膜が張るが、一度瞼を閉じてその涙を瞳の奥へと押し戻した。今は私が泣いている場合ではないと…。


「わかりました。待っていますね。いつもの元気で優しいアカツキくんが帰ってくるのを……」


 そう残して、アリスはその扉の前を去った。

 そして、誰もいない扉の向こうに、アカツキはもう一度「ごめん……」と呟いた。




 結局その日の夜になっても、アカツキは部屋を出てこようとはしなかった。昨日の昼から、ずっと食事も取っていなければ、水分さえ取っていない。

 会議室にはアカツキとハリーを除いたものたちが顔を揃えていた。皆神妙な顔つきでアカツキをどうするかについて考えていた。そろそろ引きずってでも部屋から出すべきではないのか……。

 確かに、一日や二日の引き籠りなら、それほどまでに心配する必要はないだろう。だが、アカツキは国王なのだ。どんな理由があろうとも、国王が部屋に引き込もって、国民の不安を煽るなどということは許されない。

 しかし、アカツキもまだ子供だ。何でもかんでも素直に受け入れることはできないだろう。だから、穏便でアカツキの心を少しでも傷つけないように、あの部屋から出してやりたい。それは皆同じ気持ちなのだが、この場にそれだけの良案を出せるものは一人もいなかった。誰もが黙りこくり、考えてはみるものの、何の答えも出ないままでいた。

 そんな静寂に満たされる会議室に、これまで静寂を打ち破ることなどなかった声がこだました。


「私が行きます。私に……、行かせてください」


 誰もが自らの考えを出しあぐねている中アリスが、自らが行くと宣言した。何の案も出さなかった彼らに、アリスのその決意を拒む権利はない。誰もが息を飲み、アリスの顔を眺めたが、誰一人として彼女を止めようとする者はいなかった。何より、この中の誰が行くよりも、一番適任だと思った。

 そんな中で、違うことを考えていた者が一人……。


 またか……。また、誰かが前に進むのを見せつけられるのか……。もちろん、前に進むように促したのは、紛れもない自分自身だ。けれど、これ程までに皆の成長をマジマジと見せつけられると、何も変わることのできていない自分の自己嫌悪に押し潰されそうになる。アカツキも、アリスも、ロイズも、ガリアスも……。皆、過去を振り払って、この国で新たな道を進んでいる。過去の怨念に憑かれたまま、何も変わることができていないのは自分だけだ……。


「ええんとちゃうか。アリスちゃんなら、アカツキも大人しく出てきてくれるかもしれんし。残念ながら、僕やロイズはアカツキを余計に煽る可能性もあるし、ガリアスが説得できるとは思えんし……。あとはアリーナかアリスちゃんやけど、アリスちゃんの方がアカツキとは親しいしな。任せてええか?」


 ヨイヤミの問いかけに、アリスは無言で力強く頷く。もう、決意は固まっている。何があっても、アカツキを立ち直らせる決意が……。ヨイヤミのお墨付きまで貰うことができたのだ。もう、何も迷うことはない。もしかしたら、傷つけてしまうことがあるかもしれない。無理矢理に扉をこじ開けて嫌われてしまうかもしれない。それでも、このまま放っておくことはできない。

 アリスは覚悟を決めて会議室を後にする。その後ろを付いていく者は誰もいない。アリスの孤独な戦いが始まる。


 アカツキの部屋の前に辿り着いたアリスは、覚悟を決めるように、一度扉の前で立ち止まって息を飲む。その手を扉に掛け、力をいれる前に一度だけアカツキに呼び掛ける。


「入りますよ、アカツキくん。いいですね?」


 アリスにしては珍しく、高圧的な言葉で呼び掛ける。今は立場がどうなどと言っている場合ではない。


「嫌だ……」


 まるで子供の我が儘のように吐き捨てられたその言葉は、しかし、簡単に空気に溶けてしまいそうな程か細く消え入りそうなものだった。

 こんなアカツキをこれ以上は見ていられない。


「すみません。入ります」


 アリスは力強い意志の込もった声と共に力強く扉を開け放つ。

 アリスが扉を開け放った先にいたのは、布団にくるまったままベッドの上に座り込むアカツキだった。その表情は、どうしたら一日でこれ程までになるのかわからないほど窶れており、目許には大きな隈が居座っている。一瞬本当に本人かどうかさえ疑ってしまう程、アカツキの姿は変わり果てていた。

 そんなアカツキの姿に、アリスの覚悟が揺らぎそうになる。アカツキの変貌が自らの心を責め立て、この場から逃げ出しそうになる。余りにも悲惨なアカツキのその姿に、アリスは悲しみのあまり涙が込み上げ一歩後退る。


「だから、入ってくるなっていったんだ。こんな姿、誰にも見せたくなかった。特にアリスには……」


 アリスが今まで見てきたのは、どんなことがあっても前を向き、何があっても心が折れることなく立ち向かう、そんな強さを持ったアカツキだけだった。

 これ程までに打ち砕かれたアカツキを見たのは初めてだし、正直見ていられない。それでも、今は逃げ出す訳にはいかない。後ずさったのは一歩だけ、アリスは心を奮い立たせて、その足を止める。


「いえ、これ以上アカツキくんのことを放っておく訳にはいきません。アカツキくんの迷いは、この国皆の迷いです。これ以上一人で悩まないで下さい」


 そんなアリスの言葉に、アカツキは視線だけをアリスの方に向ける。


「無理だよ……。これは俺だけの罪だ。俺が一人で背負って、俺が一人で償わなければやらない罪だ。誰にも押し付けることはできない」


 アカツキの声が、一々アリスの心を刺激する。こんな力のないアカツキの声を、もうこれ以上聞きたくない。アカツキの声を聞く度にアリスの心に針が刺さったような痛みが走る。


「そんなことはありません。誰だって、一度や二度の過ちはあります。それでも、皆力強く生きているじゃないですか。ロイズさんも、ガリアスさんも、過去に多くの人々を殺してしまった。それでも、その罪を忘れるでもなく、捨てるでもなく、しっかりと背負って、力強く今を生きているじゃないですか」


 ガリアスやロイズだってアカツキと同じ境遇に立っているのにも関わらず、それでも罪を受け入れ、背負い、この国のために戦っている。戦っていない自分が口出しできることじゃないのかもしれない。それでもアカツキにならできると信じている。


「そうだ。あの二人はちゃんと受け入れている。なのに、俺はその罪を忘れようと……、いや、忘れていたんだ。そんな俺が許されていい訳がないんだ」


 アリスは初めてアカツキに対して、いや、他人に対して苛立ちというものを覚える。普段自信に溢れている人間が壁にぶち当たったときは、余計に面倒くさくなる。アリスの心の中のイライラが着々と増し、寸でのところで立ち止まる。


「なら、これから忘れないようにすればいいじゃないですか。一国の軍の方々なら、死ぬ覚悟位はできていたはずです。だから……」


 そんなアリスの説得を遮るように、アカツキは言葉を挟む。


「覚悟ができているからって、殺していい理由にはならない。あれは戦争でも何でもない、ただの蹂躙だ。虐殺だ。そんなの、人がやっていいことじゃない」


 アカツキがレジスタンスのやり方を見て、凄まじい嫌悪感に苛まれた、強者の一方的な蹂躙や虐殺。自らがそれを行ったということが、アカツキの心をこれ程までに痛め付けている。

 言い訳を並べたてるアカツキに、寸でのところで立ち止まっていたアリスの苛立ちが限界を振り切った。

 一歩、また一歩とアカツキの元に近づいていく。アカツキは俯き、アリスから視線を外す。アカツキの目の前で立ち止まったアリスは、そこで黙ったまま立ち止まり、一瞬の間を空けた。

 そして次の瞬間、アカツキの頬をアリスの掌が凄まじい速度で駆け抜けた。

アカツキは何が起こったのか直ぐに理解できないまま、熱と痛みを帯びる頬を抑えながらアリスの方を向く。

 アリスの瞳には溢れんばかりの涙が溢れていた。肩は小刻みに震え、拳は力強く握り締められ、唇は堅く引き結ばれている。そんなアリスの表情を見た瞬間、アカツキの頬の痛みがさらに増していく。


「いつまで、そうやってウジウジしているつもりですか?そうやってしていれば、あなたが殺してしまった人たちが生き返るんですか?そうやってしていれば、あなたの罪は消えるんですか?」


 アリスがこれまで聞いたことのないような声音で、捲し立てていく。そんな、見たことのないアリスの姿に呆気に取られて、アカツキは頬を抑えて呆けたままアリスを眺めている。


「そうじゃないでしょ。あなたが殺してしまった人は、もう生き返らない。あなたが犯してしまった罪はもう消えない。なら、それを今更嘆いたところで、何も変わらないでしょ。それを受け入れて、先に進まなきゃ……、これからずっとそうしているつもりですか……」


 アリスが膝から崩れ落ち、すがり付くようにアカツキの包まっている布団を握りしめる。アリスの声音は尻すぼみになっていき、絞り出すようなか細いものとなっていく。それでも、アリスの言葉は、一言、一言がアカツキの心の中に響き渡る。


「しっかりしてくださいよ……。アカツキくんはこの国の、私たちの王様なんですから……。私たちの……、いや、私の憧れで、大切な存在なんですから。もう、これ以上私を苦しめないで下さい」


 無意識なのか、それとも意図的なのか、アリスは敢えて、この国でなく自分自身の苦しみだと言った。アカツキの苦しみは自分苦しみだと、アリスはそう告げた。

 これは自分の罪で、誰にも押し付けてはいけないものだと思っていた。しかし、自分が苦しむ姿を見て、苦しんでくれる人がいる。苦しみを分かち合おうと言ってくれる人がいる。

 アリスの言う通り、この罪は決して償うことはできない。生き残った者ができるのは、死んでいった者たちに笑われないように、胸を張って生きていくこと。


「そうだよな……。いつまでも、こうしている訳にはいかないよな……」


 アカツキは泣きすがるアリスの頭にそっと手を置く。それを受けて、アリスの顔がゆっくりとアカツキに向けられる。アカツキを覗き込む瞳は真っ赤に晴れ上がり、しかし、何か希望を見つけたように大きく見開かれる。

 結局、何か理由が欲しかったのだ。罪は一生消えることはないし、許されることはない。だから、それを乗り越えるための理由を、誰かのためにその罪を受け入れて前に進んでいいという動機を、アカツキは求めていたのだ。誰かが自分が戦うことを、前に進むことを求めてくれるのを待っていた。それは、とても傲慢で自分勝手な願いだった。

 それでも、そんな傲慢な願いを叶えてくれる、心優しい仲間たちがいる。そんな我が儘を押し付けられる、気の許せる仲間がいる。


「ありがとうな、アリス……。それと、心配掛けてごめん」


 アカツキはアリスの頭の上に置いた手を、ゆっくりと左右に動かす。滑らかで、綺麗に整えられたアリスの髪を優しく撫でていく。アリスの表情が綻び、小さな笑みが漏れる。

 そんなアリスの頭に、一筋の熱を帯びた雫が滴り落ちる。

 アリスは何事かと思い、アカツキに視線を巡らせると、アカツキの瞳から一粒、また一粒と涙がこぼれ落ちる。


「もう、いつもの俺に戻るから……。だから、今だけは……」


 アリスは自らの頭の上に乗せられた手を、ゆっくりと退かして立ち上がると、そのまま小さく震えるアカツキを抱き寄せる。その瞬間、塞き止めていた思いが溢れだし、アカツキの中の感情と涙が止めどなく溢れてくる。


「今は、何も気にせず、存分に泣いてください」


 アリスの胸にすがり付き、まるで母親に甘えるように泣きじゃくる。

 アカツキもまだまだ子供なのだ。若くして国王になり、急いで成長しようと、自分の心を圧し殺して、ひたすら前に向かって走り続けた。アカツキの心は我慢の限界を迎え、余裕が無くなっていたところに、奥底に眠る過去の記憶を無理矢理に引き出され、その結果、圧し殺していたものが瓦解し、心が不安定になってしまった…。

 だから、今はひたすらに、感情のまま泣かせてあげるのが、きっと何よりの癒しになるだろう。アリスは、泣きすがるアカツキの頭を優しく撫でていく。いつもの王と国民の関係ではなく、少しだけ年上のお姉さんとして、今のアリスがアカツキにやってあげられることはこれくらいしかない。

 それでも、今のアカツキにとって、これが何よりの救いであることは疑う余地もない。

 ようやく開け放たれたアカツキの部屋には、子供のように大声をあげて泣きじゃくる、アカツキの泣き声がこだましていた。


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