握られた掌
宿に到着すると、三人は宿の主から説明を受けて自らの部屋へと向かった。三人で泊まるので、手持ちで泊まれる最大の部屋を借りることにした。何よりアカツキが、広い部屋でなければさすがに無理だ、と駄々をこねたので、仕方なく少し高めの広い部屋を借りた。
部屋にはベッドが三つ並んでおり、アカツキはすぐさま一番奥にある窓際のベッドを陣取った。意外なことに、アリスがロイズよりも先に一番手前のベッドを陣取ったので、ロイズは強制的に真ん中のベッドで寝ることになった。
夕食もお風呂も済ませ、後は寝るだけの状態で三人は部屋でくつろいでいた。いや、あまりくつろいでいるという雰囲気はなく、ロイズが必死に二人に話を振りながら、弾みもしない会話をなんとか続けていた。
「で、アリスは今いくつなんだ」
「私は、今年で十八になります……」
ロイズが年齢の話に話題をシフトし、その答えを聞いたアカツキが、「年上……」 と顔を紅潮させながら俯いていた。どうやらガリアスとの戦争前に、アリスの頭を撫でたことを思い出して赤面しているようだ。その上、年上に対して偉そうに頭を撫でたため、申し訳なさと恥ずかしさが交じり合い、沸騰しそうな勢いで赤くなっていた。
今のアカツキに年齢を聞くのはさすがに可愛そうだったので、ロイズは更に話題をシフトさせる。
「アカツキはこれまで旅してきて、なんか楽しかったこととか無かったのか。ヨイヤミから聞いた話だとかれこれ三ヶ月近く旅を続けていたのだろう?」
ロイズは二人の間を取り持とうと必死で話題を探しながらアカツキに話題を振る。アカツキは紅潮させていた表情を、なんとか落ち着かせ、何かを思い出すように考える素振りを見せると、少し間を空けてから口を開く。
「やっぱり車に乗れたことですかね」
アカツキがそう言うと、ロイズは少し驚いたように、
「車って馬車とかじゃなく自動車の方か?」
と尋ねる。アカツキは少しだけ自慢気に応える。
「はい。まぁ一度だけなんですけどね……。エンジンの音とか、それはもう凄かったですよ。心に響くと言うか、言葉には出来ない感動ってやつです。できれば、また乗ってみたいです」
アカツキの顔が急に明るさを増す。さっきまで項垂れていたのが嘘のように、活き活きとした表情に変わると、更に話を続ける。
「後ですね、機関車も見たことがあります。でもそれは、物資を運ぶためだけのやつで、いつか俺はレガリアにある人を乗せる機関車に乗るのが夢なんです。技術の進歩って凄いですよね。世界には、まだまだ自分の知らないことがあると思うと、本当にワクワクします」
ロイズは楽しそうに話すアカツキを見て、少しだけホッとした。今だけでも元気なアカツキに戻ってくれたので、とりあえず一安心といったところだった。そして、もう一人の方をチラッと振り向くと、アリスはいつの間にか目を輝かせながら、ベッドから身を乗り出してアカツキの話に聞き入っていた。
「この辺りで機関車というとポートルイスだな。でもあそこは工場以外何も無いところだぞ。あんなところに何の用があったんだ」
アカツキは表情を軽くゆがめると、困惑するように少し間を空けてから、ロイズの質問に答えた。
「少しだけ用があって、立ち寄っただけです。まあ、俺たちも色々旅してきましたから、そういう所に寄ることもありますよ」
アカツキの何かを誤魔化すような口調にロイズは少し疑問を覚えたが、わざわざ隠していることを根掘り葉掘り聞いても、せっかく落ち着いてきた場の空気を悪くするだけなので、今は止めておこうと問い詰めることはしなかった。
実はアカツキとヨイヤミはレジスタンスにいたことを、誰にも話していない。ロイズたちを信用していない訳では無いが、レジスタンスのやり方が許されるものではないので、あそこに所属していたことはとりあえず内緒にしておこうということになっている。
世間的に言えば、レジスタンスは完全な悪として扱われている。それを弁解する術をアカツキたちは持っていないし、何より自分たちが実際に経験して、ここではやっていけないと思った場所を、肯定することはできない。
しかし、あそこにいる人たちの人の善さもまた、アカツキたちは知っている。だから、善と悪の狭間で揺れる彼らを肯定することも否定することもできないなら、このことを誰かに話すべきではないという結論に至った。
「そうか、ノックスサンにたどり着くまでに長旅をしてきたお前たちなら、そんなことがあってもおかしく無いのだろう。余計なことを聞いてしまったな。すまない」
ロイズは自分が覚えた違和感を忘れようと、記憶から取り除くように頭の片隅へと追いやった。人間誰しも、隠しておきたいことの一つや二つはある。アカツキが、気にかけないように、謝罪をしながら笑ってみせる。
「私もアカツキ様のような旅がしてみたいです。いつか、いろんな国を旅して、ある人に会いに行きたいです。それが、私の夢です」
今まで一言も発することのなかったアリスが急に口を開いた。その事にアカツキもロイズも驚いて、三人の間に沈黙が走った。その沈黙を悪い意味に取ってしまったのか、アリスが顔を真っ赤にしながら何度も頭を下げる。
「す、す、すみません。私のような者が急に口を挟んでしまって……」
アカツキとロイズはすぐに取り繕うように首を振ると、アリスに向かって釈明する。まだまだ奴隷の頃の癖が抜けることは無く、すぐに謝るのもその内の一つだった。
「そう言うことじゃないんだ。アリスから何かを話してくれることなんてなかなか無いから……、なんと言うか、嬉しかったんだ。これからは、そうやって自分の思っていることをどんどん口にしてくれていいんだ。そうじゃないと、俺たちも息苦しいから……」
アカツキにそう言われたアリスは少し頬を赤らめながらアカツキの方を向く。すると、アカツキは相変わらずといった感じで、自分も頬を染めて視線を逸らせる。アリスに変われと言いながら、自分はなかなか変わることができないアカツキは、結局また黙りこくってしまった。
ロイズは内心で舌打ちしていた。今の流れでアカツキとアリスが少しは近づいてくれるかと期待したが、そう上手くはいかないらしい。まだまだ奴隷気質が抜けきらないアリスと、女性が苦手で恥ずかしがり屋のアカツキでは、どうしても会話が続かない。まるで同極の磁石のように、近づこうとするとすぐに離れていってしまうのだ。
その後三人は、ロイズが何とか二人に話題を振り続けることで、寝るまでの間他愛ない話を続け、そして、いつしか眠りについた。
翌日、アカツキは今日の予定を一切聞かされていなかったが、どうやらロイズはヨイヤミからいくつか買い物を頼まれてきているらしかった。その買い物を済ませる為、三人はアルバーンの大通りを様々な店を眺めながらゆっくりと歩いていた。
「ノックスサンのバザーもなかなか活気のあるものだが、こっちは桁が違うな……」
ロイズが街を眺めながら、感嘆の声を漏らす。 頻繁にアルバーンに来ていた頃は、アカツキにはこれが普通に見えていたのだが、久しぶりに来てみると、確かに活気に溢れ、様々な種類の違う露店に目がいってしまう。リルが言っていたことが、今ならわかる気がした。
今更ではあるが、この大陸は国によってかなり異なる文明が発達している。工業や農業、鉱業など国ごとに自国の色を持っており、そのため、このような各国の商人が集まるアルバーンでは、様々な国の色を見ることができるのだ。このような国はいくつか存在し、その中でも一番の規模を誇るのが、世界の中心ガーランド帝国だ。
現在は、アカツキとロイズの二人で行動している。先程必要なものが売っている店に行列ができており効率的に考えて、今から並ぶかどうしようかと悩んでいると、アリスが自分から望んでこの列に並びたいと進言してきた。
「私が並んでいるので、お二人は他のところを回ってきてください」
ロイズはみんなで並ぼうと提案したのだが、アリスが「心配なさらずとも大丈夫です」と頑なに一人で並ぼうとするので、ロイズも折れてアリスを一人残して二人で別の買い物をすることになった。たぶん、面倒事は全て自分がやらなければならないというのが、体に染み付いてしまっているのだろう。
「で、ヨイヤミから何を頼まれているんですか?」
アカツキは少しふて腐れた顔をしてロイズに尋ねる。こんな態度をしているのは、ロイズがヨイヤミに加担していると考えていたからである。
「まあ、そう嫌な顔をするな。ヨイヤミも色々考えてくれているんだ。そんなに邪険にしては少し可哀想だぞ。まあ、可愛そうという言葉が、全く似合わなそうな奴ではあるが……」
ロイズが、苦笑しながらそんなことを言うと、アカツキはため息を吐きながら言葉を重ねる。
「違いますよ。あいつの場合、俺で楽しんでいるだけなんですよ。どうせ今も、俺が困っているところを想像しながらニヤついているに決まってます」
ヨイヤミが楽しんでいる顔が頭をよぎったのか、アカツキがイライラするように顔をしかめる。しかし、すぐにその表情は柔らかいものとなり、落ち着いた口調で話を続ける。
「でも、俺にあいつが必要なのも事実ですし、あいつが根は良い奴だってことも知っています。だから、これくらいのことは、笑って見過ごしてやるんです。それに、いつまでもこのままじゃダメなことくらい俺もわかっています。でもそれは、俺の問題であって、誰かの力を借りてじゃなく、自分自身で解決しなきゃならないと思っているんです。だから、このことに関しては、あまり他人に口出ししてほしくないんです」
そう言いながら、アカツキは少しだけ顔を綻ばせる。ロイズはアカツキが自分のことをちゃんと理解していることに驚きを覚えながら、納得の言葉を口にする。
「そうか……。なら私もあまり口出ししないでおこう。その代わり、ちゃんと自分で解決するんだぞ。ヨイヤミのことはともかく、今のままではアリスが可哀想だ。あの子は今まで、自分から何かを発することを、禁止されて育ってきたんだ。あの子から自発的に何かをすることは、おそらくできないんだと思う。それでも、彼女なりには頑張っているのだろう。だからこそ、お前に彼女の心の壁を取り払ってやって欲しいんだ」
ロイズの言葉は、どこか懇願するようで、その口調には重さを感じる。
「はい。奴隷の頃の記憶が、彼女を今でも苦しめていることも……、そして、それを取り払う為には、その場所から救い出した俺が責任を取らなければならないことも……、全部ちゃんとわかっているんです。後はいつ、その一歩を踏み出すかだけなんです」
「いつ、ねえ……」とロイズが顎を擦りながらつぶやいていると、そこへアリスが買い物を済ませて戻ってくる。
「只今戻りました。私の名前が聞こえましたが、どうかなさりましたか?何のお話をされていたんでしょうか?」
尋ねるアリスに、ロイズは笑いながらこう応えた。
「いや、アカツキがアリスともっと仲良くなりたいんだとさ……」
アカツキが驚いて「なっ!!」と目を見開いてロイズの方を見る。アリスはアリスで、ロイズの言葉を聞いた瞬間、顔を真っ赤にしながらすごい勢いで俯いてしまった。ロイズは子供のように無邪気な笑みを浮かべながら「頑張れよ」とアカツキの背中を叩いて次の店へと歩みを進める。
残された二人は、お互いに一瞬顔を見合わせると、すぐに顔を背けて頬を染める。無言の時間が過ぎ、二人とも固まったまま動けないでいる。そんな空気の中、なんとか沈黙を破ったのはアカツキだった。
「じゃ、じゃあ行こうか……。ロイズに、置いてかれちゃうし……」
アリスは顔を俯けたまま小さな声で「はい……」と応える。いつの間にか、ロイズと二人の間には人混みができており、ロイズの姿をすぐに見つけることができない。騒がしくなった大通りの様子を見て、アカツキは意を決したように一度拳を握ると、その拳を解いてそっとアリスの手を握る。
「は、はぐれると面倒だから……、一緒に行こう……」
アカツキの表情は緊張で固まっており、言葉も何処かぶっきらぼうで、視線を合わせれば爆発してしまいそうなので、必死に視線を外しながらアリスの手を引く。
頭を撫でた事だってあるんだ……。手を握るくらいなんてことないさ。ただ、手と手が触れ合っているだけだ。別に、自然なことじゃないか……。
アカツキは自己暗示をするように、心の中で自分を奮い立たせながらアリスの手を引いて、ロイズの元へと向かう。
アリスは為されるがまま、アカツキの後ろを付いていく。
握られたその手の温もりに集中すると、人々の喧騒がどんどん遠ざかっていくように、聞こえなくなる。まるで周囲を流れる時間が遅くなり、二人だけが別の時間軸に迷い込んだような感覚に陥る。これまで感じたことのない感覚に戸惑いを覚えるが、嫌な感じはしない。むしろ、その感覚に身を委ねたくなるような、そんな気さえする。
しかしそれも束の間、アカツキの声により現実に呼び戻される。
「あっ。あそこにいた」
人混みを抜け、ロイズの後ろ姿を確認すると、アカツキはそっと手を離してアリスの方を向く。しかし、目だけはやはりどこか遠いところを向いている。そしてアリスもまた、相変わらず俯きながら小さく頷く。二人のことに気がついたロイズは、楽しそうに笑顔でこちらに手を振ってくる。
「おーい。何をやっている。置いていくぞ」
それに応えるように、アカツキとアリスは少し速足でロイズの元へと向かう。三人は合流すると、無言で、しかし、どこか晴れやかな雰囲気で次の店へと向かった。