優しい時間
二人きりになったアカツキとアリスは行く宛もなく、目に入った場所で気に入った場所があれば寄っていくという感じで散策を続けていた。
ヨイヤミには本当に困ったものである。確かにアカツキが、女性が苦手なのは事実だ。それでもサクラみたいに、向こうからガンガン壁を壊してくるタイプは、向こうに合わせれば良いので一緒にいて苦労は少ないため、割と上手く接することができる。
しかしアリスのような受け身な子だと、お互いが相手の出方を伺ってしまうため、ほとんどが無言の時間になり、結果一緒にいると気まずくて仕方がない。
それでも最近は、お互いに自分から話しかけようと努力しているのだが、頑張っているのがあからさま過ぎて、息苦しい感じが否めないのだ。
ヨイヤミはそんな二人の仲をなんとか取り持とうと、日々必死でこういった策略を練っているのだが、正直いい迷惑だとアカツキは思っている。
「アリスはどこか行きたいところある?あっ、遠慮とかするなよ。ってか、行きたいとこあるならちゃんと言ってくれた方が、俺としても助かるんだけど……」
アカツキはそう言いって、恥ずかしがりながら頬を掻く。アリスは、少し困惑するように間を空けた後、小さな声で恐縮そうに答えた。
「では……、ここからでも見える、あの大きな教会に行ってもいいですか?」
選りに選って教会か……、とは思ったものの行く宛も無いし、そもそも聞いておいて無理とは言えない。アカツキは頷きながら返事を返す。
「よし、じゃあ行こっか」
そう言って歩き出すアカツキの手を、今度はアリスが握る。アカツキは少し驚いて、アリスの方を振り替える。
「あ、あの……。図々しいとは思ったんですけど……。はぐれないようにと思って……」
俯いて、しどろもどろな口調でアリスはアカツキの手を握る自分の手に、ギュッと力を入れる。アリスから来るなんて珍しいなと、思いながら、アカツキは微笑み混じりの表情で応える。
「そうだな。はぐれないように、ちゃんと握ってなくちゃな」
そう言いながらしっかりと握りなおすアカツキを見て、アリスの表情もパッと明るくなる。二人は教会に向けて、人混みの中に消えていった。
教会に到着した二人はその大きさに圧倒されながら、頭上を見上げて感嘆の声を漏らしていた。入り口には四本の柱があり、入り口を覆うように、柱の上には屋根がある。
また、教会の外装は純白で凸型をしており中央の背の高い部分の上部には、巨大な鐘が覗いている。さらにその上には、瑠璃色の円錐形の屋根が乗っており、天辺には白銀の巨大な十字の像が、存在感を放ちながら佇んでいる。
「凄いな……。俺らの幹部棟よりよっぽど大きい……」
不意にアカツキから漏れたのは、そんな言葉だった。正直、アカツキの語彙力では、言葉で表現できる感動が大きさのことくらいだったのだ。
アリスも無言のまま教会の全体を眺めている。手を胸の前で組みながら、目を輝かせて、ポカンと口を開いたままの状態で立ち尽くしていた。どうやら、とても喜んでくれているようで、その様子を見ていたアカツキも嬉しくなる。
「じゃあ、中ちょっと見てみよっか」
そう言って歩き出すアカツキの後を、慌ててアリスが付いていく。なんとなく、二人並んで扉の前に立って顔を見合わせると「せーの」と言って同時に扉を押し開いた。
教会の中にはいくつもの長椅子があり、それらには花々の装飾が施されている。講壇には純白のユリやカーネーションが飾られており、入口正面の奧にある大きな窓から差し込む陽の光でそれらがまるで輝いているように見える。
「綺麗ですね……。この世界にこんな綺麗な教会があるとは思いませんでした」
アカツキが首をかしげながらアリスの方を見ると、アカツキが抱いている問いを察して、アリスは微笑みながら答える。
「教会って、平和の象徴みたいなものじゃないですか。でも、私たちが今まで見てきたのは、戦争ばかりで、平和なんて言葉を知らない国ばかりでした。こんな美しい教会が似合うような国は四大大国の外にはありません。内側はこんなに平和なのに、どうして同じようにできないのでしょうか?」
話をしていくアリスの表情が少しずつ曇っていく。アカツキもこの帝国に来てから、この帝国の平和な現状を見て、どうしてこの世界はあんなにも苦しい思いをして戦わなければならないのだろうと思っていた。いや、アカツキの中では一つの答えが出ていた。平和な世界が牙を剥いてから数ヵ月、戦いに身を預けてきたアカツキなりの答えが……。
「この世界は、全てに陽と陰があるんだよ。こうやって、平和な世界もあれば、争いが絶えない国だってある。恐らく、平和な世界にだって、その中にもまた、陽と陰が存在する。そうやって無数に存在する陽と陰によって、この世界はバランスを取っているんだよ。争いの絶えない世界だって捨てたもんじゃない。ヨイヤミやロイズ、ガリアス、そして、君に出会えた。こんなところで平和に過ごしていたら、きっと出会うことはなかった。そりゃ、平和な世界で皆に出会えていたら、もっと幸せだったかもしれない。でも、そんなの無い物ねだりだし、皆に出逢えただけで、俺は十分幸せなんだ。……なんか、柄にもなく語っちゃったな……」
アカツキは恥ずかしさを隠すように頭を掻きながら、照れ笑いを浮かべる。そんなアカツキの様子を見て、可笑しそうにクスッと吹き出すと、その笑顔をアカツキに向ける。
「そうですね。争いの絶えない世界の中でも幸せを見つけることだってできますもんね。平和な世界にいることが幸せって訳じゃない。自分のいる世界で、いかに幸せを見つけるか……。きっと、それが一番大切なんですね。なら、私は生きていて良かったです。幸せは……、ちゃんと見つかりましたから」
そう言って、アリスはアカツキに満面の笑みを浮かべる。まるで今まで蕾だった花がいきなり咲き誇ったかのような晴れやかな笑顔は、今まで見たアリスのどんな表情よりも綺麗で、アカツキは言葉を失ってしまった。そして、そんな表情を見ることができたことで、改めてアリスを救うことができて本当によかったと実感した。
「私、年の離れた兄がいるんです」
アカツキが、アリスの表情に見とれて言葉を失っていると、アリスが唐突にそんな話を始めた。
「小さな国だったんですけど、それなりに平和で、家族と一緒に楽しく過ごしていました。その国にも、この教会とは比べ物になりませんが、小さな教会があったんです。私は毎日、兄と一緒にその教会にお祈りに行っていました。兄はとても優しくて、いつも小さかった私に合わせて、遊んでくれていました。そして、三歳くらいの頃、私の国は戦争に敗れ、私と兄は奴隷として離れ離れになりました。私が売り飛ばされた先は、ノックスサンでした。ちょうど、セドリック王がノックスサンを乗っ取った頃のことです。それから私は、兄にもう一度会うことだけを生き甲斐に生きてきました。苦しいときや、悲しいときは、兄のことを思い出して乗り越えてきました。だから、今でも小さい頃の思い出は、はっきりと思い出せます」
アリスが自分のことを、自分から話してくれるなんて初めてなような気がする。この教会の雰囲気が、彼女の心の檻を少しずつ開いていっているのだろうか。
「逢えるといいな、お兄さんと。もうアリスは自由なんだ。探しにいきたいなら、いつだって行ってもいい。もう、アリスを縛るものは何もないんだから」
アカツキも今なら素直な言葉で、彼女と会話をすることができる。二人を取り巻く雰囲気に任せて、思ったことがすんなりと言葉となって口から紡がれていく。
「はい。でも、今はルブルニアでの生活が楽しいんです。今の生き甲斐は、皆さんのお世話しながら、楽しく過ごすことです。兄には逢いたいですがそれはまたいつか、アカツキ様がこの世界をもう少し平和に為さってからにしようかなと思います」
ふふっ、と口許を抑えながら笑うその姿は、普段のアリスの俯きがちで、恥ずかしがりながらの笑顔ではなく、無邪気に気を許したような笑顔だった。
「アカツキ様の言う通り、世界の全てを平和にすることは、やっぱり難しいと思います。でも、今起きている理不尽な戦いや身分制度は、きっと無くせると思うんです。だから、そのときには安心して兄を探しに行ってきます」
アリスにそんなことを言われて、初めてアカツキの中での明確な答えが出たような気がした。何かのためより、誰かのため。漠然とこの混沌の世界のために、この世界の王になり平和を創り出そうとした。でもそれは、アカツキからすると、対象が大きすぎて、曖昧なものでしかなかった。しかし、目の前にいるこの少女のためだと思うと、その目標は、はっきりとした輪郭が見えてくる。
「そっか……。じゃあ、頑張らないとな」
自分に言い聞かせるように言葉を噛み締めながら、誰かにという訳でなく、アカツキは目の前の窓を見据えながら頷く。目の前の窓から差し込む陽の光が、アカツキに呼応して輝きを増したように感じる。
「はい。アカツキ様ならきっと、成し遂げられるはずです。その時まで、アカツキ様のお隣でお世話させて下さいね」
アリスもアカツキと同じように目の前の窓へと視線を移す。二人はまるで誓い合うように、同じところを見つめながら言葉を交わした。
「なら、アリスも頑張らなくちゃな」
アカツキから唐突に紡がれたその言葉の意味を理解できなかったアリスは、不思議そうに首をかしげながらアカツキの顔を覗きこむ。
「まずは、俺を呼ぶときに様を付けるの、止めてもらわないと」
そう言いながら、アカツキはアリスに向けて無邪気な笑顔を見せる。「うっ……」と言葉を詰まらせながら、困惑した表情を見せたアリスは、何かと必死に葛藤するように、口を何度も開閉させながら、その言葉を絞り出した。
「あ、あ、アカツキ…………く、ん?」
何故か最後は疑問符が付いていたが、それでもあのアリスが様を付けずにアカツキのことを呼んでくれた。それが何だか、もの凄く嬉しくて、口許が緩むのが抑えきれない。
「やっと、普通に呼んでくれた……。やっぱりそれがいい。俺に様なんて似合わないよ。そうやって呼んでくれた方が俺も嬉しい」
自然と漏れた笑顔でそう告げるアカツキに誘われて、アリスの表情も徐々に明るくなっていく。そして、最後は二人で声を上げながら笑いあった。
「うん、わかった。私も頑張るね、アカツキ君」
お互いこの教会の神聖な雰囲気に当てられて、随分と積極的になっていた。普通の場所だったら二人とも、きっとこんなに心を開くことはできなかっただろう。教会に入る前はなんとなく嫌な気がしていたが、この教会に来てよかったと、アカツキは心の中でそんなことを思っていた。
そして、この教会に入ってきたときとは、まるで別人のような表情で二人は教会を後にした。