残り香に包まれて
グランパニアに戻ってからは無事に戦争終えたアカツキたちを祝して、宴が始まっていた。
国民全員を呼び寄せ、広場で様々な人たちが料理や酒を持ち合い、とにかく騒いだ。森の中に楽器の音や、人の笑い声がこだまする。初めての戦争での勝利ということもあり、至るところから歓喜の声が上がっている。
「アカツキ君、どうぞ」
アリスがアカツキの目の前に置いてある木でできたジョッキに、飲み物を注ぐ。深い紫紺の液体がジョッキに並々注がれる。液体からは芳醇な香りが漂ってきて、興味をそそられる。もちろん、アカツキはこれまでに酒というものを飲んだことはない。
目の前のそれに恐る恐る口を付けながら、ゆっくりと舐めるようにその液体を口の中に注ぎ、そして吹き出した。
「うえっ、なんだこれ……。渋すぎ、全然美味しくない。ちょっとヨイヤミそこの料理取ってくれよ。口直しさせてくれ」
ヨイヤミに酒の口直し用の料理を頼むアカツキを見てロイズが笑う。
「やっぱりアカツキは子供だな。この酒の美味さが解らんとは。こう、一気にだな……」
ロイズは持っていたジョッキをあおる。「ぷはぁ」と一息つくと、途端にアリスに御代わりを頼む。
ロイズのその様子を見たガリアスが興味をそそられたように、ジョッキの中を覗きこむ。そんなガリアスの様子を見ていたロイズは、ガリアスに酒を飲むように促す。
「ガリアス、お前も一気にいけ。これは大人の醍醐味だぞ。ほら、一息にクイっと」
ロイズに唆されてガリアスがゆっくりとジョッキを持ち上げる。そしておもむろに立ち上がると、回りから「おおっ」と歓声があがる。
そして、ロイズの真似をするように一気に酒をあおる。ガリアスが飲み干すと、回りから拍手と歓声があがる。歓声をあげた国民たちは、また直ぐに三々五々に散り、それぞれで飲み始める。
今さらではあるが、この周辺にいるのはいつものメンバーである。ただ、珍しいことと言えば、アカツキとアリスが隣同士に座っていることだろうか。まあそれも、ヨイヤミが無理矢理にそういう座り順にしたのだが……。
しかし、アリスは料理を運んだり、皆の世話したりしているので、なかなかゆっくりと腰を下ろせていないのが現状である。
「おい、ヨイヤミも飲んでみろよ。お前、こういう大人っぽいの好きだろ」
アカツキが自分の飲みきれなかったジョッキを、何の気なしにヨイヤミに勧めると、ヨイヤミが気まずそうな顔でそれを覗きこむ。
「酒か……。おっ、アリスちゃんどうや、そろそろ机の上も料理で一杯やし、アリスちゃんも一緒に楽しもうや」
ヨイヤミはアリスに、アカツキの隣の席に座るよう促しながら、一瞬で自分から話題を反らす。
アリスは恐縮そうに、頭を何度か下げながら「失礼します」とアカツキの隣に座った。改めてこうやって隣に座ると、何となく恥ずかしくなって、何を話せば良いかわからなくなる。
アカツキは何か話さねばと、とりあえず目についた、先程ヨイヤミにやんわりと断られた酒をアリスに勧めてみる。
「どう、アリスも飲んでみる?」
アカツキはアリスの方にジョッキを差し出すと、アリスはそっとそれを受け取る。よくよく考えたら、アカツキの誘いをアリスが断る訳もなく、アリスもゆっくりとそれに口をつけて飲む。
アリスが酒を飲んでいるのを見てロイズが楽しそうに話しかけてくる。
「おお、アリスもいける口か。良いぞ、もっと飲め」
ロイズが楽しそうにアリスに話しかけていると、背後から大きな樽をガリアスが持ってきた。それを見たロイズはジョッキを手に急に盛り上がりを見せる。
「来たな。さあ、飲むぞー」
いつものロイズからは予想もできないはしゃぎようにアカツキが気圧されていると、アリスが隣でボソッと「おいしい」とつぶやいた。
これが美味しいんだ……。とアカツキが少し驚いた表情をしていると、その表情が急に困惑したものに変わった。
アリスがどうしたのだろうと、不思議に思い首を軽く傾げていると、アカツキが少し俯きながらジョッキを指差して、少し震えた声でその理由を述べた。
「それ、俺が飲んだやつだよな……」
アリスが指差されたジョッキを眺めながら、
「それは、アカツキ君から頂いたものですし……」
とアカツキが云わんとすることを考える。じっくりと数秒硬直した後、アリスの顔がみるみる紅くなっていく。アリスは恥ずかしさを隠すように、ジョッキに残っていた酒を一気に飲み干す。
「アカツキ君、御代わりをいただいてもよろしいでしょうか」
酒を飲んだ勢いのまま、いつものアリスでは考えられない語調の強さでアカツキに御代わりを頼む。そもそも、アカツキに御代わりを頼む時点で普段のアリスでは考えられない。
そんないつもと違うアリスに少し気圧されながら、アカツキは「う、うん……」と返事をすると、ガリアスが先程取りに行った樽の中の酒を汲みにいった。
そこでは、ロイズとガリアスが飲み比べを始めていた。
「よし、ガリアス。どっちが先に酔いつぶれるか、勝負だ」
「わかりました、ロイズ殿。勝負といったら、負けるわけには参りません」
そういいながら二人はジョッキを打ち合わせて乾杯すると、一気に酒を飲み干し、樽から酒を汲みまた打ち合わせる。
アカツキがその様子を見ながら軽く呆れて「すごいな……」と呟いていると、ロイズの視線がこちらへと向く。
「お、なんだ。アカツキもやるか?」
ロイズに誘われて、アカツキは勢いよく首を軽く横に降る。あんな混沌な場所に自分が混じれる訳がない……。アカツキは、ロイズとガリアスが汲み終えたのを確認して、その横からすっと酒を掬う。
それを持ってアリスの元へ向かうと、アリスが異様に顔を紅潮させて待っていた。それが先程の恥ずかしさから来るものなのか、酔いから来るものなのかは、アカツキにはわからなかった。 ただ少し頭がフラフラと揺れており、焦点が合っていない虚ろな目をしていた。
「ど、どうぞ……」
アカツキは横からアリスの元へそっとジョッキを滑らせると、それを受け取ったアリスはこれまた一気に酒を飲み干した。顔が更に紅潮し、そのまま沸騰して噴き出しそうな勢いだ。
ジョッキを勢いよく机に置くと、ドンっという大きな音を立てて机が揺れる。
「アカツキ君っ」
「はひっ」
急に名前を呼ばれたことに驚いて、アカツキは思わず噛んでしまった。
「この際だからはっきり言わせてもらいます。あなたは私の事をどう思ってるんですか?」
はいいいいいいいいいいい……????
アカツキは頭の中で絶叫の嵐が吹き荒れていた。アカツキはアリスの尋問するような勢いの質問に、心の中でただただ声にならない絶叫をあげることしかできなかった。
「そ、それは……。俺の大事な国民で、大事な仲間で、大事な友達というか……」
アカツキがはっきりとしない口調で答えると、アリスが再び勢いよくジョッキをアカツキの前に叩きつけるように置いた。
「ひっ」
普段のアリスからは考えられないその態度に、アカツキは小さな悲鳴をあげる。そして、睨み付けるような冷たい視線がアカツキに向けられる。
「ああもうっ。そういうこと聞いてんじゃないんですよ。私のこと好きですか?嫌いですか?」
この娘は急に何を言い出すんですか……?
アカツキは周囲に助けを求めようと、辺りを見回す。ガリアスとロイズは未だ勢いが衰えることなく、飲み続けている。ヨイヤミは先程からどこかへ行ってしまったようで見当たらない。アリーナは国の子供たちに、「先生遊ぼっ」といって連れてかれてしまった。ハリーはといえば、アカツキたちの向かい側の席でぐったりと就寝している。
それにしてもハリーお酒弱すぎ……。
つまり、アカツキの回りには現在アリスしかおらず、だれにも救いを求めることはできなかったのだ。
アカツキが周囲に助けを求めようとしていると、アリスがもう一度ジョッキを机に叩きつける。その音に驚いて、周囲に視線を向けていたアカツキがすぐさまアリスに視線を戻す。
するとアリスは顎でロイズたちが囲んでいる樽を指し示す。おそらく、御代わりを要求しているのだろう。だが、アリスが酔って豹変しているのは言うまでもない。
アカツキはそろそろ止めといたら、という意味でアリスを一瞥すると、もう一度顎で向こう側を示す。
アカツキは肩を項垂れて、心の中で『わかりましたよ……』と溜め息を吐くと、渋々ロイズたちの元へと向かう。
ロイズたちは未だに飲み比べを続けており、最早完全に自分達の世界に入り込んでいるため、アカツキには一切の反応を示さない。
アカツキが酒を持って戻ってくると、アリスは頭をふらふらさせながら、ニヤリと笑みを浮かべて待っていた。
アカツキはアリスに出会ってから初めて、アリスの事を怖いと思っていた。アカツキが席に戻りジョッキを隣に置くと、アリスがまた話始める。
「で、そろそろ答えてくださいよ。なんか、うやむやにして、答えないでおこうとしてませんか。甘いですよ」
なんかもう、説教みたいになっていた……。というか、酔った人間を相手にしたことがないアカツキにとって、今のアリスは恐怖の対象でしかなかった。
「大体ですね、アカツキ君は戦うことに関しては、あんなに自信持っていらっしゃるのに、こと女性のことに関しては、臆病というか、鈍感というか……。戦争の方がよっぽど大変なことじゃないですか。なのに、何でそういうところで、いつもみたいに自分に自信を持てないんですか。それともなんですか、私のこと嫌いですか?」
そう言い終えたアリスはまたも一気に飲み干し、真っ赤に染まった顔で虚ろな目をこちらへと向けてくる。ジッとアリスに見つめられて、アカツキは困惑したように俯く。
アカツキも必死で一言を絞りだそうと、弱気な自分と葛藤していた。そして、少しの間俯いたままで固まっていたアカツキが、ゆっくりと重い口を開いた。
「おれは、アリスのこと……」
アカツキが言葉の途中で勢いよく顔をあげると、なんとアリスは机に突っ伏して眠っていた。
アカツキは口を開いたまま、今のこの決意をどこにぶつけようかと硬直していると、アリスが寝言のようにボソボソと言葉を発する。
「私だって……。私だって……」
アリスのその言葉を聞いてアカツキはゆっくりと口を閉じて、寝ているアリスを眺めた。おそらく、アリスは散々我慢してきたのだろう。
お互いの立場からいって、アリスからアカツキに積極的にアプローチすることは許されない。アカツキはこの国の王という立ち位置だし、アリスは元奴隷だ。アカツキがどれだけ気にしていなくとも、アリスは気にせずにはいられない。
アリスは自分の気持ちを隠しながら、ずっとアカツキの近くで世話をやいてくれていた。それくらいしか、彼女にできることはなかったから……。そして今日、酒を飲んで酔ったことで彼女の箍が外れて、抑えていたものをぶちまけようとしたのだろう。
「いずれは俺もアリスの気持ちにちゃんと答えてやらないといけないな……」
アカツキはアリスの真っ赤な横顔を見ながら小さく微笑み、決意を新たにする。
アカツキは眠ってしまったアリスをおぶって、まだまだ収まることのない人々の喧騒を抜けて、幹部棟へと戻っていった。
翌朝、前日の夜の全ての記憶を失っていたアリスは目を覚ますと、いつもとは違う風景が目に飛び込んできた。何がどうなっているのか理解できないアリスは、とりあえず体を起こした。まだ覚醒していない頭を何とか叩き起こして部屋を見渡す。
二、三度部屋中を見渡すと、この部屋にもう一人誰かがいることに気が付いた。アリスは眠気眼のまま、もう一人の焦点を合わせる。そして、そこに眠る人が誰なのかに気付いて、思考が完全に停止する。
そこにいたのはアカツキだ。しかも自分には昨日の記憶が一切ない。しかし単純に考えれば、一夜を同じ部屋で過ごしたことになる。
アリスは一気に覚醒し、頭をフル回転させるが、昨日のことはやはり一切思い出せない。アリスはそこで硬直してしまい、心身共にもやもやした気持ちを抱えたまま、同じ部屋で寝ているアカツキのことを眺めていた。
私、昨日何をしたの?私、なんでアカツキ君の部屋で寝てるの?昨日のこと、全然思い出せないし……。誰か昨日のこと、ちゃんと教えてえええええええ。
アリスは心の中で、そんな悲痛な叫びを上げていた。そして、立ち上がろうとしたその瞬間、自分の身体に異変が起こっていることに気が付いた。
なんだか頭がフラフラする。平衡感覚がおかしい。真っ直ぐ立つことができない。そして、無性に気持ち悪い……。アリスはとりあえず落ち着こうと、ベッドにもう一度腰を下ろすと、アカツキが目を覚ました。
「あ、おはよう、アリス。昨日は大分荒れていたみたいだけど、大丈夫?」
アカツキの質問にアリスは必死に答えを探すが、何も覚えていないためにそもそも弁解の余地がない。なのでとにかく謝ることに専念する。
「ごめんなさい、アカツキ君。私、昨日のこと全然覚えてなくて……。あの、私何か粗相をしませんでしたでしょうか?」
アリスが、とても申し訳なさげに尋ねると、アカツキはボソッとアリスには聞こえない声で呟く。
「覚えてないのか……。なら、昨日のは、無かったことにしておくか」
そんなアカツキを不審がって「どうかなさいました?」と尋ねるアリスに、アカツキは首を横に振って答えた。
「なんでもない。昨日はお酒飲んで寝ちゃったから、アリスの部屋に勝手に入るのも悪いと思って、俺の部屋に運ばせてもらったんだ。だから、アリスが気にすることは何もないよ」
アカツキのその言葉に、アリスは一安心する。しかし、まだ気持ち悪さは残っており、まだもう少し動け無さそうなので、アカツキに御願い事をする。
「あの、すみませんが……、もう少しだけ、ここで寝かせていただいても、よろしいでしょうか?どうもお酒が抜けてないみたいで、まだ頭が痛くて、気分が優れないんです」
そういうアリスに、アカツキはゆっくりと立ち上がりながら答える。
「うん、いいよ。お水取ってくるから、そこでゆっくり休んでいなよ」
そう言ってアカツキは水を取りに、部屋を後にした。アカツキが部屋を出て行ったのを確認すると、アリスはもう一度ベッドの中へと潜り込み、そして掛布団を顔の半分覆い隠すくらいのところまで上げる。
「アカツキ君の匂い……。アカツキ君がいつも寝ているベッド……」
そんなことを思いながら、アリスは幸せな気持ちのままもう一度夢の世界へと旅立つのだった。
ちなみに昨日ひたすら飲んでいたロイズとガリアスは、朝から平気な顔をしていつもの生活を送っていた。
その数日後、レイドールからルブルニアに三百人程度の奴隷たちが受け渡された。そして、いくらかの賠償金をもらうことができたため必要物資を買い揃えてから、ルブルニアへと帰国した。ルブルニア王国は人口も増え、さらなる繁栄の兆しが見え初めていた。
ルブルニア王国は、順調な一歩を踏み出していた。