純粋と不純
少々時を遡る。仮面の女との戦闘を決意したアカネは、アカツキの邪魔にならないために、そこから距離を取った。向こうも、アカツキたちの戦闘を邪魔する気はないらしく、素直にアカネの後を追ってくる。
「仮面しながら戦うなんて、不気味なやつね……」
相手からすぐさまに戦闘を開始する意思は感じられない。どちらかといえば、こちらの様子を伺っているような感じがする。それは時間稼ぎを考えていたアカネにも好都合だったので、攻撃を仕掛けることなく、アカツキから離れることに注力する。
どれくらい距離を取っただろうか。砂漠は同じ景色が広がっているため方向感覚も失いやすい。正直、あまり離れたくはないが、離れなければアカツキの邪魔になる。資質持ち同士の戦いとなれば、数百メートルなど離れていないのと変わらない。
「さすがに、もういいでしょ」
そう呟きながら、アカネは急ブレーキを掛けてドリフトをするように相手に向き直る。相手もこちらに合わせるように『よっ』と言いながら身軽に脚を止める。
「あれっ?追いかけっこはもう終わり?」
そんなことを遊び相手にでも投げ掛けるような雰囲気で尋ねてくる。その気楽さが、仮面も相まって逆に不気味さを増していく。何を考えているのか全く読めない。
「あんた、何者なの?」
正直、敵意は一切感じない。戦う気があるのかどうかも定かではない。ただ、相手が資質持ちなのは間違いないだろう。資質持ち特有のオーラのようなものはジリジリと皮膚を刺激する。
「何者って言われると困るなあ……。そうだねぇ、どこにでもいる普通の女の子かな」
「普通の女の子は仮面なんてしないでしょ」
「ええ、知らないの。今トレンドなんだよ。めっちゃ流行ってるのに~」
何だこの女子トークのようなノリは。ふざけているのか、それともこれが素なのか。いや、こちらの戦意を削ぐ作戦と思っていた方が得策だろう。こちらの懐に入り込んで、一撃で決める気かもしれない。
「そんなに怖い眼で見て、警戒しなくても大丈夫だって。ハリーから離れたんだから、もう頭首の命令には従った訳だし」
あくまでも体裁上ハリーの命令を聞いただけであり、戦う意思は無いと、目の前の女はそう言った。だが、アカツキの話では、ハリーの背後には間違いなく影の首謀者がいるはずだ。ならば、この女がその可能性が高い。
「じゃあ、私のことは見逃してくれるの?」
「見逃すも何も、元々戦う気なんてこれっぽっちもないって。さすがに頭首の手前、戦う振りをしない訳にはいかないでしょ」
確かに言い分は間違ってはいない。二人との距離が離れてからは、攻撃をしてくる様子は微塵も感じられなかった。攻撃されたのは彼らの視界に入る最初の数百メートルだけ。しかも、どう考えても魔力を抑えた攻撃だ。
「じゃあ、どうしてあんたはこんな野蛮なところにいるわけ?戦いたくないって言うなら、そもそもこんなところにいるのがおかしいでしょ?」
アカネは無意識の内に戦いから逃げている。話し合いで終わるのならそれでいいと、戦わなくて済むのならばそれが最善だと。
確かにその考えは間違っていない。だが、アカネの根本にあるのは自信の無さだ。戦闘経験の浅いアカネは、無意識の内に戦いから逃げようとしているのだ。
「いやあ、やっぱりああいう危うい男の人って放っておけないじゃん。誰かが側にいてあげないと、独りで勝手にボロボロに傷ついて、最後には壊れて何も残らない」
アカネがハリーに抱いた印象も、彼女の言葉と大きく相違は無い。ハリーは見るからに危うい。まるで心の中に常に爆弾を抱え、その起動スイッチも誰でも容易に押すことができる場所にあるような。
「だから、私が一緒にいてあげないとなあって。こういう乙女心、女の子の君ならわかるでしょ?」
わからないとは言わない。自分がアランに向けていた気持ちの中にも、そういうものは確かにあった。
「それなら、こんな戦いの世界からは連れ出してあげなきゃいけないんじゃないの?どうして、いつまでも彼を戦わせているの?」
彼女の言葉は矛盾している。そんな壊れそうな男を、こんな壊れそうな世界に置いておくことが一番危険ということは誰だってすぐに答えが出る。だというのに、この女はその男を独り残し、こんなところで呑気に会話をしている。
「だって、あの人怖いじゃない。逆らったら、誰彼構わず刃を向けてきそうだし、だから私にできるのは側にいて優しくしてあげることだけかなって」
まるで恋する乙女とでも言うように、恥じらいながら両手の指を絡めている。
「あなたはハリーのことが好きなの?」
「ええ、好きよ」
何の迷いも無くそう告げた女の唇はどこか艶かしく、言葉の意味とはかけ離れた冷たさがアカネの背筋を舐めた。
女の直感が告げる。これは違う。彼女の言葉にした『好き』は、自分が抱く『好き』とはかけ離れた感情だと。
「あなた、何を考えているの……?」
額を汗が伝う。目の前の女に纏う空気が、黒掛かっていくように感じる。無意識の内に、アカネは拳を握り締め、その拳を震わせていた。
「やっぱりダメね……。女の子と話す機会なんてここの所無かったから、仮面の被り方を忘れちゃった」
仮面を被りながらそんな意味深の言葉を口にした女の口角が歪にゆがみ、先ほどまで覆い隠されていた敵意が突如としてあふれ出す。
「あなた、私の言葉なんて、これっぽっちも信じてくれる気ないんでしょ。だったら、いくら仮面を被っても無駄よね。それにあの男を立ち直らせたの、あなたなんでしょ?」
突如冷たくなった彼女の声音に背筋が怖気を覚える。
『あの男』という言葉に若干戸惑いを覚えたが、それがアカツキを指しているのだとすぐに気付く。
「あなた、アカツキのことを知っているの?」
アカツキは女の姿を見ても知人だとは思っていなかったように感じる。三年が経った上に、仮面で顔を隠していれば、気付かないのも無理はないだろう。
「ええ、知っているわよ。昔はもっといい顔をしていたわ。さっき見たら、すっかりつまらない顔になっていてがっかりしたけど」
女の言葉の意味を理解できないのではなく、理解したくない。こんな女がアカツキの知り合いだというだけで怖気が走る。
「あんた、自分が何言ってるか……」
「わかってるわよ。だって素敵じゃない。男が壊せもしない壁に必死にぶつかって、逆に自らが壊れていく姿って……」
女は目の前にご馳走を並べられたように舌なめずりをする。唾液で潤いを増した唇を指で撫で、仮面の上からでもわかるような恍惚とした表情を浮かべながら、アカネに向けて笑いかける。
「おまええええぇぇぇぇぇ!!」
アカネは怒りに任せて、目の前の女に向けて腕を突き出した。掌の前に露草色の魔方陣が形成され、同じ色の稲妻が女に向けてほとばしる。
アカネの攻撃を女はきわめて冷静に、スッと人差し指を下から上に振り上げると、砂漠から突如氷の壁が現れ、アカネの稲妻から女を守った。
「もう、怖いじゃない。そんなにピリピリするとお肌に悪いわよ」
あくまでも彼女は飄々とした声音を崩すことは無い。それだけ目の前の敵は戦いに慣れているということ。感情に任せて攻撃を仕掛けてしまう自分よりも余程。
「ああでも、私嘘は吐いてないからね……」
アカネは眼を細めて女を射抜く。何が、などとは言葉にしない。その疑問をその視線に込めながら、アカネは女を睨み付ける。
「私はハリーが好きよ」
それは先ほどの自分が投げ掛けた問いかけの答え。そして今回も先ほどと変わらない答えが返ってくる。だが、今回の女はそこで言葉を切ることは無かった。
「だって今にも壊れそうで、いつ壊してあげようかって、ドキドキしながら毎日を共に過ごしたわ。この心の高鳴りが恋ではないと、誰が言えるかしら?」
その言葉と、彼女がアカツキのことを知っていると言っていたことが、頭の中で無意識に繋がった。それが事実かなど今はどうでもよかった。その可能性を考えただけで、アカネの中に言葉にできない怒りが湧き上がり、頭の中で何かが爆発する音が聞こえた。
「この、外道がああああぁぁぁぁ!!」
今度は腰を屈めて身体中に魔力を集める。自らの足元に魔方陣が形成され、その魔方陣から溢れんばかりの稲妻が、バチバチと音を立てながら暴れ始める。
そしてアカネが天に手を翳すように腕を振り上げると、魔方陣から何本もの蒼い雷の柱が女に向けて襲い掛かる。
「そんな感情的な攻撃じゃ、魔力の質があまりにも疎かよ」
そう言って女が地面に掌を翳すと、砂漠を駆ける雷柱の進路に空色の魔方陣が現れた。そして、アカネの雷柱がそこを通った瞬間、巨大な氷柱が砂漠より突き出し、それと共にアカネの雷柱が消滅した。
「うそ……」
アカネが繰り出した雷柱は、両手で数えられるような数ではない。放たれた雷柱はアカネの意思を離れ、ただひたすらに女に向けて駆る野生動物と化していた。
それを、女はご丁寧に一本一本確実に座標を定めて消滅させた。
「私はね、器用な女なの。まあ、色んなところで仮面を被って生きていれば、嫌でも器用になるんだけど……」
器用なんて言葉で片付けられる芸当ではない。腕を四本、指先まで一点のブレも無く操るようなものだ。そんな芸当、今のアカネには到底できない。
「どうする、戦うの止める?私は別に構わないんだけど?」
女は口元に笑みを浮かべながら、余裕のある声音でそんなことを問うてくる。だが、あんなことを口にする女を、今更信用などできるはずも無い。戦わない選択をしたところで、背中を向けた瞬間自らの命はこの世から消え去るだろう。
それに目の前の女を一発殴らなければ、猛り狂う自らの心に収まりがつかない。
「止める訳無いでしょ」
「あら、そう。それは残念ね。無駄な殺生は、あまり好まないんだけど」
どの口がそんなことを言うんだ、とアカネが心の中で更に怒りの熱を増していると、それを察したのか、女が言葉を続けた。
「だってあなた男でもなければ、別に何かに押し潰されそうな表情もしてない。むしろ、本当につまらない顔をしているわ」
そう言いながら、女はつまらなそうに鼻を鳴らす。それくらいの余裕が、目の前の敵にはあるのだ。
正直、勝てるビジョンが見えない。正面から戦っても、恐らく勝ち目は微塵も無いだろう。自分ができるのは、アカツキがこちらに来るまで時間を稼ぐこと。こういうときこそ冷静に、相手を倒そうなどとは決して思ってはいけない。
「何のために、いままでアカツキと修行してきたと思っているのよ」
女には聞こえないような小さな声で、自分に言い聞かせる。アカネは自らの胸の辺りをギュッとつかみながら決意する。自分の力では到底辿り着かない敵と戦う決意を。
「どう考えても諦めた方が身のためだと思うけど、あなた本当にそれでいいの?」
相手が急いでケリを着ける気が無いのは強者の余裕だろう。自分に求められることが、時間稼ぎなのだとしたら、これに乗らない手は無い。
「いいわよ。あんたを一発殴り飛ばさないと気がすまないし」
『あっ……』とアカネは心の中で自らに呆れていた。あれだけ冷静にと頭ではわかっていながら、目の前の女への怒りが抑えきれずに自ら宣戦布告してしまった。まあ、今更口にした言葉を取り下げることもできないので、覚悟を決めざるを得ない。
「そう、あなたに殴られる理由があんまりわかんないけど、降り掛かる火の粉は払わないといけないわよね」
女がそう告げると、何の予備動作も無しに女の背後にいくつもの魔方陣が形成されていく。
こうなれば、戦って時間を稼ぐしかない。
「アラン、お願い。私に力を貸して」
そして、アカネは未だに胸の辺りを握り締めていた左手に更に力を入れると、アカネを覆うほどの大きさの魔方陣がアカネの背後に形成される。
それが溢れ出さんばかりの光を帯び始めたのと同時に、アカネは魔法を詠唱する。
「精霊たちよ、私に力を貸して。猛き雷の精霊、トルトニス」
その魔方陣を割るようにしてアカネの背後に現れたのは、二本の大ナタを携え、鎧を身に纏った雷の化け物。アカネがアランから受け継いだ、アランが得意とした身体強化魔法。
「あんただけは、絶対に許さないんだから!!」