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The Story of Ark -王無き世界の王の物語-  作者: わにたろう
第八章 心を穿つ銃弾と雷
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感謝と怒りは紙一重

 そのあとの四人は結局同じ湯船に身体を浸からせて、身体を暖めた。アカツキとアリスは湯気によってお互いが確認できるかどうかの距離を保ちながら無言のままで、ロイズとヨイヤミも話はするものの口数は少なく、アカツキやアリスに話題を振っても全く返って来ないため、微妙な空気が立ち込めていた。温泉が浴場に注ぐ音だけが絶え間なくこの空間を満たしていた。

 こんなことが無ければ、もっと開放的に温泉を楽しむことができたのだろう。久しぶりにゆっくりと足を伸ばして入れると思っていたアカツキからすれば、完全に期待を裏切られた気分だった。足を伸ばすどころか、肩身を狭くしながら縮こまっている次第だ。これ以上何か問題を起こしたくないという一心から、アカツキは一切その場から動かなかった。

 やがて、ヨイヤミがロイズに何か耳打ちしたかと思うと、一斉に二人は立ち上がって湯船から出ていく。


「僕はのぼせてしまいそうやし、先に上がらせてもらうわ」


「私も、今日のところは一旦上がらせてもらう。二人は私たちのことなど気にせず、ゆっくりとお湯に浸かっていてくれ」


 そう言って、出ていく二人の背を制止しようと手を伸ばしたものの、二人の姿はすぐに湯気の中へと消えて行った。出るタイミングを失ったアカツキは、一旦湯船に腰を下ろす。


「なんだよ、急に……。二人して……」


 アリスもアカツキと同じように一度は立ち上がったものの、アカツキが出ないことを確認したところでゆっくりと再び腰を下ろす。それでも二人の間で言葉が交わされることはなかった。

 なんとなくアリスの様子が気になって視線を巡らせると、アリスもアカツキのことを見ていたのか、視線が交わった。湯気ではっきりとは見えないが、お互いの視線がぶつかったのは間違いない。アリスの顔は温泉の熱ですっかり上気し、ほのかなピンク色に染まっており、どこか艶めかしく感じる。そんなアリスの顔を見ていることができなくて、結局直ぐに視線を逸らしてしまう。

 少しの時間を二人きりで過ごしたものの、結局その微妙な距離は縮まることなく、アカツキとアリスは一言、二言交わしたところで浴場を後にした。別れる時もその距離は縮まらず、湯気に隠れたアリスの取り敢えず出ることを告げて浴場を出た。アカツキが出た後を、女子更衣室に向かって歩いていく気配があったので、アリスものぼせることなく出てくれたのだろう。

 ヨイヤミには言いたいことが山ほどあったので、部屋に戻ったら問い詰めてやる、と心に決めながら、この宿備え付けのローブのような一枚の布で造られた衣服に袖を通す。先程まで着ていた衣服は、雨のせいで濡れてしまったため乾かしている最中だ。

 着替え終わったアカツキが、どうやってヨイヤミを問い詰めてやろうかと考えながら部屋へと向かっていると、自分たちが泊まる部屋の扉の前に何やら違和感のある光景が広がっている。

 何故か部屋の扉の前に、アカツキの荷物が投げ捨てられるようにして置いてあるのだ。何が起こっているのか理解ができないアカツキは、自分の荷物が投げ捨てられているこの状況に、少し腹を立てながら扉を開こうとするが、扉が開かない。どうやら内側から鍵が掛けられているようだ。仕方なく扉をノックする。


「おい、ヨイヤミ。何で鍵締めて、俺の荷物を外に出してんだよ。早く、鍵開けろよ……」


 アカツキの少し怒気の含まれた言葉に答えたのは、その部屋からしないはずの声だった。


「こっちの部屋は私たちで使うことになった。今日のお前が寝るのは、アリスと一緒に隣の部屋だ。あまり騒ぎ立てると、周りのお客さんに迷惑になるからな……」


 こんなことを言えば、アカツキが騒ぎ立てるのは目に見えていたので、最初にその手段を奪っておく。アカツキもお忍びでこの国に来ているので、あまり騒ぎは起こしたくないという考えが心の片隅にある。それを無理矢理に引き出しておけば、これを聞いたアカツキが暴れることもあるまい。

 暴れることのできないアカツキが、扉の前で項垂れていると、少し遅れて着替え終わったアリスが、その場へと足を踏み入れた。そして、項垂れるアカツキに駆け寄り、事の顛末を聞かされたアリスは、そのまま顔を紅潮させて、時が止まったかのように固まってしまった。

 結局ヨイヤミたちの策略通り二人きりにさせられたアカツキたちは、仕方なく部屋へと入り、それぞれの布団に腰を降ろしたまま無言の時を過ごしていた。


 そりゃ、最近アリスとも気兼ねなく話せるようになったけど、二人きりの密室はなんかヤバイ……。何がヤバイって、わからないけど、とにかくヤバイ気がする……。


 アカツキは、気まずい空気にウズウズとしながら、何かを話さなければならないのだろうけど、何を話したらいいのかわからない、といった様子でたたずんでいる。

 アリスはアリスで俯いたまま、一向に頭をあげる気配がない。いっそのこと、そのまま眠ってくれれば、と思うほどにその状態のまま微動だにしない。

気まずい空気に押し潰されそうになったアカツキは、なんの着地点も考えないまま、とにかく頭に浮かんだ話題をアリスに投げ掛ける。


「アリスと一緒に他の国で泊まるのも久しぶりだね。出会ってすぐの時と、みんなで帝国に行った時くらいだもんな。あれから随分時間が経ったよな……」


 帝国のときは男女別々の部屋で泊まっていたので、アリスと同じ部屋に泊まるのは、実質出会ったとき振りになる。今日も、一緒の部屋に止まる予定はなかった訳だが……。


「そうですね。なんか懐かしいです。あのときは全然喋れなくて、ずっと黙ったまま、アカツキ君たちの話を聞いていた気がします。あの時の私が今の私を見たら、きっと驚くでしょうね……。むしろ、何そんなに馴れ馴れしくしているんだって、怒られるかもしれません」


 アリスはフフっと口許を綻ばせて小さく微笑んでみせる。あの時のアリスは、まだ奴隷から解放されたばかりで、急に与えられた環境に馴染めていなかった。奴隷という過去の亡霊に縛られたまま、自らの心を閉ざし、殻の中に引きこもってしまっていた。


「でも、本当に良かったよ。あの時は、あのままずっと、あんな感じで過ごしていかないといけないかと思っていたから……」


 アリスの微笑みに答えるように、アカツキも微笑みかける。アリスの言う通り、あの時の二人からは考えられないほど、二人の距離は縮まった。確かに、お互いの身分には大きな差があったのかもしれない。それでも、所詮は同じ人間なのだ。お互いが近付きたいと思っているもの同士なら、それが障壁になってはならない。


「私が今こうやって日々を過ごせているのは、みなさんのお陰です。ヨイヤミ君やロイズさんは、今日みたいに悪戯ばかりしていますが、その本質は何時だって私たちを思ってのこと……」


「そんなのはわかってるよ。でもさ、急にこんなことされても困るって言うか……」


「まあ、それはそうですね……。でも、そうやって言いながらも、結局いつも二人きりになった私をちゃんと面倒見てくださるのがアカツキ君です。それがわかっているから、二人はいつもこんな方法を取られるんですよ」


 さすがに女の子と二人きりにさせられて、放って置くなんてことができるほど、アカツキの心は図太くない。そんなアカツキの心も、きっと二人には見透かされているのだろう。

 それでも、いつも最後は感謝している自分がいる。ヨイヤミやロイズの思う壺になっているようで素直には喜べないが、アリスと今の関係があるのも、彼らのお陰であるのは言うまでもない。


「二人には感謝しなきゃです」


 アリスが腕を曲げて両の手を胸の前でギュッと握り、可愛い気のあるポーズを取る。そんなアリスの姿に、アカツキは微笑を漏らし、眉の端を下ろす。


「まあ、全然素直には感謝できないけど……。それでも、ちゃんと二人には感謝してるよ。こんな日々がずっと続けば良いのにって、本気で思ってる」


 アカツキの言葉にアリスが少しだけ表情を歪めて小さく頷く。


「そうですね……。それが叶えば、どれだけ幸せなんでしょう……」


 アカツキもアリスも同じように表情を曇らせる。二人の間に一瞬だけ、沈黙の間が生まれる。次に発せられたアカツキの声音は先程と同じように聞こえるが、何処か隠しきれない緊張感が顔を覗かせている。


「だけど、今は立ち止まる訳にはいかない。目の前の幸せに目が眩んで、本当の幸せを見失う訳にはいかないんだ。それに、俺たちはもう戻れないところまで踏み込んでしまった。後は前に進むしか道は残されてないんだ」


 イシュメルを倒した時点で、アカツキたちの退路は完全に断たれてしまった。残された道はただ一つ。グランパニアとの全面戦争。

 アリスも、もうそうなることが近づいているのを理解している。だからこそ、残された時間が永遠に続くことを望むのだろう。最初からこうなることはわかっていた。それでも、幸せな時に終わりが見えてくれば、誰だってその時間が永遠に続くことを望む。


「そうですね。でも私には、何もすることができません。ただ皆様のお帰りを祈ることくらいしかできません」


 アリスが表情を俯かせる。戦いの話になるとアリスがいつも見せる、寂しげで自らを蔑むような暗い表情。そんなアリスの表情が見ていられなくて、アカツキは咄嗟に身を乗り出して、彼女の言葉を否定する。


「違う。違うだろ……。アリスには、アリスの役割があるだけだ。そうやって自分を卑下するのは、そろそろ止めにしろよ」


 身を乗り出した勢いで、二人の顔が急接近する。アリスがその小さな唇から「あっ」と小さな声を漏らす。お互いの吐息が当たりそうな程近づいたお互いの顔は、頬がほんのりと赤みを増し、お互いの瞳に吸い込まれるように見つめ合う。誰も邪魔することのない二人きりの空間に背中を押されるようにして、そのまま唇と唇が触れ合いそうになる。


「ドンッ」


 突然響き渡る壁を叩く音に、二人は肩を飛び上がらせて、一気に距離を取る。二人とも、驚きのあまりに上がってしまった息を整えるように、お互いに反対側の壁に体重を預けて、座り込んでいた。


 今、俺何しようとしてた……。いや、そりゃ良い雰囲気ではあったけど……。アリスとはそういう関係じゃなくて、アリスはあくまで仲間であって、そういうことじゃなくて……。


 アカツキの頭の中は言い訳の嵐が巻き起こり、先程の自分の感情を必死で押さえ付けて偽る。それはどうやらアリスも同じようで、アカツキと合わせられなくなった視線をあらゆる場所に迷わせ、あからさまな動揺をみせる。


 今、私は、アカツキ君と、キ、キ、キ、キスを……。ち、違う、違う……。今のは、ただ顔と顔が近づいただけで、疚しい気持ちはこれっぽっちもなくて……。


 それからちょっとの間を空けて、お互いに落ち着きを取り戻すと、まるで以心伝心しているかのように同じタイミングで深呼吸をして、同じタイミングで視線を相手に向ける。


「遅くなってきたし、そろそろ寝ようか……」


「そうですね。寝ましょう……」


 二人とも何かを取り繕うように、無理矢理貼り付けられたような笑みを浮かべながら、布団の中に身体を埋める。


「それじゃあ、おやすみ」


「はい、おやすみなさい」


 それを合図に、部屋の灯りは消え、暗闇が部屋を満たす。暗闇がアリスの顔を隠してくれたため、アカツキは安堵の溜め息を漏らす。それでも、今のですっかり目が冴えてしまったアカツキはすぐに眠ることはできずに、暗闇の中にうっすらと浮かび上がる天井を眺める。


 それにしても、さっきの音なんだったんだろう?


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