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The Story of Ark -王無き世界の王の物語-  作者: わにたろう
第十五章 自由を求める者たち
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一緒にいてあげる


 ハリーが倒れたことを視認したアカツキが拳を握り締めると、背後の魔方陣はガラスが割れるように飛び散り、倶利伽羅は姿を消した。

 静寂が辺りを包む。ハリーは砂のベッドに横たわり、アカツキもハリーを見下ろすようにただその場に立ち尽くしている。やがて、小さなうめき声と共に、ハリーが砂を巻き込みながら、拳をゆっくりと握り締める。


「まだまだ、遠いな……」


「いや……、遠くなんてないだろ。ただ、俺とお前は、選んだ道が少し違っただけ。始まりも、進んだ距離も、違いなんてないんじゃないか」


 ハリーはほとんど言うことを聞かない身体を、小刻みに震えながらゆっくりと立ち上がらせる。それでも、膝をつき腕で身体を支えるのがやっとなくらいだった。


「負けられないんだよ……。俺は今更、ここで甘えるつもりはない」


 そんな状態にもかかわらず、まるで生まれたての赤子のように、身体を引きずりながらアカツキの元へと近づいていく。その視線は最早どこを向いているのかはわからない。ただ声が聞こえる方角へその身を持って行く。

 資質持ち同士の決着はそのほとんどが生か死か。ハリーもまた、その決着を望んでいる。


「俺は、もうこれ以上戦う気はない」


 そんなハリーに向けてアカツキは神妙な声音でそう告げた。アカツキはここにハリーを殺しに来たわけではない。彼を止めに来ただけなのだ。ならば、これ以上戦う意味がない。


「そんな甘い話が、この世界にあるわけがないだろう。だから、俺たちはあの日大切な人を失った。俺たちには、罪を背負って生きていくか、その罪に押し潰されて死ぬかのどちらかしかないんだ」


「そんなことないっ!!」


 その声は本来ここにあってはいけないもの。ハリーからすればここに、いや、この世界にあるはずがない懐かしい声音がその鼓膜を震わせた。


「あなたは十分その罪に押し潰されたじゃない。そんなにボロボロになって。ううん、身体だけじゃなくて、その心はきっと、もっとボロボロなんでしょ」


 そうか、自分は既に死んでいるのか。これは既に夢の中。それならば、彼女の声が聞こえても、なんらおかしくはない。ハリーはそう思い、静かにその瞼を閉じる。


「本当はもっと早く、私が迎えに来るべきだった。それなのに、私が弱いから、私が何もできない役立たずだから、こんなに時間が掛かっちゃった」


 こんな夢の中くらい彼女には笑っていてほしい。もう彼女の悲しむ顔も、苦しむ顔も見たくない。どうせ夢なら、いつも笑っていたあの日の彼女を。


「ごめんね。本当にごめんね。今まで会いにこられなくて、こんなボロボロになるまであなたを放っておいて」


 止めてくれ、彼女に謝られることなんて何もしていない。むしろ、謝らなくてはならないのは自分なのに。


「もう、あなたを一人にしない。あなたは私の従者だから。私がちゃんと面倒見て、あなたがまた一人で傷つかないように見ていてあげる」


 そんな悲しそうな声で、そんなことを言わないでほしい。

 ああでも、そうやって言ってもらえるのなら、足掻いた甲斐はあったのかもしれない。死に際に、こんな夢が見られるのなら、自分の言って欲しいことを、自分の言って欲しい人から言ってもらえるのなら、俺のこの数年間は……。

 そんなことを思いながら、ゆっくりと瞼を閉じ、力なく地面に倒れこもうとしたその瞬間、誰かに自らの身体を抱きかかえられる衝撃が走る。その感覚はとても柔らかく、優しさに包み込まれるような……。


「へっ……?」


 これは夢だと思っていたハリーは、思わず素っ頓狂な声を漏らしながら、その瞼を拡げる。死ぬ直線の夢はこんなにリアルに感覚を再現できるものなのか。


「何、変な声出してんのよ、もう……。私が生きていることが、そんなにおかしい?」


 その衝撃の主に視線を持って行く。そこにはずっと近くにあって欲しいと願い続けた顔が、瞳を真っ赤にしながら潤ませて、それでも優しい笑みを絶やさないように微笑みかけてくれていた。


「うそ、だろ……」


 今日は本当におかしい。何度現実を疑えばいいのだろう。何なら、さっきまでの戦いも丸ごと夢だったのではないだろうか。だったら、この痛みはどう説明する。


「うそじゃないよ。私はここにいる。生きて、あなたと同じ世界に立っている」


 その事実を確かめるためか、ハリーは辺りを見回す。どうやらアカツキを探しているようだ。ここが夢であるのならば、彼はもうここにはいないはずだから。

 だが、彼はそこで自分と彼女の姿を優しい微笑を浮かべながらジッと眺めている。邪魔はするまいと、その唇を固く結びながら。


「本当に、アリーナなのか……?」


「もう、どれだけ疑えば気が済むのよ。私は、私しかいないでしょ」


 ムッとしたように少し頬を膨らませながらそんなことを言う彼女はとても愛おしく、まるで時が戻ってきたかのようにあの日の記憶が脳裏を駆け巡る。


「生きていて……、くれたんだな……」


 目頭に熱が増し、溢れ出る涙を必死に押さえ込もうとするが、今度は唇の震えが止まらずに、結局どちらも瓦解していく。


「別に、ハリーの為に生きていた訳じゃないけどね」


 そんなツンデレみたいなことをからかうような口調で言いながら、彼女は瞳に涙を浮かべながら微笑んでくれる。

 もう、このまま死んでしまってもいい。大切な彼女の胸の中で死ねるのであれば、このまま命尽きたとしても、何の後悔もない。

 そう思えるくらいに今が幸せで、そう思うほどに罪悪感が心の中を舐めるようにざわつかせる。

 このまま死ぬことができたら、この罪悪感に呑まれることなく、ただ幸せな気持ちだけを抱きながら意識を空の彼方へと飛ばすことができるのだろうか。


「なに目を瞑ってるのよ、瞼を開けなさい、瞼を。あんた、こんなことまでしておいて、ここで楽に死ねると思ってないでしょうね。そんなのこの私が、あんたの主として許さないわよ」


 そう言って、瞼の間に指を突っ込んで無理やりにこじ開ける。本当に死にそうな人間にやっているとかなりの絵面だなと思いながら、アカツキはそんな二人のやり取りを苦笑交じりに眺めていた。


「痛い、痛い……。わかったから、もう目を瞑ったりしないから」


 さっきまで殺し合いをしていた相手が、何の力もない普通の女性にやられるがままになっていると、少しだけやりきれない気持ちが湧いてくるが、そんな水を差すような真似はしない。


「でも、本当によかった。本当に取り返しがつかなくなる前に、あなたに会いに来ることができて」


 ハリーの瞼をこじ開けていた手を収めて、安堵の溜息を吐きながらそんなことを口にするアリーナ。けれどその言葉に、ハリーは眉先を落としながら困ったような表情を浮かべる。


「もう、十分取り返しがつかないことをしてしまったよ。俺は多くの人の人生に関わって、多くの人の人生を狂わせた。取り返しなんて……」


「それでも、あなたは生きている」


 ハリーの言葉を最後まで聞くことなく、アリーナはハリーの言葉を否定する。


「確かに、簡単には償えないほどの罪を、あなたは背負ってしまったかもしれない。それでも、あなたは生きている。死んでいないのならその身を以って、自分が迷惑を掛けた人たちに償わなきゃならない」


 そう言われたハリーはストンと肩を落として力なくうなだれる。


「そんなの無理だよ。だって、俺が殺してしまった人はもう戻ってこない。生きている人たちだって、俺がこの身一つでできる人数なんて限られてる」


「だから死ぬの?」


「そうだ。だってそれが最適な答えだろう。このまま生きていたってみんなの恨みを余計に……」


「死んで楽になって、それであなたはどんな罪を償えるの?死ぬことは、償いなんかじゃない」


 アリーナの瞳から優しさが消える。逃げることが嫌いな彼女にとって、それは許せない答えだった。だから今、目の前の男がどれだけ弱っていようが、それを許してやるつもりは微塵もない。


「なら、どうしろって言うんだ……」


 それは悲痛な叫び。ハリーだって考えなしにそんなことを言っている訳ではない。

 ずっと考えていた。今の時間がずっと続くはずがない。この時間はいずれ終わる。その時に、自分は巻き込んだ彼らにどうやって報いればいいのか。そんなことを考えなかった日など、一日もないほどに。


「そんなの自分で考えるしかないでしょ」


「考えたさ、考えて、考えて、それでもどうしようもないから……。アリーナがいなくなってからずっと、俺は誰かに報いることばかり考えてきた。どうすれば、自分が背負った罪に報いることができるのか」


 懺悔のような彼の告白に、アカツキもアリーナもただジッと痛みを噛み殺すような面持ちで耳を傾けている。


「その結果がこれだ。余計に罪を重ねて、自分で背負いきれないほどの罪を犯して。どうせ俺が生きていたって、余計に罪を重ねるだけだ。それなら、死んだ方がいいだろう」


 アカツキに心臓を握りつぶされるような痛みが走る。同じ言葉を口にした記憶がある。同じ思いを抱いた記憶がある。自分は罪を重ねるだけで、それに報いることはできないと。

 アカツキも自らの胸を抑え、その痛みに何も言葉にできずに立ち尽くしていると、その静寂を優しい声音が溶かしていく。


「じゃあ、これ以上あなたが罪を重ねないように、私が見張っていてあげる」


「えっ……?」


 悲痛な叫びをあげるハリーの掌を、アリーナの掌が優しく包み込む。その声音は聖母のように慈愛に満ちていて、痛みや苦しみを暖かな何かで包み込んでいく。


「あなたが一人で罪を背負えないって言うなら、私が一緒に背負ってあげる。あなたが一人で罪を償いきれないって言うなら、私も一緒に手伝ってあげる」


 彼をここまで追い込んだのには、少なからず自分の責任も含まれている。もっと早く彼に会っていれば、もっと早く自分が生きていることを伝えられていれば。けれど、それよりも……。


「私も、これまでたくさんあなたに助けられてきた。いつだってあなたが側にいてくれたから、私はこれまで頑張ってこれた。ハリーには、いっぱい大事なものをもらってきたから」


 そう言って、ハリーの掌を包んだ自分の手を、自分の胸に持っていく。


「だから、今度は私が返す番。少しずつでいい、私と一緒に罪を償っていきましょう」


 その言葉を耳にしたハリーが表情を徐々に崩しながら、まるで子供のように大声を上げて泣き崩れる。それはアリーナですら目にするのが初めてなくらい、ハリーが感情を曝け出した瞬間だった。

 きっと様々な葛藤の中で、この数年間を生きてきたのだろう。自分も同じ境遇にいたとは言え、それをわかってやれるなどと簡単に口にすることはできない。

 けれど、アカツキはハリーを少しうらやましく思っていた。

 確かに、彼がこの数年間歩んできた道は、痛みや苦しみ、悲しみや憎しみで形作られたものだったかもしれない。その道が正しかったなどと、口が裂けても言えはしない。

 それでも、一度は道を間違え、その背中に背負いきれない罪を背負ったとしても、その先で大切なものを取り戻せるのだとしたら、それを無駄な道とは言わないのではないだろうか。

 罪を償う努力はしてきたつもりだ。自分が歩んできたこの道も、決して間違いではないと、そう断言できる。

 けれど、自らの目の前に拡がる道の先にはどこにも、自分が本当に大切にしていたものは見えない。それはもう、既に失われてしまっている。


「うらやましいな……」


 二人には聞こえない小さな声で、アカツキはその言葉を漏らす。どうしてもその気持ちを抑え切れなくて、言葉にせずにはいられなかった。






 そしてしばらくして、ハリーが落ち着きを取り戻した頃、ハリーはおもむろに自らの手の甲を差し出した。そこには、若草色の六芒星が鈍く光っていた。


「アカツキさん、俺の『王の資質』を壊してください」


 それはハリーの決意。この力を頼って、これから罪を贖っていくのは違う気がした。罪を贖うのならば、今度は自分自身の力で、そしてそれでも抱えきれないときは、アリーナに力を借りて。

 それに、この力は戦いを引き寄せる。これからアリーナと一緒にいるのだとすれば、この力は無い方がいい。

 自分勝手な選択なのかもしれないけれど、この選択が正しいとハリーはそう決意した。


「本当にいいのか?」


 その力があれば、できることはきっと増えるだろう。この力がなければできないことだってたくさんある。だから、アカツキはもう一度だけ問いかける。


「はい。後悔はしません。これも、俺の大事なけじめなんです」


 そう言われてしまっては、アカツキには言葉がない。けじめを着けに来たのは、他でもない自分なのだから。


「わかった。それじゃあ……」


「だったら、私が壊してあげる」


 それは、この場にいた三人の誰の声ではなく、けれど全く知らない声でもなく……。

 その声に反応できたときにはもう、その声の主はハリーに向けて巨大な槍を突き立てて襲い掛かってきていた。


『間に合わないっ!!』


 それを口に出すことすらできないほど追い詰められたアカツキの前に突如黒い影が割り込み……。

 ガキンっ!!

 そんな甲高くも鈍さの混じった金属音が辺りに鳴り響いた。

 槍は動きを止め、目標を捕らえられずにその切っ先を震わせていた。


「しもた……、二回も同じ登場の仕方をしてもうた」


 訛り気味にそんな訳のわからないことを口にしながらその槍を食い止めたのは、長い銀髪を垂らした、刀身が身長ほどもあろうかという長刀を携えた男だった。


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