業は炎から舞い戻る
突然の介入にアカツキは息を呑む。まるで全てを見ていて、その時を待っていたかのようなタイミング。あと少し押していればリルの心は動いていたかもしれない。だというのに……。
「悪いが、ニアをあんたたちに渡すつもりは無い。四大大国の軍の隊長が、そんな簡単に抜けられる訳が無いだろう」
その冷たい視線をこちらに向けながら、その男は言う。間違いなくリルの関係者。しかも、グランパニア側の人間だろう。リルとその男、二人もこちらに送っていたとは、余程向こうもこちらを警戒しているのだろうか。
「どうしてここに……?あなたに、ここに来る命令は出ていないはず」
リルが小さな声でその男に訴える。自らの失態を見られたことを危惧しているのかもしれない。今のリルの姿を報告されれば、相手にしなければならないのは、彼の暴君『キラ・アルス・グランパニア』だ。
「今日は個人的興味でここにいるだけだ。だから軍も連れてきていないだろう?」
その言葉にアカツキは察する。この男も、リルと同じ隊長の座に就く男。そして、その地位は刃を交わさずとも、その者の実力が高いことを示している。
「邪魔するなよ。これは俺とリルの個人的な話だ。部外者が出る幕は無い」
後一歩のところで入られた邪魔に、怒りが胸の奥からふつふつとこみ上げてくる。
けれど怒りに任せて刃を向けられるほど容易な相手でもないことはアカツキも理解している。だから、警戒を緩めずに、鋭い視線でその男を射抜く。
「部外者か……。そうでもないだろう?この女は既にグランパニアという巨大な組織の歯車。この女がいなくなることで機能しなくなるものがあるのは事実だ」
その男は手に携えていた大鎌をくるくると空中で回転させてからそれを地面に突き立てると、アカツキに向けて言い放った。
「残念ながらこの女はお前にはやらん。自らこの環に入ったのはこの女だ。ならば、その責任は果たさなければならないだろ」
これ以上言葉を交わす気はないと存外に告げられる。これ以上踏み出そうと言うのなら、刃を交える覚悟があるという意思表示。
リルも唇を引き結び、これ以上は何も言うつもりはないという素振りを見せていた。アカツキからは常に視線を反らして……。
アカツキも歯を食い縛り、それ以上踏み出すことを躊躇する。今ここには、巻き込めない者たちが何人もいる。個人的な理由で暴れるにはリスクが高過ぎる。
それにこの流れでは、リルともう一度刃を交えなければならない光景が容易に想像がつく。
リルがあちら側にいる限り、いずれは交えなければならないとしても、今はまだ覚悟も何もできていない。だって再会したばかりなのだから。一度彼女を彼女と認識してしまえば、覚悟を決めなければ刃を向けることすら躊躇われる。
静寂が場を満たす。恐らく向こうの男も、こちらが何かを仕掛けない限りは動きはないのだろう。先ほども個人的興味と口にしていたし、戦いに来た訳ではなさそうだ。
だが、そんな静寂を打ち破ったのは、これまで自ら一歩引いて口を閉じていたヨイヤミだった。
「お前……、誰や!?」
ヨイヤミの声音から異様な空気を感じる。怒り、悲しみ、憎しみ。そんな負の感情が隠しきれないほどに溢れだしたような黒い声音。
その言葉は、アカツキとリルの間に割って入った男に向けられていた。そしてその男もまた、ヨイヤミのその様子に何の違和感も感じていないように、ヨイヤミに背を向けたままこう言った。
「それは、どういう意味で聞いているんだ?」
何かがおかしい。会話は繋がっているはずなのに、お互いの言葉の意図が何かに覆い被されているように読めない。アカツキはそんな違和感に苛まれていた。
「どうもこうもない。グランパニア軍第四部隊隊長。お前の名が発表された日からずっと、僕はその疑問に囚われてるんや。お前は誰なんや!?」
ヨイヤミの怒りの感情がこんなにも溢れだすのは珍しい。三年前だって、彼がこれだけの感情を露にすることはほとんどなかった。
「そこまで俺のことを知っているのに、これ以上お前は何を知りたいって言うんだ?故郷か?力か?それとも、過去か?」
ヨイヤミの細い眼が薄らと開かれる。値踏みするようなその視線は一体目の前の敵の何を見抜こうとしているのだろうか。
男の後ろで静観しているリルも、どうやらあまり事情を把握していないようだ。二人の方に視線を行ったり来たりと巡らせている。
「過去?過去って言うたな。なら教えてくれよ。お前の過去を!!」
男の『過去』という言葉に異常に反応するヨイヤミ。もしかすると、アカツキの知らないどこかで彼らには因縁があるのだろうか?
「過去か……。それをお前に話す必要があるのか?」
挑発的な声音はヨイヤミの心を突き刺すのに十分な鋭さを持っていた。ヨイヤミの眉間にしわが寄り、その表情がどんどんと崩れ落ちていく。
「どういう意味や?」
話す必要が無いと存外に言われたヨイヤミがその真意を問い質す。何故ヨイヤミに過去を打ち明ける必要が無いのか、想像するだけでも様々な理由が思いつきそうだが、その答えはすぐに本人から告げられた。
「どうもこうもないだろ?だって俺とお前は、少なくとも同じ過去を持っているのだから……」
その言葉にこれまでで最もヨイヤミの瞳が見開かれる。口許は震え、動揺を隠しきれていないのは明白だ。どうしてそこまでヨイヤミが追い詰められたような表情をしているのか、アカツキにはそんな二人のやり取りを見ていることしかできなかった。
「なあ……、ヨイヤミ・エストハイム」
「ぐっ……」
その名を口にしながら、その男はようやくヨイヤミの方に顔を向けた。
ヨイヤミはその顔を知っている。いや、正確に言えば、その顔が幼かった頃をしっている。だが、間違いなく面影は残っており、その男が自分が知る人間と相違無いことを突きつけられる。
「カルマ・オルフェリア」
ヨイヤミが一人の男の名を告げる。それが目の前にいる男の名だと、容易に想像がついた。
『カルマ』という名を、アカツキも一度は耳にしたことがある。三年前のまだヨイヤミがルブルニアから抜け出す前、ヨイヤミは皆を止めるために自らの過去を打ち明けた。
そこに出てきた少年の名が『カルマ・オルフェリア』。ヨイヤミの親友にして、ヨイヤミをグランパニアから外の世界に連れ出したきっかけを与えた男。
彼がいなければ、ヨイヤミとアカツキが出会うこともなかっただろう。それくらい、ヨイヤミにとって大切な人物。
だが、彼は既に……。
「その名を目にしたときからずっと僕の心の中に黒い何かが蠢いてるんや。お前は誰なんや?僕の親友は、レアの兄ちゃんは、カルマ・オルフェリアは……」
そこで一度言葉を切ったヨイヤミは覚悟を決めるように喉を鳴らし、そしてその言葉を口にした。
「僕の目の前で、死んだんや……」
そう、彼は既に死んだはずだ。ヨイヤミや、彼の妹を救うために、彼は一人グランパニアの王であるキラと刃を構えた。圧倒的な力の前に、それでも抗い続けたその少年は、キラの本気を引き出した末に、その命を落としたのだ。
だというのに、この男はその名を語り、あまつさえそっくりな姿でヨイヤミの前に現れた。ヨイヤミは顔を合わせれば、それが別人だと確信できると踏んでいた。だが、その全ては崩れ落ち、むしろ本物にしか見えない彼を見て、言葉にできない感情が渦巻いていた。
「だから俺は別人だと、姿を似せてその名を語っているだけだとそう言いたいのか?」
「当たり前や。僕はこの眼で確かに見たんや。カルマが……、死んでしまった姿を」
あの日の光景が走馬灯のように走り去る。忘れられもしない光景が、ヨイヤミの脳裏を過り、心に牙を突き立てていく。自分が弱かったばかりに、何もできずに消えていく命の灯火を、ただ見ていることしかできなかった光景を。
「お前は疑うだけで、俺が生きていることを喜んではくれないんだな……」
冷たい視線をヨイヤミに向けながら、カルマが放った言葉に、ヨイヤミはあからさまに動揺する。
一歩後退りながら、瞳と口許、拳を震わせ、まるで何かと葛藤しているように歯を食い縛りながら、それでもカルマに向けて言葉を紡ぐ。
「僕だって、本当にカルマが生きてるっていうなら、めちゃくちゃ嬉しいし、話したいことだっていっぱいあるんや」
最早泣きそうなほど、ヨイヤミの声は震えていた。カルマが生きている日々、そんなもしもの話をこれまでにどれだけ夢見ただろうか。
「でも、カルマは死んだ。僕が弱かったばっかりに、何もできんかった僕の目の前で」
いつまでも癒えぬ傷は、ヨイヤミの心に常に針で刺すような痛みを刻み続けている。弱さは罪だと、そう非難するように。
「死んだ人間は生き返らん。魔法なんて、すごい力があったとしても、人間を生き返すことだけはできんはずや」
その言葉を受けて、カルマは顔だけでなく身体の全てをヨイヤミに向けて向かい合う。まるで、アカツキの存在を忘れたかのように。
「だから俺は、カルマ・オルフェリアではないと?」
「そうや、カルマは死んだ。それは、疑いようの無い事実や」
それがヨイヤミの答え。目の前にどれだけの証拠を突きつけられようとも、己が見た事実は不変であると、そう結論付けている。
でもそれは寂しいことような気がするとアカツキは思った。目の前に、大切な親友がいるかもしないのに、その可能性を一切信じないで、自分の心を守るために疑うことだけに必死になる。
それはヨイヤミの強さで、弱さなのかもしれない。
受け入れてしまえば楽になることだってある。けれど、それで裏切られてしまえば、その心は崩れ落ちて元通りに修復することはないだろう。
逆に、目の前の男が本物のカルマ・オルフェリアだったとすれば、その存在を疑い続けられる彼の心情は計り知れない。
疑い続ける強さと、受け入れられない弱さ。
ヨイヤミの中で、その二つの思いが葛藤を続けている。
「だっらどうして、俺はお前の名前を知っている?別にお前は、そこの男と違って指名手配もされていなければ、何処かの国の王でもない。お前の名前を知っているのは、お前と縁がある人間だけじゃないのか?」
「そ、それは……」
再び疑いようのない証拠を突きつけられる。まるで、外堀から順に埋められているような感じだ。
「なんなら、お前との過去を一つずつ説明してやろうか?お前と俺が初めてあった場所、お前が初めてスラム街にいった時のこと、俺とお前の二人でグランパニア軍に抵抗したこと……」
もうダメだ、とそう思った。もう、疑うことが辛すぎる。途中から自分の意地だという自覚はあった。ここまで証拠を提示されて、これ以上疑えという方が無理である。だがそれでも、ヨイヤミはカルマに向けて非難の視線を浴びせる。
「ならどうして、お前はそっち側におるんや」
ヨイヤミは、信じていたのだ。彼が本物のカルマではないことを。だって、彼が本物のカルマなのだとしたら、彼がグランパニア軍にいることは自分への、なにより彼の妹であるレアへの裏切りに他ならなかったからだ。
だからこそ、本物のカルマがそんなことをするはずがないと信じていた。そこにいるのは偽物で、だからこそあちら側に与することができるのだと。
「グランパニアは僕らの故郷を奪ったんや。それに、あの憂さ晴らしのせいで、ニコルは命を落としたんや」
ヨイヤミやカルマと共に過ごした一人の仲間が、あの日命を落とした。自らの仲間の命を奪った相手に与するなど、カルマがそんな薄情な人間だとは思いたくない。
「大勢の人が死んだ。逃げられたんは、僕らだけや。僕ら以外の全ての住民が、あの日グランパニアの軍に蹂躙されたんや」
そんなことを平気で行う者たちの仲間になったこの男がカルマなはずがない。ヨイヤミはひたすら自分にそう言い聞かす。もちろんカルマには生きていてほしいのだ。でも、それがグランパニアに与するくらいなら、いっそ……。
「それがどうした?」
怒りに震えていたヨイヤミの震えが止まる。自分は何を言われたのだと戸惑うように、虚ろな瞳でカルマへと視線を送る。
「今、何て……?」
「それがどうした、って言ったんだ。大勢の人が死んだ。そんなの、この世界じゃ、そこら中で毎日のように起こってることだろ?そんなことをいちいち気にしていたら、その身がどれだけあっても足らないだろ」
「そんなことやと……」
ヨイヤミに再び怒りの火が灯る。ヨイヤミは俯き、地面に視線を落とす。表情は読み取れないが、肩は小刻みに震え、拳は固く握られている。
まるで導火線をジリジリと火が燃やしていくように、数秒間の沈黙があったあと、まるで爆発するようにヨイヤミが突如顔を上げてカルマを睨み付け怒号を放った。
「ふざけるなっ!!お前が本物だろうと、偽物だろうと、そんなこともうどうでもいい。僕は、お前を許さんっ!!」
信じていたものが崩れ落ちる音がした。それと同時に、ヨイヤミの中で確固たる覚悟が生まれる。
「もしお前が本物のカルマやったとして、少なくともあの頃のお前やないんやな。そんなお前を、レアやみんなに会わせる訳にはいかん」
ヨイヤミは自らが手にしていた長刀の切っ先をカルマに向けて突き付ける。
「俺はお前を倒す。そのへし折れた性根を叩き直して、それでお前が全てを改心できたら、今度はレアたちに土下座させる」
本物だろうと偽者だろうと関係ない。少なくとも彼はヨイヤミが知る彼ではなくなってしまっているのだから。けれど、本物のカルマが生きている可能性がある。それだけは、ヨイヤミの中で、一つの希望として心の中に刻まれた。
だから決めた、もう一度あの頃のカルマを取り戻すと。
「覚悟しとけ、カルマ。僕は強いで」
カルマはニヒルな笑みを浮かべる。その笑みにいったいどんな感情が含まれているのか、それは彼だけが知ること。だから、それをどう解釈するのも、その笑みを受けた者の勝手だ。
「無知で無力なお前に、何ができるのか。楽しみにしているぞ」
久しぶりのあとがきです。最近は週一更新守ってますよ!!楽しんでくれている人がいれば幸いです。たまには感想なんかで、読者様の声をお聞きしたいな~(懇願)。それはそうと、最近はこれまでのキャラの再登場に余念がありません。まあ、みんな二年ぶり(実年月)くらいに描いているので、キャラを取り戻すのめちゃ大変です。その上で、この三年間(物語年月)の変化を描かないといけないとか、うん、もうよくわからん(笑)。そんな訳で、前編から読んでくださっている方々は、それなりにお楽しみ頂けてるとこちらでは勝手に思わせてもらってます。さてさて、何で突然あとがきを始めたかと言いますと、ちょっと言い訳をしたかっただけですごめんなさい。来週でこの章が完結します。ですが、次章はちょっとお待ちいただくことになります(ストックが無くなった訳じゃないんだからね)。というのも、とある企画の為に、四章を全編再構成して、一から描き直しました。今投稿されているのが、約45000字なんですが、再構成したのはその倍以上の約100000字です。一ヶ月で書きあげた量としては過去最高クラス。まだ、こんだけ書けたのね、、、。ということで、この章が終わり次第『Re:融けゆく呪われし氷』と題しまして、週二更新で更新していこうと思います(その間にストックをry)。四章はこの話の中でも一つのターニングポイントとなるお話ですし、少しは成長できた(と思っている)自分で、もう一度書き直したいと思っていました。そしたら熱意余って、薄めの単行本一冊分くらいの分量になってました(笑)。久しぶりのキャラも何人か描けたので懐かしくて、楽しかったです。週二更新で、なるべく早く本編に戻しますので、どうかお付き合いください。それでは、次話まで、、、。