龍と死神
「いくぞ!!」
戦いの覚悟は決した。アカツキは二振りの退魔の刀を両の手に召還する。身を屈めて地面を蹴り、今度はアカツキがヨイヤミよりも先に相手に肉迫する。
「悪いけど、もう手加減はしないからな。正体を明かすなら今の内だぞ」
正体を明かして、刃を収めろ。まだわだかまりを拭い切れていないアカツキの最後の警告。それでもニアは大槍を振り払い、アカツキと距離を取る。
ニアの戦い方が若干変わり始めている。二対一の連撃を恐れ、接近戦から遠距離戦に持ち込もうとする。それに気付いたアカツキたちもまた、距離を空けられない様に交互に詰めていく。
紅と蒼の演舞が止め処なく繰り広げられる。二つの紅に、蒼も決して引けを取ってはいない。
「流石はグランパニアで隊長を務めるだけのことはあるわ。やけど、二人相手にするのはそろそろキツイやろ!!」
ヨイヤミの掌から砲撃のような火球が放たれ、ニアがそれを大槍で切り伏せる。すかさず懐に入り込んできたアカツキが、二アに向けて刀を横薙ぎに振り切り、それを手甲で受け止めたニアが勢いに負けて体勢を崩す。
「うっ……」
初めて女性らしい声が仮面の下から漏れる。その声に、一瞬アカツキが喉の奥に何かが引っ掛かるような感覚を覚えたが、それが何なのか理解するよりも先にヨイヤミの攻撃がニアに襲い掛かる。
「もろたで!!」
脚に炎を纏ったヨイヤミがニアに肉迫し、その脚を思いきり振り切った。女が相手だからと手加減ができるほど、資質持ち同士の戦いは甘くない。それを理解しているヨイヤミの一撃は重く、ニアの身軽な体躯を吹き飛ばした。
ニアが黄土色の地面をバウンドしながら勢いよく転がっていく。その勢いを止める物は無く、ヨイヤミから数十メートルの距離が生まれる。そんな勢いに被っていた仮面が耐えられるはずも無く、仮面はニアの頭から剥がれ落ち、数メートル先へと転がっていった。
仮面が外れても、彼女の長い白銀の髪が彼女の顔を覆っている。未だアカツキはその表情を見ることができない。だというのに、心の奥でぞわぞわと何かが湧き上がり、これ以上立ち入ることへの危機感を煽り始める。
銀髪の女はあくまで顔を見せないように、その長髪に顔を隠しながら仮面へと手を伸ばそうとした。だがそれを、ヨイヤミが許しはしなかった。
ニアの手が仮面へ到達するよりも早く、ヨイヤミの脚がその仮面を踏みつけたのだ。意地の悪い行為だという自覚はある。けれど、正体がわからなければ、迷いが完全に消え切らないのはヨイヤミも同じだ。
「返して……」
とても小さな声で、ニアは呟いた。まるで、ヨイヤミにしかその声を聞かせたく無いとでも言うように。他の誰かに、その声を聞かせないように。
「この仮面が、そんなに大事なんか!?」
戦うことよりも、まるで仮面を被ることを優先しているかのように見えるニアに、ヨイヤミも違和感を覚えずにはいられない。ただ戦いをするだけであれば、こんなもの必要ないはずだ。
だからヨイヤミはその仮面に理由を見出していた。ヨイヤミが出した答えは二つ。
一つ目は、その仮面の下に人には見せることのできない程の傷を刻んでいること。仮面の下の声から、女性であることは確信していた。そして資質持ちとなれば、激しい戦いを余儀なくされることだって少なくは無い。だから、この可能性が一番高いと思っていた。
だが、ヨイヤミが眼にした彼女の姿は、玉のようにきれいな白い肌だった。まるで、箱入り娘のように誰かに守られて育ってきたかのようなその柔肌は、この戦場にはとても似つかわしくは無い。
傷など一つも無く、汚れすらも寄せ付けない。ヨイヤミから言わせれば、むしろ人に見せつけて生きていけば、それだけで周りからちやほやされそうだと思えるほど綺麗な顔だった。
白銀の長髪とも相まって、少し血の気は無さ気に見えるかもしれないが、むしろそれが深窓の令嬢のような、浮世離れした美しさを醸し出している。
だというのに、彼女は戦闘よりも仮面を優先しようとしている。ならば、ヨイヤミが考えていた二つ目の答えが正しいとしか考えられない。
その二つ目とは、誰かにその顔を見られたくないから。それも、今まさにこの場にいる誰かに。そしてヨイヤミは既にその顔を眼にした。それでも仮面を求め続けるということは……。
「お前、アカツキの一体なんなんや?」
もう答えには辿り着いている。先程の声の小ささも、アカツキにはその声を聞かせないため。
「返してよ……」
こんな無防備な姿を敵の前に晒してまでその仮面を求めるのは、アカツキにはその顔を見せないため。
ギリっ、とヨイヤミが歯軋りをする音が鳴る。ヨイヤミの中で答えが出ない。自分は一体どうすれば良いのか。
目の前にいるのは、グランパニア第二部隊隊長だ。放っておけば、間違いなく敵となる相手。それが今、目の前でこんな無防備を晒してこちらに手を伸ばしている。自らが持つ長刀を突き立てれば、簡単にその命を奪うことができる。
だというのに、長刀を携える右手が硬直して動かない。それは親友に対する絶対的な裏切りになるような気がして。
「返してってば……」
「その声……」
「はっ……」
背後から聞こえたアカツキのその声に、ニアは驚きを隠せないといったように伸ばしていた手を振るわせた。ニアの動きが時が止まったかのように停止する。動けば、何かが崩れ落ちてしまいそうな気がして。
仮面を取り返すことに必死で、その背後の気配にニアは気付いていなかった。アカツキは静かに、ニアとヨイヤミの元に歩み寄っていたのだ。それだけの時間があったことにニアは全く気付いていなかった。
「なあ、もしかして……」
アカツキも、まるでその名を口にするのを恐れるかのように、恐る恐る言葉を紡いでいく。
これまでも全くその可能性を考えなかった訳ではない。よく考えれば、その姿に合致する部分はいくつかあった。いや、よく考えなくたって。アカツキの過去の全てを知るものがいれば、真っ先にその答えに辿り着いていたのかもしれない。
だが、アカツキは無意識の内に、その人物を解答から省いていた。彼女が自分に刃を向けてくるはずなど無いと思っていたから。いや、だからこそ彼女の戦い方は不明瞭に感じていたのかもしれない。アカツキが思い浮かべていた通り、彼女はアカツキに刃を向ける気なんてなかったから。
全ての手掛かりが繋がり、その答えに行き着いた途端、これまで喉の奥に詰まっていたわだかまりがすとんと胃の中に落ちていった。
「お前、リルなのか……!?」
ニアの肩が大きく震えた。それだけで十分だった。確信だった。
彼女は生きていた。長い時間が掛かってしまった。それでも、こうして再び彼女と巡り会えた。ただ、その立場があまりにも考えていたものかけ離れていた。
諦めたようにゆっくりと伸ばしていたニアの手が降ろされていく。手が地面についたと同時に、身体中の力という力が抜けるように、ニアの肩がガクンと落ちた。
ヨイヤミもこの時だけはただ黙って、ことの行く末を見守っていた。
「生きていてくれたんだな」
まだ彼女は自分がリルだとは名乗っていない。けれど、アカツキの中には既に確信があった。だから、早く顔を見せて欲しいと、そう思った。再開を喜べる状況ではないことは重々承知しながら、それでもアカツキはその顔を一目みたいと切願した。
「俺、ずっとお前のことを探していたんだ」
彼女のことを忘れた日など一日もないほどに。自分のことを気が多い性格だとは思わないが、それでもどんな女性と一緒にいる時でも、彼女のことを忘れたことは一度も無いと断言できる。
だから、彼女がどんな姿で、どんな立場に成り代わっていたとしても、彼女が生きていてくれただけでアカツキの心の奥底を温もりが包んでいく。
「俺たちの村がグランパニアに襲われたあの日からずっと、俺とお前が離れ離れになった日からずっと、俺はお前を探し続けていた」
忘れられるはずが無い。自分がこの広い世界を知る前は、ずっと彼女が自分の世界にいたのだ。彼女だけが自分の世界に彩を与えてくれていたのだ。
その白銀の長髪に隠れた顔がどんな表情を浮かべているのか、今のアカツキにはわからない。けれど、彼女の肩が小刻みに震えている。彼女は決して強い性格ではない。だからこそ、仮面で自らを隠し、その心に鍵を掛けたのだ。
だから、その鍵が外れてしまった彼女が、この状況をそう簡単に呑み込めるはずが無い。彼女ならば絶対に、その心に何かを感じてくれているはずなのだ。
地面に這っていたリルの掌がゆっくりと握り締められていく。自らの心に折り合いをつけるように、時間を掛けてゆっくりと。そして、掌が拳となったのを合図にするように、ニアがゆっくりと立ち上がり、その銀髪を揺らしながら、こちらに振り返った。
そこにあったのは少しだけ大人びた、けれどあの時と変わらないほどに、少し血の気の薄い白い肌を携えた綺麗な顔だった。病弱などとは程遠い性格をしている癖に顔色だけが白くて、自分の都合が悪くなると急に咳き込む振りをする無邪気な顔。
「久しぶりだね、アカツキ」
ニア改めリルが、ようやくアカツキと視線を交わす。たったそれだけのことに、どれだけ希い、切に願ったか。たったそれだけのことに、どれだけの時間を掛け、どれだけの旅をしてきたのか。
「私もずっと会いたかった」
そう言ってくれるだけで、全てが報われるような気がした。寄り道もたくさんしてきたけれど、やはりその先の終着点の一つは彼女なのだ。いくつもの終着点の中に、彼女は間違いなく存在している。
あまりの嬉しさに言葉が出ない。その顔をたった一目見られたことが、言葉を失わせるほどに嬉しかった。
「俺も、会いたかったよ……。やっと……、ようやく会えた」
リルの瞳が潤んでいる。彼女もまた、自分との再会を喜んでくれているのだろうか。ただ、その表情が、自分が浮かべるものとは何処か違う気がして。
「でも、それと同じくらい、会いたくなかった」
「えっ……?」
一瞬何を言われたのか理解が追いつかなかった。
先程彼女は自分と同じ答えを導き出してくれた。自分と彼女が同じことを考えてこの数年間を生きていたことが本当に嬉しくて、ようやく自分の思いが報われたと思った。
だというのに、彼女はそれとは全く逆の言葉を口にしたのだ。『会いたくなかった』と。
「何言って……?」
ともすれば情けないと思われても仕方が無いくらいに悲壮感の漂う声音で、アカツキはリルに問いかける。本当に自分が何を言われたのかわからないといった様に。
「わからないなら、もう一度言ってあげる。私はアカツキに、会いたくなかった」
はっきりと断言される。聞き違えなど許さないという様に。
心を弾丸で打ち抜かれたような痛みがアカツキの中を駆け巡る。呼吸の仕方を忘れてしまうほどの動揺がアカツキを埋め尽くし、瞳の焦点が一点に定まらない。
「どういうことだよ。俺は、ずっとリルのことを探して……。あの日ちゃんと守ってやれなかったから、今度こそって……」
ずっと心の中にわだかまりとして残っていた思い。自分が強ければ、あの日もっと多くの者を救えていたのではないか。自分を育ててくれた祖父や、自分と共に毎日を過ごしてくれた目の前の女の子。
だからもう一度出会えたのなら、今度こそ離れ離れにならないように守り抜こうと……。
「もう、アカツキの助けなんていらない。私は独りでも、十分に戦える」
「違う……。違うよリル。そういうことじゃないんだ」
別に、リルが戦えるかどうかなんてどうでもいい。ただ、アカツキはリルとまた、あの頃のように日々を共に歩んでいきたいだけで……。
「私とあなたは敵なの。わかるでしょ?今の私たちの立場を考えれば」
「そんな立場、捨ててしまえばいいだろ。俺といるより、そんなところにいることを選ぶのか!?」
リルの肩が再び震える。確かに自分の声は彼女に届いている。ならば、もっと背中を押してあげれば……。
「俺と一緒に来い!!俺ともう一度……」
だが、アカツキが言葉を紡ぎ切るよりも早く、アカツキとリルの前に砂埃が巻き上がる。その姿は砂埃にベールのように覆い隠され、シルエットしか見えない。
「誰だっ!!」
ゆっくりと砂埃は風に吹かれて、そのベールが徐々に剥がれていく。
そこから現れたのは、燻る炎のような赤褐色の短髪を携えた、死神のように冷徹な視線を向ける男。
「俺の仲間をこれ以上虐めないでもらおうか」