曖昧な勝利
二人の後姿を見送ったヨイヤミはロイズの元へとゆっくりと近寄る。そして、気を失ったままのロイズの前で立ち止まると、優しげで、しかし悔いるような声音で呟くように小さな声で告げた。
「ごめんな……、無茶させて。でも、生きとってくれて本当に良かった。ありがとうな、ロイズ……」
そして、少し距離のあるところで横たわる亡骸を一瞥する。赤く染まった亡骸は、視線を向けたところで何の反応も示さない。
「お前に直接恨みがある訳やない……。復讐なんて意味はない……。それでも正直、少しだけ肩の荷が下りた気がする。過去にこだわる気はないけど、それでもこれで、少しは彼女に恩返しできたはずや」
その言葉を言い終えたヨイヤミは、彼の亡骸に背を向ける。そして、自分と同じくらいの身長のあるロイズを軽々と持ち上げて背中に担ぐ。資質持ちの力があれば、鎧を纏った一人の人間を背負うことなど造作もないことだ。
少し歩いたところで、ロイズが小さな呻き声を上げながら目を覚ます。それに気付いたヨイヤミは歩みを止めることも、後ろを振り向くこともなくロイズに声を掛ける。
「起きたか?疲れとるんやから、もっとゆっくり寝とってもええんやで」
目を覚ましたばかりのロイズは、今の自分の状況をはっきりと認識していなかったのか、呆けた顔で辺りを見回していたが、やがて自分が置かれた状況を理解しヨイヤミの背中で暴れはじめる。
「ちょ、ちょっと待て、お、お、お前何をしているんだ。は、早く下ろさないか……」
「ああ、もう暴れんなよ。大人しくしとり。……というか、最近のロイズって少しキャラがブレ始めとるよな……」
「な、何の話だ……。お前が急に私をおぶったりなんかするから、その……」
あからさまに動揺して、頬を真っ赤に染めながらロイズはヨイヤミに言い訳をする。そんなロイズの様子を見たヨイヤミは苦笑を漏らしながらロイズに告げる。
「覚醒したんやな……。ロイズの皆を護りたいって気持ちがどれだけ強かったか……、その事実だけで十分わかるわ。ありがとうな、皆の国を護ってくれて」
急に掛けられた優しい言葉に、ロイズは毒気を抜かれたように大人しくなると、ヨイヤミの背中から降りるのを諦めて、ヨイヤミに身を寄せる。
「多くの敵を殺した。それに、戦いとは関係ない者を巻き込んで殺してしまった。私はどう謝罪しても許されないことをした。もう、お前たちに合わせる顔が無い」
不意にロイズの声が震える。その表情を見なくても、彼女がどんな顔をしているのかは手に取るようにわかる。だからこそ、ヨイヤミはロイズに視線を向けるような真似はしない。
「彼らにどうやって謝罪すればいいんだ?どうやって詫びればいいんだ?私はこの国の軍の隊長失格だ。追いつめられて、焦って、怯えて……、もっといい方法だってあったはずなのに……」
ロイズの額がヨイヤミの肩に乗せられる。やがて、ロイズの溢れんばかりの涙によって、ヨイヤミは肩に湿り気が帯びるのを感じ始める。彼女の後悔と自責の念は、それでもなお紡がれる。
「彼らにだって、今では家族もいたはずだ。これから子供が生まれてくる者だっていたはずだ。そんなことわかっていたのに……。私はこの国を護ろうとなどしていなかった。結局身近な者たちだけのことしか考えていなかったんだ……。アリスやアリーナやお前たちのことしか考えていなかったんだ……」
ロイズがどうしても拭うことのできなかった引け目はそこだった。他の兵たちはどれだけ傷つこうが放って置いたにもかかわらず、アリーナが危機に曝されたとき、ロイズはアリーナの制止を押し切ってまで、アリスの元へと向かわせた。そんな自分勝手な自分が許せなかったのだ。
「それでええんちゃうか……」
これまで聞くことに徹していたヨイヤミが不意にそう告げる。その言葉に、ロイズはまるで驚いたように「えっ……」と声を漏らすと、ヨイヤミがその言葉の続きを紡いでいく。
「国なんて大きなものを護ろうとしたって、そんなものは手の中に収まりきらんと破綻してまう。それなら、大切な誰かを護るために戦った方がええ。それで犠牲が出たとしても、その大切な者を護れたらそれでええんやと、折り合いをつけなあかん……。確かに人の上に立つ者として、そうやって誰かを贔屓するのは間違っとるのかもしれん。でも、どれだけ力を持っとる奴だろうと、全てを護れる訳やない。結局護れるのは、目の前の人間だけなんや。だから、それ以上自分を責めるな」
ヨイヤミの語調はまるで叱りつけるように強く、しかしロイズを思いやるような優しさに溢れている。
ロイズはその言葉を無言のまま噛みしめるように聞いていた。自分が許されないことをしたのはわかっている。それでも、今はこの優しい言葉に、身を預けていたかった。
「なあ、泣いてもいいか?」
「泣くのに、僕の許しが必要なんか?」
「お前が、キャラがブレ始めているなどと言うから、気にしているんじゃないか……」
「誰だって泣きたいときはある。好きなだけ泣けばええ。心配いらん……。誰にも言ったりせんから」
その瞬間、せき止めていたダムが崩壊するかのように声を上げて、ロイズは泣き始めた。
恐怖、後悔、自責、安堵、様々な感情がその涙と共に溢れ出し、ロイズの心を締め付ける。
しかし、今感じているヨイヤミの背中の熱が、少しずつその結び目を解いていく。
すぐには全ての結び目がほどけることはないだろう……。だが、これから時間を掛けて解いていけばいい。今はただ、心の赴くままに泣けばいい。ヨイヤミは優しげな微笑みを浮かべながら、アカツキたちの元へとゆっくりと歩いていく。
途中の悲惨な光景は、一旦見ない振りをして通り過ぎて、アカツキたちは幹部棟へと足を運んでいた。
「国王様……。戦いはどうなったのですか?」
アカツキたちの存在を認識した瞬間、幹部棟の周りを固めていた兵士たちが、次々とアカツキたちの元へと群がってきて、皆同じような質問を重ねる。
「戦争は終わった。とりあえずは俺たちの勝利だ。だが、こちらも只ならない犠牲をこうむった。それも、俺たちの危機管理不足だ。皆には済まないと思っている」
その言葉を聞いた兵たちは次々に、背負っていた重荷を下ろすかのように、武器を手から離し、そのまま地面に倒れるようにして腰を下ろした。
「謝罪は後でいくらでもする。だから、今はゆっくりと休んでくれ。何かあったら、とりあえずガリアスを頼ってくれ。俺は地下にいる者たちに、身の安全を告げてくる」
そう言って、アカツキは幹部棟の中へと姿を消していく。
幹部棟の地下へと降り立ったアカツキを真っ先に向かえたのはアリスだった。敵が入ってきたと思ったのか、アカツキの視界に入ったアリスの姿は、両手を前にかざしていつでも魔法を放つことが出来る体勢を取っていた。
しかし入ってきたのがアカツキだと気が付いて安心したのか、ブワッと瞳に涙を浮かべて、アカツキの胸へと飛び込んだ。何も言うことはなく、ただひたすらにアカツキの胸の中で大声を上げて泣き続けた。
奥からアリーナがボロボロになった身体を引きずってアカツキの元へと歩み寄る。アリスの治療はまだ完遂しておらず、一命を取り留めたアリーナは、これから多くの者を治療しなければならないアリスを案じて、治療を途中で止めさせたのだ。
「アカツキ君、おかえりなさい。あなたがここに来たということは、戦争は終わったんですね。あの、隊長は……、ロイズさんは無事なんですか?」
アカツキに答えを急かすように懇願してくるアリーナに向けて、微笑みを浮かべながら彼女の安否を告げる。
「大丈夫だ。ロイズも必死に頑張ってくれたみたいで、ボロボロになっていたけど、命に別状はないよ。今、ヨイヤミがこっちに運んできているところだと思う。アリーナも、そんなにボロボロになるまで戦ってくれてありがとうな」
ロイズの無事を聞かされたアリーナは、腰が抜けたように地面に座り込み、身体の生気を抜くかのような大きな溜め息を吐いた。そして、瞳いっぱいの涙を浮かべて心の底からの言葉を吐露する。
「よかった……。本当によかった……」
その間もアリスは、アカツキの胸にしがみついたまま微動だにしない。アカツキはそんなアリスを無理矢理引き剥がす気にもなれず、その格好のまま地下にいた皆に告げる。
「もうこの薄暗い地下にいる必要はない。外に出ても大丈夫だ。だが、一つだけ皆に伝えなければならないことがある。今回の戦争で、全ての命を護ることはできなかった。生き残った者もいれば、命を落としたものもいる。外に出れば、その悲惨な光景を目の当たりにせざるを得ないと思う。これは、俺たちの力不足の責任だ。本当に申し訳ない……」
アカツキは国民たちに向けて頭を下げる。アカツキとしては、土下座しても許されることではないと思っていたものの、今の自分の胸にはアリスがいたため、頭を下げることしかできなかった。
ここにいるのは皆、女性や子供たちだ。この中には、夫や父親がこの戦争で命を落としてしまった者も少なからずいるだろう。大切な人を失った気持ちは、アカツキにはとてもよくわかる。
「今から上に上がるときに、それなりの覚悟を持って上がって欲しい。そして、そこにもし望まぬ結末が待っていたとしても、すぐにとは言わない……、その現実を受け入れて、強く生きて欲しい。悔しいが、俺が皆にできることは、こんなことを言うことくらいしかない……」
アカツキは頭を下げたまま、肩を震わせながら国民たちに謝罪を告げる。
そんなアカツキに、先頭にいた恰幅の良い女性が、立ち上がって笑みを漏らしながら告げる。その笑みが、無理矢理に貼り付けられたものだということは、誰が見ても明らかだった。
「頭を上げてください、国王様。私たちは既に一度は自らの命を捨てている者たちばかりです。奴隷になった時に、自らの命は捨てたも同然でした。そんな中、国王様が私たちを助けてくれた。そんな国王様を、私たちがどうして責められましょうか。確かに、辛い現実を突きつけられれば落ち込み、立ち直れなくもなるかもしれません……。それでも、必ず強く生きて見せます。国王様にもらったこの命、容易く捨てる訳にはいきませんから」
座り込んでいた国民たちが一人、また一人と立ち上がり、そんな国民たちを仰ぎ見るアカツキに対して力強く頷く。
そして一人ずつ頭を下げながらアカツキの横を通り過ぎて、外へと通ずる階段を上がっていく。彼女たちはこれから、受け入れがたい現実を受け止めなければならない。それでもその足取りは力強く、未来へと通ずる光に向かってしっかりと踏み締めていくのだった。
地下から全ての国民が外へと出終え、残るはアカツキとアリーナとアリスだけとなった。アリスは未だに無言でアカツキの胸に身を寄せたままである。やがて、アリーナが階段へと向かって歩き始める。
「私は隊長のところに行ってきます。言ってやらないと気が済まないことがたくさんあるので……。アカツキ君、これ以上アリスちゃんを泣かせたら、許しませんからね」
去り際にそう残しながら、木の軋む音を立てながらゆっくりと階段を上がっていく。その音が消えると、二人の間に静寂が訪れる。
「アリス、恐い思いさせてごめんな……」
何と言って良いのかわからなかったアカツキは、ひとまず謝罪の言葉を告げる。
「恐かったです……。本当に恐かった……。もう、アカツキ君と会えなくなるんじゃないかと思ったら、恐くて震えが止まらなくて……。でも、皆を護れるのは私だけだから、我慢しなくちゃいけなくて……」
アリスの言葉に、いつもの違和感のある敬語が消えている。まるで友達のように、いや、一人の男としてアカツキを見ているかのように、砕けた話し方になっていた。
「死んでしまうことよりも、アカツキ君と会えなくなることの方がよっぽど恐かった……。もう一度、アカツキ君に会えて、本当によかった。今はそれだけで十分。だから、もう少し、このままでいさせて……」
アカツキは無言のままで、自らの胸に身を寄せるアリスの髪にゆっくりと指を通すように頭を撫でる。
今はお互いに、この温もりを感じられるだけで十分だった。言葉はそれ以上必要なかった。
お互いの心臓の鼓動を、お互いの小さな吐息を、お互いの体温を共有することで、生きていることを実感する。二人はそれから身体を寄せ合いながら、薄暗い地下で短くない時を過ごした。