お守りと約束
その夜、アカツキはロイズとガリアスから稽古を受けていた。この国に来てから時間があると、三人は幹部棟の隣の広場に集まりながら稽古を行っていた。これはロイズの提案で、剣術をロイズが、体技をガリアスが教えていた。
ガリアスの体技に関しては、経験により培ったものであり、教えるというよりも、実戦で覚えると言った方が正しい。ロイズは正統な剣術を学んできているので、アカツキにとってはこれ以上ない師となっていた。
「今日はやめておいた方がいいんじゃないのか。明後日に差し支えるぞ」
月明かりが照らす中、アカツキとガリアスが組手を交わす。何度か拳を打ち合った後、ガリアスがアカツキに背負い投げをかける。アカツキはそれを防ぐことができず、背中から地面に激突する。
「うっ……、げほっ。また負けた……」
勢いよく背中から落ちたため、肺に激しい衝撃が伝わり空気が漏れ、嗚咽となってアカツキを襲う。
アカツキはこれまで一度もガリアスに勝てたことはない。まあ、そんな簡単に勝ててしまえば、ガリアスに教えを請う必要もないのだが……。
倒れているアカツキに近づくとガリアスが手を差し出す。
「大丈夫ですか、アカツキ殿。僭越ながら、自分も今日は控えておいた方が良いかと……」
かなり恐縮そうにガリアスがアカツキに告げる。「ありがと」と言いながら、アカツキはガリアスの硬く大きな手を取り立ち上がる。
「いやぁ、いつもと同じことしてないと落ち着かなくてさ。戦いに負けるのが心配とかじゃなくて、こんな頼もしい仲間たちと一緒に戦えるって考えると、何だかワクワクしてきて……。こうやって身体を動かしてないと、疼いてしょうがないだよ」
アカツキは屈託のない笑顔を浮かべながらそう言った。アカツキはこれまで、ヨイヤミと二人きりで戦ってきた。ノックスサンでの戦いも、レジスタンスでのプライアとの戦争も、結局最後は二人きりだった。
でも、今回は違う。二百人しかいないとは言え、頼もしい仲間達と共に一つの国として、そして自分は彼らを纏める国王として戦えるのだ。気持ちが興奮しない訳がない。
「自分も、初めて戦いを楽しみにしています。これまでは、無理矢理戦わされていました。でも今は自分の意思で、皆さんと一緒に戦える。自分もアカツキ殿と同じ気持ちです」
ガリアスもまた、これまで一人で戦ってきた人間なのだ。アカツキと同じ気持ちを抱くのは無理も無い。しかし、その二人のやり取りを聞いていたロイズは、二人に向けて少し重い声音で諭すように言葉を投げかけた。
「これからするのは遊びじゃないんだぞ。言ってしまえば殺し合いだ。それを楽しみにしているというのは、誉められたものではないな」
ロイズが至極当然の意見を言う。これからアカツキたちがしようとしていることは、あくまでも戦争であり、遊びではない。ワクワクするなどと言うのは不謹慎であり、あまり抱いていい感情とは言えない。だが、アカツキは断言する。
「殺し合いなんかには、絶対させない。誰も殺さないし、誰も殺させはしない」
きっと、何度言っても同じ答えが返ってくるのだろう。アカツキは、仲間たちの力を信じ過ぎるくらいに信じている。だからこそ、これだけ断言ができるのだろう。ロイズはアカツキの言葉に苦笑すると、そのまま踵を返して幹部棟の方へと歩き出す。
「今日は終わりだ。早く寝てゆっくり体を休めろ。それが今日の私からの稽古だ」
手を挙げてそう言いながら、ロイズは暗闇に溶けていく。それを、眺めていたアカツキの肩にガリアスが手を乗せる。アカツキが振り返るとガリアスが笑みを浮かべながら頷く。
「自分たちも戻りましょうか」
アカツキも「ああ」と言ってガリアスに頷き返す。戻ろうと足を踏み出すと、暗闇から誰かがこちらに向かってくる足音が聞こえる。
少し身構えてしまったが、直ぐにその緊張を解く。その足音の主はアリスだった。気を遣ってか、ガリアスはコクッと頷いて先に幹部棟の方へと向かっていった。広場には、アカツキとアリスだけが残された。
「どうしたんだ、こんな夜遅くに?」
アリスは恥ずかしそうにモジモジとしながら、アカツキの質問に答える。
「え、えっと……。アカツキ君に渡したいものがありまして……」
そう言って懐をゴソゴソと漁って、中の物を両手で持って俯きがちに差し出す。それにしても、呼び方は何とか変わったものの、敬語が抜け切れないせいで、余計に変な話し方に聞こえる。
「あ、あの、お守りなんですけど、受け取って頂けませんか?この前の、首飾りのお返しです」
アリスの手の中には、赤い布で作られ、所々に刺繍で模様があしらわれたお守りがあった。アカツキはそれをそっと受け取る。なんとなくアリスの首許を一瞥すると、ガーランド帝国でアカツキが贈った首飾りが、明りに反射してキラリと光る。それを見たアカツキは少しだけ嬉しくなる。
「これ、アリスが作ったのか……。すごいなあ、ホントにこれもらっていいの?」
「はい、手作りなので効果があるかわかりませんけど……」
アリスは恥ずかしそうに俯いて、頬を染めながら笑みを浮かべる。それにアカツキも微笑みながら答える。
「ありがとう。大事にするよ」
アカツキがそう言うと、アリスの顔が少しだけ曇る。急にどうしたのだろう、とアカツキが少し首をかしげていると、アリスが俯いていた顔をゆっくりと上げる。
「……、必ず……、必ず無事に帰ってきてくださいね」
その言葉は、懇願とも思われるような声音だった。今まで、恥ずかしそうに口ごもっていたアリスの口調が急に語気が強いものになったため、アカツキは少し驚く。
しかし驚いたのも束の間、アカツキはアリスの気持ちを酌んでそっとアリスの頭の上に手を乗せた。
「心配すんな、絶対帰ってくる」
そう言って、精一杯の笑みを浮かべる。あの日、ノックスサンで二人が初めて会ったときのように、アカツキはアリスの頭を撫でた。
頭を撫でられるアリスの顔が少しずつ、朱に染まっていく。その表情を見たアカツキも、何故だか急に恥ずかしくなってきて顔が赤らむ。
そして、撫でていた手をサッと勢いよく自分の背中に隠すと、そっぽを向いてアリスから視線を外す。アリスもそれに続くように俯いて、アカツキから視線を外す。
二人の間に、沈黙の時が流れた。その空気に、息詰まったアカツキが沈黙を破る。
「じゃ、じゃあ、戻ろっか……」
アリスも小さく頷くと二人は微妙な距離を保ちながら、肩を並べて幹部棟へと戻っていった。
翌日、アカツキ達は戦争に向かうためのキャンプを設置するため、昼頃には国を発った。アカツキとヨイヤミ、ガリアスの資質持ち三人と、ロイズたちノックスサンの元兵士三人、さらに、国民の有志で集まってくれた、騎兵百組に、弓隊百人の二百人。それに続いて、馬車が一台ついてきていた。馬車には、アリスを含めた十人の給仕が同行していた。
そのうちの何人かは、同じ模様があしらわれた旗を携えていた。ヨイヤミが考えて決めた、ルブルニア王国の国旗。中央に描かれた太陽を三日月が包むような模様の国旗。
アカツキが、「これって、どういう意味?」と尋ねると、
「この国そのものや」
と笑顔で答えたヨイヤミは、それ以上答えてくれることはなかった。
アカツキ達はハルツレム平原に入ったすぐのところにテントをいくつか張り、キャンプを設営した。その後は会話を交わしたり、武器の手入れをしたりと、各々の時間を過ごした。そして日が暮れだした頃、木を切り倒して作った長机に二百人全員が集まった。
「皆、今日は集まってくれてありがとう。明日は、ルブルニアの初の戦争となる。俺たちが掲げる、人を殺さずに戦争に勝つというのは、かなりの無理を皆に強いることになると思う。だが、皆のことは必ず俺たちが守る。だから、どうか俺たちを信じて、無理な願いを貫き通して欲しい」
アカツキはそこで一度言葉を切ると、皆の顔を順に見回す。アカツキと顔の合った者たちは皆、順番に頷いていく。アカツキは全員が頷いたのを確認すると、最後に自分も頷いてからもう一度口を開いた。
「皆ありがとう。恩に着る。では今日は、好きなだけ食べて明日に備えてくれ」
アカツキがそう言うと、アリスたちが様々な料理を机へと並べていく。ルブルニアの農作物をふんだんに使用したスープやサラダ、干し肉を使った肉料理、小麦から作られた麺類や、米に色々な作物を混ぜて炒められた料理など、種類は様々だった。
机の至るところから「うまそー」「すげー」などと、感嘆の声が上がる。アカツキの合図はまだかと、皆の視線がアカツキに向けられる。当のアカツキは、そんな一斉に見られると何だか緊張するな、と思いながら一度咳払いをしてから立ち上がる。
「ごほん。では、明日は皆よろしく頼む」
そう言って手のひらを合わせる。
「頂きます」
アカツキのその合図に合わせて皆から「頂きます」という声が一斉に上がった。
そして、皆かぶりつくように料理に群がる。様々な種類の料理を取って、自分の皿に盛り付け、各々の席に戻り食らいつく。
皆が幸せそうに食べているところを見ると、自然と笑みが溢れてくる。アカツキも皆が各々の分をよそったのを確認すると、自分の分をよそう。各々談笑しながら、たまに一芸する者なども現れ、意図せぬ宴が始まった。
皆の楽しそうな表情を見ていると、この国を作って良かったという思いと、明日は必ず誰も殺させはしないという、強い決意が心の奥底から沸き上がってくる。
今のこの楽しい時間こそ、アカツキが作り出したかったものだった。皆が笑い、お互いの身分の差など無く楽しく暮らすことが出来る場所。それこそアカツキの求めるルブルニア王国なのだ。
何時間か騒いだ後、各々のテントに戻り、皆は明日に向けて早めの睡眠を摂った。宴が終わり、空になった食器を給仕たちが片付けていく。アカツキたちのキャンプに、給仕たちが食器を片付ける音がこだまする。
すぐに眠りにつくことのできなかったアカツキは布団から抜け、キャンプの少し外れまで歩いていった。平原は明かりなど一切なく、空に輝く満天の星空を存分に楽しむことができる。アカツキは草花で覆われた地面に寝転がりながら、空を眺める。
寝転がっていると向こうから足音が近づいてくる。
「何一人で感傷に浸っとんねん」
その声から、誰が来たのかは見るまでも無かったが、顔だけをそちらの方向に向けお互いに目を合わせる。
「あ、悪いな。起こしたか?」
ヨイヤミとアカツキは同じテントだったので、自分が起こしたのではないかと危惧する。
「別に、すぐに寝られんだだけや。あんなに騒いだんは初めてやしな」
ヨイヤミは嬉しそうにそう言う。ヨイヤミもアカツキに並ぶように伸びをしながら地面に寝転がる。
「それにしても、アカツキに会うてからの半年は、本当に早かったな。こんなところまでこれるなんて思ってなかったわ。少し順調すぎて怖いくらいや」
ヨイヤミは苦笑しながら星空を見上げる。満天の星空はまるで海のように広がり、底が見えない海に沈んでいくような気分になる。それにつられて、自分の心もどんどん沈んでいき、先程までの楽しい気持ちはどこか遠くにいってしまったように感じる。そしてどこか重く、緊張した声音でアカツキに尋ねる。
「なあ、アカツキは明日のこと怖くないんか?」
アカツキは最初、自分が何を尋ねられたのか理解ができなかった。何故ならアカツキは、今回の戦争に対しては恐怖も畏怖も持ち合わせていなかったから。でも少し考えれば、ヨイヤミの言わんとすることくらい解る。
「俺は、正直ワクワクしてる。こんな凄い仲間たちと一緒に戦えるんだ。俺たちが負ける気なんて一切しないし、俺たちならなんだってできそうな気さえする」
アカツキの楽しそうな声音とは裏腹に、ヨイヤミの声はどこか寂しそうで、悲しげな声音だった。アカツキが顔だけを右に倒し、隣にいるヨイヤミの方に傾けると、ヨイヤミの表情はその声と同様に寂しそうなものが浮かんでいた。
「僕は正直怖いんや。僕らがどんだけ強くても、これは戦争や。簡単に人は死ぬし、何でもかんでも上手くいく保証なんてどこにもないんや」
ヨイヤミの言葉はアカツキに重くのし掛かってくる。普段はふざけている彼の真面目な声音は、その言葉に現実味を帯びさせる。そんなヨイヤミを見ていると、彼の過去を勘ぐってしまう。
「お前は、何で自分の国を出たんだ?」
これまであまり聞いてこなかった疑問が、ふと頭を過ると、無意識のうちに言葉となって口から漏れていた。
「そのことについて、今は話すつもりはないわ。話す気になったら、そのときにいつか自分から話すつもりや」
何か複雑な気持ちを隠すかのような声音で話すヨイヤミに、アカツキは取り繕うように謝罪を述べる。
「いや、別にいいんだ。ちょっと気になっただけだから……。気分を悪くしたなら謝るよ」
アカツキは、触れてはいけないところに触れてしまったかと、危惧していたが、ヨイヤミは何も気にしていないように平坦な声音で告げる。
「別にアカツキが気にすることあらへん。ただの僕の我が儘や」
アカツキはそれ以上その話に触れることはなかった。二人は無言のまま、星空を見上げながら少しの時間を過ごした。お互い何を考えているのかはわからない。それでも、言葉を交わすよりも伝わるものは確かにある。
「明日は頑張ろうな……。俺たちで、皆を守るんだ」
アカツキのその言葉にヨイヤミは一言「ああ」と返事を返す。無駄な言葉を重ねるよりも、その一言が余程大きな意味を持っているような気がした。